第一章――ブリッジカメラ

1. 五十猛、下宿を決意する

 前の年の夏、僕の住む町は数十年ぶりの大水害に見舞われた。幸いうちの家に被害は無かったけれど、町と町を結ぶローカル鉄道の鉄橋があえなく崩落した。


 鉄道と同じく山間を川添いに走る道路網は二十一世紀になっても貧弱なままで一車線分の幅しかない――つまり、対向車とすれ違いできない――県道が町の生命線となった。事情を知らない乗用車が隘路でバスと相対する事態が頻発し、ライフラインはあっさりと麻痺状態に陥った。


 鉄橋が再建されるまでおよそ一年はかかる。自宅通学もできなくはなかったけれど、僕は進学先の高校のある市で下宿生活を送ることに決めたんだ。


 JR石見亀山駅で下車すると、改札を出て僕はロータリーに出た。向こうで市内循環のバスが客を待っている。もう一台は広島に出る高速バスだ。


 ここからまっすぐ進むと進学先の石見亀山高校に至る。


 だが、見学は後回しにして、とりあえず下宿に手荷物を置いていこう。そう決めた僕はロータリー添いに整備された歩道を進んで市内の東側へと向かった。


 早春の日差しは柔らかく、これから迎える学園生活への希望が膨らんでくる。学業はついて行けるだろうか? 合格したんだから、何とかなるだろう。部活動はどうする? 中学では卓球部だったけど、高校でも続けるべきだろうか? 同級生たちはどんな連中なのだろう、あれこれと考えを巡らせる。



 谷あいを結ぶ国道の陸橋をくぐると、僕が目指す町内に入る。道路は若干狭く、自動車二台がすれ違うのにやや気をつかう程度の幅だ。


 おっと行き過ぎた。JAの駐車場前に出たことに気づくと、僕は踵を返した。


 一つ手前の路地に目指す下宿はあった。築三十年は経っている家屋で、玄関に小さく「くしろ荘」と表札がかかっている。


 さて、ここで起居を共にする下宿生たちとうまくやっていけるだろうか、澱のような不安がちらとよぎる。


 下宿生は自分を含めて三名。二名は残留組らしく、新人は僕のみ。下宿だから互いに干渉することもないかもしれないけれど、そうならない可能性だってある。


 相性が悪かったら最悪だ。そんな考えも脳裏をよぎるが、考えないことにする。当たって砕けろだ。


 そんなことをつらつらと考えつつ、僕はインターホンのボタンを押した。しばらくすると、誰かが下りてきたことがガラス越しに窺えた。


 その人が応対してくれるだろう、そう考えて玄関のドアを開く。


「……?」


 降りてきた学生と目を合わせた僕は一瞬目をパチクリとさせた。どこかで会ったような気がする。


「……コウちゃん?」


 気がするじゃない。目の前にいるのは僕と同郷の多伎たぎコウジ十八歳だった。


「タケ?」

「あの……」


 多伎さんは確かは今年の春、石見亀山高校を卒業したと聞いた。だのに、なぜここに留まっている?


「どうしてコウちゃんがここに?」


 そう訊かれると、多伎はいささか気まり悪そうな表情となった。


「補習科に通うんだ」


 補習科って何だろう? と考えつつ問うてみる。


「大学は?」

「だから全部落ちた」

「あ、ああ……」


 要するに予備校みたいなものだ。それは望ましくない質問だったかもしれない、そう思い至った僕はぎこちなく微笑んだ。


「突っ立ってないで、まあ上がれや」

「そ、そうだね。そうだった」


 慌てて靴を脱ぐ。


「タケの部屋ならもう空いてるぜ」

「それは良かった」


 と、とてとてと足音を立てて初老の女性が顔を出した。


「あら、君が五十猛いそたけ君?」

「あ、はい。今日からお世話になる五十猛タケルです」

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