第10話 その口どけは甘すぎて

「――それでは、作業開始っ!」


 看守さんの合図により、いよいよ刑務作業が始まった。

『わいわい……がやがや……』

 前にいる受刑者たちがおもむろに動き出し、話し合いなどをしながらそれぞれに課題メロンパンと向き合っている。


「よし、私たちも始めようじゃないか」

 あたしたちの班では、まずエリカ先輩が配膳箱をひっくり返した。

 テーブルの上がずらっーとメロンパンでいっぱいになる。


(よし……!)

 あたしはとりあえず、その中から一つを手に取った。

 試しに袋を開けてみると、甘い匂いがぶわりと香る。大きさはコンビニで見かけるようなごく普通のサイズ。見栄えも良くて、とっても美味しそうだ。

 一体これのどこが失敗作なのだろうか――その謎をたしかめるべく、あたしはさっそく口をあけた。


「待て、早川! まずは私が味をたしかめる!」

 遮ったエリカ先輩が、あたしの代わりに味見役を買って出た。

「これはキミにとって初めての刑務作業だ。まずは先輩である私がお手本を見せるというのが筋だろう。先に私にいかせてくれないか」

 先輩はそう言いながら、袋の開封を慎重におこない、神経質に匂いを嗅いだあと、まるで時限爆弾を解除するかのようにメロンパンをちょびちょびとかじった。


「……うっ!?」

 すると先輩の顔色が、徐々に紫色へと変化した。


「エリカ先輩!?」


「げほっ! げほっ! げほっ!」

 先輩は激しくむせながら、脇にあるピッチャーに手を伸ばし、大急ぎでグラスに水を注ぎ、勢いよく口に流し込んだあと、大きな声でその感想を吐き出した。

「あ、甘すぎるっ!! なんだこのメロンパンは!?」


『うええええええっ!』

『おええええええっ!』

 前のテーブルからも、悲鳴のような嗚咽が飛び交った。

 ……どうやらこのメロンパン、かなり手強いメニューのようだ。


「体調を崩した者は速やかに手を上げろ! 我々がお手洗いに同行する!」

 どこか慈悲のある声で看守さんがみんなに告げた。

 いくら刑務と言えど、看守さんたちもそこまで鬼ではないらしい。


「たしかに、トイレに逃げるというのもひとつの勇気だろう。しかし私たちは、勝たなくてはならない……!」

 甘い言葉につられることなく、エリカ先輩は食べかけのメロンパンと格闘を続けていた。

「……この『クレイジー・メロンパン』、どうやら製造工程で甘味料おさとうの分量を間違えて造られてしまったようだな……」

 なにやら分析をしながら懸命にかじりついている。こまめに水も飲んでいる。

「もし開発の段階でこの仕様レシピだったのならば、製品開発部のセンスを疑わざるを得ない……もう「ぱんぱん製菓」の商品に手を伸ばすことはないだろう」

 文句を付けながらも作業を進めている。またしても水を飲んでいる。

「もぐ……もぐ……ごくん……ふぅ」

 なんとか一個を平らげることができたようだ。

 完食したあとも先輩は水を飲み、ゆっくりと呼吸を整えている。かなり辛い戦いだったようだ。

「早川、奈野原、キミたちも無理はするなよ。この私のように、ゆっくりと落ち着いて、一個一個ていねいに処理していけば、まったく問題はない。安心したまえ」

 そう言って先輩はハンカチで口を拭き、丁寧に両手を合わせてごちそうさまをおこなった。

 エリカ先輩は、あたしたちのために、身をもって戦い方を教えてくれたのである。



 しかし、


 ――がぶっ!


 そんな先輩の姿を目にしたにもかかわらず、


 ――むしゃっ!


 なんのためらいもなく、


 ――もぐもぐっ!


 まるでドングリを手にした小リスのように、


 ――ぱくぱく!


 メロンパンを口に運ぶ少女が、


 ――ごくんっ!


 あたしの隣で躍動していた。


「うまいっ! うまいのら! ぜんぜんいけるのら!」

 なのらちゃんである。

 なのらちゃんは、満面の笑顔で美味しそうにメロンパンを頬張っていた。

 甘党にはたまらない一品のようだ。


「フフ……なるほどな」

 その様子を目にしたエリカ先輩は、静かに笑みを溢した。

「奈野原の舌は、私の理解の範疇を遥かに超えているということか。これは非常に嬉しい誤算だ。頼もしいよ、奈野原……」


「ありがとなのら! 先輩のぶんもボクががんばるから安心してほしいのら!」

 なのらちゃんは言いながら、ばくばくとメロンパンを食べ散らかしている。

「あーん! あーん!」

 水もグラスを経由せず、ピッチャーからそのまま口に注いでいる。

「んがっー!」

 やがて口をぱんぱんにして食べ終わると、あたしたちに笑顔を送った。

「うまいっ! おいしいのらっ!」

 エリカ先輩が教えた礼儀も、企業が下した懸命な判断も、この子にとってはまったく関係がないようだ。


「奈野原……お前ってやつは……」

 エリカ先輩は呆れながらも、どこか嬉しそうである。

「早川、キミはどうだ? 食べてみたまえ」


「は、はい! いただきます!」


 ようやく先輩の許可が下りたので、あたしもメロンパンをかじってみた。


 ――ぱくっ。


 甘い。

 口に入れた瞬間から始まる甘味の連続。

 とろけるような柔らかい食感があたしの舌に絡みつく――まるで大人の階段を駆け上がっているみたいだ。

 いろんなことがどうでもよくなるくらい、ただひたすらに甘い。

 頭がめろめろする。

(きゅんっ!)

 甘いもの好きでなければすぐに吐き出してしまうのも納得の口当たり――童話に出てくる「お菓子の家」をそのまま食べている感覚に近いと言えばわかりやすいだろうか。


(もぐもぐ……)

 

「先輩、これ、意外といけます」


 つまり、あたしはけっこう好きだった。


「は、早川……キミもか」

 エリカ先輩は、がくっと首を落とした。

「フフ……まさかこんなにも仲間に恵まれていたとは。やれやれ、私はとんだ幸せ者のようだな」

 そのままハンカチで顔を扇いでいる。どういう心情なのかわからないけど、なんだか嬉しそうだ。


(ごくん)

 あたしは一個を食べ終えた。

 後味もそこまでわるくはない。


(…………)

 だけど、そのまますぐ二つ目に手を伸ばそうという気持ちは生まれなかった。

 そう、問題は味ではなく、量である。勝負に勝つには、これからひたすらに食べ続けなければならない。

 目の前に広がるはメロンパンの海――見ているだけでくらくらしてくる。

 しかも、その大海原の波間には、あたしたち女の子の大敵〝カロリー〟が潜んでいる。

「おでぶになってもいい」という強い覚悟がなければ、この荒波には立ち向かってはいけないだろう。



「クックック……怖いか? 太るのが」


(びくっ)

 開始から沈黙を守っていた若菜ちゃんが、ついに動き出した。


「太るのが怖いなら、大人しくトイレにでも籠ってな……お嬢ちゃん」


 小さく佇むあたしを見下しながら、若菜ちゃんは同時に三個を手に取った。


「勝負を始める前に、お前にひとつ、しょくの教えを説いてやろう」


 そのまま前歯で袋を嚙みちぎり、ライオンのような仕草で大口を開ける。

 その瞬間にあたしを囲む風景は、大海原からサバンナへと移り変わっていく――


快楽カロリーを得るためには、何かを失わなければならない――それが例え、女としての価値であってもな」


 ――グシャッ!


 若菜ちゃんの口内で、メロンパンが砕ける音がした。

 次の瞬間にはゴクンと喉を鳴らす音が聞こえてくる。


 見てみるとその手には、空き袋だけが残されていた。

 なんとあろうことか、若菜ちゃんは、たったの三秒で三個のメロンパンを喉に通したのである。

 

「フゥ……美味びみだな。全霊ぜんれいってしょくすにあたいする」


 そう言って若菜ちゃんはドレッドヘアーをかき上げた。

 ……どうやらあたしたちは、とんでもない強敵かいぶつに勝負を挑んでしまったようである。



☆ただいまの記録


 あたし:1個

 なのらちゃん:1個

 エリカ先輩:1個

(合計:3個)


 若菜ちゃん:3個

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