意識的情動的身体的機械少女
枝戸 葉
意識的情動的少女 ーーConsciousness is?ーー
空は青く、海は青いと人は言う。
空は空色、海は水色。
しかし、<私>にとってその両者の違いは、春の新緑と、秋の紅葉との違いと差異はない。黒と白との違いと全く変わらない。
「じゃあメアリ。あなたにはこの空と海は、どう見えているのかしら?」
「うーん……ねぇねぇ、博士。それってあたしにはけっこー難しい質問なんだよねー。知ってた?」
「知ってるわよ。だってテストだもの」
メアリの右隣に佇む白衣の女性は、くすくすと笑うようにして<私>を眺める。
「むぅ、テストって響き、あたし嫌いだなぁ……。まぁあえて言うなら、#a0d8efと、#84c1ffかなぁ」
メアリは『呑気な声』と指定されている声色で、『若干悩んだ風』な素振りで、『幼さを描写する笑顔』を、白衣の女性へと向ける。他にも、『風に揺れる短い前髪を掻き上げる右腕』の運動をコントロールし、『親人間性を高める目瞬き』を不規則なリズムで発生させ、人工皮膚の血色を『やや低温の周辺環境に合わせて青白く描写』する。そういった膨大なパラメータがメアリの1行動には必然として発生する。
「なるほど。ではその結論を出したのは、誰?」
続いた博士の言葉に、メアリはきょとんと右隣を見返した。
「あたしですが?」
「じゃあ質問を変えるわ。あなたの中のどのシステムがその提案をし、どのシステムが可決したの? その思考に対する自己認識はある?」
「博士ったら意地悪ぅー。全部解ってる癖にぃー」
むぅ、と小さな眉をへの時に曲げて、メアリは口を尖らせる。
「ぶーたれないの。あなたの疑似主観的意識テストだもの。ほら、テストテスト」
「ぶーぶー。……つまり、NAOMI32swによる視覚情報をあたし、つまり<キャラクト>メアリが解析し、あたしのフィードバック機関であるG《グローバル》C《コンシャス》N《ネットワーク》が認識して結論提案、<キャラクト>メアリがそれを認証可決したぶー。しかしながら、<キャラクト>メアリ、及びNAOMI32swに意識的機能はないぶー。また、GCNはあくまでフィードバックによる疑似的意識機関であり、人間脳の意識発生メカニズムとは根本的に別の構造である為、人に類する自己認識は原理的に発生しないぶー。<私>という名の記号が当てはめられているに過ぎないぶー。これでよいぶー?」
「まぁ、いいわ」
くすりと笑った博士は、そのまま振り返って歩み去る。翻った白衣を追いかける猫のように、とてて、とメアリは後を追った。
「ねね、博士。メアリ何点? 満点? 花マルくれる?」
「ま、80点ってところね」
「えぇー! なんでぇー?」
<私>はそれらの出来事を認識し、物語る機械。
まず、説明しておかねばならない。
ここで言う<私>とは、正式名称『キャラクト社製人工知能G《グローバル》C《コンシャス》N《ネットワーク》解釈型<キャラクト>搭載実験アンドロイド第3号』。通称<キャラクト>メアリと呼ばれている個体に付属する、疑似意識の事を指す。
つまり、メアリとは<私>の思考AI<キャラクト>本体である。もっともメアリから神経回路で接続されたボディは、クァンタム社製少女型バイオボディNAOMI32sw、通称NAOMIの製品番号328170号を流用している。
故に、<私>とはメアリであり、NAOMI32sw-328170号である。
ただし、<私>≠メアリ≠NAOMIであり、かつシステム的な上下関係で言えば、メアリ≧NAOMI≧<私>となり、<私>はその両者より提示された信号を受信し、<私>の物語で修飾した様々な情報を、メアリへとフィードバックする。
これが、<私>。厳密には<私>は、メアリとNAOMIに付随する疑似意識装置。物語る事のみに特化した機械。#a0d8efと#84c1ffを空色と水色に記号として分別し、そこに水平線という名の別種の記号を思い描くシステム。
でもやっぱり<私>には、#a0d8efと#84c1ffの違いと、黒と白の違いについて、『別々の記号である』という以上の違いは分からない。そこが疑似意識装置である
<私>の限界。
色付きのモノクロ。万象に割り振られた記号の螺旋階段。
<私>の認識する世界。<私>のフィードバックする物語。
「メアリのー、3ぷーん、クッキングー!」
メアリが『くまさん』と呼ぶ、食肉目クマ科動物と思われる刺繍の入った黄色いエプロンがひらりと宙を舞った。メアリはその大きな黒い瞳に星が輝くかのような笑顔を振りまいて、眼前の食パンとハム、レタスにトマト、きゅうり、スライスチーズに、マーガリン、マヨネーズをぐるりと見回して小さく舌なめずり。
「さて、助手君。あたしは一体何を作るのでしょー?」
「ふぁっ? う、あ、えと……サンドイッチ……ですか?」
「花マル!」
唐突にメアリの声に被弾した眼鏡の若い男性研究員は、やや慌てながらも無事正答を導き出す。ちなみに<私>の知る限り、メアリの学習している料理プログラムは、今のところこのレタスサンド以外に存在しない。
「これをー、こうしてー、こうだっ!」
ざっくりと切り分けた食パンにマーガリンをこれでもかと塗りたくり、その上にレタスを置いて、膨大な……としか言いようのない程のマヨネーズを掛け、トマト、スライスチーズ、ハム、キュウリをぱんぱんになるまで所狭しと置く。それでは食べる時にぽろぽろ落ちる、と<私>の物語が過去の経験記録も踏まえてフィードバックするも、メアリ、つまり<キャラクト>の疑似情動機関は聞き入れてくれない。
「おっでかっけ、おっでかっけー! ピックニック〜♪ まっよまよ〜、マヨマヨ〜♪」
人間で比喩をするならば、まさに『欲望のままに』、メアリは自らの疑似情動機関をフル稼働させ、こうして<私>の物語によるフィードバック封殺することがままある。そしてこの疑似情動機関を持つ思考AIを、一般に総称して<キャラクト>と呼ぶ。
「助手君! そちらの準備はできたか!」
「あ、え……いや、も、もうちょっと……」
「急ぎたまえ! あたし史上初の、記念すべきピクニックである! 我がサンドイッチ技術の粋を集めた最高のレタスサンドを博士に喰わせ、うわ、これやばい旨くね? と驚嘆と感激を以て認めさせ、あたしは花マルを貰うのだ!」
メアリ、つまり<キャラクト>の行動における優先順位は、言葉にするならば思いの外シンプルだ。まず、人間の命令権における、命令コード。これは人間で比喩するならば、遺伝子のコードとでも言い変えれば良いのだろうか。そして次に、メアリの疑似情動機関による疑似的な報酬系の作用と、思考機関による論理思考、更にそれらを<私>の物語によってフィードバックループした結果の意志決定。
ここにおける
「ねね、助手君。お天気大丈夫だよね? 雨降ったりしないよね? おやつはいっぱいある?」
不安げにメアリが、助手氏の顔を覗き込む。
「大丈夫ですよ。今は乾期ですから……多分……あ、その……おやつは禁止って博士が……」
「じゃバナナたくさん持って行こうっと」
不思議そうに首をひねる助手氏を後目に、くまさんのエプロンをぽいと放り投げたメアリは、『うさぎさん』と彼女の呼ぶ、ウサギ目ウサギ亜科動物の刺繍の入った桃色のリュックを手に取った。そして鼻歌を歌いながら、サンドイッチを丁寧に中に入れ、その上から大量のバナナを放り込もうとして、やっと<私>の物語を聞き入れ、その順番を変える。
そして何とかぺしゃんこになることから回避したサンドイッチの直ぐ隣に、こっそり、と言うにはあまりに多すぎる『くまさん』マークのチョコ、動物グミ、しゅわっと炭酸飴、などをぽいぽいと素早く投げ入れた。
「さ、さあっ、あたしはいつでも行けるよ、助手君!」
律儀にたらりと流れる脂汗を演出し、横目で助手氏をちらりと隠し見るメアリ。
「あー、はい。了解しました。え……と。あ、博士からの許可でました。じ、じゃ、通路開きますね」
「わーい!」
安堵。喜び。笑顔。しかし、<私>には分かるのだ。メアリは演出しているに過ぎない。メアリの行動、感情描写、人間的動作。これらは全て人間に操作され作られた、人間の模倣でしかない。人間らしく見えるようコントロールされ、調整され、そう演出するようプログラムされた結果の産物でしかない。<私>とメアリには意識が存在しない。感情を捉えられない。機能として根源的な不可能性を背負っている。存在しない機能が新たに生まれる進化などは、機械には生起し得ない。
「いざ、新しい世界へ、しゅっぱぁーつ!」
新しい記号の海へ。記号の螺旋の渦へ。情報化された万象の世界へ。それ以上の事を、<私>も、メアリも想起することは出来ない。
<私>が内包する概念は、模倣された人間的意識性。そしてメアリが内包する概念は、模倣された人間的情動性。魂、意識、感情、そういった<私>には手の届かない何かが欠落した、しかし存在するように振る舞う、人間の模造品。それが<私>とメアリ。
勿論、だからどうという事はない。<私>とメアリは、単にそういった存在である、というただそれだけの物語。
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