その頃、世界では

ホイスト

街中はずれの酒場

 ある日、酒場の店主ーーーークロエは客のいない酒場を眺めながら呆けていた。

 広いカウンターの真ん中にいる彼女見える範囲には、たった二つしか用意していない古机と見栄えの為に大きくとった窓の向こうに沈んできた太陽だ。

 不意にドアベルの音が響く。

 一瞬遅れて、「ああ、いらっしゃい」と返事をした。

 入ってきたのは一人の青年だ。

 たまに来る常連でもなく、全くの新規さんだ。

 私の右斜め前の席に座る。

「注文は?」

「エール」

 青年は特に目を合わせることもなく答える。

「はいはい」

 振り向き壁一面の棚からエールを探す。

 彼はエールと言ってもどのエールかは言わなかった。

 棚の右端、それも数本並んでる一番奥の瓶を取る。

 なかなか希少価値が高く、そこそこ値段が張るエールだ。

 だが、金持ちに気に入られるようなものでは無い。

 なかなかマニアックな味と香りがするからね。人を選ぶんだ。

 普通の物よりも一回り小さいジョッキを取り出し、注ぐ。

 色は特に変わらない。が、少々独特の香りがする。

 ちら、と横目で青年を確認すると、眼があった。

 彼はすぐに視線を戻したが、少し表情がこわばった気がする。

 泡があふれる手前ぐらいでやめ、青年の前へ出す。

「お待たせ」

 青年は独特な香りに少し顔を歪めながらジョッキを手に取り、口に付ける。

 意外と味は気に入った様だ。ちびちびと飲み始めた。

 私はまた店内を眺める作業に入る。

 しばらく青年がエールをちびる音と、しゅわしゅわと泡の音が聞こえる。

 外の音は特に聞こえない。ここは外れているから来る人間がそもそも少ないのだ。

 青年のジョッキが半分ほど空いた頃、声を掛ける。

「あんたなんか面白い話はないかい」

 青年は一瞬動きを止め、ジョッキを置いた。

「……残念ながら、碌な話などない」

 少し苦笑しながら応える。

「なに、世間話さ。ここの店主をするのは暇だからね。暇を潰せるなら何でもいい」

 青年は「ふん」と息を吐いてから話始めた。

「今度の討伐隊に入った。明日には出発だ」

 討伐隊。最近、近くの森深くに龍が住み着いたらしく、森の生態系が乱れているそうだ。

 狩人の獲物は減り、狂暴なヤツはこの街近くで頻出しているらしい。

 それにしても、入ったということは傭兵か何かをしているようだね。

「それはそれは、これでしばらくしたら物価も下がって助かるよ」

 それを聞いた青年は表情は変えず、眼だけで睨みつけてきた。

「勝てると思ってるのか」

 言葉に怒気は感じなかったが、視線は怒りを発している。

 森に住み着いた龍というのは、噂に聞く話じゃとんでもなく位の高いヤツらしい。

 この街の人間が束になったところで何もできやしない、とも聞く。

 だが、そんなもの気にする必要はない。

「あんたのその飲んでるエール、この街じゃあたしのところしか売ってないようでね」

 青年は視線だけジョッキに落とす。

「それを飲みたいヤツならやってくれるだろうな、と」

 青年は少し泡がはじけるのを眺める。

「そんな奴がいればな」

 青年は残りのエールをあおり、乱暴にジョッキを置く。

「幾らだ」

 ポケットをまさぐっている。

 あたしはエールの瓶をちらっと見る。そうだね……。

「金貨一枚かな」

 眼の前のが初めて驚いた顔をする。

「ぼったくりじゃねぇか」

 そりゃなかなか希少価値が高くそこそこ値の張るエールだからね。

 それに、

「瓶を開けたからね、これ一本分だよ」

 青年にまた睨まれる。指定しなかったのはあんただよ。

「チッ……まあいい、どうせなくなるかもしれねぇ金だ」

 ポケットから探し出した金ぴかを一枚こちらへ弾く。

 そのまま不愛想に席を立ち、店を出ようとする。。

「毎度あり、瓶は残しとくからねぇ」

 青年は少し立ち止まり、こちらを振り返ってーー

「チッ」

 と、最期に舌打ちをして出て行った。





 店主だけ残り、他にいない店内。

 クロラは年期が入り鈍く輝く金ぴか一枚を眺めている。

「あ、そういえば」

 輝きを楽しむように夕日に当てる。

「おつり渡し忘れたなぁ」

 あの値段設定はその場で適当に言った様だ。

 金ぴかは鈍いが、確実に金の輝きを返している。

「ま、いっか」

 飽きたのか、金ぴかをポケットにしまう。

「また来るから」

 彼女は立ち上がり大きく伸びをする。

 今日はもう、店仕舞の様だ。

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