第5話 希望 05
「おいひい!」
琥珀のたまごに封印されていた少女は、ジンがありあわせの保存食を使ってなんとかでっち上げたリゾットを猛然とかっこみ、花が咲くような笑顔を見せた。
「そう? 良かった」
ジンは本心からそう言った。一糸まとわぬ姿だったのでジンの荷物から引っ張り出した比較的きれいなシャツを着せ、くりくりと癖のある長い髪を整えてやるうちに、ジンはまだ”最後の騎士団”に本格的に加わる前のことを思い出した。円十字教会の孤児院で年下の子どもたちを世話していたジンは、その時に限られた食材で少しでも美味しく食べられるよう様々な工夫をしたものだ。
「おかわり!」
「あー……ごめん、もうないんだ」
ジンが空になった携帯鍋の底を見せた。それなりの量を作ったはずなのだが、本当に腹が空いていたようだ。
「そんなぁ」
「ごめん。でもそれより、えと……名前、まだ聞いてなかったよね。僕はジン。君は?」
「ムウ」
「ムウ? ムウ、か」
不思議な響きだとジンは感じた。
「それで、ムウはいつからここにいるの? ここにはひとり? 親とか兄弟とかはいないの? それになんであんな……たまごに閉じ込められてて。というより、君はいったい何者なんだ?」
「おぉ? うう? むぅ……」
ジンの矢継ぎ早の質問に、ムウは処理能力を超えてしまったようだ。わたわたと混乱している。
「ごめん。じゃあひとつだけ」
「なあに?」
「……ムウ、君は勇者なのか?」
「ゆうしゃ……」
「そう。僕は森の外から勇者を探すために来たんだ。勇者の力を借りて、人間界を人類の手に取り戻す。そのためにどうしても勇者の力が必要なんだ」
ムウは口をぽかんと開けて、それから頭を左右に振った。青く見えるほど透き通った銀髪の房がさらさらと揺れる。
「ゆうしゃ……パパはもう、いないよ」
「パパ? パパってその……ムウのお父さんが勇者だったの!?」
「うん」
「そ、そ、それって……300年前に”いばらの女王”を倒したっていう、あの?」
ジンは上ずった声でムウに詰め寄った。ムウの話が本当なら、自分はいま伝説の真相に片足を踏み入れたことになる。
「……パパとママはこの森で出会って、それから結婚したんだって」
「ママ?」
「うん」
ジンは首を傾げた。母親と出会ったのがこの森――つまりいばらの女王の居城だったというのは引っかかる話だ。魔王の本拠地であり、勇者といばらの女王の最終決戦が行われた場所である。いったいどんな女と出会うというのか? しかも結婚して、子供ができるなどと……。
と、そこまで考えてジンは気づいた。全身にじわっと汗が滲む。
「もしかして、お母さんは……?」
「女王さま」
「い……いばらの女王……?」
「うん」
ジンは座ったまま立ちくらみを起こした。
父は勇者。
母はいばらの女王。
その話を信じるなら、ムウは勇者と魔王の間に生まれた娘ということになる。
勇者と魔王の娘は、勇者なのか?
ジンは混乱した。勇者であるならば最後の騎士団の本拠地アベローネ要塞まで連れて行かなければいけない。だが勇者を探すと言ってもいったい何をもって勇者だと認定すればいいのか。判断を仰ぐべきリデルはすでに息を引き取り、確かめることも出来ない。
では勇者と魔王の娘が魔王であるならば? それはもっとずっと厄介な話になる。目覚めさせたことがさらなる災いを招きかねないからだ。
少なくともムウから邪悪なものは感じない。外見はまだ10代の無邪気な少女に見える――だが300年前の勇者の娘であるという話が本当だとしたら、ムウはいったいいくつなのだろうか? 魔族は種によって極端に寿命が長いものがいる。そう思ってジンは尋ねてみた。
「じゅうよんだよ」
ムウはあっさりそう答え、食べた後にまた眠くなったのか、腕を高く上げて背伸びした。ぶかぶかのシャツの襟元から袖口から、よく育ったいろいろな場所が見えてしまいそうになる。真っ白で柔らかそうで、ジンの目は思わず吸い寄せられた。
「じゅうよんのときに封印されたから、え~っと、いまから……わかんない!」
「わかんない?」
「うん……なんだか頭がはっきりしないの」
話を聞く限り、ムウの記憶はかなり抜け落ちていた。父と母と自分とでこのいばらの森で暮らしていて、ある日突然両親に別れを告げられて、そのまま琥珀のたまごにひとりだけ封じ込められたということは覚えているが、それがいったいどういう目的だったのか、いつごろのことで、眠っている間にどれほどの年月が経ったのか、といった細かいことは思い出せないという。
「封印したということは封印するだけの理由があったんだろうな……」ジンは熱を持ち始めた肩のケガに手のひらを当て、「それじゃあ、お父さんとお母さんがどこに行ったのかもわからない?」
「うん……でも、もうパパもママもどこにも居ないと思う」
「どこにもって……?」
「”もう会えない”って」
「うん?」
「……パパとママは、ムウのこと封印するために力を使いすぎて、それでもう……ああっ!」
ムウはいきなり立ち上がり、ジンに飛びつくように詰め寄った。
「どうしよう……パパとママ、もう会えないって……思い出した」ムウの大きな目は潤み、涙粒が浮かんだ。「思い出したよ……パパとママは、ムウのこと護るために残りの力を全部使って……それで……いなくなっちゃったんだ。ムウはずっと眠っていたけど、だれも来ないし、だれともお話できないし、どうしてもがまんできなくて、いちどだけ
ジンはようやく全体像をつかめてきた。
琥珀のたまごに封印されていたムウが寂しさのあまり両親に呼びかけた念波は勇者固有の波長であり、それをキャッチした最後の騎士団が勇者捜索隊を派遣するに至った。だからたまごの中でムウは泣いていたのだ。
念波を放射したのが300年前の勇者ではないということはほぼ確実と見られる。であるならば、ムウを勇者として最後の騎士団に連れ帰ることが自分に与えられた責務であるはずだ。
「ねえムウ……」
「ジン!」
ムウに声をかけようとしたジンだったが、それより強く、切羽詰まった態度でムウはさらにジンのそばへと密着した。
「もいっこ思い出した!」
「え?」
「ここじゃなくてね、パパとママといっしょに住んでた家があるの!」
う、とジンはわずかに身を引いた。
住んでいた家と言われて、獣人たちの襲撃を受けたコテージのことが瞬時に頭に思い浮かんだからだ。あの親子3人の姿を描いた絵は、ほぼ間違いなくムウがもっと幼い頃に描いたものだろう。だがあの絵は燃え、コテージ自体も燃え落ちてしまったはずだ。
「いっしょにいこ? そこまでいけば、もっとおもいだせるかも」
ムウの切実な眼差しに、ジンは従うしかないと思った。オーロラのように不思議な色をしたムウの瞳には、何か有無を言わせない魔力のようなものがあった。
「あ痛っ」
「どうしたの?」
ムウは足の裏の土汚れを払いつつ、「くつがない……」
服はジンのものを間に合わせで着せているが、確かに裸足のままだった。代わりになるものも見当たらない。ジンはそれなりに器用なのだが、短時間でサンダルを作り出せるほどの技術は持ち合わせてなかった。
「おんぶして?」とムウ。
ジンはうーんと唸ったが、おそらくそれが一番手っ取り早いだろうと決意した。
「あ、でも待って。隊長を……」ジンは姿を整えたリデルの遺体を見て、「あの人を埋葬してからでもいいかな」
「まいそう?」
「うん。地面に穴をほって埋めるんだ。人間界の大地に還ることができるようにね」
ムウは不思議そうな顔をしたが――弔うという感覚がよくわからないらしい――ジンの真摯さに何か感じるところがあったのか、ジンのことを手伝おうとした。
スコップもなしに土を掘り返すのはひと苦労だな、と思ったがそれは意外な形で解決した。
ムウのちからだ。
ムウは森に生えているいばらを自分の意志に従わせることができた。魔術や法術というよりは生まれつき備わった異能のようだった。おそらくはいばらの女王から受け継いだ力なのだろうとジンは思った。
その力で、おとなひとりを埋めるだけの穴ができあがり、ムウは最低限の遺品をのこしてリデルの遺体をゆっくりと穴の底に下ろした。
「よし」ジンは自分自身に区切りをつけるようにあえて元気な声を出し、「行こう。記憶が戻ったら、僕はムウにお願いしないといけないことがある」
「おねがいって?」
「うん……ムウが勇者なのか、他の何かなのかわからないけど、僕たち最後の騎士団に力を貸して欲しいんだ」
「ジンに、力を?」
「僕っていうか、騎士団というか……この人間界そのものにね」
「……よくわかんない」
「それはこれから説明するよ」
ジンがそう言って後ろを振り返ると、そこには全身から怒りのにおいを発散させているひときわ大きな獣人がいた。片腕は肘から下を失い、もう片腕には血糊の貼り付いた投げ槍を手にしていた。
「えっ?」
状況判断に2秒かかった。それが文字通りの致命傷になった。
獣人のリーダーは力任せに槍を投擲し、ジンはほぼ棒立ちのままそれに胸を貫かれた。
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