そこからは誰かの彼岸

罰点荒巛

わたしをわたしたらしめる音楽


わたしは知らぬ間に頰を濡らしていた。

はたしてわたしは何の夢を見ていたのだろうか。

何を思い出していたのだろう。


きっと、自分のことに違いない。


耳に蓋をするように張り付いているカフスから流れてくるのは、音楽。

音楽といっても、その曲には芸術性もエンターテイメントとしての価値もない。この音声データを売り捌いて商いをしようとも誰も考えようとしないし、他人にとってはほとんどと言っていいほど一抹の感慨さえ覚えさせまい。

そう、他人には、決して。

わたしには、これが立派な音楽として聞き取れる。

それもこの曲は、わたし自身の魂を蘇らせるような気分にさせてくれるのだ。

だから、わたしはこの曲を聴いて涙を流したに違いない。

失いかけた自分を思い出して。


自分を保つために。

自分を忘れないために。


その音階の連なりは人格パーソナリティが揺らぐことを防ぎ、各人固有の自我を調和させるためにある。

人々がこうして四六時中カフスの着用するようになったのは、「わたし」という自我が曖昧極まりないものとなったからだ。


はじまりは、音楽だった。

世界中で交響曲アポカリプティック・サウンドが奏でられた時、人類は自我を喪失した。

一体自分が誰なのか、という厳然たる事実を信じられなくなった。

わたしは誰、とまるで記憶喪失になってしまったドラマの主人公のような言葉を垂れる者たちで都市は溢れかえり、他人を自分だと誤認して笑えないほど可笑しな振る舞いし続ける迷える子羊たち。

果ては、違いが違いのためを想い合い、相殺し合った。

刃で自分である相手の心の臓を貫き、自らの心臓を相手である自分のそれを突き破った。

本当のところはわたしには分からない、あの時のわたしには分かったのかもしれないけれど、今のわたしには毛頭できやしない。

なってったって、わたし以外の人についてなのだし。



わたしはまた、虚空を見つめていた。

ねえ、と声を隣から声をかけられて我へと変えった。

そうだった、ここは川沿いの高層ホテルの一室だった。

「どうしたんだい」

「ううん、何でもないよ」

久々に遭った男の人と一夜を共にして、これまた久々の肉体運動をして、久々に泥のように眠ってしまったのだった。

「アンちゃん、今日仕事あるんでしょう」

「あるよ、もう少ししたら出るよ。それをいうならキコちゃんもでしょ」

「気にしないでいいよ、大した仕事場じゃないし」

「何言ってんだよ、医療も哲学も匙を投げた案件を処理してるのはこの国できみんとこの職場だけだ」

わたしと一緒で裸だった安道はシーツから潜り出て、すっくと立ち上がった。彼の肩甲骨についたパラシュートを取り付けるアタッチメントは痛々しげに見えるけれど、趣味はいつになっても痛々しいほどにプライベートなもの。

わたしにはスカイダイビングなんていうぞっとしない趣味はないが、人には言えないような趣味趣向はちゃあんともっている。

人類は「自分探し」をする必要はなくなった。いや、「自分探し」はすでに終わってしまった。

「目の前の現実は瞼を閉じれば見えなくなる。でも、耳に瞼はないから、他人の現実が雪崩れ込んでくることがある」

「あの日のように」

そう、ぼくらが自分を見分けられなくなった日だ。

わたしがあなたで、あなたがわたしで、どこからが自分なのか、どこからが他人なのかわからなくなったあの日。

言っちゃ悪いけどあれは一種の調和だったんじゃないかな、社会が閾値に達した瞬間訪れる天国みたいな時間だったんじゃないかな、と安道は言う。

彼が呟いたように、あの景色は調和のかたちだったのかもしれない。

けれど、わたしたちは、わたしたち自身を自己という牢獄の中に閉じ込めた。

わたしは、わたしがわたしのままでいられる音楽がBGMとして流れている日常を過ごしている。

「わたしたちがこうして、肉体を交わして、心を交わして、言葉を交わすのは、自分が自分であると認識するためなのかな」

「そう思っておいておくれよ、キコさん」

彼はそう微笑んだ。

「きみはまだ音楽への憎しみをもっているのかい」




「こんにちは、礎間キコ様。お姉さまの病室は自己疾患病棟一〇一号室になります」

病院に入った途端、わたしのカフスのネットワークとリンクした院内インターフェイスが流暢な音声アナウンスを話す。

床面を走る抽象的な記号と矢印は見舞客を患者の元へと導く道しるべ。このおおきな迷路のような国立病院機構には今やなくてはならないサーヴィスだろう。

殺菌され、滅菌された真っ白い廊下を歩いていくと壁面に綺麗なレタリングで見慣れた名前が浮かび上がった。


一〇一号室 礎間カコ。


ここで寝たきりになっている人間はわたしの姉だ。

生きているのか死んでいるかも分からない状態になっている彼女を、わたしは見舞いにきた。

わたしの耳にこの病院のどこかにいる担当医の言葉が届く。

「礎間さん、先日も申しました通り、命に別状はありません。しかしながら、彼女の自我は非常に希薄な状態です」

「治るのでしょうか」

自我が治る、というフレーズは何とも滑稽だが、これが突発性自己喪失疾患を発症した患者の当たり前だ。

わたしの姉以外にもこの病棟には、十年前の交響曲の被害者たちが眠っている。というより眠らされている。

この現象は、音響パンデミックによってもたらされた病。そういうことになっている。

「お気になさらないでください、あなたのせいではありませんよ」

「わたしは見舞いにきていると言うよりは、懺悔にきているんですよ、先生」

姉をこんな身体にしたのは、まぎれもないわたしだ。

カーテン越しに明るい日差しが差す、心地の良い早朝だった。日曜日特有のゆっくりとした朝食のひと時、お姉ちゃんは目玉焼きとトーストを二人ぶんテーブルに運んで、席に着いた。

いつものように妹のわたしの向かい側に座った。その時、音楽がどこからかさらさらと流れ出したのだ、ラジオからなのか、テレビからなのか、もしくは頭の中からなのか、どこからともなく、滅びの音楽が響き渡った。

音楽を聴いたわたしは何の躊躇いもなく、何の疑いもなく、彼女のいのち殺めたのだった。

何を恐れるか、そのときわたしは、まぎれもなくわたしの姉、礎間カコのためを思って行動していたのだから。

わたしの心の延長が姉の首をずたずたにしてしまったころに、まだ開発途中だったカフスをした人々によって止められた。

彼らによると、わたしは正気だったという。

そして、わたしは言ったのだ。

これは、お姉ちゃんのためなんだ、そう叫んだことだけははっきりと自己意識の中に刻まれている。

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