第4話 だつごく!

「なあキミ、私たちと一緒に「だつごく」に挑戦してみないか?」



「……え?」

 目の前のエリカ先輩が、なにやらとんでもないことを言い出した。

(だ、だ、だ、だつごく……?)

 ついさっきここへ来たばかりなのに、いきなり「だつごく」だなんて、とてもじゃないけど頭が回らない。


 戸惑うあたしをおかまいなしに、エリカ先輩は淡々と続ける。

「キミ、懲役期間は何ヶ月だ?」


 あたしの口がとっさに答える。

「えっと……たしか、三ヶ月……です」


「――そうか。私と奈野原は、懲役四ヶ月だ」

 エリカ先輩は、神妙な顔であたしに告げた。

「私と奈野原はほとんど同期入所でね……二人とも一ヶ月前にここへきたんだ」

「そうなんだのら……」


「え、そうなんですか?」

 先に入った二人の残り受刑期間は、これからのあたしと同じ、三ヶ月だった。

 あたしが犯した「歩きスマフォ」よりも、「ゲームの回線切断」や「えっちな本を買うこと」のほうが悪いことなのだろうか――罪の重さの基準がまったくわからない――大人たちが決めたルールは、ぜんぜん意味がわからない。


「でも、三ヶ月間がんばれば、また元の生活に戻れるんですよね? それなら、一緒にがんばってみませんか?」

 あたしは二人に訴えた。

 警察官さんいわく、軽犯罪は前科にならない――ちゃんと刑務をまっとうすれば、何の問題もなく社会復帰してまた元気に学校へ通える――だったら、ここで大人しく我慢するほうが、お利口な選択なのではないだろうか。

 あたしは二人に、訴えた。


 しかしエリカ先輩は、大きく横に手を振って反発を示した。

「ばかをいえ! 花盛りの十代における三ヶ月はとっても貴重なんだぞ! 一般成人女性のそれに換算すると約三年分くらいの価値がある! キミは、そんな尊き青春の一ページをゴミ箱に捨てるとでも言うのか!?」


「いや、もちろんそれは、嫌ですけど……」

 なんだかよくわからなかったけど、言いたいことは伝わった。

 たしかに、あたしたち女子高生の時間――青春のヒトトキはとても貴重だ。

 だけど、だつごくに失敗してまた捕まってしまったら、元も子もないのでは。

「ここから逃げ出してしまったら、それこそ犯罪なんじゃないですか!?」

 あたしはまるで、いかった生徒会長の如く、エリカ先輩に反論した。



 対するエリカ先輩は――――指を立て、にかっと笑ってこう言った。


「ところがどっこい! この『しらゆり刑務所』では、「だつごく」は罪に該当しないんだ!」


「そうなのら!」

 なのらちゃんも同調した。



「……え?」

 逃げても罪に問われないとは、一体どういう了見か。

 あたしの頭は、とっくにこんがらがっていた。

「ど、どういうことですか!?」


「フフ……いいだろう。今からキミに、この刑務所の〝特別ルール〟を教えて進ぜよう――」


 得意げに言ったエリカ先輩が、テーブルに片足を乗せて人差し指を掲げた。

 そんな華麗なポーズを皮切りに、演説のような解説が始まる。


「この刑務所の外に出られたら『勝ち』ってことさ! 私たち受刑者のいずれかが敷地の外に一歩でも出ることができれば、受刑者は全て解放され、皆自由――そのことで罪に問われることはない! この『しらゆり刑務所』では、そういうルールなんだ!」


「ええええええええっ!?」


「ちなみにこのルールは、刑務所の公式ホームページの規約にも書かれているから、法的な補償はされている。紛れもない真実だ。安心したまえ」


「な、なんでそんなルールがあるんですか!?」

 一体なぜ、受刑者の「だつごく」をわざわざ促すようなルールが存在するのだろうか……聞かずにはいられない。


「教えて進ぜよう」

 エリカ先輩は腕を組んで答えた。

「このルールは、刑務所長の『絶対に逃がさない!』という強い信念に基づいて作られたものなんだ。仮に一人でも脱走者――「だつごく成功者」が出た場合、この刑務所は社会的信用を失って存在価値がなくなる――つまり、閉所ジ・エンドだ!」


「ええっ!? 刑務所そのものがなくなるってことですか?」


「ああ。規約によって取り壊される。従業員も全員解雇だろうね。所長自らの申し出によって執行される切腹行為ハラキリとでも言ったところか」

 エリカ先輩は、何食わぬ笑顔で話しを続ける。

「この制約によって刑務所は常に厳重なセキュリティを保っている――ようは、監視役である刑務官たちの労働意欲モチベーションを常にMAXに維持するためのルールなんだ。だからここの従業員は、いつも必死ってわけさ」


「なるほど……。刑務官さんたちの生活がかかっているわけですね……」


「そーゆーことさ! つまりこの〝特別ルール〟は、私たち受刑者にとって脅威でもあり、唯一の抜け穴でもあるんだ!」

 言い終えたエリカ先輩が、指を弾いてポーズを決めた。

 語り尽くして満足したのか、爽やかな笑顔を添えている。


 しかし次の瞬間、床へ「がくっ」と両膝を付き、話は続行された。

「……ただしこの特別ルールには、とうぜん大きな危険リスクも含まれている……」


「り、りすく……?」

 あたしはつばを飲み込んだ。

 やはり、そんなに都合の良い話ではないようだ。


 そのまま手のひらで顔を塞いだエリカ先輩は、その指の隙間から、ぎょろりとお目めを覗かせた。

「……だつごくを図って失敗した者は、四階にある『虚無の空間』に拘束され、無期懲役の生活を強いられる……。だから、誰もやろうとしないんだ……」


「きょ、きょむのくうかん!?」


 あたしはびびって、お茶をこぼした。

 なのらちゃんがタオルでごしごし拭いてくれている。


「ああそうさ。三階の廊下の奥からは鉄の扉が何重にも連なっていて、私たちが近寄ることはできない。刑務官たちですら、一部の特権を持った人じゃないと入れないらしんだ」


「そ、そこにはいま、誰かがいるんですか?」

 過去にだつごくを試みた人はいるのだろうか……恐れながらもあたしは聞いた。


「……『虚無の空間』には、〝ガチの重犯罪者と呼ばれし者〟という謎の人物が一人だけ入っているってウワサだけど、真相はわからない。いまだ謎が多いんだ、上階についてはな」


「が、がちの……じゅうはんざいしゃ……と、よばれし……もの……」


 あたしはティーカップを畳に落とした。

 あだ名の響きだけでも相当にやばい。上の階にはなるべく近づかないように気を付けなければ……。


☆登場人物ファイル⑤

 受刑番号0:『????(本名不明)』

 通称:ガチの重犯罪者と呼ばれし者

 罪状:『????』、『脱獄(未遂)』


 

「とにかく、ここはとっても危険な場所なんだ。女子高生が青春を過ごすような場所じゃない」

 やがて立ち上がったエリカ先輩が、あたしにぐぐっと顔を寄せてきた。

「どうだい? 私たちと一緒に協力して、ここから抜け出さないか?」


「え、ええっとお……」

 あたしは返答できなかった。

 こんなに恐ろしい話をされたあとで、「やりましょう!」とはとても言えない。

 あたしは正直、三ヶ月間我慢して、罪を償うほうを選びたい。

 だってそうすれば、なんの後ろめたさもないのだから。

 

「素真穂ちゃん! 一緒にやろうよ!」


 なのらちゃんまで顔をがばっと寄せてきた。

 きらきらしたお目めであたしを見つめている。

 あたしよりも小さいはずのに、なぜこんなにも乗り気なのだろうか。


「なのらちゃんは、こわくないの?」


「もちろんだのら!」

 なのらちゃんは元気に答えた。

 じゃっかんデリケートなお話をしているにもかかわらず、相変わらず大きな声である。

「エリカ先輩はボクの隊長なのら! 隊長が「GO!」とゆうならば、たとえ火の中水の中なのらああああっ!」

 なのらちゃんは、想いを乗せて天井へ叫んでいる。

 エリカ先輩に対する忠誠心が強いのか、「だつごく」の意思は固いようだ。


「な、奈野原……お、お前ってやつは……」

 意気込みに感動したエリカ先輩が、なのらちゃんをぐいっと抱き寄せた。


「奈野原……」「エリカせんぱい……」


 二人が見つめあっている間も、あたしは悩んでいた。

 やっぱり「だつごく」しようだなんて、簡単にYESとは答えられない。


「素真穂ちゃん――」

 抱擁を終えたなのらちゃんが、あたしに初めて真剣な表情を見せた。

 まるで戦場へ向かう戦士のような雰囲気をまとっている。

「ボクたちと一緒に、きてくれないかのら?」


「え……でも、やっぱりあたしは――」


 思わずあたしがNOを言いかけたとき、なのらちゃんは、あたしの肩を「がっ」と掴んだ。

「ほんとうにそれでいいのかのら!? 自分の魂にしたがい、世界に立ち向かう勇気はないのかのら!?」


(せ、せかい……?)


「素直になるんだのら! 自分の気持ちを、はっきりと示すんだのら!」

 

(あたしの……気持ち……?)


 見つめ合った二人の間に、エリカ先輩も割り込んできた。


「そうだぞ早川はやかわ! いまここで全てを吐き出せ! 自分の感情に対して真剣に向き合うんだ!」


(自分の感情に……真剣に……?)


「大人のルールに従うんじゃなく、自分の意思に従うんだ!! 本当のお前を見せてみろ!!」


 そんなエリカ先輩の言葉が、あたしの脳内を支配した。


「ほんとうの……自分あたし……」






‶歩きスマフォ〟。

 思えば、あたしがここへ来た理由は、とても理不尽なものだった。

 なのにあたしは、抵抗することなく手錠を受け入れ、ただ捕まった。

 心の中で、『こんなのおかしい!』『ありえない!』と思ったのにもかかわらず、だ。


「…………」







 ずるい!

 ずるい!

 ずるい!


 なんであたしだけが捕まんなきゃなんないんだ!

 テレビで見た昔の大人たちだって、歩きながらケータイぽちぽちやってたもん!

 そんな大人たちが決めたルールに、したがう理由なんてあるもんか!


 いやだ!

 いやだ!

 いやだ!


 心まで縛られたくない!

 心の中で『おかしい!』と思ったら、ちゃんと口に出して『おかしい!』と言いたい!


 そうゆう大人になりたい!

 そうゆう大人になりたい!

 そうゆう大人に――――



 あたしは、それまで溜め込んでいた想いを、心の中で吐き出した。


「な、なりたい! なりたい! なりたっ、あ……ううううううっ!」


 だけど、目を開けると、あたしは涙を流していた。

 瞳の中が、ぐしゃぐしゃになるくらいに。


「早川ッ……! それでいい! それでいいんだ! 我慢なんか必要ないんだよ!」


 エリカ先輩が、飛び込んできた。


「そうなのら! ボクたちは自由なのら! ボクたちの貴重な青春を取り戻すために、みんなで一致団結をするんだのら! ボクたちならきっとできる! やるんだのら! やってやるんだのら!」


 なのらちゃんも、飛び込んできた。


「なのらちゃんっ!」


「素真穂ちゃん!」


「エリカ先輩っ!」


「早川っ! 早川ああああっ!」


 小さな身体を寄せ合ったあたしたち三人は、互いに強く抱きしめ合った。

 あたしたち三人の間をついさっきまで飛び交っていた‶言葉〟という概念は、その輪の中に入ることを許されず、走り回るのを止めていた。

 その代走としてあたしの中に生まれた概念が‶心〟であった。

 新しく生まれたその心と、心と、心が、強く結ばれて、新婚旅行ハネムーンを開始した。


 そう。


 言葉を応酬する必要が、一切なくなっていた。


 つまり!


 あたしたち三人は――あろうことか、あたしは入所初日から――「だつごく」することを決意したのである!!



 ……しかし、その刹那であった。



『こおおおおらあああああああああああああああああああっーーーーーー!!!!

受刑番号47から49バアアアアアン!!!! 静かにしろっーーーーーー!!!!』



 看守のお姉さん――『有亜堂ありあどう刑務官』の叫び声が、廊下の奥まで轟いた。

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