全てを捧げても後悔なんてしないくらい
長いような短いようなよくわからない感覚だった。
いつの間にか、へマムはいて当たり前の存在になり、アウルム様と私と、へマムとネズミたちの共同生活は続いていた。
時間間隔を狂わせる魔法でもあるのかと思ってしまうくらい、へマムは自然でいて、とても不自然なくらい日常に溶け込んでいるのだ。
朝の日課になった浄化の鍛錬を行い、”いつものように”アウルム様とへマムの武術の手合わせを見学する。
アウルム様はいつの間にか私と炎の魔法を使えるようになっていた。
私の魔法は、浄化の炎。
邪な存在を静かな白い炎で焼いて空へ送る炎。
それとは逆に、アウルム様の炎はなんというか、禍々しい赤黒い炎の魔法だった。
まるで恨みや怒りの感情が渦を巻いて触れたものを呑み込んで消してしまうような、そんな感じのする炎だった。
それを使っているときのアウルム様はなんだか苦しそうで、何回見ても胸が締め付けられそうになる。
最初は、小さな炎を出すことで精いっぱいだったアウルム様も、いつのまにか炎で剣を模ったり、ヒトを模したへマムの作り出した的をあっという間に消してしまうほどのことが出来るようになっていた。
私は、それが少し怖かった。
へマムが来る前のあの人は、どんな人だったっけ…とたまに考えそうになってしまう自分に嫌気がさす。
彼は、優しくて、私のことを思ってくれて、私に名前をくれた素晴らしい人。
人間の作法を教えてくれて、私の弱音も聞いてくれた。
あの人は、どこか遠くの国の王子様で、お兄さんがいて…お父様からもらった珊瑚を私に誂えてくれて…。
そこまで考えて、私は、ここにきてからのアウルム様のこと意外はろくに知らないということに気が付いた。
彼が、何が好きで、元々はどういう生活をしていて、どうして自分の家には帰ろうとしないのかも…。
私は、私に優しくしてくれる都合のいい親のような、先生のような彼しか知らなかった。
知ろうとしなかった。
もしかして、私は、彼が死んでしまうことが不安で心配だったのではなく、またこの城に一人になるのが…嫌なだけだった?
そこまで考えて、へマムとアウルム様が目の前で稽古に励んでいるというのに目の前が涙でにじみそうになる。
私は、彼からもらった薔薇の形を模した珊瑚を肉球で触れる。
そのまま、私の視界はゆっくりと、暗くなっていった。
―――
「急に倒れこんだから心配したよ。大丈夫?」
目を開けると、そこには心配そうな顔で私をのぞき込んでいるアウルム様がいた。
なんだか、私の知っている彼が久々に現れた気がして、気が緩んでしまったのかまた視界が涙でゆがみそうになる。
「なんだか、怖くて…あなたが、アウルム様が…知らない人になった気がして」
思わず顔を両手で覆うとアウルム様がそっと抱きしめてくれた。額に彼の息遣いを感じる。
「大丈夫だよ。僕が、君の事は守るから。
それまでは、いなくなったりしない」
「私は…私は…」
言葉が詰まる。私はどうしたいんだろう。
アウルム様と一緒にいたい?それとも国をよみがえらせたい?国はどこにあるの?お兄様はどう思うの?私は…私は…。
「僕のすべてを君に捧げるよ。
だからリンチェ、君は君のしたい選択をするんだ。僕はそれを全力で守る」
優しい声でそういいながらアウルム様の手は私の頭をゆっくりと撫でる。まるで大切な宝物を触るように…。
―僕のすべてを君に捧げるよ
その言葉を頭の中で何度も繰り返す。
まるで結婚の誓いみたい。お母様にお父様との結婚の儀のときの話を聞いたときもこんなこと言ってたって…。
もしかして。
そう思って思わず顔をあげてアウルム様の宝石のように透き通る青い瞳を見つめた。
「もしかして…私の勘違いなら申し訳なのですが…それは…結婚の誓い…ですか?」
「君がそれを望んでくれるなら…僕は喜んでそれを受け入れよう。
愛している。僕の全てを捧げても後悔なんてしないくらいには…」
やわらかく笑うアウルム様は、私と長く過ごしてくれていたいつもの彼だった。
安心した私の意識はまた遠くなる。
「リンチェ…リンチェ…」
私を呼ぶアウルム様の声、足音と共にヘマムの声も聞こえてくる。
なんだろう。とても心地よい。大丈夫。これはたぶん、そんなに怖くないもの。
心配しないで…そう言いたいのに口が動かないまま私の意識はよどみの中へと沈んでいった。
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