勅使河原くんと二人目の魔姫 ⅩⅡ

 僕たちも診療所を出ると、ミランダさんに自宅に招かれて遅い昼食を頂いた。

 マリアと一緒に宿泊する場所を探そうとすると…今夜も泊まって行きなさい…とミランダさんに引き留められる。

 テミスは診療所で検査を受ける事になっている。

 場合によっては、大事をとって一晩だけ診療所に泊まる事になるかもしれないとの事だった。

 ヨアヒムさんは流石に自宅に戻ったらしい。


 その後の夕飯時のミランダさんは、上機嫌でワインを飲んで酷く酔っ払っていた。

 ミランダさんは…今日は、みんなと一緒に寝る!…と言って駄々をこねていたが、僕とレアが苦労してミランダさんの部屋にまで連れて行くと、倒れこむ様にベッドに横になり、そのまま爆睡し始めた。

 …よっぼど疲れていたんだろうな。

 ミランダさんは、昨日と今日で精神的にも肉体的にも限界だったのだろう。

 うつ伏せのままスヤスヤとした寝息を立てて眠るミランダさんに、レアは布団を掛ける。

 そして静かに二人で部屋を出て扉を閉めた。


 陽が沈んでからも、まだ少しだけ明るい時刻に、僕は風呂に入っていた。

 ミランダさんの家には広い露天風呂があった。

 風呂場の周囲は、背が高くて太い竹のような植物が壁になる様に並べられている。

 丈夫そうな縄で縛られている上に、隙間が全く見当たらない。

 …この露天風呂を外から覗けるとしたら、あいつくらいかもな…。

 僕は身体を洗った後で風呂に浸かりながら、真上にある大きな月を見上げて、そう思った。


「お湯加減は宜しいですか?」

 不意に後ろから声をかけられる。

「ええ、丁度いい感じで…。」

 僕は反射的に返事をしながら、ゆっくりと後ろを振り返ってしまった。

 そのまま、僕は固まってしまう。

 そこには大きめなタオルで前を隠しているものの一糸纏わぬ姿のレアがいた。

「レ、レレレレレ…。」

 …レレレのレ?

 …違う、そうじゃない!

「レアさん?!」

 僕は慌てて近くに置いてあった自分のタオルを取って前を隠しながら立ち上がると、彼女との距離を取る為に湯船の奥へと移動した。

「ご一緒しても宜しいですか?」

 レアさんの肌は、既に身体を洗った後な様子で濡れていた。

 …僕は彼女が身体を洗っていた事に、どうして気付けなかったんだろう?

 …僕も疲れているんだろうか?

 彼女は、こちらの返事も聞かずに湯船に入って来ようと、しゃがんでから湯に手を入れて温度を確かめた。

 …ご一緒して宜しいわけが無いっ!

「あ、あ、あ、あの、い、今あがる所だったので失礼しますっ!」

 僕は湯船から出ようとした。

 レアは湯に手を入れたまま、横に移動して逃げ道を塞いで来た。

「な、なにを?」

 僕はレアを見た。

 彼女は微笑みながら言う。

「つれない事を仰らないで下さい。このまま湯を沸騰させてしまいますよ?」

 そして僕を赤と青の目で見つめた。

 …きょ、脅迫だーっ?!


「すみません。どうしても二人きりで、お話したい事があって…。」

 レアは柔らかな口調で話す。

 でも表情は分からない。

 なぜなら僕は彼女に背を向けてしまっているから…。

 彼女は身体からタオルを少しずつ、肌を見せない様に外しながら、ゆっくりと湯船に入って来た。

 何も着けていない状態で…。

 もちろん、お湯の中に入れば波や光の屈折によって、はっきりとは見えない。

 でも裸なのかどうかくらいは、分かってしまう。

 それに、はっきりと見えないのは下の方で、上は…。

 僕は流石に恥ずかしいのと申し訳ないのとで、彼女を真正面からは見られなかった。

「は、話しだけなら…何も、ふ、風呂場じゃなくっても!?」

「…いつもマーくんの側には、マリアちゃんがいたものですから…。」

 …あ、そういえば?

「マリアは、どうしたの?」

「テミスちゃんの所へ…診療所へ出掛けています。何でも妹に相談したい事があるからとか?」

「そ、それなら僕らも上がってから、お話をしない?」

「今すぐ風呂から上がってしまえば、風邪を引いてしまうかもしれませんわ?ゆっくりと浸かって下さらないと…。」

 …万事休す。


「レ、レアさん?それで、話したい事って?」

 僕は早めに切り上げたいと思って、取り敢えず相談事とやらを彼女に尋ねてみた。

「…レアと呼び捨てで構いませんよ?あの時のように…。」

「いや、あの時は緊急事態だったから、咄嗟とっさに…。」

「…そうですね。」

 僕は何故だか彼女が、その言葉を寂しそうに呟いた様に感じた。

「妹を助けて頂いて、ありがとうございます。」

 彼女は丁寧に御礼を言ってきた。

「そ、そんな?!僕はアイデアを出しただけで、レアさんの精霊魔法やデモス司祭の解毒魔法、診療所の先生の手当てやホボス司祭の回復魔法、そ、それにマリアの人工呼吸…みんなの協力があればこそで…それに…。」

 …普段は嫌いだとか思っていた僕なんかの願いを聞き届けてくれた神様の…。

 僕は何故か神様の部分だけは、レアに言うのをやめてしまった。

「もちろん皆様にも感謝しています。」

 レアは、そう言った。

「僕も…特にミランダさんには感謝しているよ。僕を信じてくれただけでなく、教会を説得してくれて…それなのに、あんな事になっちゃって…。」

 …神罰の発動…。

 …そんな事が本当に起こってしまうのだろうか?

「きっと、大丈夫ですわ。」

 レアが優しくいたわる様に僕に言葉をかけてくれる。

 …そうだ、きっと大丈夫だ。

 …そう簡単に発動しないと言っていたデモス司祭の言葉を信じよう。

「そして…。」

 そう呟くレアの声を聞いた瞬間に僕は、背中に柔らかな感触が当たるのを感じた。


 …えっ?!

 …これって?!


 ええええええええええええっ?!


「わたくしも救って頂いて、ありがとうございます…。」

 彼女は、そう言って僕の両肩に両手を置いて、僕の首の後ろに自分の頭を預けてきた。

「昔から、わたくし…妹の事となると見境いがなくなってしまって…。」

「テミスは可愛いもんね。分かるよ。」

 僕は同意して理解を示した。

 少しだけ間が空いてレアの右手が、僕の右肩の辺りの皮膚を軽くつねって来た。

 …な、なんで、つねるの?

「…妹が吹き矢の毒に倒れた時も…自分を見失っていました。」

 …うん、怖かった。

 …さっきの沸騰させる云々うんぬんも怖かったけど…。

「マーくんに妹の解毒が先だとさとされていなければ…たぶん二つのあやまちを犯していたと思います。」

 …。

「ひとつは妹の手当てが遅れて助けられなくなっていた事…。もう一つは…。」

 言い淀んでしまったレアの手が、震えていた。

 そう…彼女も、まだマリアと変わらない年頃の女の子なんだ。

 亜人種とは言え人の言葉を理解して話す生き物、ホブゴブリン…。

 殺すとなれば、人相手と似た様な恐怖と嫌悪を感じても仕方の無い事だ。

「わたくしは危うく鬼と化す所でした…。人に向けて精霊魔法を使ってはいけないと、マーくんに教わったばかりでしたのに…。」

「マリアにも言ったけど、ホブゴブリンは人じゃ無いでしょ?」

 苦笑いをしながら僕は、肩に置かれたレアの手に、そっと自分の手を重ねて彼女に慰めの言葉を掛けた。

「あの時のさ…レアの怒りは当然だと思うよ?僕だって、近しい人が傷付けられたら何をしてでも守りたいって思うもの…。」

「…あの時の私は、妹を守りたいという考えを微塵みじんも持ち合わせてはいませんでした。ただ鬼の様に…妹を傷付けた者達を殺したいと考えていました。母の様に皆を守りたいと思ってした事ではありません…。」

「それは表と裏だよ。あんなにピンチだったんだから、妹を守りたいと思う気持ちにスイッチが入って、奴等を殺したいという想いに切り替わってしまったのは、仕方がない事なのかもしれない…。実際、殺す気で掛からないと危ない連中だったしね。」

 僕は、そこで一息つくと思っている事を素直に口にする。

「だから、あの時の僕は、本当だったら君を止める権利なんて無かったんだ。テミスの解毒が先だと思ったから止めた。そう、思っていたんだけど…。」

 レアは静かに僕の話の続きを待っている様子だった。

「テミスの事が無くても…君を止めて正解だったと今は思う。」

「…それは何故ですか?」

 その質問に答える為に、僕は少しだけ振り返って彼女を見た。

「君がつらそうだから…妹を傷付けた奴等なのに、殺しそうになってしまった事を悲しんでいるから…きっと本当に殺してしまっていたら、もっと、つらかったと思う。」

 彼女が少し顔を上げて僕の目を見つめて来た。

「僕は、そんな君を見なくて済んで良かったと思っているよ…。」

 レアの目尻に涙が滲む。

 彼女は、それを人差し指で、そっと拭うと微笑んで言った。

「本当に助けて頂いて、ありがとうございます…。」


「マーくん?」

「な、なに?」

 御礼を言われて、まだ僕が照れていた時に彼女は再び話し掛けてきた。

「好きな人は、いますか?」

 僕は、幼馴染の美恵の事を思い浮かべた。

「…いるよ。けど…。」

「けれど?」

「告白して…振られちゃったんだ…。」

「ええっ!?」

 レアは何故か、とても驚いている様子だった。

「そんなに不思議かな?」

「え?…ええ、とても、そうは見えませんでしたから…。」

 …そんなに僕は、女の子に告白したら必ず受けて貰える様なタイプに見えるのかな?

 僕は褒められている様な気分で少しだけ嬉しくなった。

「…それでは今、決まった恋人とかは、いらっしゃらないのですか?」

 レアは恋人という言葉が恥ずかしかったのか、頬を紅く染めながら僕に尋ねてきた。

 僕はマリアの事を思い出す。

 僕の事を好きだと言ってくれたマリア…。

 彼女には返事を待って貰っている。

 だから…。

「…決まっては、いないかな?」

「そうですか。」

 レアは何故か喜びに満ち溢れた表情で僕を見てきた。

「わたくしでは、駄目ですか?」

 …ん?

「えっ?それは、どういう…?」

 僕が尋ね返そうとした、その時に…彼女の方から被せる様に言葉を挟まれた。

「マーくん、貴方の事が好きです…。」


 …はい?


「え?あの、その…。」

 僕は激しく動揺してしまった。

 …なんだろう?

 …何だか人として不味い状況に陥ってしまった気がする。

「わたくしの事が、お嫌いですか?」

 僕が困っていると、レアは畳み掛けるかの如く尋ねてきた。

「そんなっ?!嫌いだなんて…。」

 あんなに妹思いで、優しくて、一生懸命で、僕の言う事を守らなかった事を真摯に反省してくれて、とても…綺麗で…。

 …あれ?

 …僕、喜んでいる…。

 …レアに好きだと言われて、心の中が嬉しい気持ちに満たされていってる。

「嫌いじゃない…かもしれない…。」

「好きか嫌いかで、仰って下さい…。」

 それなら、答えは一つしかなかった。

「好き…。」

「ああ…。」

 彼女は潤んだ瞳で僕を見つめると、首に腕を回して抱きついてきた。

「では、わたくしを恋人に…。」


「ごめん、今は出来ない…。」

 僕はレアに正直に答えた。

 彼女は回していた腕を解くと、再び僕の肩へと手を置いた。

「…なぜですか?」

「まだ、気持ちの整理が付かないというか…。」

 僕は、また美恵の事を思い出す。

 幼馴染に再び出会うまで、もう一度だけ振られた相手に巡り合うまで、僕は一歩も前に進めなかった。

 マリアにも待って貰っている。

 レアは優しく尋ねてきた。

「…忘れられないんですね?」

「そうかもしれない…僕は、まだ…。」


「マリアちゃんの事を…。」「美恵の事を…。」


「「えっ?」」


 どうやら僕達の間には、誤解があったみたいだ。

 レアは、ゆっくり僕から離れると、湯船から上がってタオルで再び前を隠した。

 僕は振り返って彼女を見ると、なんだか怒っている表情をしている。

「ミエさんって、どなたですか?」

 そう言って彼女は、僕の事を微笑みながら…睨んできた。

 レアは裸をタオルで隠すのに使っていない方の拳を強く握り締めている。

 …気のせいなのだろうか?

 その時の僕には、彼女の左目の紅い輝きが増していく様に見えた。


「マサタカさん…失礼します。」

 丁度その時に、風呂場の入り口が開く音と共に、そんな声が聞こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る