第16話 物盗りのストライカー

「なにあんた? 新人?」

 あたしを横切った鹿忍かしのぶさんが、隣のロッカーにどかっと荷物を置いた。にやにやしながらあたしを眺めている。


「は、はう……」

 あたしはもじもじした。

 あたしより少し高い程度の背丈だが、ものすごい威圧感だ。顔も近いので余計に怖い。


「この子は早川素真穂――私の刑務メイトだ」

 うまく喋れないあたしを、エリカ先輩がフォローしてくれた。

 相手はかまわず、舐め回すようにこちらを見つめる。


「へえ~。エリカの同居人ツレってことは、アタシの今日の対戦相手じゃん」


(え……)

「そ、そうなんですか?」

 先輩にあたしは聞いた。


「ああ。私たち「Hチーム」は今日、同成績である鹿忍の「Aチーム」と対戦することになっている。球技大会の優勝を懸けてな」

 エリカ先輩が真顔で言った。

 ……なんてついていないのだろう。奇しくもあたしは、彼女と戦うことになっているようだ。

 

「お怪我には気を付けろよ、すまほちゃんっ」

 鹿忍さん――杏里ちゃんは朗らかにそう言いつつ、刑務服の上着を脱ぎ始めた。


「あ、はい……よろしくおねがしまます」

 急に優しくされたのでちょっと噛んだ。見た目は怖いけど、そこまで理不尽な性格ではなさそうだ。揉めないようにうまく接していこう。


「はいよろしくー」

 やや高圧的なトーンを返されたが、あたしはなんとか動揺を堪えた。

 しかし、杏里ちゃんは上着を脱ぐと、いやらしい笑顔でこう言った。


「つーかアンタさあ、「だつごく」企んでるらしいじゃん?」


(びくっ!)

 あたしはもちろん反応したが、聞かれたのは後ろのエリカ先輩だった。


「な、なぜそれを!?」

 動揺する先輩。


「ほかの部屋の奴らから聞いたぜ。あんたウワサになってんぞ」

 にやつきながら杏里ちゃんが言った。ほかの子も聞いているにもかかわらず、普通のトーンである。


「てめー!! エリカせんぱいになんか文句あんのかのら!?」

「よせ! 奈野原!」

 エリカ先輩へのちょっかいに対し、なのらちゃんがエキサイトし始めた。

「あーん!? あーん!?」「やめるんだっ! 落ち着け奈野原っ! 私は大丈夫だ!」

 夜な夜なこのテンションで騒いでいたのなら、ウワサになってしまうのも無理はない……。


「どーしよっかなあああ~。看守さんたちに、ちくっちゃおっかなあああ~」


「や、やめたまえ! キミだって考えてることは同じだろ?」

 遮るようにエリカ先輩が前に出た。


「んーまあそうだけどさー」

 杏里ちゃんは言いながら、体操着をするりと着用した。

「だったらさあ、アタシとゲームしない?」


「げ、げーむだと?」


「うん。今日の試合でアタシが勝ったら、あんたのことチクる」

 杏里ちゃんはかわい子ぶりながら、ズボンを下ろしてパンツになった。


「ふざけるな! そんなことをしてキミに何の得があるっていうんだ?」


「だって、楽しいじゃん。それに、あんたのことが嫌いだからだね」

 体操着にパンツ姿の杏里ちゃんが、エリカ先輩に迫った。

「あんたも三階どくぼうに来なよ。アタシがたっぶりいじめてやるからさ――」

 まるで悪魔のような顔をしている。


「くそっ……キミはまだ、昔のことを根に持っているらしいな……」


「へっへっへ……あたりめーだろうがエリカちゃんよお」


 二人が瞳を合わせると、不穏を覚えた室内がざわつき始めた。

 エリカ先輩と杏里ちゃんは、どう見ても犬猿の仲だ。過去の二人のあいだに、いったい何があったというのだろうか――。

 あたしがそんな疑問を抱くと、隣にいたなのらちゃんが、ゆっくりと口を開いた。


「杏里ちゃんは一か月前かつて、ボクたちの刑務メイトだったんだのら……」


「え? そうなの?」


「そうなんだのら。エリカせんぱいが、杏里ちゃんのたびかさなる素行の悪さに耐えきれず、そのぜんぶを看守さんに報告したんだのら。そしたら、杏里ちゃんが独房行きになったんだのら……」

 たどたどしくも、なのらちゃんは真剣に語ってくれた。

 詳しくはよくわからないが、過去にあの部屋でいろいろとあったらしい。


「エリカ、アタシのゲームを受けろ。あんたに選択肢なんかねーけどな」

 黒い目をした杏里ちゃんが、エリカ先輩に迫り続けている。

 対するエリカ先輩は、目を伏せてあたしたちのほうをちらりと見た。

「くっ……キミに余計な真似をされたら、早川と奈野原にも危害が及ぶ可能性がある……受けるしかない」


「へへ、決まりだな」

 そう言って杏里ちゃんはペロリと唇を舐めた。


(うう……)

 これであたしたちが試合に負けたら、エリカ先輩が独房へいってしまうかもしれない。

 午前中に引き続き、またしても負けられない戦いになってしまったようだ。


「まあまあ、そんな絶望的な顔すんなって」

 ロッカーからシューズを取り出し、杏里ちゃんは話を続けた。

「もしあんたらがアタシに勝てたら、〝スペシャルプレゼント〟をやるよ」


「ス、スペシャルプレゼント? なんだそれは?」


「それはねぇ――」

 その瞬間。

 杏里ちゃんは、自分のおパンツの中に素早く左手を入れて何かを取り出し、その勢いのまま右手に持つシューズの中へと押し込んだ。

「内緒だよ~! 勝ってからのお楽しみ~!」

 それを床に落として足に履き、ぎゅっと靴紐を結んだ。


 神業である。

 目の前でおこなわれたのに、まったく見えなかった。杏里ちゃんが靴底に何かを隠したのだ。


「まあ、どう転ぼうがアタシにとっちゃあ面白えことになる――つーか、アタシが球蹴りで負けるなんてありえねーけどな」


 そして杏里ちゃんは、シューズの上から無理やりブルマーを履きこなし、のろのろと更衣室から出て行った。


 ――バタン。



「まずいことになったな……」

 唖然とした室内で、エリカ先輩が肩を落とした。

「すまない二人とも。不甲斐ない私のせいで――」


「大丈夫なのら! 勝てば問題ないのら!」

 なのらちゃんがその肩を「がっ」と掴んだ。


「おお……ありがとう奈野原」

 泣きかけていた先輩に笑顔が戻る。

「……しかし、鹿忍あいては名門女子サッカー部の点取り屋ストライカーだ。私たち三人束でも一筋縄ではいかないだろうな……」


(すとらいかー……)

「な、なんでそんな優秀そうな人が、刑務所にいるんですか?」

 気になって聞いてみると、いつもの調子で先輩が答えた。


「たとえ足さばきが優れた者でも、その手癖まで良いとは限らない――彼女はあろうことか、『チームメイトの水筒の中身を無許可で勝手にぜんぶ飲んだ罪』で捕まったのだよ」


「……え? それって犯罪なんですか?」


「ああ。現行の法律では『窃盗罪』に該当する。考えてもみたまえ、オウチで用意したスポーツドリンクを、思いっきり身体を動かしたあとに飲もうとしたら中身が空っぽだったときの絶望を。ちょっと一口飲んだだけならまだ軽犯罪で済んだものを、鹿忍はぜんぶを飲み干したんだ。悪魔だよ、あいつは」


「た、たしかに……。ひとの飲み物を勝手に飲んだらだめですね……」


「それだけじゃない。あいつは目についたものを何でも盗っていく癖がある。この狭い刑務所の中ですら、私の雑誌や化粧品――作業後のささやかな楽しみは、現在も行方不明のままさ」


 ☆登場人物ファイル⑧

 受刑番号10:鹿忍 杏里(17)

 罪状:『窃盗罪』(第X項:スポーツドリンクの拝借)


 

 先輩のお話が終わってふと見ると、周りの子たちはほとんどいなくなっていた。

 みんな準備を終えて更衣室から出たようだ。あたしたちもそろそろ行かなくては。


「早川、奈野原。試合の前にキミたちに大事なことを伝えておく」

 エリカ先輩が改まった。とんでもなく真剣な目をしている。

「鹿忍が約束を守るかわからない以上、勝ち負けにはあまり意味がない」


「え? じゃあ、どうすればいいんですか?」


「私たちに残された選択肢――やるべきことはただひとつ!」

 先輩がこぶしを握ってこう言った。

「戦いの中で彼女に分からせてやるんだ――私たち受刑者が、協力しなければならない立場――仲間であることをな」


(ごくり……)

 あたしはつばを飲み込んだ。

 そもそもサッカー自体をきちんとできるかもわからないのに、なおかつあの子と打ち解けるなんて、あたしにとってはかなりの難題である。


「了解なのらあー! がんばろうぜなのらあー!」

 ……そんなあたしとは対照的に、なのらちゃんは元気よくはしゃぎ始めた。

 やはり身体を動かせるのが嬉しいのか、純粋に球技大会を楽しもうとしているようだ。彼女が先輩の話をちゃんと理解しているのかは永遠の謎であるが、ちょっと見習わなければならない。


「では、行こう。相手は物盗りだ。貴重品の管理には充分に気をつけたまえよ」


「なのらあー!」「わかりました!」


 ……とはいえ、貴重品は入所時にすべて没収されているので、実は問題がなかったりする。

 今のあたしに失うものがあるとすれば、エリカ先輩となのらちゃんだけだ。

 この試合、全力で臨まなくては。


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