その2

 卒業式が、終わった。


 好きだった先輩のために、涙を流している友達がいる。私は、そんな彼女を少しだけうらやましく思った。私は……まだ、泣けなかった。泣いちゃいけなかった。 
 先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まる。先生の話に耳を傾ける……はずが、いつのまにか先輩のことで頭が一杯になる。


 早く、早く。かえっちゃったら、どうしよう。


 先輩、先輩、先輩……


 こぼれようとした涙を、必死でこらえた。
 


 ホームルームが終わるとすぐに、先輩たちがいるはずのロビーに向かう。みんなと一緒に、そこにいるはず。確信して戸をあけると、思った通り、先輩はいつもの仲間と一緒にテーブルを囲んでいた。思いっきりの笑顔を見せる。少しでも、わたしのことを覚えていてほしい、そんな気持ちを込めて……先輩、へんに思ったかな?



 入部してそうたたないうちから、自分の、先輩への気持ちに気づいていた。でも、先輩に彼女がいるっていううわさを聞いたときから、言わずにおこう、と決心していた。迷惑は、かけたくなかったから。


 先輩の制服には、二つのボタンがのこっていた。きっと第二ボタンは彼女にあげるんだろうな……そう思いながら、先輩にむかって言う。



 「先輩、第三ボタンください…」



 先輩はやさしい笑顔を見せて、ためらわずにわたしてくれた。


 特別な想いなんて、いらない。でも、第三ボタンはわたしがもらったってこと、覚えていてほしい。こんな後輩がいたってことだけ、覚えていてほしい…… 


 渡してくれた先輩の手を見つめながら、かなうはずのない願いを心でつぶやいた。 


 先輩って、いい人ですね。


 何度となく、先輩に言ったっけ。心の中にかくした気持ちを、何とか伝えたいと思って言ったこともあった。でも、そんな言葉で気づいてもらえるわけもなかった。――ひょっとしたら、気づいてたのかな? 気づいて、上手にかわしていたのかな? やさしい先輩のことだから、きっと、そうかもしれないな……。



 先輩といると、いつも、幸せな気分だった。先輩が、わたしのことを好きじゃないって知っていても。だけど、先輩はどう思ってたんだろう。後輩への気づかいで、凄く疲れてたのかもしれないって思う。


 「先輩、ごめんなさい。いつも迷惑をかけて」


 あやまれなかったこと、後悔したくない。今、言わなきゃ……そう思ったけど、やっぱり言えなかった。



 卒業。先輩は、今日でいなくなってしまう。もう、先輩とは会えなくなってしまう。今まで言いたくて言えなかったことは、他にもたくさんあった。


 --ありがとうございます、素敵ですね、がんばってくださいね、彼女ってどんな人ですか、好きです、大好きです……


 行かないで !!


 一つでも……どれか一つだけでも……先輩と会えなくなる前に!


 言えないまま、涙がでそうになった。――だめ、まだ、泣けない――もう一度、自分に言いきかせる。


 のびすぎた髪が、うっとうしかった。切ってしまおう。先輩への想いを絶ちきるために。短く切ってしまおう。
 


 バスの時間になった。こんなふうに、あっというまに流れていく時間がうらめしかった。みんなと一緒に帰る準備をはじめる。その時、先輩が言った。


 「あ、俺、残るよ……用事あるから」


 ――彼女に会うのかな……バスおりるまで、一緒だと思ってたのに。でも、しょうがないな。これ以上、先輩に迷惑かけたくないもの。


 もう行かなきゃ。


 「さようなら」


 立ちあがって、あいさつをする。本当のお別れ。


 「さよなら」


 先輩も答えてくれた。最後のお別れ。


 自分の気持ちを言えなかったことを、わたしは後悔しない。これも一つの、素敵な恋の思い出だから。いつか、新しい恋をするためのステップだと思うから。



 先輩一人のこして、わたしたちはロビーを出た。


 先輩に会えてよかった、素敵な恋ができてよかった。


 もう、彼女、来てるかな……。どんな人だったんだろう……。
 

 バスに乗って校舎のほうを見ると、先輩がたっているように見えた。


 「まさかね……」つまらない考えをおしだすように、涙があふれた。……もう泣いてもいいよ……自分にやさしく言う。


 わたしは、先輩が手渡してくれた第三ボタンをしっかり握りしめて泣いた。


 このボタンは、大事にとっておこう。先輩の……わたしの恋の思い出が、このボタンにこめられている。


 第二ボタンはどうしたかな……涙でくもった風景を見ながら思う。


 涙の一つぶごとに、先輩のことを一つ一つ想い出した。

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