そして、僕は今日も屋上へ向かう

あれっくす

そして、僕は今日も屋上へ向かう

 僕はいじめに遭っていた。

 だから自殺しようと思った。

それが、今まで自分をイジメてきた者たちへ唯一出来る意趣返しだったから。


 思い立ったが吉日。

 僕は早速、家のマンションの屋上へと向かった。僕の住んでいるマンションは15階建てのタワーマンションだ。そんなマンションの屋上から転落すれば、よほど運が悪くない限り死ぬことが出来る。


 夜風吹きすさぶ屋上から下を見下ろせば、道行く人がまるで星のようにちいさく見える。彼らが上を見上げることはない。彼らは前を向いて歩いているから。だから、はるか頭上にいるちっぽけな僕になど気づいてもいない。


「ああ。なんて気持ちいいんだろう」


 ぽつりと呟く。今の僕は一人きりだ。誰の目にも映らず、ただ僕という個が存在しているだけ。たとえ神さまがいるんだとしても、今この瞬間はきっと僕のことなど見ていない。それが堪らなく心地よかった。


「さて。じゃあ早速―――」


 そんな風にひとりごとを呟きながら、僕は屋上のフェンスへと足をかける。

 遺書はない。両親は悲しむだろうが、これは仕方のないことなのだ。これから僕が転落死するのは、有体に言えば『運命』という奴なのだろう。防ぎようのない事象。ゆるぎない盟約。確定された未来。なにせ、それ以外に道がないのだ。


 しかしフェンスを乗り越え屋上の淵に立ったところで、僕ははたと気が付く。


「死ぬのって、やっぱり痛いのかな」


 ここにきて、僕の抱く不安はこの一点だった。

 痛いのは嫌だ。痛みはもう散々、耐えられないほどに浴びてきた。せっかくの救いの瞬間まで痛い思いをするというのは、どうにも納得がいかなかった。


 じりじり、前へと摺り足。

どうせ生きていても痛みを味わう。ならば死んだ方が楽なことは分かり切っている。

 しかし何分、『死』なんて初めての経験だ。どんな風に痛いのか、どんな風に苦しいのか。それがまったくの未知。


 僕は、この『未知』というものが何より恐ろしく、何より嫌いだった。

 僕をイジメている奴らもそうだ。一体あいつらは何を考えているんだろう。なにを思って僕をイジメているんだろう。それが分からないから、僕はいつも恐怖していた。


 もともとは普通にクラスメイトだったのだ。友人になりえたのだ。それがなぜああなるのか。なぜああなってしまったのか。それが分からない。分からなかった。


 つまり僕にとって、この『屋上からの自殺』は『いじめ』と等価の意味を持つものだったのだ。


 それを理解したとき、前へ前へと進んでいた僕の足が止まった。

 下をのぞき込みながら、僕はとてつもない恐怖に襲われた。この下にあいつらがいる。あいつらが理解できないニヤニヤ笑いを浮かべながら見上げている。そんな気がしたから。


 気が付けば、僕はフェンスの内側へと逃げてきていた。あいつらのイジメから逃げたように。未知に対して屈服した。


 臆病。情けない。

 下から見上げてくるあいつらが僕を嘲笑う。


 でも僕はなぜ笑われるのか理解できなかった。

 嫌だから逃げる。そんなの当たり前じゃないか。僕から言わせてもらえば、自分から未知に向かって行く奴らが異常なのだ。

 自分が未だ知らぬ物へと手を伸ばす。それはとても怖いことだ。奴らはそれを『勇気』呼ぶが、僕はそれを『狂気』と呼ぶ。


 だから僕は踵を返す。

 嫌な物には背を向ける。


 そして家に帰って布団をかぶると、羊を数えながら自分の意識がなくなるのをひたすらに待った。このまま眠り続けて心臓が止まることを切に願いながら。


 そして。

 翌日の夜。

 その翌日。

 そのまた翌日。


 僕は繰り返し屋上へと昇った。未知は怖いが、救いは欲しい。死は僕にとって救いだ。喉から手が出るほどに欲しいものだ。

 いずれの狂行も失敗に終わったけれど、僕はどうしても希望を諦めきれなかった。なぜなら地獄はいまだ留まることなく、僕を蝕んでいるから。


 そして今日もまた、僕は屋上へと昇る。



***



 ある冬の日。寒い夜だった。

 透き通った空気に映し出される満天の星空。

 僕はフェンスを乗り越えて屋上の淵に腰掛けながら、夜空を見上げていた。


 今、空に輝いているのは恒星だ。自ら命を燃やし光り輝いている星。その輝きが、遠く離れた地球にまで届き、今の僕に光を浴びせている。

 なんて眩しいのだろう。かっこいいのだろう。僕が憧れ、つかめなかった輝きを、恒星は放っている。


 だが僕は恒星にはなれなかった。例えるなら惑星だ。

 この空には、夜の闇に埋もれて数えきれないほどの惑星が存在している。自ら輝くことも出来ずに、ご機嫌を取るように恒星の周りを周りながら闇の中に溶け込んでいる。


 惑星が無くなっても、僕らは気がつかない。見えないから。聞こえないから。僕といっしょだ。


 そんなことを考えていたときだった。

 向かいの病院の屋上に、フェンスを乗り越える人影を見つけた。真っ白な患者着を着た少女だ。彼女は車いすを支えにして、屋上のフェンスから身を乗り出している。

 彼女と目が合う。長い黒髪と相まって、彼女はどこか幽鬼のようだった。


「「そこで何しているんだ(の)!?」」


 声が重なる。

 双方、お互いの叫び声に面くらうが、立ち直るのは僕の方が一瞬早かったようで


「まさか自殺するつもりじゃないだろうな!」

「……ッ!!」


 声を詰まらせる少女。


「馬鹿なことはやめろ! 自殺なんて間違ってる!」

「うるさいわねっ! わたしの勝手でしょう!」


 僕が言えた義理ではないが、目の前で自ら死にゆく少女を許容することは出来ない。目の前の少女を何とか思いとどまらせようと頭を絞る僕に、少女が静かに尋ねてきた。


「……貴方の方こそ、ここで何するつもりだったの?」


 そう聞かれると、答えづらい。


「まあ、予想はつくけどね。貴方も死ににきたんでしょう?」


 早々にばれてしまった。


「やめた方がいいわよ。自殺なんて。元気に生きていれば、必ずいいことはあるんだから」

「君にどうこう言われる筋合いはないな」

「ならわたしだって同じでしょう?」


 僕は彼女としばらく言い合いを続けていた。

 一時間ほどたっただろうか。


 くしゅん。


 控えめなくしゃみが冬空に響き渡った。


「……その恰好じゃ寒いだろう?」

「余計なお世話」


 鼻をすすりながら、少女が答える。

 少女はどう見ても、冬の夜にはふさわしくないほど薄着だ。おそらく夜風にあてられたのだろう。


「もう部屋に戻りなよ。風邪を引いたら良くない」

「構わないわ。どうせ今から死ぬもの」

「死ぬのはいつだって出来る。今日じゃなくてもいいよ」

「そんなの―――」


 くしゅん。


「……」

「わ、分かったわよ。ただ、貴方も今日は帰って。貴方だけ死ぬなんて不公平だわ」


 そういうわけで、僕と彼女は自分の屋上から降り、自分の部屋へと帰った。



***



「貴方はなんで死のうと思ったの?」


 彼女がおずおずと尋ねる。


「いじめだよ」


 僕が答えると、少女は不機嫌そうに眉を寄せた。


「情けないわね」

「うん」

「臆病ね」

「うん」

「いじめで自殺しようなんて、ただの甘えよ」

「うん」


 言われるがままの僕に、彼女は険の籠った眼差しを向ける。


「……なんで言い返さないのよ」

「だってたぶん、君の言っていることは正しいから」


 正直に言えば、彼女の罵り言葉は他で聞き飽きていた。

 人。本。ネット。ニュース。新聞。

 いじめが取り上げられれば、必ずと言っていいほど出る意見だ。

 多くの人が唱えるということは、たぶんきっとそれは正しい意見なのだろう。


「君の言っていることは僕にだって分かってる。いや多分、君以上に分かってる。世界中の誰よりも理解してる。だからこそ、僕は今ここにいるんだ」

「……分からないわ、貴方の言っていること」

「だろうね」


 僕がせせら笑うと、彼女は僕を睨みつける。


「……貴方のそういうところ、わたし嫌いだわ」

「僕は好きだけどな。これは僕が正常である証だ」

「いいえ。異常である証よ」


 そしてお互いが黙り込んだ。しかし程なくして、彼女がぽつりと漏らす。


「でもよかったじゃない。いじめられた側で」

「……え?」

「いじめられた側はどうやったって被害者だもの。ただ自分の不幸を嘆けば、それで済むわ」


 唖然とする僕に、彼女は続ける。


「もしわたしがいじめた側だったとして……数年後にそれに気づいたとしたら。ぞっとするわ。一生逃れられない罪悪感に付き纏われて、きっと潰れてしまう。絶対に正気ではいられないわね。だって、いじめた側はどうやったって加害者だもの」


 彼女はそう言って、ぶるっと身を震わせる。


「『若気の至り』なんて言葉では片付けられないわ。もしそんな言葉で片付けようとする人がいるのなら……その人は狂ってる。もし正気なら、それが歪んだ正当化だって分かるはずだもの」


 僕は雷が落ちたような衝撃を受けた。そんな考え方、したことも無かったからだ。


「君は変な考え方をするね」

「真っ当な考え方よ」

「確かに真っ当だよ。でも、変な考え方だ」


 その日は家に帰ってもなかなか寝付けなかった。少女の言葉が頭の中で繰り返し繰り返しリピートされ、僕は心にもやもやとした未知を感じた。



***



「下半身不随」


 ある夜。

 不意に彼女がぽつりとつぶやいた。


「わたしの自殺の理由。わたしね、下半身が動かなくなっちゃったの」


 予感はしていた。彼女はいつも車いすに座っている。下半身が不自由なのは容易に想像できた。


「事故だった。信号は赤だったのに、わたしが道路に飛び出したの。そのせいで家族に迷惑をかけてる。こんな私が生きていったって、誰も得しないわ。神さまだってわたしが生きるのを望んではいないの」

「ふーん……」


 一拍おいたのち、僕は言った。


「それにしても、いいなぁ君は」

「え……?」

「だって君には、支えてくれる人がいる。下半身不随だから、可愛そうだからって、面倒を見てくれる人がいる。僕にはいなかったよ。いじめられてるから、憐れだからって、僕を支えてくれる人はいなかった」

「でもわたしのせいで―――」

「そんなの分かってるよ。君が自分で事故に遭って、自分で下半身不随になった。自業自得。全部君のせい。そんなの君の周りの人間はみんな知ってる。でも、それでも、その人たちは君を助けてくれるんだろう? 僕だったら助けないよ」


 僕の言葉に、彼女はクスリと笑った。


「……貴方って捻くれてるわね」

「君もね」



***



 その日はいつもより彼女と話した。二時間か、三時間か、それ以上か。もう午前6時。随分と長いこと話し込んでいたものだ。彼女に会うたびに会話の時間が伸びていっている気がする。


「ねぇ。わたし、決めたわ」


 不意に彼女が言う。

 その言葉で僕は彼女に目を向ける。


 そのとき。

 一筋の光が差し込んだ。


 夜が明けたのだ。

 どうやら僕と彼女は相当長い間話し込んでいしまっていたらしい。

 太陽はビル群の隙間から顔を出し、日の光が僕の目を灼(や)いた。


「わたしは生きることにするわ。貴方と話して気付いたの。わたし、本当は死にたくないんだなぁって」


 そう言いながら彼女が笑う。日の光をバックにして笑顔をみせる彼女は、まるで一枚の絵画のようで。僕はしばらくの間、目を奪われた。


「貴方はどうする?」


 彼女が僕に問いかける。

 自分のことがひどく馬鹿馬鹿しいと思った。どうしてこんな気持ちになるのか理解できなかった。

 あれほど恐れていた『未知』が、今は己の中にある。しかし、悪くない。不思議と心地よい感覚に襲われていた。


 未知はまだ恐ろしい。けれど、それ以上のナニカが僕を突き動かす。


「僕も生きるよ」


 絞り出すように、僕は告げる。

 どうやら僕はおかしくなってしまったようだ。狂ったように、心の中に狂気がわいてくる。


「頑張ってみるよ、君みたいに」


 そして、もし叶うのならば。


 君といっしょに―――――死にたいものだ。

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