死にたがりの

「――そしてシンデレラは、王子様と末永く幸せに暮らしましたとさ」


 懐かしい声を夢見る。

 焦がれて、届かぬとあきらめたその日から閉じ込めた記憶が、いつからかあたりまえのように想起できる。

 だからこれが私の夢なのは明晰だった。

 寝室で、まだ幼い私が母に童話をねだったようだ。

 くしくもそれはシンデレラ。もしくは、シンデレラだからこそ今さらに思い出したのか。

 シンデレラにもいろいろと種類はあるようだけど、両親が買ってきてくれたのは、みんなが幸せになって終わるお話だった。私もそれを好んだ。


「ねえ」


 何度となく聴いたお話だったけど、この日の私は何かが気になったようだった。


「魔法使いのおばあさんはどうなったの?」


 そのお話では、灰被りの少女も王子様もいじわるな姉や母も幸せになったけれど、シンデレラの魔法をかけてくれたおばあさんはそれ以来ぴたっと出てこなくなる。

 おばあさんの魔法がなければ、灰被りは舞踏会へは行けなかったのに――と、子供ながらのもやもやを吐き出した。

 そもそもおばあさんはなんで灰被りに魔法をかけてくれたのか。

 母はちょっと間を置いた。困っているとかではなかった。表情は見えなかったけれど、笑っていたように思う。

 そして言うのだ。


「おばあさんはシンデレラが幸せになったのを見たあと、また別の子に魔法をかけに行ったのよ」

「どうして?」

「魔法はとくべつなものなの。だけど、お母さんにも、――にもつかえるのよ」


 一瞬、ノイズのように聞き取りづらい部分があった。


「だから魔法使いのおばあさんは少女をシンデレラにしたの。だって魔法は――」



     ◇ ◇ ◇ ◇



「……ぁ」


 夢を見ていた。とても懐かしい夢を。

 それは確かにあった出来事だ。ぼんやりとしか思い出せないけれど、確かに。

 いつの間にか眠っていたようだった。昨日あれだけ寝たというのに現金な脳みそだ。

 眠り姫ではない私はむくりと起き上がって伸びをひとつ。平面だった意識が立体を取り戻す。

 初冬の匂いがした。生きものの寝静まる、冷たい匂いが。

 そよぐカーテンから漏れる光は白色。せめて視覚だけでも温まろうという祈りは淡くほどけた。


「さむ……」


 秋の終わりには天気の気まぐれも収まって、知っての通りの寒さを運んできている。窓の開けっぱなしは骨身にしみた。

 冷え切って感覚の鈍い足をベッドの脇にさまよわせて、ガラスの靴に受け入れられる。

 差し込んだ指先から熱は伝わってこない。


「なんで私だったの……?」


 だから、そんな問いかけに答える声はなかった。

 カツカツと足音を響かせる。そのたびにドアの向こうからむせび泣く声が聞こえた。無視する。

 窓を閉めるほんの少しの間にチラッと外を窺った。昨夜よりひとは増えていた。

 そこに性や年齢、人種の差はなかった。

 だれもがシンデレラを求め、祈っていた。


「これじゃ本当に出られそうにないや」


 諦観とともに窓を閉めきろうとして、


「ストップ」

「え……?」


 外から聞き覚えのある声がした。

 呆気に取られている間にこちらに伸びるスニーカー。それが窓を横滑りさせる。

 短く息を切る音と一緒にひとが転がり込んできた。

 体が柔らかいのだろう。猫のように関節を柔らかく使って着地の際の音を最小限にしながら、推進力を殺さずにそのままベッドの下へ消えた。

 体育のマッド運動の成績はよさそうだ。なんて場違いな印象を得た。

 それでもさすがに音がまったくしなかったわけでもない。もしくは病的なまでに耳を寄せていたのだろう。


「失礼します」


 ノックを三回。許可する前にドアの向こうで監視を務めているひとりが部屋の様子を確認しに来た。

 一見して不審な点はない。いぶかしげな瞳は、埃すら見落とさないとばかりの熱量に満ちていた。


「大きな音がしたように聞こえましたが……何かありましたでしょうか?」

「なんでもない。下がって」

「左様ですか」


 それでも未練がましく視線を走らせる監視員。私はガラスの靴を踏み鳴らしてもう一度言う。


「下がって」

「っ……承知しました」


 熱を帯びていた瞳が一転、恐慌に揺れる。おびえたような表情で引き下がった。

 その変りようは普通の感情の振れ幅の許容を超えている気がした。パニックになって自傷行為でも侵さなければいいが。……死にたくないから集まっているのだから無用な心配か。

 それにしても、今の様子からこの部屋に盗聴器や監視カメラの類がないのが判明した。それくらいは簡単に用意できるだろうに。

 妄信的な信仰心によるものか。それともそういう呪いがかかっているのか。

 後者であると考える。

 今度こそ窓を閉めきった。視界の端にロープが揺れた。これも見つからないのだろう。

 嘆息して、ベッドの下へ話しかける。


「……行ったよ」

「案外ばれないのな」


 普通なら見つかっている。ほかに隠れる場所がないとはいえ、だからこそそこを探せば済む話なのだから。

 ベッドの下から這い出るのは、妖怪魑魅魍魎ではなく人間だ。

 昨日に王子様の役割を得ただれかが、惨めな姿をさらしていた。

 立ち上がって、埃ひとつない姿で片手をあげる。


「や、おはよう」

「……何しに来たの? 約束した日は明日のはずだけど」

「ニュースを見たら、聖女様だなんだと祭り上げられていたから。いきなり大事になっているもんだと様子を見に来た」


 いまだに報道が機能していることに若干の驚きを得る。こんな状況だから、か。そも真っ当には機能していないはずだ。それも祈りの一種だ。

 それよりも驚きなのは、それを見たからと言って行動を起こし、本当にたどり着いて見せた行動力だ。

 理解に苦しむ。

 いや、それは彼も同じか。


「いきなりも何も……まあ、聞こえないならそうよね」


 生きることを手放さない感性だと、世界が一瞬で色を変えたように見えただろう。

 蔓延する死の恐怖に感染しないほうが、通常のひとの価値観から大きく外れているだろうけど。

 死にたがりのシンデレラと生きたがりの王子様。

 身分違いにもほどがある。


「何が変わったわけじゃないわ。終わる世界を私は救う。それが生きたいという願いを諦め、救ってほしいと祈っただれかに応える結果になっただけ」

「カルト宗教じみた言い分だけど……まあそうなのか」


 納得したようにうなずき、彼は上着のポケットをまさぐる。

 そこから出てきたのは、屋上で手にしたあめ玉だった。


「あげるよ。病院だから見舞い、じゃないけど……持っていても仕方ないものだと思うから」

「甘いのはそんなに好きじゃないんだけど……」


 しぶしぶ受け取る。

 包装をほどいて、太陽を煮詰めたような色のあめ玉を口に放り込む。


「……っ!?」


 全身の産毛が逆立つのを感じた。

 血が沸騰しそうだった。臓腑のひっくり返る感覚にあめ玉を吐き捨てる。

 フローリングの床にふれたあめ玉はガラス細工みたく砕け散った。欠片は星のようだった。

 信じられない。

 こんなあまいものが彼のあたりまえだなんて。


「あーあ」


 落胆した声音があめ玉の砕けるのを見送っていた。

 失意の色はない。予想していた結果ではあったのだろう。


「理解、してみようと思ったんだ」

「え?」

「生きることに絶望するってことを」

「なんで……そんな……」


 言っていることが理解できなかった。

 だから、それは無意識に口をついた。


「なんでそんな、無駄なことを、、、、、、


 焦って口元を押さえるも、遅い。

 困ったような笑みが目に映る。


「たしかにわからなかったよ。死ぬことが怖いのは一緒だ。けど、それは生きたくないと思うこととは違う」


 わかっている。満たされないことへの恐怖も、すべてが無為に帰すという結末を前にした虚無も。

 それでも前に進み、刹那で燃え尽きるのがこの命だ。

 なのに、世界が終ろうとしてなおそれを喜ぶひとがいる。

 死にたがりのシンデレラ。


「痛みや苦しみから逃げたいのは、生きたいからだ。その結果として死を選ぶのは、それしか救われる方法がないと思ったからだ。死にたくて死ぬわけじゃない。なのにおまえは――まるで死にたくて死にたがっている」

「――ッ!?」


 視界が暗く閉ざされるように感じられた。

 暴かれてはいけないことが開示された。

 許されない思考。冒涜が白日に晒される。

 かばって死んだ父や母の行為はどうなる。窮地の中、追い打ちをかけるようポッと湧いた遺子を生かすために身をやつした義母の苦しみはどうなる。傷心の最中さなか、それを癒やす間もなく不安定な性格と育ってしまった義姉の一生はどうなる。

 だから、生きたいと思わなければいけない。世界を救いたいと思わなければいけない。

 なのに、


「シンデレラ。おまえは、なんで世界を救いたいんだ?」


 王子様はそう問いかける。シンデレラの瞳をまっすぐに見て、その根本にあるものへ韜晦を許さぬように。

 がらがらと音を立てて理性は崩れ落ちる。はやる鼓動が血を昂らせ、頭に上った血が意識にベールをかける。

 言ってはいけないこと、救世の聖女としての幻想を打ち壊す現実が口をつく。


「……救い、たくなんてない。こんな世界、終わっちゃえばいい!!」


 だって、と喘ぐように続ける。


「優しかったお母さんやお父さんはもういない! 私に価値はないんだ!」


 友愛、愛情、慈愛。

 父母が死んでから、それらは失われた。

 義母の言葉が呪いとなった。そうでないと思っても、ひとの目が変わったように感じられた。実際にそうだった時もある。

 だから、芽生えかけたものも摘み取るような態度に徹した。

 存在を、生きていることを確かに肯定してくれるひとはこの世界にはもういない。

 ひとりぼっちなら、生きていたって意味はない。


「……っ!」


 短い言葉だったのに息が大きく荒れた。積年の思い、シンデレラに成ってからの矛盾を吐き出したのだから当然か。

 薄靄のかかった意識のなかでも、取り返しのつかないことをしてしまったと自覚する。

 これでは役として不足している。望まぬ結果を導くとしても、私は生きることをあきらめてはいけないのだから。

 ガラスの靴が逆立つ――ことはなかった。さらに、


「だけど、シンデレラになった」

「……必要ない私を、必要としてくれたから」

「けど、その役割を、世界は救うことは果たしたくない、と」


 突き刺すような言葉。

 虚飾はもうない。頼りないレース一枚で隠れていただけの感情だ。

 はがれてしまえばもう、隠しようがない

 彼は大きく息を吐き出した。きっと、落胆したのだろう。


「それでいいじゃん」


 そう思っていたのに、王子様が肯定する。


「言ってやればいいんだよ。お前らの祈りはくそくらえ、、、、、だって」

「……なん、で……?」

「ん?」

「なんで!? だってわがままだよ! みんな死んじゃえばいいとだって思ってるんだよっ!」

「そう思うならそうでいいじゃん。それが間違ってるなんてない……と思う」

「間違ってなくても、私は邪魔なだけのいらない存在で……だから」

「いらないって言われたなら、別にだれかの期待に応える必要なんてないんじゃねえの?」


 詭弁のようなことを言う。それでは子供の癇癪、わがままだ。


「だから、救うも救わないもおまえ次第だよ。いいじゃないか、どうせ最後なんだからわがまままでも」

「けど私は、生きてるだけでもう、わがままなんだよ」

「どんなことがあっても生きてちゃいけない命なんてないだろ。じゃなきゃ生まれたことを祝わないし、死んだことを悼まないそれに、シンデレラなんだろ? お姫様なんだ。世界の命運がおまえの決断にゆだねられてるなら――わがまままみれ、、、、、、、じゃなくてどうするんだ」


 言われてハッとする。

 間違えで生き延びた命でも、あるのなら苦しみの旅は続く。それは贖罪にはなりはしない。

 いくら苦しみを積み重ねようと、それはだれもが抱えるものだから。

 ああ、それならば――


「……私が決断して、本当にいいの?」

「いいに決まってる。ここにいるのも、自分でそう決めたからだ。だれだってそうしてる。だれにだって許されているのに、なんでひとりだけ仲間はずれにできるんだよ」

「………………うん」

「どうするのか、決まったか?」

「ええ、どうしたいか、決めた」

「そうか。それじゃあ、待ってるよ」


 窓が開かれる。

 窓辺に足をかけ、来た時とは逆に上っていく。

 言いたいことだけ言ってそのひとは消えた。

 冷たい空気が頬をさらう。

 初めから、感じていたではないか。

 冷たさも、痛さも。

 飴細工のように溶かされた。私を囲う見えない鳥かごは失われていた。

 提示されたのは、広い世界。

 自分がどうしたいのか、自分で考え、行動しなければいけない。無償の愛を注いでくれる父母はいないのだ。

 雲のない、透き通った冬空を眺める。

 その向こうに、失った関係を幻視する。

 届かない言葉。だけど、届けなければ後悔する。

 まぶたににじむものを必死にこらえ、私は言う。


「ありがとう」


 命をくれた人たちへ。

 だからもう、答えは決まっていた。



 世界は回り、時は巡る。

 繰り返されてきた条理は一部の乱れもなく。

 二十三時の鐘が鳴り響く。

 けれどそれは、今までのように魂へ訴えかけるようなものではなく。

 ――嗚呼、悲鳴が上がる。

 理不尽に、あるいは世界こそが不条理に対して牙を剥く。

 零時の鐘を待たずして、世界が壊れ始めた。

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