1-3 秘密 Esinap


 真っ暗な空間で、子どもの泣き叫ぶ音だけが響いている。

 わたしの声だろうか。いや、男の子の声だ。

 風も吹かない闇の中で、ただ身を貫くような寒さが襲ってきている。

 その中で小さな右手が闇を弄っている。左手は何かが固く握られている。


 ああ、そんな声で泣かないで。

 わたしまで悲しくなってしまう。


『サタクルさん! サタクルさ... 』

『なんて血だ...... 凍りつくほど流れてる』

『まずこの鐘っこを降ろすぞ! この子、よう泣いてるべ』


 グラリと空間が揺れる。子どもは寺の釣鐘に閉じ込められているようである。


『凍ってる、この人の手から離れねえぞ』

『早くしろ、こっちの手が凍りそうだ』

『せ、え、の、ヨッコラセ!』


 ゆっくりと地に降ろされた感覚がする。

 松明の灯りが闇に差し込み、わたしを目に宿した子どもは冬の夜空の下に助け出された。


『村泉さんヨォ...... 生きてるよなコレ』

『バカ言え、あんだけ銃弾を浴びたんだ、もうこの世のものじゃねえよ』

『死んでもまだ釣鐘に入ったチビっこ担いで立ってたなんて。なんて親父や...』


 寒空に四人の男の声と、子どもの泣き声が虚しく響く。

 灰色の髪をした男は、血に固まった琥珀のように、無機質になった目を見開いて絶命していた。

 その子どもは、左手にしっかりと黒いバンダナを握って離さなかった。


 泣かないで。ねえ。

 泣か......





 保安灯の明かりに照らされた部屋が、目の前に現れた。

 ベッドのシーツは汗と涙でぐっしょりと濡れている。


 夢......だったのか。それもまた、他人の記憶を。


『君も、死の匂いを嗅げるようになってきたのかな』


 なんでわたしにこれを見せた。なんでこんなことを教えたの。



 ベッドの上で、煤を被ったような灰色のウサギが跳ね回る。

 その尻尾がセッター犬のように長大なのが変なところである。

 そのウサギが語りかけている。今の夢も、彼が読み取った記憶なのだ。


『おや?僕は君が彼のことを案じているんだなと思って、その秘密を見せたのだけど』


 左手に握り締められたバンダナ。今は右手首に結ばれ、上に腕時計まで締めて肌身離さずにいる。

 それはおそらく、立ち往生したあの男のしていたもの。そして......


『そうなのだろうね。あのバンダナに染み付いた死の匂いは、彼の匂いとよく似ている』


 あの男はミラルの父。そしてあの子どもはミラルなのだ。


 気がつくと、トゥイエカムイサラナと名乗るウサギは青年のような姿に変わり、ホットミルクを持ち出してきた。デスクの蛍光ライトを点けると、そっとマグカップを差し出して回転椅子に足を組んで座る。



、ミラルが世界を歪んで見ているのはその過去に原因があるのだろうか。もし経験が人の視る世界を決定するなら、だけど」


 トゥイエカムイサラナ、と呼ぶのは長ったらしくて好まない。

 人間として、神尾かみおキリトと呼んでほしい。以前このウサギはそう希望した。


『面白い質問だね。その理屈ならば、もし酒で親を失ったなら、その子どもは酒を憎まなけりゃならない』


「いや、これとそれとは違う気がするんだけど」


 それはわたしの話である。

 父は失業した後、酒浸りとなり癌で亡くなった。

 でも16歳になってしてから、酒は友達と夜に話し付き合う時ぐらいではあるけど呑んでいる。


『そもそも何故彼の父親は殺されなければならなかったのだろうか。その場で射殺されるべき重罪人だったのか? それとも私闘だったのかもしれない。

 どちらにしろ親父なんらかの理由があって殺されたならば世界を恨むのはお門違いだ』


「もしそういうやつだったなら、これ以上法螺ホラに付き合う理由はないのかもしれない...」


『そうでなかったら、付き合う気なのかい?』

「まさか」

 寝汗の残りなのか、額から顎にかけて一筋流れた。


 心を見透かされているせいか、キリトと正対して話すのは自分の本性を映す鏡に向き合ってる気分である。


 その人間としての姿も、身長と髪型を除けばほとんどわたしとよく似ている。

 褐色ヴァンダイクの短髪に、灰色グレーの瞳、丸い輪郭に小さく低い鼻面。

 切れ長で平らかな口の、わたしから見て左端(わたしは右端)にはホクロ、優しくアーチを描いた眉。

 わたしから見て左の耳には、自分と同じカワセミの羽のピアスが下がっている。

 身長はいつもより優位に立つためにわたしより高くなり、わたしの長髪に対し髪型はボブカット。髪の癖が強そうなのはそっくりである。


 要するにわたしのまんま男版な姿をするという、かなり悪趣味なウサギである。

 彼曰く、憑依する人間と同じ姿の方が動きやすいということらしい。やめてよ。


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