だつごく!!

第29話 さいごのばんさん

 ――夕刻。

 沈む陽を確認することはできないが、お外はぼんやり暗くなっていることだろう。


《『しらゆり刑務所』一階・食堂――PM18:15》


 刑務作業室で午後の業務――お裁縫タイムを終えたあたしたち受刑者一同は、相も変らぬ看守さんたちの怒鳴り声混じりの指示に従い、お隣にある広い食堂のテーブルの席へと三度みたび着かされていた。

 お盆の上の、お夜食とともに。


『いただきまあ~す!』


 所内の食堂にて、本日三度目の合唱である。

 長かった一日の刑務を終え、あたしたち受刑者はようやくの夕食にありつく。

 これを食べ終わったらお部屋に戻り、余暇を過ごして明日に戻る――刑期が終わるまでそれを繰り返す――それがあたしたちに定められた、本来の日程である。


 だけど今夜は違うのだ。

 あたしたちはPM19:00ピーエムナインティーンを機に、この刑務所を「だつごく」するのである。

 そして、あたしたちが過ごすべき、本当の日常を取り戻すのである。


(ぱくっ!)


 白いごはんをくわえるあたし。

 あたしにとっては、刑務所内での初めての夕食――しかしこれは同時に、最後の晩餐ともなるであろう。

 お米の甘みがお胸に染みる。

 入所二日目で「だつごく」を試みようとは、一体誰が思うだろうか。

 入所したときのことが遠い過去のように思えるが、つい昨日の、ちょうど今頃のことなのだ。


(もぐもぐ……)


 一日だけの体験入所みたいになってしまったけれど、ここでの出来事は、高校生活三年間分くらいのインパクトをあたしに与えた。

 たったの一日で、あたしはずいぶん変わった気がする。

 みんなと出会って、あたしはなんだか強くなった気がする。

 たとえ「だつごく」が失敗に終わったとしても、あたしは後悔することはないだろう。

 だってこれは、最終的には自分で選んだ道なのだから。

 手錠を掛けられたときのように、「誰か」や「ルール」に、なんとなく従ったわけではない。

 この生きざまは、間違いなくあたしが決めたことなのだ。

 あたしは今夜、お外に出る――あたしの決意は固いのだ。


(ごっくん!)


 ……飲み込んだごはんも固かった。

 すぐさまお茶を流し込み、ゆっくり呼吸を整える。


「ふう……」


 夕食のメニューは、ごはんに味噌汁、お漬け物。

 そして、メインのおかずは、なんと「とんかつ」だ。

 お皿の脇には、ご丁寧にキャベツまで添えられている。

 ここまで豪勢だと逆に不気味ではあるが、まるであたしたちを鼓舞するかのようなラインナップであった。

 

「珍しいな……こんなものが出るなんて」

 エリカ先輩が食べながら呟く。


「うまいのら~!」

 とんかつ咥えるなのらちゃん。


 あたしの左になのらちゃん、右にはエリカ先輩。

 その配置は朝食のときと同じである。

 しかし今晩、同じテーブルに着いたのは、あたしたち三人だけではない。


「今日もメシがうまいなあ」

 あたしの向かいに犬山さん。


「ぱくぱく」「もぐもぐ」

 その両隣に、猫川さんと鳥井さん。


 その右隣には、今朝あたしに「たくあん」をくれた松野さんもいる。

「あのう、誰かお漬け物いりませんか?」


「わたくしがいただきますわ」

 さらにその隣には、すましたお顔の愛美ちゃんも同じテーブルに着いている。


 みんな緊張している様子はなく、むしろ「その時」を待ちわびているかのようだった。

 そう。あたしたちはもう、三人だけではないのだ。



「宝条院さん、本当にやるんだな?」

 テーブルに腕を乗せ、犬山さんが聞いてくる。


「ああ。私たちの決心は揺るがない」

 ハンカチで口を拭きながら、エリカ先輩が答えた。


「私たちは今宵、「だつごく」を決行する……!」

 口からキャベツがはみ出ている。


 犬山さんが静かに告げる。

「少なくとも私たちは協力するつもりだが……他の子たちは、わからないぞ」


「もちろんかまわないさ」

 エリカ先輩が凛々しく答える。

「キミたちが協力してくれるだけでも本当にありがたいんだ。リスクの大きさゆえに、全員に無理強いはできない。最終的な判断はそれぞれに任せるよ。みんなの意思を尊重できなければ、この作戦をやる意味はないからな」

 

「宝条院さん……」

 ほっこりする犬山さん。


 やがて表情を戻すと、その口元に手を添える。

「で、どうやって刑務所ここを抜け出すつもりなんだ?」


「わたくしにお任せあれ」

 その問いに答えたのは、愛美ちゃんの横顔だった。

 静かにお茶をすすりながら、淡々と計画を打ち明ける。

「騒動の際、看守室に乗り込んで、わたくしが正門のスイッチを押しますわ。あなたがたも手伝ってくださいな」


「……! わかった」

 犬山さんが真顔で応じる。

「みんなも、できるな?」


『はあ~い』

 犬山さんの要請を受け、猫川さんらも朗らかに同意した。

 どうやら、みんなで協力して正門のシャッターを開けてくれるようである。

 みんな大人しいお顔をしているが、なんて心強いのだろうか。


「ありがとう、みんな……」

 先輩が瞳を潤わせる。

「私は友に恵まれた。丸腰の私にとっては、これが唯一の武器となるだろう」

 言いながら、身体をこちらに向けてくる。

「早川、奈野原。私たちの「だつごく」、必ず成功させよう……!」


「はいっ!」

「なのらっ!」

 あたしとなのらちゃんも、食べながら強く意気込む。


 最後にみんなで目を合わせ、小さく頷いた。

 これで一蓮托生だ。


(ちらっ)


 肝心の看守さんたちは、厨房のほうのテーブルで交代しながら食事を取っている。

 ちらちらと全体を窺ってはいるが、あたしたちの会話の内容までは届いていないようだ。


 一日の疲れが出ているのか、あくびをしている看守さんや、調理員のおばちゃんたちと話し込んでいる看守さんもいる。

 食堂の扉にはカギが掛かっているので安心しきっているのだろう。


 だけど、その扉を開けたが最後、あたしたちは、やらかします。


 ごめんなさいとは言いません。


 正々堂々、りましょう。



 ※※※



『ごちそうさまでしたあ~』


 やがて、あたしたち一同は夕食を平らげた。

 まずはほかのテーブルの女の子たちがぞろぞろと立ち上がり、厨房にお盆を返却していく――。


 それらの仕草や表情には、どこか緊張感が表れていた。

 それもそのはず。これから何が起こるかを、彼女たちは知っている。

 協力してくれるかはわからない。中には、計画のことを良く思っていない子もいるだろう。たしかに、平穏無事を望む子たちにとっては大きな迷惑かもしれない。ここは女の子だけの収容施設――そちらのほうが外の世界より好ましいという子がいても、なんら不思議なことではない。

 だけど、ここは刑務所だ。

「刑務所に居続けたい」と願う子は、たぶん一人もいないだろう。

 彼女たちもきっと、あたしと同じように、よくわかんない罪でここに囚われ、なんとなく従っているに違いない。

 みんなで「だつごく」することができたなら、彼女たちもきっと喜んでくれるはず――

 そんな想いで、あたしも食器を片付ける。ごちそうさまでした。


『ただいまよりお部屋への移動を開始する! 手前の部屋の者から順番に並んでいけー!』


 扉の前に立つ看守さんから、ついに号令が掛かった。

 手の鳴るほうへ女の子たちが集まり、ばたばたと長い列が作られていく。


(よし、行こう)

(はい)

(なのら)


 あたしたちも列の後方に加わり、口をつぐんで起立をおこなう。



『きをつけええええっーーーー! まえならえええええっーーーー!』


 かくして、あたしたち受刑者全員が、食堂の中央に並び立った。

 列の最後尾に着くあたしの後ろには、看守のお姉さん――有亜堂刑務官が就いている。

「おいそこ、もじもじするな! きをつけっ! まえならえっ!」


 あたしたち47人の一列に対し、周りを囲む看守さんの数はだいたい20人。

 それ以外の看守さんたちは、廊下の中間にある看守室や、玄関付近にある取調室、上階にも何名か配置されているはずだ。その内訳を把握することはできないが、お姉さんのお話を思い出すかぎりでは、全部で30人くらいだったような気がする。


(…………)

 次の合図を待つあいだ、あたしは天井を見上げた。

『残飯処理』で負傷した若菜ちゃんは、まだ独房おへやで休んでいるのだろうか。

『球技大会』で負傷した杏理ちゃんは、計画を実行に移しているのだろうか。

 彼女は、四階にいる女の子を解放し、刑務所にパニックを起こすと言っていた。

 うまくいっているのだろうか、その様子を窺う術はない。

 今のあたしには、みんなを信じて、前に進む以外に道はない。


「それでは、行進を開始する! お部屋に向かって、てきぱき歩けー!」


 ついに行進が始まった。

 前にいる女の子たちが、おもむろに移動を開始する。


『いっち、に! さん、し! ごお、ろく! しっち、はっち!』


 列が、ゆっくりと前進していく。


「開錠ッー! 開錠ッー!」


 ――ギイイイイ……。


 食堂の扉が、まっぷたつに開いていく。


《PM19:00》


 扉の上の掛け時計が、あたしたちに決行の時刻を知らせる。


「もじもじするなー! 太もも上げろー!」


 看守さんが、怒鳴り声をあげる。


 昨日までのあたしはもういない。

 もじもじなんか、するもんか。

 あたしたちの「だつごく」、受けてみよ。

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