寿司局《すしもたせ》――解答編

鹿園寺平太

寿司局《すしもたせ》――解答編

「なかなか面白いですね。で、これが何か?」


 『寿司局《すしもたせ》』と題された八百字ほどのショートショートを読み終えた団藤だんどうは、応接テーブル越しに対座する渥美あつみに探るような視線を向ける。

 放課後、法律相談部の部室に到着するなり、団藤は先輩である彼女から、A4紙に印刷されたその短編を読むよう指示されたのだ。


「……面白い? どこらへんが?」


 団藤の反応が意外だったのか、渥美は眼鏡の奥の瞳を怪訝そうに細めてみせる。


「まず、キャラの名前がいい。寿ことぶき司郎しろうは『ス●ロー』、はま素子もとこは『は●寿司』、くら一郎いちろうは『く●寿司』。……全部回転ずしの全国チェーンじゃないですか」

「いや安易すぎるだろう」

「それに『かっぱばし次郎じろう』って『すき●ばし次郎』のパロディでしょ? しかも全国チェーンの最後の一つ『か●ぱ寿司』をしっかり重ねにきてます。この作者、只者じゃないですね」

「……お前、くだらないことになるとよく喋るな」


 思わぬ団藤の雄弁に渥美は眉をひそめるが、彼の勢いは止まらない。


「それより気づきました? 浜素子の素子も、よく見たらスシって読めるんですよ」

「……お前アホだろ。いや、アホは作者か。それとも、アホ同士共鳴し合うものでもあるのか」


 ため息混じりに返す渥美は、しかしこうも付け加えた。「――ただ、それらの線で行くと、蔵一郎の一郎だけはよく分からない」


「それなんです」我が意を得たりとばかりに団藤。「ドグラマグラではないかと思うのです」


「呉一郎か」


 思わず膝を打つ渥美だったが、そこでふと我に返ったように団藤を睨む。「分かりにくい上に、寿司とも関係ない」


「いや、それは僕に言われても。……ただ僕には、作者のほとばしる熱いエトスが伝わってくるようで、なんだか胸がいっぱいで」

「パトスだろ?」

「そうとも言いますけど、それだとJASRA」

「団藤」

「はい?」

「お前、時間稼ぎしてるだろ?」


 渥美が身を乗り出して団藤の顔を覗き込む。その目が嗜虐しぎゃくの光を宿しているのを間近に確認し、彼の表情が強張った。


「……では、ネーミングは置いといて作品の構造ですけど、冒頭の寿司郎のモノローグをよく読むと、実は浜素子と待ち合わせているとは一言も――」


「構造の話もしていらん」手を払う仕草で遮る渥美。「――問題は、蔵一郎だ」


「ですから蔵一郎はアンポンタンポカン――」

「それはさっき聞いた。……あたしがこのくだらない短編小説をお前に読ませて何を問おうとしているか、本当は分かってるだろうが」


 団藤の表情がみるみる鯖色に変わって行く。


「……要するに、僕に蔵の説の穴を指摘せよと」


 先ほどから一転、蚊の鳴くような声で団藤が答えると、渥美も満足そうに頷いた。


「分かってるじゃないか。寿司郎、というよりもアホ作者が無責任に放置した伏線をお前が回収して、作品を成仏させるんだ」

「お言葉ですが、このラストは放置ではなくいわゆるどんでん返しの形式で、しかもそれまで蔵一郎の論を真に受けていた読者に冷や水を浴びせるという――」

「だから構造の話はいらないっつの」


 渥美は愛用の短鞭たんべんをどこからか取り出して、団藤の喉元に突きつける。

 彼はごくりと唾を飲み込むと、伏し目がちに答えた。


「……ぶっちゃけ、僕には蔵一郎の説の何が間違ってるのか、さっぱり」

「だったら最初からそう言えばいいだろうが」


 呆れ顔の渥美は短鞭を引っ込める。「――仕方ない、順を追って確認するよ」


   *


 渥美は、机上に『寿司局』の原稿を置いて、その一文に短鞭の先端を向ける。


「まず第一に、蔵一郎は寿司郎と浜素子との間に契約が成立しているものとして話を進めているが、そもそも寿司をおごる約束というのは何契約だ?」

「……寿司契約では?」

「そんな契約はない」


 渥美の冷たい視線を受けて、団藤は改めて考える素振そぶりをみせる。


「ええと、寿司を奢るというのは、寿司代を相手に渡したり、自分で買った寿司を相手にあげるのと同じようなことだと思うので、民法のテンプレでいうと贈与ぞうよに近いでしょうか?」


【民法549条(贈与)】

『贈与は、当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾をすることによって、その効力を生ずる。』


「なるほど。贈与とは無償で財産を与えることだ。その点、確かに寿は一方的に寿司代を負担する立場にも見える。しかし――」

「しかし?」

「寿は寿司を奢る見返りとして、暗に食事――あわよくばそれ以上の相手を浜に求めている。そして彼女もそれを承知の上で寿と約束をしている、という見方もできる」

「……つまり、浜素子の方にも負担は発生していると?」


 驚く団藤に頷いてみせながら、渥美は続ける。


「さらに言えば、寿司屋というのは寿司を食わせるだけでなく、店の雰囲気やサービスも総合したエンターテインメント空間とも言える。そうなると、もはや寿司を奢る約束が単に財産を与える契約やそれに類するものにとどまるとも思えない」

「……ですが、それだと本件の契約は何契約になるんですか?」


 渥美の主張に圧倒されながら、絞り出すように尋ねる団藤。


「さあな。民法のテンプレにないのなら、寿司契約とでも呼ぶほかないだろう」

「ちょっ」


 狐につままれたような団藤の反応に、渥美はにっと口許を歪ませる。

 それから彼女は、団藤に再び短鞭を向けた。


「では第二の質問。寿司契約によって生じた浜素子の寿司債権を、蔵一郎は彼女から譲り受けたと主張している。これについて何か問題はあるか?」

「蔵の指摘するように、民法466条1項で債権は自由に譲渡じょうとできることになっているので、問題はないと思いますけど……」

「債務者である寿がダメだと言ってもか?」

「債権譲渡をするのに債務者の承諾が必要だ、という規定は民法にはないはずです」

「じゃあ、寿は浜ではなく、蔵に寿司を奢らなくてはならないのか?」

「浜から寿への連絡で譲渡の事実も明らかですし、拒否できないですよね」


 そう言って首を傾げる団藤に、渥美は一度大きくため息を吐いて、答えた。


「はい0点。今からお前の説の穴を指摘する」

「いや、これは僕の説というか……」

「まず、民法466条1項の規定を再確認しろ」


 渥美に言われて、団藤は慌てて机上にあった六法を開く。


【民法466条(債権の譲渡性)】

1項『債権は、譲り渡すことができる。ただし、その性質がこれを許さないときは、この限りでない。』


「……これが、何か?」

「何かじゃねえよ。あたしがさっき本件の契約内容について確認した意味が分からないか?」

「……え?」

「ダラクソが。『ただし、その性質がこれを許さないときは、この限りでない』」


 やや強い語調で条文を引用する渥美。そこで団藤もハッと目を見開いた。


「寿司契約って、譲渡できない性質なんですか!?」

「判例にこういうものがある。――


【大審院判決大正6年9月22日】

『当事者の信用を基礎として成立した契約上の債権は、債権者の人格がその内容に重要な関係を有し、債権者の変更は債権の内容の変更を伴うため、専属的性質を有し、性質上譲渡は許されない』


――これを本件にあてはめるとどうなるか考えてみろ」


 渥美に促され、団藤はこれまでの議論を反芻はんすうする。


「……寿は、相手が浜だから寿司を奢る約束をした。寿司契約には、浜が寿の食事の相手をするという内容も含まれているから、奢る相手が変わってしまったら寿司債権の内容も変わってしまう。だから、性質上譲渡は許されない?」


 彼の導き出した答えを受けて、渥美はようやく納得の表情をみせた。


「そ。だから寿は蔵に寿司を奢る必要はない、というのがあたしの結論」

「……だけどこの話って、寿と浜が最初からグルになって蔵を罠にハメたとも取れるんですよね」


 そう言って再び机上の原稿に目を落とす団藤。


「だとすれば、別の解釈も成り立つかもな」微笑とともに呟いて、渥美はソファーから立ち上がる。「さて、ほかの連中が来るまで紅茶でも飲むか」


「あ、いただきます」

「誰がお前の分も淹れると言った?」

「……すみません」


 部室の奥へと進み、ミネラルウォーターを電気ケトルに注ぎ、戸棚からティーカップを二つ取り出す渥美を目で追いながら、団藤は脳裏によぎった疑問を口に出す。


「ところでこの短編って、なんなんですか?」

「ああ、それはネットの小説投稿サイトで拾った――」


 がらがら。


 渥美が答えようとするのと同時に、部室の戸が開かれた。続いて「おつかれさまでーす」という明るい掛け声とともに、一人の女子生徒が入室してくる。

 団藤のクラスメイトで、同じ法律相談部員の平野ひらのだった。

 

「あ、いたの? だったら、あんたにちょっと見て欲しいものがあるんだけど」 


 彼女は団藤の返事も待たず、彼の横に座って机上の原稿の上に別の原稿を重ねた。


「……なんだよこれ?」

「これね、ネットの寿司小説コンテストに応募してみたんだけど、読んでみてあんたの意見を聞かせてくれない?」

 

 そう言って平野が指さした先――原稿の表紙には、『寿司局《すしもたせ》』と記されている。

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