ワタシハ……ヨワイ


【魔王マリア】


 魔王城を抜け出し、ケンタウロスさんに無理を行って西方のリコの森林まで連れてきてもらった。


半日前……気がついたら、そこはみ慣れない部屋のベッドだった。『決して外へ出ぬように』と書いてある書き置きが置いてあり、恐らく、ガトさんの字であることはなんとなくわかった。しばらくは、ジッとしていた。でも、昨日起きた出来事がどうしても頭から離れずいても立ってもいられなかった。

『偽善的な平和主義』ガトさんの言葉がまだ耳から離れない。

 どんなに環境が変わろうと、ブレずに生きていく自信があった。暴力は決して許されぬもの。お互いがお互い理解し合えればきっと争いはなくなる。それこそが平和であり、人も魔族もエルフも関係なく全ての者がそれを求めていると。

 しかし、ガトさんから、ゴブリンさんたちから放たれた言葉に揺れた自分をどうしても否定できなかった。

 家族を殺された者に対して、「まずは話し合いましょう」……わたしは面と向かってそれが言えるのだろうか? 武器を持って襲ってくる者に対して、「まずは話し合いましょう」……そんな呼びかけに応じて貰えるとでも、思ったのだろうか。

わたしが思っていたことは、所詮は安全な場所から口にするだけのものだったのだろうか。やはり、わたしは、間違っているのだろうか。


「魔王……様?」

その声に振り向くと、先ほどわたしを殴ってきたゴブリンさんがそこに立っていた。

「あの……わたし……」

なにか……言わなきゃ。なにかを。

でも、なにを?

「申し訳ありませんでした!」

若者のゴブリンさんは、いきなり跪いてわたしに謝ってきた。

「ちょ……顔をあげてください」

「魔王様は……悪くないのに、俺はあなたを……憎しみがどうしても抑えきれずに……殴ってしまった」

「そんな……大丈夫ですから顔をあげてください」

「いえ!後から、妻にも叱られました」

若いゴブリンさんはそう言った。

「えっ、でもあなたの奥様は」

すでに亡くなって……いや、殺されているはずなのに。

「……夢に出てきたんです。彼女にこう言われました。『私は魔王様に感謝している。私が愛したあなたを守ってくれただけで。そんな恩人にあなたが無礼を働いたなんて、私は悲しい』そう言われました」

若者のゴブリンさんは懐かし気に、そして哀しそうにそうつぶやいた。

「あなたのことを……凄く愛してらしたのね」

そして……凄く優しい人。

「……でも、俺は彼女を守ってやることができなかったんです。自分の弱さをあなたのせいにして……自分のことを……」

「……そんなにご自分を責めないでください。きっと、奥様もそんなあなたを見ることを望んではいないんじゃないですか?」

そう語る自分の胸がまた疼く。

さも彼女を知ったかのように語るわたしは、やはり偽善者なのだろうか。

ーーでも……

「はい。本当に申し訳ありませんでした」

そんなあなたをみても……

「ゴブリンさん……少し聞いてもらいたいんですがよろしいですか?」

ーーわたしは……

「は、はい。もちろんです」

「わたしは知らなかった。争いで大切な方を失った悲しみがどれほど深く、辛いものかを……いえ、わたしはまだ、知らないんです。わたしは、あなたのように大切な方を失っていないから」

ーー思うんです。

「……」

「だから……わたしは……わたしは、これ以上そんな方々を増やしたくない。そう思ったんです」

ーー間違ってないって。

「……」

「わたしは、あなたがたが大切な者を失ってもあなたがたに言えることは一つしかない。『復讐はなにも生み出さない』。わたしは、あなたたちがどれだけ哀しくてやりきれない想いを抱いたとしても今後あなたたちの想いに答えることはない」

本当は、ゴブリンさんたちに殴られている間、ずっと心の中で思ってた。心を揺らされながらも、肉体を傷つけられながらもずっと心の片隅で思っていたこと。『私は、間違ったことを言っていない』。たとえ大切な者の嘆きを怒号を浴びても、どれだけの哀しみが彼らに押し寄せていたとしても、『わたしは、間違ったことを言ってない』そう思ってた。

他人にはなれない。結局、他人になんかなれはしない。だから、わたしにできることはわたしが信じていることでしかない。『慈愛と友情を育み、平和を謳い、争いを哀しむ心を持つのです。そうすれば、いつか戦いのない世界になる』かつて子どもたちに語ったことをわたしは嘘だと言いたくないの。

エセ平和主義者……偽善者……わたしにお似合いの言葉だ。平和などないと知りつつ、わたしはその言葉を吐くのだろう。善などはない、そこには哀しみがあるだけ。その事実を知ってなお、わたしはそれを吐き続けるのだろう。

「魔王様……俺は……」

その時、

「フハハッ、フハハハハッ!大した偽善者だそうは思わんかゴブリンよ」

目の前に現れたのは……シルヴァさんだった。向けられているのは明らかな敵意。

「……どうしたんですか?」

「わからないか?殺しに来たんだよ魔王様」

そう低い声で笑うジルヴァさん。

その声のトーンで、それが冗談でないとわかった。

「ゴブリンさん……逃げてください」

反射的にそうつぶやいて、彼から距離を取ろうとする。

「安心しろ。目撃者を逃すわけにはいかない。平等に皆殺しにしてやる。偽善的に言うなら平等にな」

シルヴァさんはそう言いながら、こちらに近づいてくる。

その時、閃光がシルヴァさんの前に走った。彼の視線を追うと、そこにはゼルカスさんの姿があった。

「な、なぜここに?」

目の前にいることが信じられなかった。

だって、ゼルカスさん……休暇中じゃ……

「い、いや。別にあなたのことが気になって、あなたのことをずっと見ていたわけではなく……そう、断じてそんなわけはなく」

なんだろう……凄くあたふたしている。

「くっ……はははははっ!すべて宰相ガトにやられたということか」

シルヴァさんはそう言って笑い始めた。

「えっ……と……そ、その通りだ!ガト殿の命令で、マリア様を影から監視していたのだ。影からと言っても……その……アレだぞ。やらしいことは一切してないぞ。寝室なんて覗いてもないし……」

な、なんだろう……なんで言い訳めいて聞こえるのだろうか。

「まぁ、いい。ここで貴様さえ倒せば何も問題はない」

シルヴァさんはそう言って身構えた。

「マリア様、そこのゴブリン。下がっていろ……凶刃ゼルカス、推して参る」

ゼルカスさんは双剣を抜いて目にも止まらぬ速さで相手に向かう。

「くっ……らららららっ!」

間一髪その斬撃を交わしてシルヴァさんは片手でいくつもの呪文を放つ。

ゼルカスさんはその呪文をすべて剣で跳ね飛ばす。

「……一応、聞く。そのままでいいのか?」

そう投げかけられたシルヴァさんは一瞬苦悶の表情を浮かべるが、すぐに笑って「何がだ?俺は魔将シルヴァだ」そう返した。

「わかった。これ以上は聞かん」

そう言って、ゼルカスさんは再び双剣で相手の元へ飛び込む。

戦いなんて……初めて見て、何が何だかわからないけれど……少しだけ、ゼルカスさんが優勢な気がした。

でも、

「頑張れー、ゼルカスさーん」

そうエールを贈ると、明らかに動きが鈍くなるので静かに見守ることにした。


どれくらいの時が経っただろう、その闘いに魅入ってしまっていて時間がよくわからなくなっていた。

「はぁ……はぁ……これで終わらせてもらう」

そう言ってゼルカスさんは双剣を天に掲げて目らしきものを瞑った。

「くっ」、明らかに分が悪いだろうシルヴァさんもまた応戦態勢を取り暫く膠着状態が続いた。

その時、

「ひっ……おとちゃん」

 若者のゴブリンさんの子どもだろうか、茂みから子どものゴブリンが出てきた。

「フチユ! 出てきちゃ駄目だ」

 そう叫ぶ若者のゴブリンさん。シルヴァさんの顔を見ると、その子どもを見てニヤリと笑った。嫌な予感がした。

 気がつけば、足がその子どもに向かって走っていた。

「炎華烈風……フレイムノヴァ!」

 シルヴァさんの声が聞こえ、放たれた巨大な炎が目の前にあった

「ふせて!」

 そう言ってその子どもに覆いかぶさった。

 ……あれ、熱く……ない。

 目を開けると、前にはゼルカスさんが仁王立ちしていた。

「……大丈夫です……か、魔王様」

 そう言って、片膝をつく。背骨はすでに黒焦げで、今にも倒れそうなほど弱っている。

「ははははははっ! 偽善者の王を持つと苦労するな、ゼルカスよ」

 シルヴァさんが笑いながらこちらへ近づいてくる。

 見るからにボロボロのゼルカスさん。

「ごめんなさい、わたしのせいで……」

わたしを守ってくれた方を、わたしのせいで窮地に追いやった。わたしが弱いから。わたしは魔王なのに、全然ダメだから。

「……それが、仕事ですから」

 ゼルカスさんはニコリと笑ってジルヴァさんに向かっていく。

「ぐわっ」

ゼルカスさんがシルヴァさんの呪文を喰らって、こちらに吹き飛ばされた。もはや、動けそうな気配はない。

「……何の真似だ小娘?」

震える足を叩いて、ゼルカスさんの前に立った。

「マリア様、危険です……下がってください」

「……」

ガッ!

すぐにシルヴァさんに胸ぐらを捕まれ、放り投げられた。地面に叩きつけられて、あまりの痛みに悶絶する。

「邪魔だ小娘。貴様はゼルカスを殺した後にゆっくり料理してやる」

「ううっ……わあああああっ」

ジルヴァさんに向って何度も拳を振るう。何度も何度も。

「……ゴミが」

そう言われ、再び吹き飛ばされた。

ワタシハヨワイ……力が……欲しい。力が欲しい。力が欲しい。


その時、心臓の鼓動が急激に早くなった。身体中の血が沸騰するように熱くなり、身体の自由が奪われた。そして、脳内に声が響く……『殺せ』と。


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