面妖異形譚
帆場蔵人
第1話 黒い影
ある少女がいた。
少女はいつも黒い影がこちらを見ていると怯えていた。家族や医者は彼女はいもしない物に怯えているのだとその心を心配した。少女は養子であったので両親は自分たちが悪いのか、と寂しそうにする。
今の家に来る前から少女を心配してくれる実父の親友も時折、様子を見に来てくれる優しいおじさんだった。でもおじさんも怖いものはいないよ、それとも何か怖いものをみたのかい?とよく尋ねてきて少女のみているものを信じる様子はなかった。誰も信じてくれないことに、少女は哀しくなった。新しい両親は好きだ。優しくていい匂いがする。医者は優しげに話しを聞いてくれるが、本当に黒い影がいるとは信じていないことを少女は気づいていた。少女は皆んなを心配させたくなくて、なるべく笑うことにした。黒い影は屋根の上や植木の下、家具と家具の隙間、いつも何処かにいた。何もしないけれど、ただそこにいるのが不気味でしかたなかった。少女は出来るだけ誰かと一緒に過ごすようにした。それでも一人にならないことはなかったのだが。
ある日、母親とデパートに行った帰り道のこと。人混みの中で少女は母親と逸れてしまった。歩行者の足の間や、街路樹の上、或いは待ち合わせをする人の肩に黒い影が見えた。少女は怖くて怖くて堪らなくなり、目を塞いでしゃがみこんでしまった。
「お嬢ちゃん、どうしたのかな?」
ふいに聞こえた女のような声に少女は恐る恐る顔を上げた。口先を横に突き出して剽軽な顔をしたお面(少女は知らないがひょっとこの面)を被った人が路上に沢山の面を置いて座っていた。路上販売をしているようである。少女が辺りを見回すとお面を被った路上販売人の近くに置かれた看板の裏に黒い影がいた。路上販売人はお面を頭の上にずらして、少女の視線を追った。綺麗な顔立ちだけれど男なのか女なのか、少女にはわからなかった。
「ふむ……おやおや。君が怯えているのは此奴かい?」
少女は耳を疑った。
「あの……お兄さん?あなたにはあれが見えるの?」
「お姉さんでもお兄さんでも思うように呼んだらいいよ〜。僕は面売り。そうだね、君が言うのがあの黒い影だと言うならYesだね〜」
「本当に見えるんだ……」
少女は不思議と抵抗無く面売りに、これまでのことを話した。その間も面売りは黒い影が移動すると、その場所を言うので少女はますます信頼を深めた。
「なるほど。じゃあ、君にとっておきの面をあげよう」
「お面?」
面売りは傍に置いていた鞄から大きな面を取り出した。赤くて大きな面だ。大きな目には金の縁取り、大きく裂けた口には牙が剥き出しだ。顔の至るところに不思議な紋様が描かれていた。
「強そうな面構えだろう?外国の面でね。悪いものを追い払う神様みたいなもんだ」
少女は少し怖いくらいだと思った。
「それをどうするの?」
「こいつをね。あの黒い影に被せるのさ」
面売りは少女に目配せして笑う。そんなことをして大丈夫?と少女が尋ねても面売りは静かに笑うだけだ。尻込みする少女の手をとり面売りは一緒に面を黒い影に被せた。
「さ、これでいい。後はそうだね。名前をつけてやればいいよ〜」
「じゃあ……まりも」
「まりも?」
「パパが飼ってたんだ」
面売りは優しく笑った。
「いいかい?まりもは君を守ってくれるからね。君の味方だよ」
「本当に?……あの知らない人からものを貰っちゃいけないって言われてるの」
「なるほどー、君はいい子だね。その通りだ。じゃあお代替わりに君の顔に触ってもいいかな?」
面売りの言葉に少女は意味が解らず、首を傾げたがすぐに小さく頷いた。にこにこ、と面売りの美しい顔が笑っている。面売りの細くしなやかな指が、少女の額からゆっくりと下に降りて輪郭をなぞる。見知らぬ人からの行為だというのに、不思議と少女は警戒や不安を抱かなかった。
そのとき人混みを抜けて母親の声が聞こえた。
「ありがとう。さ、もう行きなさい」
少女は何度も面売りに手を振って帰って行った。
「単なる不安かと思ったが、恐怖を押し込めていたんだね~」
面売りはまた静かに路上で面を売り始めた。
それから少女の生活は段々と変わった。黒い影には顔がつき名前がついた。名前を呼ぶと赤い面が揺れて、返事をする。たまに少女はまりもの顔を撫でるようになった。そういえば最近、実の父親の友達が来なくなった。お仕事が忙しいのだろうと、少女は一抹の寂しさを抱いたがそれはすぐに薄れていった。まりもの姿は日常となっていく。少女が大きくなるに連れて黒い影は薄れて、やがて大人になる頃に黒い影は消えてまりもの面だけが残った。
◇◆◇◆◇◆◇
少女と面売りが別れてから数日後、ある中年男性が行方不明になった。面売りが路上で売る面がその日から一つ増えた。
「面売りさん、そいつは新しい面だね?」
「あぁ、こいつは親友の夫婦を殺した悪いやつの
面売りは薄く笑って言った。
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