第23話 着衣と決意
「本気なのか……?」
エリカ先輩が脱ぐ手を止めた。
杏里ちゃんが、あたしたちの「だつごく」に加担すると言い出したのだ。
「ああ」
下着姿の杏里ちゃんは、真剣な顔で話を続ける。
「アタシは今夜、このカードキーを使って四階に侵入し、
「奴……?」
先輩が怪訝な顔をした。
「奴って誰だ? キミはまさか、『虚無の空間』にいる女の子のことを何か知っているのか?」
「アタシは刑務所暮らしが長いからな。
杏里ちゃんは言いながら、ゆっくりと刑務服を羽織った。
「四階に囚われているのは、『
「な、奈落峰龍華だと!?」
大げさに驚いたエリカ先輩が、おパンツのまま尻もちをついた。
奥にいるほかの女の子たちも、その名前を聞いてか、凍りついたような顔をしてぴたりと動きを止めている。
(ごくり……)
昨日の夜に先輩が言っていた、四階のお部屋に誰かがいるというウワサは本当だったらしい。
ならくみねりゅうかちゃん……その名前に、みんなは聞き覚えがあるみたいだ。
「エリカ先輩、ご存じなんですか?」
「……キミは本当に世間に疎いようだね」
やれやれと呆れながらも、先輩はあたしの手を借りて立ち上がった。
埃を払ったときには、表情を切り替えて真顔になっている。
「奈落峰龍華は、三年前に
(さ、さつじん……!?)
「当時14歳だった奈落峰龍華が、校内のやんちゃな男の子たちを爪で引っ掻いて殺し回ったという残虐な事件……」
腰を抜かしたあたしにかまわず、先輩は語りを続ける。
「連日メディアで報道されたその出来事は、全国のいじめっ子たちを震撼させ、その発生件数を著しく減少させた……いろんな意味で伝説の殺人鬼だ。まさかこの刑務所に入っていたとはな……」
……そういえば、テレビでそんな事件をやっていた気もする。
ニュースはいつも『今日のお天気』と『今日の占い』しか見ていなかったからあんまり覚えていない……。
「なのらちゃんは、知ってた?」
「んんにゃ。初耳のら」
首を横に振るなのらちゃん。やっぱり仲間だった。
「しらゆりの独房に入った奈落峰は「だつごく」を試みたが、失敗に終わって『虚無の空間』に拘束された――それが一年前、ちょうどアタシが入所した頃のハナシだ」
着替え終えた杏里ちゃんが補足を付けた。
「とにかくだ。このカードキーを使って奴の封印を解けば、刑務所内は間違いなくパニックになる。その混乱に乗じて、エリカ。お前らが刑務所を抜け出せ」
(……!)
「アタシら受刑者の誰か一人でも敷地から抜け出せば、刑務所は潰れてアタシらは全員
「ああ。たしかにそうだが……」
ようやく上着を脱いだ先輩が応じる。
「仮にパニックを起こせたとしても、私たちはまだ逃げ道を確保できていない……どうやってここから出ればいいんだ? 秘密の
「いや、アタシの調べた限りそんなものはない。正面突破しかねぇだろうな」
「正門から出ろということか? あのシャッターは壊せそうにないぞ」
「安心しろ。そこはぎりぎり調べがついてる」
杏里ちゃんが頬を吊り上げた。
「シャッターの開閉スイッチは、一階の看守室の奥の部屋……おそらく所長室の中にある。アタシがつくる混乱を糧に、あんたらの誰かが無理やり押し掛けろ」
「全面戦争を仕掛ける作戦か……なかなか面白いじゃないか」
エリカ先輩もあごを触ってにやついている。
……なんだかよくわからないが、二人のあいだで順調に話が進んでいるようだ。
「ここからは具体的に言う。しっかり覚えとけよ」
前置きした杏里ちゃんが早口になった。
「奈落峰に与えられる食事は一日一膳……四階へ食事が運ばれるのは、アタシら一般受刑者の夕食が済んだ午後七時以降――そのときが来れば間違いなくこのカードの存在はばれる」
そう言ってシューズからカードを取り出し、またしてもおパンツの中にしまい込んでいる。
「だからアタシは、今夜の午後六時から七時のあいだ、夕食をばっくれて奈落峰の解放に向かう。つまり、決行は今夜七時。アタシらが三階で暴動を起こして看守たちの注意を三階に引き付ける。その隙をついて、エリカ。お前らは一階でどうにかしてシャッターを開けてそのまま正門を抜けろ」
「……難題だな」
唇を触る先輩が、あたしとなのらちゃんを見た。
「か弱い私たち三人だけでは正面突破は厳しいかもしれない……」
なにやら考え込んでいる。
「あまり迷惑は掛けたくないが、ここはみんなにも協力を仰ごう。二人もそれでいいな?」
「は、はいっ」「なのら!」
あっさりと同意するあたしたち。
作戦の内容は正直よくわからなかったけど、ここはとにかくエリカ先輩に任せておくのがベストだと判断。
「よし――」
意を決した先輩が、みんなのほうへと振り返った。
あたしたちの命運を懸けた決死の説得が始まる――。
「みんなよく聞いてくれ」
下着姿のエリカ先輩が、室内中の視線を集めた。
「今夜七時、私たちは「だつごく」を決行する」
室内は静かにざわついた。
既に着替え終わって部屋を出ようとしている子もいる中、突然の告白だ。
「今夜の夕食後、部屋に戻る行進中、みんなに思いっきり騒いで欲しい」
真剣な声でエリカ先輩は言った。
パンツ一枚。ブラジャー一枚。
しかしその表情には有無を言わさぬ説得力が込められている。
「その隙に私たちは「だつごく」を成功させ、みんなを解放する。――もちろん、やるかやるないかは各々の自由だ」
『……………………』
その決意に対し、みんなは賛成も反対もなく、ただもじもじと黙り込んでいた。
気まずい空気が室内を包み込んでいく。
「まあ、無理もないか……」
目を伏せた先輩が悲しい顔をした。
「『賛成』は施設に対する反抗を意味し、『反対』は私たちに対する反抗を意味する――キミたちの反応は正しいよ」
『……………………』
その台詞に対しても、みんなの答えは沈黙だった。
みんな静かに背を向けて、ぞろぞろと出口のドアへ向かっていく。
そのまま更衣室を去ろうとする足を、あたしたちが止める権利はない。
(…………)
でもそれは当然のことで、昨日までのあたしもそうしていただろう。
だって、真面目に刑期をまっとうすれば、リスクを冒すことなく社会へ戻っていける。笑顔でオウチに帰っていける。
ここで無理をする必要なんて、一切ないのだから。
「私はやるぞ」
そんな諦めに近い沈黙を、一人の女子が蹴破った。
「い、犬山さん……?」
犬山さんだった。
あたしたちのゴールキーパーを務めた犬山さんが、こちらに振り返っていたのだ。
犬山さんは言った。
「大声を出して暴れるくらいなら、平凡な私にだってできる。さっきの試合みたいにな」
清々しい表情で、犬山さんは続けた。
「私は君たちの勇気に賭けてみるよ。たとえその結果転んだとしても、また立ち上がればいいだけの話さ。さっきの君たちみたいにね」
「い、犬山さん……!」
「わたしもやります……!」
「あ、あたしも……!」
「猫川さん……! 鳥井さん……!」
「わたしも、やりましょう」
「審判役の女の子……!」
「宝条院さん、奈野原さん、早川さん――」
犬山さんがくるりと背中を向けた。
「だつごくを成功させてくれ。私たちの未来は、君たちに託す――」
そう言い残した犬山さんは、ドアを開いて更衣室から出て行った。
猫川さんや鳥居さん――ほかの女の子たち全員も、無言でそれに続いている。
その背中の真意は、もちろんわからない。
だけど少なくとも何人かは、あたしたちの企みに協力してくれるのだろうか。
――バタン。
やがて更衣室には、あたしたち三人と、杏里ちゃんだけが残った。
「これでもう、後戻りはできないな……」
エリカ先輩がズボンを履き、刑務服を羽織った。
その表情は緊迫感を帯びている。
「がんばろうぜなのら!」
一方で、なのらちゃんが相変わらず元気な笑顔を見せた。
あたしと同様、お話を完全に理解したのかは定かではないが、すっかりとお着替えだけは完了させている。
「エリカせんぱい! 素真穂ちゃん! 絶対に大丈夫なんだのら! ボクたちなら、きっと「だつごく」できるのら!」
「ああ! がんばろう!」
エリカ先輩がその手を掴んだ。
「うん!」
あたしも二人に手を重ねた。
なんだか大変なことになってしまったけれど、きっとこれでいいのだろう。
そう。あたしたちは今夜、お外に出るのだ。
ここで決意がぶれてしまっては、あたしたちの大事な三ヶ月間を奪われる――気を引き締めなくては。
(よし、やるぞ! がんばるぞ!)
しかし、小窓の外には未だに太陽――決行の七時までにはまだ時間がある。
……次は一体、何をする時間なんだろう。
「次は〝お裁縫の時間〟だろ?」
あたしたちを横切った杏里ちゃんが言った。
「アタシは
「最後の工程……?」
エリカ先輩が尋ねた。
「そうだ。受刑番号37番『
「蝶野愛美って……あの化粧が派手な独房の子か?」
「ああ。次の裁縫の時間、奴は必ず参加してくるはずだ。奴にも話をつけておいて損はない」
足を止めた杏里ちゃんが続ける。
「奴の『壁ドン』を使えば、看守たちの動きを一瞬だけ抑えることができる――お前らの脱走に一役買ってくれるはずだ」
(か、かべどん……?)
何を言われたのかはよくわからなかったが、杏里ちゃんの目は本気だった。
やはり彼女も、決死の覚悟で今夜の作戦に臨むようだ。
「アタシから言ってやれることは、今はそれだけだ」
そう言って杏里ちゃんは歩き出した。
「もう時間がないからアタシは行くぞ。じゃあな」
「ま、待って、杏里ちゃん……!」
その足を、あたしは思わず引き留める。
「ん? なんだよ素真穂ちゃん」
「……その……いろいろ協力してくれて……ありがとう……」
あたしは控えめに頭を下げた。
いろいろいじわるされたけど、最終的には感謝があった。
「へっ。ばかいってんじゃねぇよ。アタシに礼を言うのは、シャバに出てからにしてくれや――」
そう言い残した杏里ちゃんは、あたしの頭をポンと撫で、そそくさと出口のドアへ去っていった。
(あ、杏里ちゃん……)
剃り込みのある赤い後ろ髪は、やはり威圧感があって怖いのだ。
それでもあたしは、そんな彼女に、今夜の想いを託すのであった。
――バタン。
《『はくねつ! 球技大会!』編・完》
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