機械じかけのユートピア

白発中

1 - Pacific Rim League: Japan

1-1 Tokyo: Shinagawa, certain place

 ブロードキャストのパーソナリティが正午を回ったことを口にした矢先、角膜接触端末コルネアがコルベットの充電が残り僅かであることを報せた。久々の休暇なのでドライブ旅行と意気込んだものの、旧23区市街に張り巡らされた古い非接触充電道路エネロードでは、燃費の悪い食いしん坊のバッテリを満足させることができなかったようだ。

 幸い、現在地のすぐ近くに充電スタンドがあることをナビが教えてくれたのですぐさま向かうと、梅雨が明けてようやく巡ってきた行楽日和のおかげかスタンドは多くの旅行者で溢れている。運転席を降り、コネクタを給電ポートに差し込むと、充電完了まであと18分であることをコルネアが告げる。テスラ・ロードスターが開発されてから新世紀を迎えているにもかかわらず、給電技術は当時とさほど変わっていないらしい。

 コルベットのボディに触れる。小型ながらもハイパワーであるというコンセプトは内燃機関時代から一貫しており、その洗練されたデザインは未だ世界中に愛好家を抱えている。かつて存在した「アメリカ」という国が生み出した傑作の一つと言っていいだろう。

 視界を愛車から眼前に広がる東京湾へと移すと、コルネア上に少女型のアバター「エリーゼ」が表示されると同時に、指向性音声を通して湾上に聳え立つ巨大都市の説明を始めた。席を降りてからビューイングモードをオフにするのを忘れていたが、たまには観光者視点で僕の住む街の説明を聞くのも悪くない。

「東京市海都区、別名『オーシャンシティ』は、イギリス、現コモンウェルスで開発された海上都市建設技術を軸にして建設された世界有数のメガフロート都市です。2050年代に始まった、九州周辺海域の大規模熱水鉱床などの資源採掘による『資源特需』で得られた利益を元手に建設が始まりましたが、──」

 エリーゼの説明を聞きながら、水平線を遮る巨大建造物が林立したメガフロートを眺める。資本主義社会の象徴であったこの都市は、その資本主義が数十年前に限界を迎えた後も繁栄を維持し、現在ではここ東京市の文化・経済の中心として機能している。

 メガフロートの中央には周囲と比べて群を抜いて高いビルが堂々と構えている。ビル側面には現実拡張映像オーグレイヤが投影され、そのビルが日本行政府・科学技術省僕の職場のものであることを誇示していた。「スペラタワー」と名付けられたそのビルは、海都オーシャンシティのシンボルだ。

 しばらくしてコルネアに通知が入った。ようやくコルベットの充電が完了したらしい。コネクタを元に戻し、運転席のドアを開けたところで今度は着信が入った。上司の嶋村しまむらだ。

「もしもし、誉田ほんだです」嫌な予感がする。この男から電話がかかってきたときに朗報を聞いたためしがない。「何かあったんですか?」

「上から特A招集がかかった。一三〇〇にいつものところに集合だそうだ。来れるか?」

「はい。…大丈夫です。それにしても特Aって、何があったんですか」

「西海岸で自律業務支援機オートロイドの暴走が起きたそうだ。西アメリカ行政府の無人警備隊だけじゃ抑えられんようで、環太平洋連盟世府せいふが各行政府と軍に支援要請を出したようだ」

「オートの暴走…?緊急事態なのは良く伝わりました。すぐ向かいますね」

「ああ。休暇中にすまんな」

 オートロイドが実用化されて半世紀が経とうとしているが、それらが暴走したという話はこれまで聞いたことがなかった。思考アルゴリズムは官用有機コンピュータがシミュレーションするあらゆるパターンを通過したうえで精査されており、またオートロイド自体も外部の干渉を受けないよう独立動作スタンドアローンが厳守されているからだ。

 資本主義せんそうを終わらせたオートロイド。不平等を終わらせたオートロイド。貧困を終わらせたオートロイド。ヒトを労働から解放したオートロイド。「分与主義社会」という新しい社会の扉を開いたオートロイド。いつかブロードキャストで見たドキュメンタリの一節が不意に頭をよぎった。

 オートロイドの登場でこの世は激変した。さながら奴隷に仕事を押し付け自らは広場アゴラで市場の散策に興じる古代ギリシア人の如く、今の人々はオートロイドに身の回りの労働のすべてを任せ、自分はスポーツや学問・娯楽に励むといった悠々自適な生活を獲得した。食べ物や生活必需品、贅沢品はすべてオートロイドが作ってくれる。その原料もオートロイドが採ってくれる。作られた物資はかつての国家の枠組を超えた巨大な統治機構である「世府グローバメント」が管理し、我々市民にすべてを配ってくれる。だから暴力アルトラなんてどこにもない、平和で平等な理想郷ユートピア。近代に語られた空想的共産主義社会に限りなく近い社会が、人工知能と自動労働技術の進歩によってはじめて地球上に現出した。

 昔、日本行政地域には「ニート」という、就学も就職もしていない人間を指すスラングが存在していたそうだ。分与主義社会以前から存在するアーカイブに多くその単語が残っているのを見たことがあるが、この社会が構成されて以降ほぼ使われることはなくなった。社会から疎まれ、「働くことは負け」などと宣っていた彼ら癌細胞ノイジーマイノリティは、晴れて社会の大多数を構成する正常細胞マジョリティへと昇格したからである。

 そんな社会でも、まだ「職」に従事する人間は僅かではあるが存在する。その多くが、未だオートロイドが集まっても成しえない仕事を取り扱う職業だ。その中でも、僕が所属する「科学技術省自律業務支援機監察局」という長ったらしい名前の職場は、オートロイドが人類に恩恵を与え続ける限り消えることはない職業だ。

 その職場からたった今、連盟首都ロサンゼルス市街地を映したストリーミングデータが送られてきた。「ニート」と同時期に使われなくなった「社畜」という単語を僕に当てはめてもいいのではないか、などどうでもいいことを考えながらコルネアを操作する。

 映像には逃げ惑う市民と、それをさも当然のように腕を振り回して襲うオートロイドが映し出されている。中には工業用炭酸レーザを用いて切断された死体も映し出され、まさに「虐殺が内戦というソフトウェアの基本仕様と化したかのよう」な光景を見せつけられていた。嬉々として旅行に向かおうとしていたのに最悪の映像だ。わざわざ自作の旅行のしおりまで用意したというのに出鼻を挫くどころの話ではないと大きなため息をつきつつ、僕はドライブモードをマニュアルからオートに切り替えスタンドを後にした。最近興味を持った国内廃棄区画巡りが始まるのは当分先になりそうである。

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