”地球”のとある街で

黒犬十世

1-1 プロローグ1

●王国歴256年 黒の月13日 鳥の刻4の時 ツィアマッド王国 謁見の間


 ツィアマッド城、謁見の間。王城内で最も広く、最も豪華に作られた広間である。

 いつもは檀上に王座が据えられ、座した王や大臣が報告を受け内政を執り行い、また騎士達に勅命を下すその厳格な広間にいつもとは違う――いや、あってはならない戦いの音が先ほどから響いていた。


 戦っているのは二人。


 一人はこの王国の紋章の入った剣と盾を持ったまだ若い、というよりもまだ少年といっていい騎士だ。


 少年騎士の名はクロノ・リンクスという。

 ツィアマッド王国騎士団長の息子にして、異例の若さで第二隊の隊長に選ばれただけの才を有しており、将来的には次期団長の座を継ぐのではと噂されていた。

 外見のほうは宮廷魔術師であった母親に似たのか年齢の割に小柄で、視界を遮らない程度に切り揃えられた王国でも珍しい黒髪と青色の眼を有する顔は整っており、初対面の相手には一瞬性別について戸惑われることもある。

 だが今はその端正な顔には緊張と疲労の色が浮かび、身体の方には鎧と盾でかばいきれなかった攻撃による傷がいくつも付けられていた。


 戦っているもう一方の人物は黒いローブ状のドレスで覆われていながら、その身から溢れる禍々しい魔力と豊満な身体のラインは隠しきれていない女だった。


 女の名はイシュリア。

 自らの使役するモンスターを放ち、王国の各地を襲撃しては人々を根城としている森の奥深くに連れ去っていく“深森の魔女”の名で恐れられている。

 こちらは背に濡れ広がるようなボリュームのある漆黒の髪に対比するような色白で蠱惑的な美貌を、焦りと苛立ちで歪めていた。

 外見は20代後半に見えるが、実際には200を超える歳月を生きているとされる。

 その美貌を保つため、毎夜連れ去った女の生き血を絞りとって浴び、また男は邪悪な人体実験の果てに彼女の使役するモンスターの材料として使われているのではと噂されていた。


「<グルナード・シュタイン>!」


 イシュリアの唱えた魔術より生み出された岩石弾が、クロノの頭をわずかに外れて後方に飛んでいく。


「ハッ……!」


 魔術行使直後の硬直を狙ってクロノは剣を振るうが、イシュリアは先ほど魔術を放った逆の腕にすかさず魔力による盾を張って攻撃を受け止めた。

 魔女の異名を持つ彼女であれば、攻撃と防御、二つの異なる術を同時に操る程度の技は使えて当然なのだろう。


「ぐうぅぅぅ!」


 しかし、彼女は剣に付与された電撃を防ぎきることができずにダメージを負った。


 魔力による盾は魔術による障壁に比べ素早く展開できるが、その分防御力は劣る。

 クロノの持つスキル【雷精霊の祝福】により習得した魔術剣は、剣技に雷属性を付加することで速度、威力共に強化されている。

 イシュリアは直撃こそ防ぎ続けていたが、彼女の予想よりクロノの技は鋭く、少しずつダメージを蓄積させられていた。


「<グラヴィエ・シュテルメン>!」


 だがイシュリアも攻撃を受けているだけではない。

 クロノの攻撃を受け止めダメージを負いながらも精神の集中を途切れさせること無く、次の攻撃魔術を完成させると至近距離から放った。


 今度はクロノが装備した盾でそれを受け止めようとするが、今度の魔術は先ほどとは違い礫状の石弾が一気に飛来してきていた。

 【雷精霊の祝福】を受けたクロノは地属性の攻撃には通常よりもダメージを負ってしまう。

 盾で防いでなお受ける予想以上の衝撃と、かばいきれなかった足等数か所に石弾がぶつかり、後退させられる。


「はぁ……はぁ……」

「ふぅ……ふぅ……」


 再び距離を取り合い、にらみ合う。相手の隙をついて攻撃し、それを受け止めて反撃し、互いに受けきれずにその身を削られる……。

 そんな応酬を二人は幾度となく繰り返していた。





 ツィアマッド王国に幾度となく災厄をもたらしてきた“深森の魔女”イシュリアの討伐を、王国は遂に騎士団に命じた。

 騎士団長、副団長を含む団の精鋭達と宮廷魔術師、各地より集められた冒険者らによって結成された討伐隊が国王陛下から謁見の間にて激励の言葉を受けた後、一糸乱れぬ動きで魔女が潜むという王国辺境の森へ出陣していく姿にその場にいた誰もが作戦の成功を確信していた。

 騎士団長である父から不在の間を任され、謁見の間で皆の姿を見送ったクロノもその一人だった。


 しかし、事態は王国の誰もが思ったようには行かなかった。


 魔女イシュリアはこの出陣によって騎士団の中枢が不在となり、城の防備が手薄になったことを逆手に取り、出陣式の翌日の夜、自ら城に攻め込んできたのだった。

 城に飛竜の背に乗って城壁を乗り越え侵入し、魔女は禁術で生み出した配下のモンスターを解き放った。

 皮膚や体毛のみならず眼や牙、口腔内を含む全てが漆黒に染まった姿を特徴する魔女のモンスター達は瞬く間に城内に溢れ、城内の人間に襲い掛かった。


 外からではなく内側から襲撃されるという想定外の事態に、残っていた騎士達は十分な力を発揮できず多くの犠牲を出してしまう。

 それでも何とか城に残っていた兵と駆けつけることのできた騎士の一部、そして王家に意見役として勤めていたため討伐隊に参加しなかった老魔術師の尽力もあり、国王をはじめとした王家の者達を逃がすことはできていた。

 その後何とか体制を整えた騎士達はモンスターと戦うがその数は多く、奇襲による混乱を引きずった騎士達は苦戦を強いられたが、やがて勢いは騎士達に傾いて行った。


 討伐隊が出陣する際、城下町は一種のパレードのようなお祭り騒ぎになっていた。

 そして冒険者達はそういったものを好むものだ。

 討伐隊出陣の噂を聞きつけ、彼らを一目見ようと城下町の民以外に冒険者達も数多く訪れており、せっかく来たのだからと観光したり、ギルドで依頼を受けようと考えた彼らが城下町にかなり残っていた。

 城から上がる魔術の光や戦闘音等の異変を察知した冒険者達が装備を整え、遅ればせながら戦いに参加してくれたことで戦局は騎士側に有利となったのだ。


 それを確認したクロノは残存した騎士達を指揮し、その一部を引き連れて元凶たる魔女を捜索。


 謁見の間の魔法陣を利用し何らかの儀式を行おうとしていた魔女を見つけ、騎士達の介入を阻止しようとイシュリアが扉を封印する前に突入し――冒頭の戦闘へと繋がる。





『第三隊! 外はどうなっているんだ!?』

『駆けつけてくれた冒険者達が対応してくれている! ギルドからも後続を出したと通達が……』

『魔女はどこだ!? お前たちはここで何を!?』

『この扉の向こうで戦闘の音がするんだ! クロノと何名かが突入したところで扉が閉まって……』

『謁見の間にか! 扉が開かないだと!?』

『魔術による封印が施されているんだ! 誰か何とかできないのか!?』

『宮廷魔術師達はどこだ!? 殆どが討伐隊に参加で不在? 残りは王の護衛だと? クソッ! 冒険者達の中から魔術師を連れてこい!』


 先ほどから二人が戦っている謁見の間は、王との謁見のみならず、魔術儀式の祭壇としても作られた由緒ある広間である。


 およそ200年前に魔王を倒した伝説を持つ四英雄に祝福を授けたという逸話もあるそこは、今ではイシュリアが自らの護衛のために残していたモンスターの死体、そしてクロノが率いて突入した数名の騎士達――何とか生きてはいるようで時折うめき声や何とか起き上がろうとする姿が見える――が倒れ、彼らの流した血が先ほどから謁見の間の床に描かれている陣の放つ赤黒い不気味な光により照らされていることでさらに凄惨な状況になっていた。

  

 扉の外から聞こえた騎士達の声にイシュリアはさらに顔を歪め、クロノは若干の安堵の息を吐いた。

 

「焦っているようだな、イシュリア。騎士達の応援も来た……直に扉の封印も破られるだろう。そろそろ降伏する気はないのか?」

「ふん……ガキが言ってくれるわね。アンタこそそろそろ死んでくれないかしらね。魔術儀式の邪魔をしてくれて迷惑なのよ」


 そんなイシュリアの言葉にクロノは周囲に目を走らせ考えた。


「(そう、この儀式とやらだ)」


 クロノは先ほどから気になっていたことを改めて胸中でつぶやいた。

 正直、魔女イシュリアは本来ならこうしてクロノが一人で戦えるような存在ではない。

 配下のモンスターを除いてもその習得している強力な魔術、禁術の数々が恐れられる存在だからこそ、討伐隊が結成され出陣するほどなのだ。

 しかし今までの戦闘においてはそういった術をほとんど、というより全く使用してこない。

 複数魔術の同時操作やダメージを受けながらの魔術行使は確かに並の魔術師にはこなせない。

 しかし逆に言えば上級クラスの魔術師ならばその程度の芸当はできるということだ。

 

「(使ってこないのでなく使えない? それとも使わない理由があるのか?)」


 わざわざ謁見の間の扉に封印を施してまで人を遠ざけようとしたこと、そこからクロノは考える。


「(光が徐々に強まってきている儀式の為の陣)」

「(戦闘中もこれと扉の封印に魔力を注いでいるために自分との戦闘で強力な魔術を使えなかった?)」

「(儀式を中断しその分を戦闘に回せば自分なんてひとたまりもないにも関わらず続ける理由は――?)」


 亡き母がかつて教えてくれた魔術知識をクロノは思い出しながら、今度は声に出して魔女に問うた。

 

「まさか別世界からの召喚魔術の儀式か!? 大量の魔力を用いてなお、繋げる世界によっては数年、場合によっては100年単位で一度、様々な条件の合った日時にしか成功させることができないという――その儀式をするために主力騎士が不在のところに奇襲をかけ、モンスターで残存した騎士達を足止めしている間にこの謁見の間を占拠する気だったのか?」

「ご名答。剣を振るうだけの脳筋バカではないようだねぇ」

「ふざけた口を……答えろ! これほどの魔力を使った召喚魔術だ! いったい何を召喚する気だ!?」

「さぁ? 何だろうねぇ……<フランム・カノーネ>!」

「クッ!」


 答える気はない、とばかりにイシュリアはクロノに向かい魔術を放つ。

放たれたそれをクロノは盾で受け止めるが、熱に押され距離を取る。

 その隙にイシュリアはアイテムボックスから大量の魔力結晶を取り出すと周囲にばら撒き、魔力を陣に廻していった。


「フフッ、確かに今はアンタの推理通りの理由で強力な魔術は使えないけど、それでもアンタ一人位ならまだ対処できるさ。本当は扉を封印することでそもそも邪魔されずに儀式を進められたんだけどねェ。そうなる前に踏み込んできて。時がたっても王国の騎士ってのはイラつく存在だね……200年前もそうだったよ」

「200年前だと? 禁呪で老化を抑えているという噂は本当だったのか――」

「あぁ、貴様ら王国の人間のおかげで、200年もこんな世界に囚われてしまった老婆さ。少しでも哀れんでくれるならさっさと死んでくれないかねェ?」

「……何を言っている? まるで別の世界の人間のような言い草だな」

「本当に何も知らないんだねェ。あのクソ王子も徹底してくれるよ。無知なガキに少しだけ教えてやろうか。そう、私は別の世界――地球と呼ばれている世界から200年前に王国の連中にこれと同じ儀式で召喚されてやってきた元英雄一行の一人だよ」

「なっ!? 馬鹿な! お前が救国の四英雄の一人だと!?」


 クロノは目を見開いた。


 救国の四英雄。

 200年前に魔王によって攻め込まれ劣勢であった王国からこの事態を打破すべく四人の若者が立ち上がった。

 彼らによって魔王は倒され、その後彼らは王国のために尽力したという、王国の人間であれば誰でも知っている有名な昔話に出てくる英雄達だ。

 しかしその昔話では彼らは元々この王国に住んでいた者達であったはずで、別の世界から召喚された者だなどとはクロノは初耳だった。


「馬鹿な……四英雄は別の世界の人間だっただと? 例えその話が真実だとしても、お前が勇者であったというなら何故このような邪悪な所業を行う!?」

「何も知らないってのは罪だっていうのは本当だねェ――200年前の王国の連中共は本当にやってくれるよ」

「何……?」

「さっきからうるさいねェ。なら話してやるさ。お前達の先祖が200年前何をやったのかをね」


 驚きと疑問に固まるクロノに対し、イシュリアは語り始めた。





「さっきも言ったが、私は今まさにこのやっている儀式でこの場に友人三人と共に召喚されたのさ。『魔王に侵略されているこの国を救ってくれ』って勝手に呼び出したお前ら王国の人間共にね」


「突然異世界へ召喚された私と友人三人は最初は当然戸惑ったよ。私達の生まれた世界――地球では魔術やモンスターなんかは架空のものとされていたし、住んでいた国の日本は戦争ってものがずいぶん昔のものとされていたからね」


「しかし王国の連中は私達を『救国の英雄だ』『伝説の勇者だ』って囃し立てた。私達四人は仕方なく魔王を倒すために旅に出た――私達は生き残るために必死だった。剣や魔術を修業し、モンスターを倒し、協力し合って不安と恐怖と戦いながら旅を続けた」


「魔王を倒すまでに10年かかったよ。14の時に呼ばれた私達も立派な大人さ。王国に戻った私達四人は当然願ったよ――『元の世界に帰してくれ』ってね。そうしたら王国の連中は何て言ったと思う?『帰還の為の儀式も召喚の時と同じで星のめぐりが良い時でないと行う事が出来ない、次にできるのは一番早くて10年後だ』とさ」


「話自体には嘘が無いことは私も魔術師だ。儀式について調べさせてもらって理解できたからねェ。仕方なく私達はさらに10年をこの世界ですごすことになった。王国のために剣で近隣の魔物を倒し、聖術で傷を癒してやり、魔術と地球の知識を使って様々な道具を作ってやり――貴様らが便利だと使っている手押しポンプや上下水道の整備なんかも私達が齎してやったものなんだよ。本当はねぇ……」


「ところが10年の時が流れて待ち望んだ儀式の日の前日、完全武装した王国の騎士団と当時の王子が私達の元にやってきて『貴方達は我が国に災いを齎した大罪人だ』と言って剣を突き付けてきた」


「聖女と慕われていたアイは彼らを説得しようと王子に近づいた途端、フィリップとかいう王子直轄の近衛騎士に斬られた。王子達が本気だとわかった私達は逃げるしかなかったさ。すでに王都の人間は抱き込まれていたみたいで皆私達に敵意を、武器を向けてきたからねェ」


「剣聖と崇められていたユウキは逃亡先の農村で私達を匿うふりをした村人に毒殺された。そして弓の名人だったケイジ――私の弟は私達を追ってきたアウルフとかいう宮廷魔術師の率いる魔導兵団から私を逃がすために囮になって捕えられ、獄中で拷問を受けた末に処刑された――」


「そして逃げた私を見つけられなかったが追放することはできた王国は私を死んだと発表して社会的に抹殺し……王子とその婚約者だった貴族の娘、そして“元”勇者討伐に貢献したフィリップ、アウルフの四人こそが真の英雄だと触れ回った。これがお前達、王国の人間共が救国の四英雄と崇めていた裏切りの卑怯者共さ」





「そんな――そんな馬鹿な!」


 イシュリアの語った200年前の四英雄の真実にクロノは思わず否定の言葉を叫んだ。


 200年前の王子はその後王位を継ぎ、クロノ達が守護してきた現王家の祖となった。

 フィリップは最上の騎士と呼ばれ、父が、そして自分が所属している王国騎士団の礎を築いたとされる。

 そして大魔術師アウルフは宮廷魔術師であった亡き母の先祖にあたる人物だった。

 その英雄達が実際は魔王を倒した勇者達を陥れた者達だったとはクロノは到底信じることはできなかった。


「信じないのは勝手だがね。弟のおかげで何とか逃げ延びることのできた私は辺境の森に身を隠し、次に儀式が出来る日を待ち続けたのさ。この魔術儀式は割と儀式と儀式の間の期間に波があってねェ――国を追われてから200年も待つことになってしまったよ。老いは禁術で克服していたし、別の禁術をその間に習得したおかげで儀式に必要な大量の魔力を集めることができるようになってからは退屈しなかったけど……ね! <ヴァン・モイヒレリッシュ>!」

「しまっ!? ――グゥッ!」

 

 そこまで長く話をしたところで、イシュリアは不意打ちで魔術を放った。

つい話に聞き入っていたクロノは反応が遅れ、床を奔ってきた衝撃波を食らい吹き飛ばされた。


「ゴハッ! ガハッ!」

「そう! 私は今日を待ち続けていたんだよ! さっきお前は何を召喚するつもりか?なんて聞いて来たが逆さ! 儀式を反転させ、私自身を元の世界に戻し、帰る日を! 貴様ら王国の連中に滅茶苦茶にされた人生を取り戻す時をね!――それをお前みたいなガキに邪魔されてたまるかぁ! <フランム・カノーネ>!」

 

 イシュリアはクロノに追加で魔術を放った。

 クロノは先ほど受けたダメージによりまともに対処できず、今度は扉まで吹き飛ばされ叩き付けられてしまった。


『今の音はなんだ!? 中で何が起こっている!?』

『まだ戦いが続いているのか……?』

『中から扉を開けられないのか!? 誰かいるか!?』

『魔術師を連れてきたぞ! 何とか封印を解除して……!』

『こ、こんな強力な魔術の封印を!? できるかどうかわかりませんよ!?』


「ウ、グッ……」

 

 扉の向こうから聞こえてくる声に反応を返そうとしながら、剣を支えに何とかクロノは立ち上がろうともがいた。

 それを尻目にイシュリアは儀式を進めていく。

やがて陣からの光が急に強まり、辺りを照らし始める。


「これ……は……?」

「――時間が来たのさ」


 クロノのつぶやきにイシュリアが返した。

いや、正確には待ち望んでいた瞬間が来たために思わず出てしまった声が返答になってしまったというところか。


「儀式に最適な時間が――200年もの間待ち続けていた帰還の時がついに来た。後はここに大量の魔力を流し込んで次元の穴を安定させればいい」


 イシュリアにとっては歓喜の瞬間なのだろう。

 ぶるぶると身を震わせながら、再びアイテムボックスから大小、色も様々な魔力結晶を無数に取り出すと魔法陣の上にばら撒く。

 魔力が封じられた魔力結晶は一瞬、魔法陣からの光に負けない輝きを放つと次々に砕け、解放された魔力は魔法陣に吸い込まれていった。


「成功だ……! この召喚の儀式を反転させ、帰還の儀式とする事で私は地球へ帰るのさ! フフッ、それじゃあこのクソッタレな世界からオサラバさせてもらうかねェ? アンタは自分の仕えてきた王国がどれだけ腐っていたか噛み締めながら過ごしていくがいいさ!」

「ッ! ……待てっ! まだ自分は戦えるぞ!」


 傷付いた体を奮い立たせ何とか剣を構えたクロノが叫ぶが、イシュリアはにやにやと笑ったまま追加の結晶を取り出す作業を続ける。イシュリアにとってはこの世界に未練など全く無いのだから当然だろう。

 彼女にとっては儀式が完成し自身が転移すれば勝利なのだから。


 しかし勝利を確信したが故の心の緩みからか、それとも目の前の王国の騎士はボロボロの状態でやっと立っているというその状況からの優越感によるものか、彼女は転移までもう間も無くというこの時に余計な一言をクロノに教えてしまい――そしてそれが二人の運命を大きく変える分岐となった。


「私を取り押さえられなくて残念だねェ王国の騎士様? そうそう、最後に一つだけ教えてやろうか――このさっきから砕けては魔力を放出している魔力結晶の元が何だか解るかい? こいつは200年の間に返り討ちにした、あるいは攫った王国の騎士や住人達の魂を禁術によって加工した物さ!」

「!!!」


 クロノは息を呑んだ。

 今新たに陣の上にばら撒かれた結晶の数だけで百は軽くある。

 戦闘の合間に魔女がばら撒き砕けていった数を考えれば、下手をすれば千どころかそれ以上に届きそうな程だ。


「何て事を……」

 

 すでに陣からの光は直視が難しい程強くなり、そこに結晶が砕ける際の輝きが相まって、何も知らない者が見ればいっそ幻想的だと思うだろう光景になっていた。

 正体を知ってしまったクロノにとっては、その輝きはまさに命が消える瞬間の断末魔の叫びのようにしか見えなかったが。


「別の禁術のおかげで魔力が大量に集められるようになったって言っただろう? 無実の罪を着せて殺そうとして来た上、私の仲間の命や人生を奪って、のうのうと暮らしてきた連中なんだ。その分はこうして私の儀式の役に立って返してもらわないとねェ――。ちなみにこいつがとっておきさ。五年くらい前に西の村を襲ったらちょうどその時素材集めの遠征とかで逗留してた宮廷魔術師の一団、そいつらの魂を纏めて一つの結晶に加工した物さ」


 イシュリアは再びアイテムボックスから結晶を取り出した。

握りこぶし大以上の大きさはあろうかというその宝石は輝きの美しさも先ほどまでの結晶とは異なっていた。

 

「宮廷魔術師に選ばれるだけあって魔力量、質ともに高い連中だったけどとんだ甘ちゃん連中だったねェ。村人共を人質にして脅してやったら大した抵抗もできずに捕えられてくれたよ……。一人反抗的な黒髪の女魔術師が居たけどね。そいつがリーダーだったのか手足へし折った後ジワジワ魂を引き出して苦しめて殺してやったら他の連中も諦めたのかその後は禁術を施すのも楽だったねェ――。折角だから一纏めにしてみたんだけど如何だい? この輝き。こいつを最後に使えば確実に転移できると思わないか?」


 ペラペラと得意げに語るイシュリアだったが、先ほどの結晶の正体以上の衝撃を受けていたクロノはそのほとんどを聞いていなかった。


「(…何て言った? あの魔女)」

「(五年前の西の村? 宮廷魔術師? 魂を加工? リーダーの女?)」

「(母が死んだのは、確か――)」


 クロノの頭の中を断片的なキーワードがグルグルと廻る。

しかしその考えがやがて一つに纏まり――眼前の魔女を許さない、と心に決めた時にはすでにクロノは行動を起こしていた。


「ウウゥゥゥガァァァァ! 雷精よ! 自分の持てる全てを捧げてもいい! ほんの一瞬でもいい! あの魔女を駆逐するための力をォ!」

「な、何っ!?」


 今度はイシュリアが驚愕する番だった。


 目の前のガキはもう立っているだけの力しか残っていない、もう自分に向かってくるだけの力は無いと判断したからこそ、転移する前にその顔をかつて自分が味わったような苦悶の表情に変えてやろうと語っていたのだ。

 がしかし、今クロノが持つ剣には自分をはるかに超える魔力が集まり、陣の光すらかき消す程の雷光を剣に纏わせていく。

 しかもイシュリアが儀式に捧げていた宝石からも――まるで死んだ者たちが魔女を倒すために彼に力を与えるかのように魔力が流れていく、となれば取り乱して当然だった。


「そ、そんな馬鹿な! これじゃ魔力が足りない!? ぎ、儀式が――」

「魔女イシュリア! 貴様の境遇には同情しよう――だが! だからと言って貴様をこのまま逃がすわけにはいかない! 貴様の犠牲になった人々の無念は晴らさねばならない! そして! 何より!」


 残った力の全てを出し切り、陣の上をクロノは駆ける。その手に持った剣の雷光と、斬りかかられた魔女の足元の陣の光が交差し……


「くっ……! まだか!? 早く転移を……!」

「母を返せぇぇ! イシュリアァァ!」


 肉を焼かれる痛み、骨を発つ感触、金属の砕ける音、手に何かを掴んだ感覚――。

 二人のどちらがどれを感じたのか。

 交差した二つの光が合わさった次の瞬間、それまで以上の光がその場を包み、辺りを染め、そして消えた。





 扉の向こうからの轟音に驚いた騎士達が扉の封印が無くなったことに気づき、まもなく謁見の間に駆け込んできたが……。


 完全にひび割れ砕け散り、もはや使い物にならなくなった陣の描かれた床、そして二人の衝突の余波で吹き飛び、完全に息絶えた騎士達と多数のモンスターの死体以外は何も見つけることができなかった。

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