雪猫断片集
@whispering
動物園、もしくは蟲のような
簡単に表現するなら、一人動物園だって。
後ろ髪の毛先だけは白いけれど、橙色の柔らかそうな髪を二つお下げにして、くりくりとしたまあるい萌黄色の右目と藤色の左目と、色合いはとっても賑やか。どことなく幼さの残る顔立ちは楽しいことしか知らないようで、いっつもはにかんでる。
最近はゆったりとした服を好んで着ているし、見た目だけならふわふわの兎。嬉しそうに笑った時に見える八重歯だけは、彼女の名前通り猫らしいかもしれないけどね。
見た目は兎のよう。なら性格はって? 犬みたいだってよく言われてるみたい。
素直に喜んで、素直にへこんで、いつだって僕たちを振り回してる。素直、っていうのも厄介で、彼女の言動には基本的に、嘘が無い。
口癖なのか知らないけど、「まあ、いっか」なんて言って別のことに目を向ける気まぐれさは猫のよう、なんて。
見た目は兎、性格は犬、名前は猫。だから一人動物園。
それが、他人から見た上下猫、ネコさんっていう人間を言い表すのに最適な言葉なんだろう。
「ねえねえユキちゃん、水族館行きたーい!」
「なんで僕に言うのそれ」
いつも通りソファでごろごろしながら本を読んでたら、向かいのソファに座るネコさんに投げつけられた言葉。
でも、突然投げつけたと思えば数秒で忘れる、それはもうとても素敵な脳みそをしているから、まともに取り合うだけ無駄。話は聞かないことにする。
「だって、海鮮いっぱい使った鍋食べたくない? 最近寒いしさ」
「…………」
「あ、寒いと言えば、最近手袋無くしちゃってね。ポケットに手を入れてても寒いものは寒いし、新しいの欲しいんだよね。でも家探せばあるような気がして。まあでも、大人しく新しいの買うべきかな?」
「…………」
「……あ、ユキちゃんの頭にゴキブリが」
「…………」
「っもう! ユキちゃん、ゆーきーちゃーんー! 起きてー!」
わざわざソファから立ち上がって、ご丁寧に僕の元まで来て、耳元で叫ばれた。とてもうるさいから、持ってた本の背表紙の角で殴る。がつんと良い音がした。ハードカバーでよかった。
「っ〜! いったいなあもう!」
「うるさいし起きてるよ」
そもそも、ここはネコさんの家じゃなくて僕の仕事場、もとい探偵事務所だ。名義は彼女のものだとしても。名前だけ借りてはいるけど、部外者当然なんだ。用の無いネコさんがここへ訪れる必要は無いんだ。
「邪魔なんだよね。帰れば」
「帰っても暇なんだもん。課題はつまんないし」
「僕に関係無いよ。第一、今日は僕以外誰も居ないし、何も無いし出さないけど」
「ユキちゃんが居れば天才様は満足だよ?」
「うっぜえ」
「わあ、照れ隠しかよ、可愛いね。でも男のツンデレは見苦しいって」
「デレがどこにあるのさ」
というか可愛いってなんだ。可愛いのは自覚してるけど、ネコさんなんかに言われるとぞくっとする。あまりにも酷いものだから、腕をさすっていると、頬に橙色の糸たちが垂れ下がる。僕の頭の上、膝掛けからネコさんは僕を見下ろしてた。
「……何」
ネコさんから香ってくるのはバニラの匂い。しかも胸焼けしそうな、どろっとした、甘ったるいやつ。甘いものは、嫌いではないけど。というか顔近いし。くすぐったいし。鬱陶しい。
「んー、ユキちゃん可愛いなあって?」
「上から目線なの。うざっ」
手荒れしていない、女の子らしい細い指が僕の頬を撫でる。鬱陶しくて思い切り振り払ったって、ネコさんは楽しそうに笑って僕の頬をつまんでる。不服。
「相変わらずもちもちしてるね。子供みたい」
「喧嘩売ってるなら買うけど」
「え、褒めてるだけだよ」
自分のそーいう可愛いところはわかってるつもりだけど。よく自分でも言うけど。でもネコさんに触られるのは話が別ってものだ。
もう一度振り払ってみるけど、そうすれば両手で頬を包み込んて、うりうりと楽しそうに揉み始めた。ので、頭を上げて、ネコさんの顎に思い切り頭突きをかます。よし、離れた。
「あごはずる……いったあ……」
舌でも噛んだのか、床で転がりながら、呂律の怪しい口調で言う。鼻で笑って「ざまぁみろ」。そう吐き捨てて本に戻る。舌なんか噛み切れてしまえばいいのに。
やり過ぎ、とは思わなかった。だって、前から気になってた作者の新刊を楽しもうとしていたのに、ネコさんが来たせいで邪魔されているんだから。
「うぅ〜……もしかしてユキちゃん、天才様のこと嫌いだな!?」
「今更かよ」
「うわあああ、いじわるー!」
どんな脳みそしてんだ。
それでもめげずに僕に構ってもらおうとする様子に、執念じみたものを覚える。普段の気まぐれを起こして、僕に飽きて、他のところにでも行ってくれればいいのに、って思ったところで、ネコさんは僕のお腹に上半身を乗せるという奇行に走った。圧迫感に顔を顰めてもお構い無しで、そのままだらりと寛ぎ始める。
本でもう一度殴ってやろうか考えたけど、どうせしたところで退かないし、学習しないだろうから、無視。なんで僕が学習しないといけないんだ。
「かまえよ〜……」
「…………」
「ひま〜……」
ゆさゆさと揺すってくるかと思えば、お腹にぺったりと頬をくっつけて、頬擦りするネコさん。お腹だけが布と妙に擦れて、不快。思わず退けようとネコさんの頭を手で押せば、何を勘違いしたのか、嬉しそうに笑って、手に擦り寄ってきた。
いや、そうじゃない。頭を撫でてるわけじゃないんだけど。
「えっへへー……」
気の抜けた、だらしない顔で手に擦り寄るネコさんは幸せそう。それにつられて僕も、肩の力が抜けてしまうような、不思議な感覚を覚えた。
ふわっと欠伸を漏らすネコさんを見て、我に返る。なんだかんだ言いつつ、僕ってば結構、ネコさんに甘いな。
「……ネコさん、邪魔。ていうか眠たいなら帰れば」
「道路で寝そー……」
「ならソファで寝て……ああもう僕の居るソファじゃない! 乗るな! 重い!」
ずるりと這いつくばりながら僕の上で転がろうとするネコさんを、床に転がそうとして気付く。僕の服をがっちりと握りこんでいることに。このままネコさんを床に転がせば、僕も仲良く床に落ちるんだろう。
溜息を吐いて、脚でネコさんを蹴る。蹴ると言っても、太ももをぶつけるようなものだけど。
気が付けばネコさんはとっくに夢の世界へ。すやすや寝息を立てて、安眠を貪り始めたネコさんの図太さには呆れしか出てこない。あ、いや、キレそうなのもあるか。
「……本当に、さいってー」
負け惜しみみたいに、喉から絞り出す僕の声は、嬉しそうに聞こえる。実際、ちょっぴりだけど、嬉しいなんて思ってる自分がいるのも、事実。
持っている本を閉じる。気になってた作者の新刊、とは言ったけど、ネコさんが来てからというもの、内容はさっぱり頭に入ってない。
なんだかんだ言ってるけど、僕自身、だいぶネコさんに毒されてる。僕だって素直な方だし、好意的に接されれば嬉しく思うよ。初対面、というか、ネコさんに抱いてた感情が死ぬほど最悪だったせいで、こんな口をきいてしまうけど。
テーブルに本を置いて、すやすや寝てる抱き枕を羽交い締めにして目を閉じる。ネコさんが苦しそうに呻いた気がするけど、自業自得。仕方ない、仕方ない。
一人動物園とか言われてるけど、僕にしてみれば、ネコさんは犬とか、兎とか、猫とかじゃなくて、蚕みたいだ。
人の助けが無ければ生きられないから、誰かに手を伸ばされようと、愛されようと、してるみたい。無防備なのもきっとわざとなんだろうな。人を振り回すような無邪気さは、時として放っておけない危なっかしさでもある。
人に必要とされる為に生きて、でも、別に、ネコさん自体に生きる理由なんて特に無くて。人に消費されるために生きてるネコさんは、蚕みたい。
ああ、でも、他にも言いたいことはあるんだ。容赦なく噛んでくるときもあったり、睡眠時間が極端に短かったり、そういうところは動物みたいだって。
だけどね、だけど、抱きしめてる熱が優しくて、柔らかくて、すっごく眠くなったから、おやすみなさい、また今度。
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