雑種エルフの便利屋稼業

笹団子

第1話




【プロローグ】



 オレの身体が宙を舞っている。

全身を支配する正体不明の激痛。

 落ちていく。やけにゆっくりと、落ちていく。

 再び、激痛。

 目の前が、真っ暗になっていく。

 誰かが呼ぶ声がする。

 誰の声だろう。

 わからないまま、オレの意識は途切れた。





【1】



「本当に、行ってしまうの? ヨーク」

 背後からシエラの涙声が聞こえた。オレは振り向くことが出来ない。顔を見れば決意が揺らぐので、オレは靴の紐を結びながら答えた。「行く。ここはオレの居場所じゃない」

 エルフの隠れ里。

 森の奥の結界の中に在る小さな世界でオレは生まれ育ったが、人間の血が半分混じっている。

 人間の男と子をなしたオレの母親は、オレだけをこの隠れ里に置いて、男と共にこの里を出て行ったという。それから、17年。

 エルフは基本的に人間を、別種族を忌避する。

 前へ前へと進んでいくという人間達と、自然の枠組みの一つであろうとするエルフ達は、生命のあり方自体が違うのだろう。人間が「太陽の力」を手に入れて、徐々に活動範囲を広げていくと、エルフは住処としていた森や山を奪われ、各地に小規模な隠れ里をつくるしかなくなった。エルフは多かれ少なかれ人間を疎んじている。

 中には、オレの身の上を憐れみ、優しくしてくれる者もいた。

シエラはオレを預かって育ててくれた長老の孫娘。幼なじみってやつだ。

「行かないで」

 シエラは言った。見なくても声でわかる、泣いている。しかしオレは。

「行く。オレは外の世界が見たいんだ。自分の力を試したいんだ。この隠れ里でのんびり平和に生きていくのにはもううんざりなんだよ。シエラ」

 靴紐を二重結びにしてから、オレは立ち上がった。

 深呼吸。これが最後になるだろう。

「色々、お前には世話になった、長老にも。ありがとな。よろしく言っといてくれ」

「ヨーク」

 待って、というシエラの声を振り切って、オレは結界の外へと駆け出した。

 強い言い方をしたのは諦めがつく。けれど、もしかしたら、シエラに、あなたも人間と同じ、と思われてしまったかもしれない。




 走り続けて、夕暮れの森を抜け、日が沈む頃には、人里らしい所に出た。来た道を振り返ると、隠れ里を包んだ森は、ただ静かに佇んでいた。シエラの面影が森に重なる。森で人間たちの噂話を聞くたびに、オレはシエラや長老に申し訳ない思いで一杯になっていた。でもそれも今日で終わったんだ。終わったんだよ、シエラ。心の中で「今まで、ありがとう、ごめんな」とシエラに呼びかける。

 オレは頬や首を伝う汗をぬぐった。ここからは歩くことにする。

今夜の寝場所はどうしよう。野宿か。民家の納屋にでも泊めてもらうか。突然オレみたいなハーフエルフなどが訪ねてきたら、驚かれるだろうか。

 などと考えながら、ふらふら歩いていたら、だんだん道が開けてきた。これまで木造の民家と畑ばかりだったが、石造りの建物が目立つようになってきて、大きな道を「太陽の力」で走る乗り物が行き交っている。確か、日中に「太陽の力」を貯めておいて、夜も動かすことが出来るんだとか、なんとか。あれらがそうなのか…。

 たくさんの荷物を運べそうな大きな乗り物から、1人が跨いで乗っている小さな乗り物まで、いろいろある。

 様々な乗り物をぼんやり眺めていると、それは、起こった。


 衝撃。

 激痛。

 身体が宙を舞う。

 落ちる。

 再び、激痛。


 誰かが呼ぶ声。


 暗転。





【2】


 激痛で目が覚めた。

 身体の自由がきく気がしない。感覚が明瞭になるにつれて主な痛みが脚からきているらしいことに気がついた。あと腕、肩、背中。

 首なら少し動かせるだろうか。躊躇いながら小さく動かしてみると、痛みはあっても、首が動かせないわけではないことがわかった。

 石造りの壁、天井。シンプルな戸棚などの家具。どうやら何処かの建物の中で、オレはベッドに寝かされている様だが、この痛みは一体…?

 ふっと横を見ると。

 若葉色の、二つの三角が目に入った。

「……ん?」

 ちょっと声を出した瞬間、三角がピクッと動いた。

「起きた!」

 鈴を転がすような可愛い声がしたと思うと、目の前に、三角と同じ若葉色の頭の女の子が飛び跳ねた。顎の辺りで切り揃えた髪と、クリーム色の膝丈ワンピースの裾がふわりと揺れる。ベッドの横に座っていたらしい。最初に目に入った三角は、彼女の頭の上についていた。突然の登場にびっくりして一瞬痛みも忘れた。が。

「起きた起きた起きた! 良かったああああ!」

 あろうことか、女の子はガバッとオレの身体の上にのしかかり、ぎゅうっと抱きしめてきたのだ。

「んぎっ」

「良かった良かった良かったあ! ミントとっても心配したんだよっ、目を覚ましてくれて良かったあ」

 すりすりすりすり。女の子はオレの首に頭をこすりつけてくる。激痛が全身を駆け抜けてオレは悶絶寸前だった。「や、やめ、やめ、て、くれっ、いっ、いてぇっ」

「あっ」

 女の子はぱっと身体を離した。

「ごめんね、ごめんね、痛かったね。だいじょうぶ? ミント、嬉しくってつい…。本当にごめんなさい、なでなでしてあげるね」

 女の子はオレの頭をなでなでしながら、頭の上の三角をピロピロさせた。よく見たらそれは狼のような耳で、彼女の腰にはやはり狼のような尻尾もあり、それもフッサフッサ揺れていた。獣人? 話には聞いたことがあるが。

「あのー…、ミントさん、ていうのか? オレは、どうしてこんなことに…」

「あのね、あのね、お兄さんはね、イーリャのバイクにひかれたの。お医者さん行ったの。右脚、折れちゃってるの。あとね、背中とか腕とか打ち身しちゃってるの」

「イーリャ? バイク?」

「つまりだ」

 ミントのものではない、別の声がした。そちらを見ると、ぶかっとしたフードつきの服を着た男が立っていた。金色の前髪の隙間から、青色の双眸が覗いている。長い髪は胸のあたりまでをたゆたっていた。

 人間だろうか。フードの形を見るに、ミントのような耳ではなさそうだ。

「道の真ん中でボサッとしていたお前に気づかず私がバイクで轢いてしまった。その黒髪と昨夜着てた黒い服、夕方だったせいかよく見えなかった。すまん」

「イーリャ! 起きたの? おはよう!」

「お前の声でな」

 ミントはイーリャにしがみついて、尻尾をちぎれんばかりに振った。イーリャはミントの行動になんの反応も示さず、オレへの説明を続けた。「勝手に荷物を見させてもらったが、金は持ってないみたいだったから私が全て立て替えた。入院費なんて払えないから引き取らせてもらったが、あんなところでボサッとしてたお前も悪いんだからな。

 完治するまでここにいてもらっても構わない。しかし治ったら金は返してもらいたい」

 イーリャはきっぱりとそう言った。オレは人間の街で使えるようなお金は持っていない。隠れ里では基本的に物々交換だった。街に出たら何処か住み込みで雇ってもらえるところを探すつもりだった。

「え、えっと、どうやって」

 オレがそう聞くと、イーリャは怪訝そうな目つきで俺を見て、しばしの沈黙の後嘆息した。「あてがないなら私の仕事を手伝ってもらう」




【3】



 幸先の悪いスタートではあったが、そんなこんなで数ヶ月、怪我も治り、体力も回復し、オレはイーリャの仕事…便利屋、人の依頼を聞いて何か探し物をしたり、何かを運んだり、片付けたりなどだが、それを手伝っている。

 イーリャは、基本的にフードつきのだぼだぼ服を着ていたのでわからなかったのだが、エルフの長く尖った耳を持っていた。しかも、女の人だった。

「あんた、エルフだったのか」

 そう聞くと、イーリャは事も無げに答えた。

「街で暮らすエルフが珍しいか? ここはそんなことを気にする必要が無い場所だ。偏見さえ持たなければな。この街に住むのは人間だけじゃない。ミントみたいな犬獣人もいれば、お前みたいなハーフエルフもいるさ」

 偏見さえ持たなければ。

 その言葉が妙に耳に残った。

 女の人だとわかった経緯は、…まあ、あれだ、触っちまったんだ、胸に。

 イーリャのソーラーバイクの後ろのシートに座った時、掴まれって言われたから、イーリャの身体に手を回した。そしたら、何か柔らかいものに触れた。オレは慌てて手を引っ込めた。

「わわわっ! あんた、女だったのかっ」

 するとイーリャはまた事も無げに答えたのだった。

「気づかなかったか。まぁ、この辺は何かと物騒だから、気づかれないようにしてはいるんだけどな」

 隠れ里では、それぞれ家はあっても鍵などはかけない。エルフにはエルフ同士の共感能力があるし、そもそも同族に対して悪心を抱くようなことはない。万が一そんな奴がいたら隠れ里を追放される。そんな生温い世界で生きてきたオレは、イーリャにしてみれば全くの「甘ちゃん」だった。

 人間は…いや、人間を含む他種族たちは、「太陽の力」を利用した文明を発展させ活動範囲を拡大させたものの、そこに住まう者の中には暴力や犯罪に手を染めてしまう輩も少なくはなかった。イーリャの仕事を手伝って街を行く時、彼女は必ず「いいかヨーク、ボサッとするな。周囲に目を配れ。怪しい奴には近づくな」と忠告をしてくれた。



 今日の仕事は三件、軽いものをそう遠くない場所へ届けるだけだった。イーリャが二件、オレが一件担当して、帰ってくると、「おかえりなさいっ」とミントがしがみついてきた。尻尾の振り具合がご機嫌さを物語る。オレは「こらこらこらこら」と言いながらミントを引き剥がした。

「いつも言ってるだろ。オレは一応男なんだからな。女の子が軽々しく男に抱きついちゃいけません」

「うふふ、だって嬉しいんだもん! お留守番寂しかったんだもん!」

 ミントは翠色の瞳に喜びをたたえて、にこにこしながら答えた。

「イーリャはまだ帰ってないのか。バイクだからオレより早いと思ってた」

「イーリャまだだよー。ミント寂しかったんだよー」

 ミントの耳が少し下がる。やれやれ。こんな具合でも、この子はオレより歳上らしい。何歳かは恥ずかしがって教えてくれないけれど。



 ミントが淹れてくれたお茶を飲みながらくつろいでいると、ドアの開く音がした。イーリャだろうか。

「イーリャ? おかえりなさあい!」

 ミントが玄関へと飛び出していく。ほどなくして、「わぁっ、お客さんだぁっ! いらっしゃいませぇっ」というミントの声がした。

 お客さん?

 オレは興味を惹かれて、リビングから玄関の方を見た。イーリャは、ターバンにマントという、旅人風の格好をした人物を連れていて、ミントはその人にしがみついて尻尾をぶんぶん振っていた。あーあ、お客さん、困ってるぞ。

「ミント、ミント、とりあえず離れろ」

 オレは玄関へ出て、ミントの首根っこを掴んだ。ぐいと引っ張って引き剥がすと、お客さんのターバンはずれて、淡い水色の髪の毛がサラリとこぼれ落ちた。

「……! ヨーク!?」

 聞きなれた声が、お客さんの口から発せられる。オレは、目を見開いた。

 イーリャの隣にいたのは、エルフの隠れ里で別れたはずの、シエラだった。





【4】



「帰り道で拾ったんだ」

と、イーリャは切り出した。

「よくない連中に絡まれててね。見るからにおのぼりさんだって分かったから、ちょっとね、手を貸してやったのさ」

 オレはまだ、少し混乱していた。動揺もしていた。なぜ、今になって、シエラが?

「ヨークを探しに来たの、どうしても、あいたくて」

 シエラは涙ぐんだ。その言葉に、オレはぐっと心臓を掴まれたようにな気持ちになる。

「おじいちゃんに…街にエルフの便利屋さんがいるから、頼んでみるといいって…聞いて。でもまさか、その便利屋さんのところにヨークがいたなんて」

「そうなんだねえ、世間はせまいねえ、シエラ、がんばったんだねえ、なでなでしてあげるっ」

 ミントがシエラの頭を優しく撫でると、シエラはぽろぽろと涙をこぼした。生まれてこの方、隠れ里から出たことがなかったんだ、さぞかし不安だったろう。だけど。

「どうして…」

 オレがやっとのことで絞り出した言葉に、シエラは少し怒ったように答えた。

「あいたかったの。今、そう言ったでしょう」

 シエラは涙を拭いながら、続けた。

「ヨークが里に居づらいのは、昔から分かってた。だけど、わたしにとっては大切な…幼なじみなの。毎日毎日、ヨークのことばかり考えてた。でも」

 一旦言葉を切って、シエラはにっこりと微笑んだ。花が咲いたような綺麗な笑顔。

「元気な姿が見れて、良かった…街がどんなところなのか、見当もつかなかったから…」

「積もる話もあるだろう」

 イーリャがそう言ってミントの襟首を掴んだ。

「私とミントはちょっと出掛けてくるから、ここでゆっくりしていくといい」

「イーリャとミント、出掛けるの?」

「ああ。行くぞ、ミント」

 ミントが不思議そうに、でもあからさまに嬉しそうに尻尾を振りながらついていく。

「ヨーク、事情はよくわからないが、彼女にきちんと話してやるんだな。お前がどうしてここにいるのか。そうでなければ彼女が危険をおかして里を出てきた甲斐がない」

 扉の閉まる音。

 オレとシエラ、ここには二人きり。

「えっと…何から話したもんか…」

 オレはがりがりと頭を掻いた。




【5】



 オレはうつむいたまま、たどたどしい口調で、イーリャやミントとの出会いや、イーリャに教わったこと、これまでにしてきた仕事のことなんかを話して聞かせた。シエラは黙って最後まで聞いてくれた。

「そう…イーリャさんにもミントさんにも良くしてもらっているのね」

「ああ。イーリャはエルフだけど、彼女の前では長老やお前と同じくらい自然体でいられる。なんにも持ってないオレに仕事を与えてくれたし、厳しいことも言うけど嘘はない」

 オレは両膝の上に組んだ指に力をこめた。

「イーリャが言ってた、偏見さえ持たなければ、この街はどんな種族でも受け入れてくれる。

 シエラ、お前がオレを心配して来てくれたことは…正直、嬉しい。ありがたい。だけど、オレは…」

「里に戻る気はない。…そうでしょう? わかってる」

 オレは顔を上げ、シエラの顔を見た。シエラの蒼い瞳は潤んでいたが、笑顔だった。

「ヨークがヨークらしくいられる場所なのね。それなら、いいの…」

 シエラの瞳から涙が一筋こぼれた。シエラはそれを拭い、身につけていたネックレスを外した。ソファから立ち上がり、オレの背後にまわると、そのネックレスをオレの首に掛けた。シエラの瞳と同じ、蒼色の小さな石がついたネックレス。

「でも、これだけはお願い。わたしのこと、わすれないで」

 両肩に細い腕が回されて、オレは背中から抱き締められる格好になった。

「わたしがいつもヨークを思っていること、わすれないで」

 さっきと同じ、心臓を掴まれたような感覚。お互いの耳が擦れあう。

 エルフ同士は、耳をくっつけ合うことでお互いの心を感じることができる。だがハーフエルフのオレにその力はない。ないけれど。

 シエラの心は、伝わってる。

 そんな、気がした。






【エピローグ】



 そんなこんながあって数ヶ月。

 オレは今も、イーリャの便利屋を手伝っている。最近は免許も取って、ローンでソーラーバイクも買って、活動範囲も広がった。イーリャの自宅兼事務所を出て、アパート暮らしをはじめた。

 田舎者って馬鹿にされることも、厳しい場面に出くわすこともあるけれど、なんとか日々を送っている。

 あの後、シエラは「わたしも、ヨークと一緒にいたい!」などと言い出し、里には帰らなかった。そしてイーリャのところに住み込んで、事務仕事や家事などを担当しているのだった。


 多種族ごった煮のこの街で、今日もオレは生きている。



〈出発編エピローグ、終〉

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