第8話 晴れ時々龍 ところにより大百足(3)

『王都に迫り来る脅威を取り除きにいく。』


そんな少尉の言葉によりリムリィの平和な日常は終焉を迎えた。


「これより『ちはや』は王都方面に向かう。これより戦闘機動に移行する!」

「あわわっ、しょーいどの、お待ちを!どうか少々お待ちを!」


少尉の言葉を遮るかのようにリムリィは叫ぶと後部車両に向かって一目散に走り出した。


「なんだ、どうしたんだ、あいつは。」

「ああ…、たぶん洗濯物を取り込みにいったんですよ。今日は絶好の洗濯日和だって喜んでましたから。」

「この戦時下に結構なことだな。」


戦闘機動速度に切り替わろうとする『ちはや』の車内をリムリィはバタバタと走り回った。彼女は心の中で呟いた。ここからは時間との戦いだ、と。彼女は手始めに後部車両に干していた洗濯ものを片っ端から洗濯カゴの中にほうり込んでいった。洗濯バサミがついていてもお構いなしだ。

次に保存食用に干していた肉や魚を取らねば、そう考えたのがまずかった。干し魚達に気を取られたせいで彼女は洗濯カゴから派手にはみ出ていたシーツに足を取られて、洗濯物をぶちまけるようにして派手に転んだ。


「ふ、ふみゅ~…。」


転んだ拍子に派手に鼻を打ち付けたのであろう。彼女は真っ赤になった鼻を痛そうにさすりながらもくじけることなく洗濯物を拾い始めた。


「まったく何をやってるんだ、お前は。」

「あ、しょーいどの…。」


駆け付けた少尉はため息をつきながらリムリィがぶちまけた洗濯物を拾い始めた。


「あの…どうして…。」

「慌てるお前にまかせておいたら車内をめちゃくちゃにされる。手伝ってやるからさっさと片付けて出発するぞ。」

「は、はい!」


少尉はなおもぶつくさ言いながらも手早くリムリィの散らかした洗濯物達をカゴの中にほうり込み始めた。手伝いがあったおかげか、スムーズにリムリィは洗濯物を片付けることができた。


「あ、あの、しょーいどの!ありがとうございました。」


礼を言ったリムリィの頭上に少尉は右手を伸ばしてきた。殴られる、とっさにそう思ったリムリィは慌てて両目をつぶると奥歯をぐっと噛み締めた。だが、少尉はリムリィの頭を殴るのではなく優しく撫でた。


「まったくお前は。いつも破滅的にドジかと思えばとんでもなく鋭いことを言いやがる。どっちが本当のお前なのかさっぱり分からないがもう少し落ち着いて動け。そうすれば失敗も減るはずだ。」

「しょ、しょーいどの…。」


リムリィは感激して顔を赤くしながら少尉に対して微笑んだ。だが、少尉はすぐに仏の顔から鬼の形相になると、優しく撫でていた掌でリムリィの頭をムンズと掴みあげた。


「だがな、たくあんはないだろう!たくあんは!あれは失敗とはいわない!毒殺というんだ!」

「いたたっ!しょーいどの!いたいであります!」

「はーははは!痛いか、そんなに痛いか!その痛みは俺の受けた心の傷の大きさだと思い知れぇ!!」


リムリィにアイアンクローをかけながら少尉は吠えた。一方、一人で操縦席に取り残されたコロは列車を操縦しながらぼやいた。


「なんだか楽しそうな悲鳴が聞こえるな…。…暇だ。汽笛でも鳴らすか。」


たぁすけてぇええ、リムリィの悲鳴は列車の汽笛の音に掻き消された。




             ◆◇◆◇◆◇◆◇ 




かつて剛鉄と呼ばれた列車は暴走していた。

剛鉄、そしてそれに融合した百足は列車内にあるすべてのものと溶け合い、混ざり合っておぞましい混虫列車になった。ここで取り上げておきたいのは単に百足が取り込んだのが剛鉄そのものだけでなく、剛鉄を操縦していた操縦士をも取り込んでしまったという点である。


剛鉄を操縦していた操縦士は王都陸軍の鉄道開発に関わってきた男であった。彼は国を愛し、国土を愛し、家族を愛した。仲間とともに心血を注いだ剛鉄の完成、それが終われば彼は王都に戻れるはずだった。剛鉄の完成間際、彼は離れて暮らしていた家族に宛ててこう手紙を書いていた。


『お元気でしょうか。お風邪など召されておられませんか。桜が染まる頃には戻れると思います。みんなでお花見に行きましょう。悟郎と葉月にお土産を買っていきますから楽しみにしていてください。』


果たすことができるはずの約束であった。百足さえ剛鉄を襲うことがなければ。無人になっている操縦席のハンドルには子供のために彼が用意していたお土産、二組の小さな木彫りの人形が紐でぶら下げられたままの状態で置かれていた。もっとも彼自身が百足に襲われた時に流した血によって真っ赤に染まっていた。


ここで問題にしておきたいのは操縦士が故郷に帰れなくなったことでもなく、百足の残虐さでもない。問題なのは百足の中で彼がまだ生きているということであった。人としての肉体はとうに滅んでいた。だが、帰りたいと強く願う彼の意思は恐るべきことに百足の意識を半分以上乗っ取った。 ゆえに百足と混ざり合った剛鉄は一心不乱に故郷である王都を目指していた。愛する家族に再び会うために。





             ◆◇◆◇◆◇◆◇ 





王都付近の線路近くに設置された緊急駐屯地のテントの中で地図を広げながら天龍王と一人の孤狼族の少女は話していた。彼女こそがこの国の軍部と行政を掌握する司狼大臣である。


「百足に喰われたのはどんな奴だった。」

「牧村宗介という男です。仲間からも慕われて人望もある男だったようです。故郷の王都に愛する家族を残していたようです。」

「道理でな。よほど家族に会いたかったと見える。」


少女の解答に天龍王は深い溜息をついた。 今回の事件の中で天龍王が不審に思ったのは百足の行動であった。百足は普段から鉄を好み、それと融合することで成長していく。だが、その性質はハチと違い、どちらかといえば臆病で自分からは滅多に人の前には姿を現さずに地中を移動していく。そんな百足が列車と融合したとはいえこのような暴走をするケースははじめてのことであり、原因を究明する価値がある異常であった。


事件が起きた報告を受けた後、天龍王はすぐに文官達に過去の百足のデータと剛鉄に関わった人間達についての資料を集めさせた。そしてある恐ろしい事実を知った。 人を喰った百足は喰った人間と意識を共有する。意識が混ざり合うのだ。喰われたのがその牧村ならば百足が王都に向かう理由はただひとつ。故郷に帰り、家族に会うためだ。


「刮目の所の第四師団の防衛網もぶっちぎられたらしいな。」

「では部隊ごと壊滅ですか。」

「うんにゃ、ほかは全滅だが、第四の連中はほとんど生きてるみたいだぜ。大戦の時からそうだったが、あの刮目っておっさんは勝てないくせに意外としぶといんだよな。案外、すげえ奴かもしんねーぞ。」

「有り得ないと思いますが。」


楽しそうにしている天龍王に溜息をつきながら少女は地図をじっと見た。もはや布陣により作りあげた関所は三つしかない。これを通り抜けられれば終わりだ。剛鉄は王都にたどり着く。余裕はまったくないのだ。


「さてと、問題はこの虫野郎をどうやって止めるかだ。」

「策がおありなのですか。」

「はは、まともな策なんざねえよ。お手上げもいいところだ。」


天龍王の言葉に少女は怪訝な顔をした。そんな彼女の視線を正面から受け止めながら天龍王は続ける。


「なにせ相手は砲撃を受け止めて跳ね返すわ、装甲が銃弾をことごとく弾き返すような正真正銘の化け物だ。」

「上からの爆撃は?」

「すでにやらせたさ。全機受け止められて撃ち落とされた。思った以上に芸達者なようだ。」

「線路を潰せば走れないのでは。」

「第六の連中が試したんだがよ。奴は破壊した線路の上に器用に百足足を下ろして走り越えていったそうだ。反則だよな~。」


それでは手詰まりではないですか、少女は叫びそうになるのをぐっと堪えた。


「言いたいことは分かるぜ。確かにまともな戦術じゃあ手詰まりだ。だから邪道を使わせてもらう。」


天龍王は不敵に微笑むと地図の外に置いてあった鉄道の模型を剛鉄の模型の隣に置いた。


「どうなさるので。」

「列車で奴の側面に乗りつけて、俺が刀で奴をぶった切る。それだけだ。」

天龍王の恐ろしい提案に少女は言葉を失った。



              ◆◇◆◇◆◇◆◇



作戦立案が終わってすぐに天龍王は「ちはや」と合流した。そして自身は列車の天井に陣取ってこれから迎え撃つ敵に備えた。走る列車の外から発せられる暴風のごとき風圧に揺らぐことなく彼は歌う。


「せーんろはすっすむーよ!どーこまでもーってか?」


疾走する機関車の先端で陽気に歌う。ようく冷静に考えてみると正しい歌詞は「線路は続くよ」なのだが、そんなことはおかまいなしだ。天井から馬鹿みたいに響いてくる歌に不安そうな顔をしながらコロは少尉に尋ねた。


「あの…少尉殿。本当によろしかったので。」


不機嫌そうに少尉は答える。


「…何がだ。」

「その…天井のお方の歌、間違ってます。」

「そこじゃないだろ、突っ込むところはっ!」


コロの質問に少尉は怒鳴った。ちなみに毎回、少尉、少尉と呼んでいるが彼の実際の階級は厳密には少尉ではない。『独立遊軍機動機関車ちはや専属特務曹長』という長ったらしい階級を天龍王から直々に賜っている。ただし彼を長く知るもの達は昔の階級の少尉と呼ぶ。コロとリムリィなどは「独立遊…機関…えーと、なんでしたっけ。」などと真顔で三回も繰り返すので彼も「覚えられないなら今まで通り呼べ」と怒鳴った。以降は少尉と呼ばれても否定はしても突っぱねたりはしないようにしているのだ。


「あいつは昔から人が嫌がることが大好きなんだよ。」


実のところ、天龍王が頼みにきた時からある種の嫌な予感はしていた。ただ敵を迎え討てばいいだけではない。きっとこちらが本当に困るようなことを言い出すのではないかという予感が。だから合流地点にたどり着いた時に自分も同行すると言い出した時は「ああ、やっぱりか」とため息をついたのだ。一度やると決めたらテコでも動かない。そんな戦友の悪癖を少尉はよく知っていた。だから諦めていた。


「うちの王様くらいだぞ。敵陣目掛けて突っ込むど阿呆は。」


将棋をやったことがないのかな。あいつは。そんなことが一瞬頭をよぎったのだが、想像してみると初手から王将が邁進していく姿しか思い浮かばずに背筋が寒くなったために考えるのをやめた。


「今、阿呆と言ったか。」

「うわぁっ!!驚かすな!」


急に窓から逆さまに天龍王が顔を覗かせる。


「はは、人の悪口を言ってるからだ。ところで真一郎。この列車、もう少し速くならんか。」

「これ以上速くしたら脱線するわ。」

「むう、そうか。残念だな。もう少しで掴めそうなんだが。」

「あまり聞きたくないが、一体何を掴むつもりだ。」

「いや、このくらいの空気抵抗を掌に感じるとだな。女の乳を揉んでいるような感触が…。」


天龍王が言い終わる前に少尉は窓ガラスを閉めて音を遮断した。

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鋼鉄の狼は絶望の中で希望を運ぶ  @shigureame

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