マジックリアリズム・エレクトロ・ファンク
@nbqx
第1話 Buendía Instruments Inc.
ヒューストンさん死去 48歳 遺体からコカイン検出
自らが主演した映画「ボディガード」の主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」など数多くのヒット曲を発表し,アメリカ音楽界で最高の栄誉となるグラミー賞を6回受賞した米女性歌手のホイットニー・ヒューストンさんが11日死去した.48歳.
地元警察によると遺体からはコカインが検出されており,入浴中にコカインの影響で心臓発作が起こったために浴槽に沈み溺死した可能性が高いという.[ロイター通信]
***
「そうなんだよ,その場でさ,その場でスマホで調べたんだけど全然出てこねえでやんの」
このアパートの階段は鉄筋だ.ここに住んでしばらく経つと昇り降りするその足音で誰が歩いているのか大体分かるようになった.宅急便の配達員,ここの大家,そしてJの場合は特に.
「一応さ,店員にも聞いてみたの.いつものバイトだったけどさ,なにか分かるかなと思って」
「それで?」
「そしたら電子楽器は専門じゃないし分からないだって.まあそんなんじゃないかなと思ったんだよね,髪メッチャ長いし,金髪だし.このまえなんか "Disco Sucks" ってTシャツまで着てたし」
「別に長髪だからって電子楽器に詳しくないっていうのもおかしいんじゃないの?」
「まあね,どうやら大量にジャンク品扱いで持ちこまれたものの中にあったやつだからどういうものなのかよく分からなかったんだってさ」
「だったらそっちを先に言えよ.どんなTシャツ着てるかも全く関係ない話じゃん」
Jがガサツな足音をたてて部屋に入ってきたのもつかの間,国道沿いにあるリサイクルショップであった出来事を一気まくしたてるように話しだした.
「結局買ったんだけどね.3000円だった」
おもむろに中古CDで膨れた青いビニール袋の中からサッとなにかを取り出した.
「Buendía Instruments Inc.」
そんなラベルが貼られた小さな箱.これは電子楽器だ.
この小さな箱は決してきれいだとはいえない.なにしろ「大量に持ち込まれたジャンク品のひとつ」と聞いている.リサイクルショップ巡りに縁が無いタイプの人間からすればむしろゴミといわれるだろう.実家に置きっぱなしになっていたら真っ先に「捨てろ」と言われる系のものだ.しかしリサイクルショップでのこの種のゴミ,いや楽器と思しき筐体を持つ機械との出会いは本当に不思議な魅力を持っている.それは「音が出る」という内在する能力と「まるでゴミ」のような外的な印象の乖離整合を楽しむという魅力.昔それを音源に対して行うことをあるDJはdig(ディグ)と名付けた.
「で,スマホで何を調べたって?」
「たぶんこれがメーカー名,ナントカ・インクってあるから」
「ブエ… ブエン…ブエンディア?」
「うん.ブエンディア・インストゥルメンツで調べたんだけど全然それっぽいものが出てこなかったんだよね」
「知らねぇー 全然聞いたことない」
インターネットの普及でいろいろな情報が共有される時代.古めかしい機材についても世界のどこかに誰かがいてマニアックな情報を発信してくれている時代.
その場でスマホで調べたという状況をハンデと考えても,それらしい情報が全く出てこないというのはすこし変な気もする.
「今だとさ,オープンソースのハードウェアなんかで自作するみたいなのもあるし,どこかの誰かがそんなかんじで自分で作ったんじゃないの?」
「それは無いよ.だって見てみろよこの筐体.ボロいし80年代後半ってテイスト丸出しじゃん,むしろそこがいいなって思ったから3000円出したの!」
くすんだグレーの筐体の表面にはゴム製と思われる白いパッドが整然と一直線に並び,そのひとつひとつのパッドの上には黒い円形状のツマミとフェーダーがいくつかついていた.パッドの数は1,2,3,…16個.その一瞬でこれが一体なんなのか想像がついた.
「ドラムマシン?」
「おそらくね.シーケンサーもついてるはず」
そう答えながらまるでペットでも扱うかのような手慣れた手つきでその機械を裏返した.
チェーンのリサイクルショップをハシゴしてヴィンテージ機材を破格の値段で手に入れてきて場合によっては分解修理までしてしまうことが趣味だというJのことだ.初めて触れる中古楽器の扱いは,まるで実家の犬のそれにしか見えなかったし,事実ずっとそんな部分に頼もしさを感じていた.
「しかもさアダプターの口がなくて,電池駆動っぽいんだよね」
「単3が5,6本ってとこ?」
「あれ? 電池をいれるフタがない」
「なに言ってんの? そんなわけないじゃん… マジか.ホントに無いや」
「これ電源どこなんだろ? もしかして試作品とかメーカーのモックだったりして」
「いやちょっと待った.電源入った」
「え? だって電池入ってないしアダプターもつないでないじゃん」
側面のスライドスイッチにかけたJの指がすこしだけ動いた瞬間,赤い電源ランプとともに鈍いハムノイズがゆっくりと立ち上がる.
「ブエンディアってスペイン語っぽい」
「なんでお前そんなこと分かるんだよ」
「学生の時,第二外国語でスペイン語とってたんだよね」
「へぇ」
「Bienvenidos, a este lado del mundo」
「ん?」
「え? なに?」
「で?」
「なんとなく語感がスペイン語っぽいなって」
ドラムマシンのハムノイズがゆっくりと減衰していく.意図せずに電源がオンになった不気味さをこのまま掻き消してしまいたいという思いから生まれたような二人の会話には文脈も現実感も存在しなかった.
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