第6話 希望 06

「へ、へへ……危ないところだったぜェ」


 獣人の男は引きつった笑みを浮かべ、己の能力と運に感謝した。


「”最後の騎士団”だァ? へへ……笑わせるぜ人間風情が」


 槍に貫かれたジンはその場で倒れ、血の泡を吐いた。左肺が完全にダメになっている。


「ジン……?」ムウはそのかたわらにしゃがみ込み、「ジン……? どうしたの……」


「か……!」


 ジンは何かを喋ろうとしたが気管に血がこみ上げて口の端から溢れてくる。


「ジン……しんじゃうの?」


「ご……めん……」


「しんじゃやだ……」


 ムウは大きな目から涙をこぼした。


 ジンは一瞬、苦痛を忘れて安堵した。涙だ。勇者か魔王か、そんなことはどうでもいい。他人のことを想って涙を流せるのだとすれば、彼女が何者であろうと関係ない。ひとのこころがあるのなら。


「ム、ウ……お願いだ。”最後の騎士団”に……僕が、しんだら、この森を出て……最後の騎士団に、参加するんだ……」


「だめだよジン、せっかくあえたのに、またムウひとりになっちゃう」


「ごめ……ん……ぐうッ」ジンの口と鼻から大量の血が溢れた。「……お……ねがいだよ、人げんには……勇者が、き……きぼうが、必要なん……だ……」


 それだけを絞り出し、ジンは動かなくなった。


「ジン……?」


 ムウは青ざめた顔でジンの頬を伝う血を拭い、その赤さを見た。からだが小刻みに震えていく。


「ケッ、くたばったか」


 ジンを殺した獣人が、ゆうゆうと近づいてきた。ジンの死体に足をかけ、無造作に投げ槍を引き抜くと、今度は血塗られた穂先をムウに向けた。


「お前、いったい何者だ? まァさかお前が勇者か? ”勇者は魔族の天敵”らしいが、そんな感じはしねェなあ」獣人はニヤついて、「まあどっちでもいい。人間どもはみなごろし・・・・・だ。このいばらの森は俺様の領地にしてやる。けけけ、これで俺もようやく土地持ちの統領だぜえ……!」


 人間界はいまや人類を無視した魔族戦国時代にある。


 力で領地をぶんどれば、だれもが豪族の一角となりのし上がることができるのだ。すでに”七大魔公”の支配体制が確立されつつあるとしても、弱いものから奪うか強いものの傘下に入るか、その選択権を得られる。300年前の魔王終焉の地を手に入れ、なおかつ勇者につらなるものを殺したとなれば名を上げることにもなるだろう。そうなればもはや単なる”獣人種の魔族”ではない。ベルベゴス。偉大なるベルベゴスの名を天下に示すことができる。


 獣人ベルベゴスは数秒妄想に浸り、槍を構え直した。


 だが、思いもよらぬことが起こった。


 長い銀髪の少女が、全身からエーテル光を放出しながらジンの胸に手を当てていた。


「回復法術か!?」ベルベゴスはエーテルの眩しさに一歩退き、「面倒な真似するんじゃねェ! どうせお前らはここで死ぬんだよォ、虫けらみたいにな!」


 容赦なくベルベゴスは槍を突きこんだ。ムウの頭を刺し貫く狙いだ。


 しかし刺さる直前に槍の動きはピタリと止まった。


「なンだあァ!?」


 槍を空中で掴んでいたのは、ジンの手だった。


 片肺を貫かれ息絶えたはずのジンが上体を起こし、全身に奇妙な気配をまといながら槍を掴み、そしてへし折った。枯れ枝を折るような仕草だった。力を込めて無理やり、ではなく、こんなものは手首の動きだけで十分だとでも言わんばかりに。


 ジンは立ち上がった。苦しそうな様子はない。ただ自分に何が起こっているのかわからないという、不思議そうな表情だった。


「ムウが……直してくれたの?」


 ジンの問に、ムウはおずおずとうなずいた。


「ありがとう、ムウ」


「でも、でもねジン! これ・・を使ったらジンは……」


「話は後でいいよ」ジンはムウに微笑みかけてから、ベルベゴスの方に向き直った。「……何だか、いまならあいつを簡単に倒せそうな気がする」


「抜かせェ!」


 ベルベゴスはいわおのように盛り上がった肉体の力を全て暴力に変え、折れた槍で思い切りジンを殴りつけた。


「うわッ!?」


 悲鳴を上げたのはジンだったが、払いのけるように振った手が槍に当たり、その瞬間堅い槍の柄は粉々になった。


「何だこの力……?」

「何だァその力はァ!?」


 ジンとベルベゴスは、今度は同時に叫んだ。


 ジンは最後の騎士団で一通り戦闘術を身に着けており、素手での格闘術もそのひとつだ。しかし獣人種が木で殴りかかってくるところをあっさり切って落とす手刀の繰り出し方など含まれてはいない。


 心臓の激しい高鳴りがひっきりなしにジンの肉体を駆り立てる。


 一瞬で・・・


 一瞬であの獣人の息の根を止められる。さきほど槍の穂先をへし折ったのと同じように。やれ、やってしまえと。


 心臓に命令されるのは初めての経験だったが、いまの自分ならできる気がした。


「このクソ人間がァ!」


 槍を破壊され、ベルベゴスは腰に差した幅広の剣を抜いた。凶悪な意匠を施されていて、傷口を醜く食いちぎることを目的としている代物だ。


 ジンも自らの剣を抜いた。


 空中で剣が交差する。


 いや、違う。


 ベルベゴスの剣は、何ともかち合わず地面にカランと転がった。柄にはまだベルベゴスの握り手が残っていたが、手首のところで切断されていた。


「う、うおおおお!?」


 一瞬遅れてベルベゴスの手首から鮮血が吹き出した。これで両手が切り落とされたことになる。


 ――何なんだ、なんだチクショオ! 全然動きが見えねえじゃねえかッ!


 パニックに陥り、何としてでも血を止めようと苦戦するベルベゴスだったが、もはやそんな手段は残されていなかった。


 ジンの全身からゆらりと陽炎が立ち上る。両手をだらりと下げ、全身が一度完全に脱力し――次の瞬間にはベルベゴスの顔面に強烈な掌打が命中していた。


「ぶぶフゴォ!?」


 悲鳴にならない悲鳴を上げるベルベゴス。


 ジンはベルベゴスの顔面を鷲掴みにして、赤熱した流星のように疾走はしった。恐ろしいスピードだ。疾走って、疾走って、そのままいばらの森の巨大いばらに後頭部を叩き込んだ。


 両足を地面に食い込ませるようにブレーキを掛け、ジンはそのまま十数歩分のわだちを残してようやく動きを止めた。


 ベルベゴスはいばらの茎に頭をめり込ませ、しばらく蠢いていたが、衝撃に耐えかねた巨大いばらが地面に倒れ、その下に押しつぶされて死んだ。


 勝負は決まった。


 ジンは湯気が立ち上るほど高ぶった肉体の反動を受け、ぐったりと倒れ込んだ。


 ――何が起こったんだ?


 それを尋ねる前に、ジンの意識は途切れた。


     *


 死んだはずのジンを再び目覚めさせたのはムウの力だった。


「変な感じだなあ、自分の心臓じゃないなんて」


 胸の真ん中をとんとんと親指で突き、ジンは首を傾げた。


 いま、ジンの胸には普通の心臓ではなく、”バラの心臓”が埋め込まれている。バラの心臓は、人間に新たな生命と力を与える永久器官・・だという。


 どういう理屈なのかわからないがとにかくジンは一度死んだはずが蘇った。そのおかげか、体中のケガは全て治っていた。肺を正面から貫かれた穴も跡形なく消えている。


「ねえムウ、この力でリデル隊長も生き返らせることってできないのかな」


 ムウはかぶりを振って、「バラの心臓はね、この森ぜんぶで一輪しかとれないの。ママがそう言ってた」


 ジンは複雑な気分だった。そんな貴重なものを、本当に自分のような人間が生き返るために使ってしまっていいのだろうか。


 だがもう遅い。自分は一度殺されてしまったのだし、ムウはそんな自分を蘇らせた。もっといいやり方はあったかもしれない。でも、目の前のその瞬間ではそうするしかなかったのだ。


 せめて遺志を継ぐことくらいしかできない。勇者はお前に任せる、とリデルは言った。


 勇者。


 勇者ムウ。


 この癖のある長い銀髪の少女は本当に勇者なのか。それはまだ分からないが、少なくとも勇者に最も近い存在であることに間違いない。そうならばこの子をなんとしてでも……。


「さいごのきしだん、だっけ?」


 ムウはジンの背におんぶされながら、足をパタパタさせた。発育のいい柔かな感触が背中に当たってくる。


「それがどうかした?」


「ジンがいっしょなら、そこにつれていってもいいよ」


「本当?」


「うん。だって……この森にいてもずっとひとりだもん」

 

「……そっか。ひとりは寂しいよね」


「うん。だからジンといっしょがいい」


 ジンはくすぐったくなった。立場や境遇にかかわらず、自分を信頼してくれているということが単純に嬉しかった。 

 

「大変なのはこれからだ」


 いばらの森の空気を胸いっぱい飲み込んで、ジンは己への戒めを声に出していった。


「ムウ、僕は……僕たちは魔族と戦っている。ムウにも手伝ってもらうことになると思う。僕たちが無理に起こしたことで、ムウが辛い目に合うかもしれない」


「つらいめ、って?」


「魔族と生き残りをかけた戦いをしないといけないんだ。見たくないものも見ることになるかも」


「ひとがしんだり?」


「……うん。それでもムウは一緒に来てくれる?」


「いいよ」


「そっか」


「うん」


「じゃあ、行こう」


 ジンはひとつの壁を乗り越えた男の顔でそう言った。


 だが行く手にはまだ、ありとあらゆる障害が待ち構えている。


 世界を救う物語がはじまろうとしていた。

 

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