第25話 熱い交渉~キミを口説きたい~

「蝶野愛美――」

 緊迫した表情で、エリカ先輩が迫った。

「私たちに……協力してくれないか?」

 

「あらまあ。どういう了見かしら」

 答えた愛美ちゃんは、すました横顔を見せた。

 つれなく前を向いて自分の準備を進めている。


「――――」

 対するエリカ先輩は、何を思ったのか、勢いよくミシンを打ち出した。


 ――ズダダダダダダダダッ!


「私たちは今夜、夕食後に騒ぎを起こして刑務所ここを抜け出す」


 エリカ先輩は、大胆にも計画のことを打ち明けた。

 ミシンの音で会話が漏れるのを防ぐ算段のようだ。


 雰囲気を察したのか、愛美ちゃんが、ちらりとこちらに目をやった。

「あなた、面白いですわね」

 どうやら会話に応じてくれるみたいだ。



(なのらちゃん……!)(素真穂ちゃん……!)

 目を合わせたあたしとなのらちゃんも、真ん中にいるエリカ先輩をサポートするべく、ミシンを動かして音のバリアを張る。


 ――ダダダダダダダダダッ! 

 ――ダダダダダダダダダッ!


 これだけ騒がしく音を鳴らしていれば、二人の会話が看守さんの耳に届くことはないだろう。

 傍から見れば、作業に没頭している模範生のようにしか見えていないはずだ。


「――――」

 現に看守さんたちは、あたしたちのほうを見ても、どこか満足そうな顔をしてぺたぺたと歩みを続けている。

 先輩の問題発言は、まったくばれていないようだ。

 当然もじもじなんかしていないので、怒鳴り声も飛んでこない。


(にやり)

 まさかパンティを縫いながら「だつごく」の計画を進めていようとは、向こうも思うまい。


(ナイスフォローだ。二人とも)

 エリカ先輩からウインクをもらった。


(きゅん)



 ――ズダダダダダダッ!


「さあ、お話を始めようじゃないか」

 ミシンを打ち鳴らしながら、先輩が話を切り出した。

 愛美ちゃんへの熱い交渉が始まる。


 ――タン、タン、タン、タン。


「ええ。どうぞ」

 すました横顔で、愛美ちゃんもミシンを打ち出した。

 その手際はあたしたちと違い、ゆっくりと落ち着いている。


「さっきのキミの『壁ドン』、あれは見事だったよ」

 エリカ先輩はお褒めの言葉から入った。

 まずは相手を上機嫌にさせるための第一手。交渉術の基本である。


「ウフフ……お上手ですのね」

 褒められた愛美ちゃんはやはり嬉しそうだ。

 しかし社交辞令だと思っているのか、その笑顔に隙は見られない。

 なかなか手強い相手である。


「キミが『壁ドン』を使えば、その美しさと大胆さゆえに、看守たちの動きをある程度抑えることができる――そのまま一気に看守室へ押し入ることも可能だろうね」

 エリカ先輩が堂々とたたみかけた。


「あら? 何がおっしゃりたいのかしら?」


「鹿忍杏里いわく、看守室の奥には〝正門シャッターの開閉スイッチ〟がある」

 先輩は呟いた。


「……わたくしに、『シャッターの開閉スイッチを押す役』をやれと?」


「フフ、キミは察しがいいな」

 笑みを溢した先輩が、手の平の速度を上げる。

「ぜひキミにやって欲しいんだ。頼まれてくれないか?」


 ――ダダダダダダダダッ!



「面白いお話ですわね」

 対する愛美ちゃんは、目を閉じてすましている。


 ――タン、タン、タン、タン、タン。


 やがて目を開いた。

「けれども、失敗したときのことは考えておられるのかしら?」


「むむ?」

 手を緩める先輩。


「もしも失敗に終わったら、その計画に加担した方々は、厳重な処罰を受けてしまいますわね」

 こちらを見ながら愛美ちゃんは言った。

「あなたがたはルールを知らないのかしら? もしも失敗に終わったら、一生この刑務所から出られないかもしれませんことよ」

 すでに独房にいるだけあってか、その言葉にはずっしりと重みがあった。

 やはりすんなりと承諾はしてくれないようだ。


「フッ、やれやれ。仕方がないな」

 言われたエリカ先輩が、早くも強硬手段に及んだ。


「蝶野愛美。私の瞳を見ろ」


「……?」


「この私のひとみが、失敗を恐れている者のに見えるか?」



 ――ズッキューン!


 失敬。今のはミシンの音ではない。

 あたしの胸の中で鳴った音である。



「キミもここから出たいんだろ? 私たちに乗ってくれないか?」

 エリカ先輩は説得を続けた。

 その瞳は真剣そのものだ。


 だけど相手は、あっさりとこう返した。

「出るも出ないも、わたくしにとっては同じことですわ。だってわたくしは、どこに居ても不自由がありませんもの」


「なんだって?」


「これを御覧なさい!」

 驚く先輩を黙らせるかの如く、愛美ちゃんは右手の甲をぐぐっと見せた。

 その薬指には、きらりとした金色の指輪がはめられている。


「な、なんだそれは? どこでそんなもの手に入れたんだ?」


「この指輪は、前任の看守様から頂きましたの」

 妖艶な目をして愛美ちゃんが言った。

 

「そんな馬鹿な!? そんなこと許されるはずが……」


「もちろん、そのかたはクビになられましたわ。わたくしに恋をしたがゆえに」


「け、刑務官を惚れさせたっていうのか? キミはなんて罪深いことを……」


 なんとあるまじきことだろうか。

 可愛いお顔をしているが、愛美ちゃんはやはり恐ろしい女の子であった。

 その魅力で看守さんにタブーを犯させ、退職に追いやったと言うのだ。

 むろん、臆病なあたしには絶対に真似できない芸当である。


「そういう訳ですので、わたくしは囚われの身ではありますが何ひとつ不自由しておりませんことよ。したがって「だつごく」の必要はありません。どうか他の子を当たってくださいな」

 愛美ちゃんは丁寧に話を切り上げた。


 ――タン、タン、タン、タン。


 そのまま淡々と作業に取り組んでいる。

 どうやら交渉は失敗に終わってしまったようだ。



「……エリカ先輩、どうするんですか?」

 あたしは右を向き、小声で尋ねた。

 愛美ちゃんに協力してもらうのは難しいだろう。


「諦めるわけにはいかないな」

 しかし先輩はしぶとかった。

「むしろ今の話を聞いて、私たちにはなおさら彼女が必要だと分かったよ」


「え?」


「考えてもみたまえ。受刑者ながらに看守の心を動かせる能力はかなり貴重だ」

 エリカ先輩が真剣に続ける。

「私たちは今夜、看守たちが阻むであろう道のりを正面突破しなければならない――私たちが「だつごく」を成功させるには、彼女の協力が必須であると言っても過言ではないだろう」


「た、たしかに……」

 だつごくをやると決めた以上、失敗する確率はできるだけ下げたい。

『壁ドン』を使える愛美ちゃんがいれば、看守さんに立ち向かっていく上で心強いのは明白である。

 

「だけど、ある意味、残念だよ。彼女とこうして出会わなければ、こんな気持ちにならなくて済んだのだからな――」

 スイッチが入ったのか、エリカ先輩が瞳を燃やし始めた。

「知ってしまった以上は、なんとしてでも彼女を口説いてみせる」


「エリカ先輩……」

 その凛々しさに、あたしは思わず手を休めてしまいそうになった。

 だめだ、いけない。しっかりしろ、早川素真穂。

 ここで油断してしまったら、看守さんたちにお話の内容がばれてしまう。


「早川と奈野原は、そのまま作業を続けてくれたまえ。キミたちの協力もまた、私にとっては必要なのだからな」


 ――ダダッ。


「エリカしぇんぱい……」

 その言葉に、なのらちゃんが手を止めてしまった。

 先輩の凛々しさに捕らわれたのか、頬を赤らめて見とれてしまっている。


「手を休めるな、奈野原」

 エリカ先輩がそちらを向いた。

「今のキミがするべきは、私を見つめることじゃない。その手を進めて私の言葉を遮ることだ」


「しぇ、しぇんぱい……!」


 ――ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……


 忠告を受けたなのらちゃんは、先輩に見とれながらもミシンをフル稼働させた。

 先輩の言葉に従順し、機械のようになってしまっている。


「……それでいい。それでいいよ奈野原」


 言いながら先輩は、ゆっくりとあたしのほうを向く。


「早川。キミも気にせず作業を進めたまえ」


「は、はいっ!」


 ――ダダダダダダダッ!


 あたしがミシンを動かすと、先輩が小声で付け加えた。

(私は今から、本気で彼女を口説く。これから私が口にすることに、動揺しないでくれたまえよ)


「……? わ、わかりました」

 なんだかよくわからないが、あたしは了承して身をかがめた。

 できるだけ背中を丸め、二人のあいだに隙間を作る。二人のじゃまにならないようにしなければ。

 

「よく聞いてくれたまえ、蝶野愛美」

 やがて、先輩が説得を再開した。

「私は、なおさらキミに興味が沸いてきてしまったよ」


 その言葉に対し、相手は無言を貫いた。

「~~~~♪」

 ペースを乱すことなく、ただ楽しそうにミシンの針を進めている。

 もはや話を聞いてはくれないようだ……。



 ――そんな彼女に、エリカ先輩は言った。






「キミのことが好きだ」






「……なんですって?」


 愛美ちゃんが手を止めた。


 先輩は続ける。


「もしも外へ出られたら、私とデートしてくれないか?」

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