その5
見込みがあるそうだ。
少なくとも職業安定所が接続するAIはそう判断した。
おれが再び職業安定所を訪れると、さっそく手続きの案内がはじまった。
案内は担当者でなくAIの仕事だ。
AIと言っても、機械の身体が目の前に来て話しかけてくれるわけではない。音声会話でユーモアあるやり取りができるわけでもない。
イメージはインターネットブラウザやチャットを操るのに似ている。片手がふさがる手持ちのディスプレイでは不便だったので、職業安定所に備え付けのガラス体グラスを借りる――そろそろ自分用にグラスを購入した方がいいのかもしれない。
浮かび上がったウィンドウの内部がAIとコンタクトできる領域で、なにか質問があればメッセージを送信し、一度、AI側からメッセージの反復確認がある。
『おれが対象になった理由は?』と、おれはAIに送信してみた。すぐにレスポンスがある。
『あなたの質問について、最も近いものを選択してください』
『1.自然遺伝子所持者自立支援制度について知りたい』
『2.自然遺伝子所持者自立支援制度の対象について知りたい』
『3.あなたが自然遺伝子所持者自立支援制度の対象として選ばれた理由について知りたい』
おれは『3.』をタップした。
長くつらつらと、根拠となる法令が引用されながら解説文が表示される。
その中で目を引いた文章があった。
『人を人たらしめているものがあなたの中に強く発現しており、私たちはそれに関心を示した』
人を人たらしめているもの?
心のことだろうか?
しかしおれは不感症だ。
性的な意味だけでなく、毎日を淡々と無感動に生きてきている。
だからこそ獣が羨ましいのだ。
欲求を持ち、何も考えずそれを満たそうとする奴らが。おれはというと、欲求はあるが、肝心な瞬間に突然冷めてしまう。まるでハッと目が醒めたように、突如として冷静で冷酷な自分が自分を乗っ取ってしまう。おれは今、なにをしているんだ? と。
おれはAIの案内に意識を戻す――つまり、なんとか制度の対象だからといって“選ばれし者”とたかをくくれるわけでもなさそうだ。
そもそも、本当に選ばれた奴らにこんな処置は必要ない。むしろこれは、選ばれなかった者たちの足掻きなのだろう。
なんてことない、世の中もおれのように目を背けていただけなんだ。ぼーっと社会の動きをながめ、事が起こるまで誰も何も真剣に考えずにここまできた。
そしていよいよ世界が変わりはじめたことに慌てて、こんな暴力的な対抗手段に打って出た――
『ご案内のペースを早めてもよろしいですか?』
AIからの文字が届く。
もう少し考える時間が欲しかったが、それは制度を受けるかどうかについてではない。制度は受けるつもりだった。
きっとAIは選択肢やおれの表情など、通信で得られそうなあらゆる情報を元に分析をして、見透かしているのだろう。
本当に制度申請を迷っていたり疑問が解消できない場合には、別の行動のパターンがあるはずだ。おれはそれに乗っていなかった。
おれは大して案内に目を通さずに説明を受け、申請の署名をした。
処置日は明日を選択した。
おそらくキャンセルかなにかがあったのだろう、明日を逃せば次の候補日は一年も先になる。またはAIがおれは明日でも処置を受けるだろうと確信し、こんな日程を送ってよこしたのか。
『お前はどこまで見通しているんだ?』
『1.AIのこのやり取りにおける視界の範囲を知りたい』
『2.AIによる監視カメラへの接続状況について知りたい』
『3.AIがどこまで未来を予測しているか知りたい』
『3.』
『可能な限り、あらゆる予測をしています。しかし性能の限界もあり、より未来を見通すためにはより不鮮明な予測になります。逆に鮮明にしようとすると遠くまでは見通せません。そのなかで現在、AIによるもっとも上位の予測では、あなたはガニメデで死ぬことになります。それはあなたがそう望み、AIがそれを支援するためです』
おれはため息のような息を吐いた。少し笑いたくなったのだ。その予測は可能性か、それとも筋書きなのか。
おれは高速道路での合流を思い出してみた。
まさしく、あの流れなのだ。
AIはおれの希望や行動に対して、世の中を少しだけ調整する。そこにおれが生きるだけのスペースがうまれ、おれはそこにあてがわれる。AIはその未来の行き先を予測する――
そしてAIは、どこかの誰かのためにおれの行動も少しだけ調整しているはずだ。
おれはもう少し考えてみたかった――というのも、だとすると、AIによる干渉を受けていない人物たちの存在はどうするのだろうかと思ったのだ。
高速道路では自動運転はもはや必須のシステムだ。AIが管理しない車両はそもそも通行が許されない。
しかし日常的な社会ではそうはならない。
今までのおれのように、AIと干渉していない人間の方がほとんどだ。
いや――
おれは考えを少し変えた。
AIに干渉していない人間などいないのだ。
少なくともIoTが完成した日本社会では、殆どの国民が定義されたパターンの中で生活をしている。
おれはいま、今まで姿が見えなかったそいつと話をしているだけだ。
職業安定所を出て、小奇麗な街を過ぎ、自宅アパートに戻る。以前はここから某都市へ始発の電車通勤をしていた。明日は専門の医療研究センターがある台場に向かう。入院期間はおよそ1ヶ月。
おれは荷物をまとめ、長期入院の準備にかかった。
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