第2-5話 切り替えの早さは大事

 まだ日の残る夏の夕方、駅の近くの裏道。世間は夏休みで町を行く人は多いがその裏道に居る人は、息も絶え絶えに走るガラの悪い男が一人居るだけだ。


「はぁ、はぁっ!ありえねぇ…ありえねぇ!なんなんだよ、あのバケモノ!なんでヤスとケンがあんな目に逢わなきゃいけないんだよ!?」


 バケモノの暴威から運良く脱け出した彼は、ついさっき起こった惨状を思い起こし叫ぶように一人問うが叫んだ声は、すぐ後ろある線路からの音でかき消された。

 しかし、誰にも届かないはずの声に、誰も居ないはずの彼の頭上から問いに答える声がした。


「そりゃあ、あれだよ。か弱い乙女に手を出そうとしたからだよ?」


 その声を認識したと同時に、彼の首筋にぬるりとした感触が走り、その刹那、彼の体が持ち上がり足が地面から離れる。


「いぎっ?!」 

「はぁい、バケモノでーす。私の純潔を裂けるのは、この世に一人しか居ないの、残念だったねー」


 彼が顔を上にあげるとそこには、建物の壁に張り付く白い少女が居た。少女は無表情を動かさず、男の首にかけた触手を締め上げる。しかし、彼にはまるで、こちらの反応を楽しんでいるかのようにじわりじわりと喉への力を強めているように感じられた。


「…あ、あがっいっ命だけは、たっ、助けっ!」


 酸素不足で薄れゆく意識のなか、友人の死を目の当たりにしている彼は、僅かに残る生にしがみつくことで頭が一杯だった。


「おっ、おねがいじます…ゆるっ、ゆるしで……」


 男は厳つい顔をぐしゃぐしゃにしながら懇願するが…


「うーん、ごめんね?」


死刑宣告は極めて軽い口調で放たれた。


 樹は右手の触手で男の首を締め上げたまま、命乞いのためにマヌケに開いた口に左手を突っ込み、その手から男の体内に直接、『虫の卵』を産み落とす。つい先ほどの虫産みの応用だ。

 後は虫たちが処理をしてくれるので汚いゴミをポイ捨てし、樹はたいした起伏もない建物の壁をひょいひょい上り、屋上までたどり着くとそこに腰掛け、ニヤニヤしながら事の顛末を見守る。


 投げ捨てられた男は久々の酸素を得るためにゲホゲホと咳き込むと、解放されたことに一瞬顔に喜色を浮かべたが、変化はすぐに訪れる。


「あっ、ぐぁ、ぎ、ぎゃあああああ!!」


 男の体内ある虫の卵は、産み落とされたそばからびちびちと跳ね回り、中から大量の虫が生まれる。虫たちは鋭い歯で肉を食い散らかしながら、体の中をところせましと泳ぎ回り、男の体積をみるみるうちに減らしていく。

男が悲鳴をあげようにも喉はすでに食いちぎられているし、体に食いつく虫を引き剥がそうと手で払っても、払う為の手が残っていない。

 そうして男は生きたまま体内から骨も残さず食いつくされ、樹の凶行を知るものは当の本人と彼女の生んだ虫達だけとなった。



「ん?終わった?思ったより食べるの早いんだね、コレなら向こうのも気にしなくて良いかな?」


 樹は建物の屋上から、その場に血痕すら残さない見事な仕事をこなした虫たちに感心しながら、まるで階段を一段飛ばして降りるような気軽さで屋上から飛び降りる。十数メートルからのジャンプだが、腰周りから数本触手を伸ばし、それをクッションにして体にかかる衝撃を抑えているので、ノーダメージだ。


「さて、一仕事終わったし常彦に謝罪の連絡しますか…。あ、虫ちゃんたちお疲れさまー」


 常彦に向けたメッセージを打ち込みながら、虫たちにねぎらいの言葉を送る。それを聞いた虫たちは樹の足元に集まると、巣に戻るのは当然といった具合に、サンダルの隙間から沈み込むように樹の体内に戻ってゆく。


「ん?うわっ!なにそれ?!君たちそーゆーシステムなの?!リサイクルできる奴?!」


 自分に出来ることはわかっていても、それをした結果どうなるかまでは把握していない樹は、ギョッとして小さく悲鳴をあげる。正直異形の身になってからで、一番驚いたかもしれない。


「うわぁ…、こんなのを体に飼ってるとか、きもいなぁ、私」


 改めて自分の身を顧みると、やはりこれは、すでに人間のものではない。自分では体なんてどうでも良いと思っていても、この事実はこれから先の人生において、とてつもなく重い。


「…それでも、つねひこはこんな私でも、今までどおりに受け入れてくれたんだよね…。くふふっ、やっぱり優しいなぁ。」


 幼稚園に入る前から一緒に居た、家族同然の男の子。人付き合いが嫌いで、ひねくれ者な私をいつも引っ張ってくれた。そのおかげで、中学では全く馴染むことができなかったのに、高校ではクラスに馴染むことができた。

 美少女なことを差し引いても厄介な私が、さらに厄介な存在になっても付き合ってくれている…

 これが好きにならずにいられるか!


「…くふっ、くひひ、くひゃひゃひゃひゃっ!」


 などと、足元の虫達も引くような気持ち悪い三段笑いを浮かべていると、メッセージを打とうと手にしていたスマホに電話がかかってきた。樹はそれに気づくとピタリと笑いを止め、外面に映る名前を見てガチガチと震えだす。樹の挙動不審さにはさすがの虫達にも少し動揺が走った。

 電話の相手は『万定常彦』まさに噂をすれば、だ。

 もしかして外に出たことがバレたのかも?いやしかし、今度こそ告白の返事かもしれない、乙女の踏ん張りどころだ。


「もしも〜し…」

『もしもし?おい樹、今お前どこにいるんだよ?』


 開口一番の時点でどうやら前者っぽい


「あ、あらぁ?ま、ままままだ付き合ってもないのに束縛の強い彼氏面ですk…」

『巫山戯んのは後、お前、今外だろ。』

「そっそれは耳が早いね…。なんで私が外に出たって知って…?あっ!もしかして私の部屋を覗いちゃった?おっしいなぁ〜!あとちょっと早かったら私が一人ストリップショーしてたのに!」

『……、猿田から『k県k市にUMA現る?!』って動画が流れてきたんだよ、体から触手を生やした人型の生き物がビルの上を跳んでる動画。こんな謎生物、お前以外心当たりがないんだけど?』

「まじで?」

『まじだ。幸い、映ったのが一瞬な上に、遠くて小さいから謎の生物にしか見えないけどな。』

「私、youtuberデビューしちゃったの?」

『ブフッ!』

「あ、笑った?」

『…とにかく、どーせお前のことだからちょっとくらいなら平気!とかいって、実験がてら外に出たんだろ?!』

「ぎくぅ!」

『嘘だろ図星かよ…。んでさ、誰にも人外だってバレずに一人で帰ってこれそうか?』

「…できる限り人の頃に寄せてたんだけど、髪と左目が人外のままでさ、髪なんか真っ白いから目立っちゃうんだよね…」

『白髪が目立って、左目を見られたらアウト、か…』

「あっ、でも!今いる場所が家から駅前の通りを抜けたところの路地裏の奥で人も来ないからさ、人の居ない夜中になれば、誰にも見つからずに帰れるよ!」

『夜中って…確かにガタンゴトン電車の音が聞こえるな。で。そこって不良みたいな人たちの溜まり場じゃなかったか…?』


 ゴミチンピラの男を追いかけていた時は夢中で気付かなかったが、そういえばその通りだ。


「そういえば、そうだよね…どっ、どうしよう。外に出たら人多いし、夜まで待っていても夜にはもっとやばいのが来ちゃうじゃんっ!こんな美少女がいたら、エロ同人にされちゃう!」

『…急いで人外の部分を隠せるようなもの持って迎え行くから、そこで待ってろ。』


 一丁前に慌てふためいている少女は、つい先ほど、エロ同人をグロ同人に描き換えた張本人なのだが、常彦はそのことを知らない。


『ん、じゃあ、急ぐから切るぞ。』

「うん、ありがとう、常彦ぉ…」 


 ぷつん、と電話が切れ、樹は建物に寄りかかり、ふぅと一息をつける。足元の虫たちは全て電話の間に樹の体の中に帰ったので、この場にいるのは樹ただ一人だ。


「くひひ、本当につねひこってば優しいんだからなぁ…」


 頬を赤く染めた恋する少女血で手を汚したバケモノの独り言は電車の音にかき消された。


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「髪の毛を隠すなら、帽子だろ…目を隠すなら…っと、ダメだ、グラサンとか持ってないわ。行く途中のドラッグストアに眼帯があることを祈ろう。ったく、昨日からあいつに振り回されっぱなしだよ…」


「あーっと、ちょっと出かけてくるー!」

「あら?まだ明るいけど、道に気をつけてねー」 

「うーい。」


 簡単に荷物を整え、一階に降り、リビングでテレビを見ていた母に一声かけると、常彦は急ぎ足でドラッグストアに向かった。



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