終末時計とシンデレラ

綾埼空

はじまりのおと

 空が透明だった。

 雪解け水のように透き通った空の青に、私はそんなことを思う。

 だから街路が赤いのだ。空から溶け落ちたみたいに路肩に身を寄せ合う紅葉を通り過ぎながら、息を吐く。


「――はぁ、さむっ」


 呼吸の色は白く、後ろへと流れていく。走っていた。

 ひらりと揺れるスカートの裾をふとももに感じる。ニーソックスに縛られたふくらはぎが張り詰めるのを気にせず前へ、前へと進む。

 ちらりと覗く肌色も、季節の終わりのように赤みを帯びていた。突き刺す冷たさでひざが鉛のよう。女子高生の絶対領域も冬の寒さにはかたなしだ。

 そんなポエムが頭に浮かぶほどに、暖かさに飢えていた。リュックに押さえつけられた紺のブレザーも、見かけ倒しで防寒の用をなさない。

 マフラーか、いっそもう一枚羽織ればいいのだろうが――空論をこねくり回しても仕方がない。

 それよりも足を回す。ぼろぼろのスニーカー越しに足裏で地面を掴む。

 いそげいそげ。気持ちが逸るのは、カレンダーとは無関係。いつも通り、なのだが。

 とはいえ、例にもれず、とも言うべきで。

 私の通う高校は、秋の終わりに文化祭なるものがある。

 本来なら授業の時間を使い、ひとつの完成像に向けてみんなで一致団結する。その熱量は、幸か不幸か残業を許容する。

 強制ではないが、どうしたって既定の時間からはみ出してしまうのが実情だ。

 たった一度しかない出来事を、先生方が阻むことはできない。

 そんな青春とは無縁な私だけど、すみっこでちまちま作業を重ねているだけでも時計の存在を忘れてしまい。

 ただでさえ余裕のない時間をさらになくして、どうしたって向かい風に抗うように走らなきゃいけないわけで――うだうだ考えているうちに家が見えてきた。

 住宅街のなかでも少しだけ目立つ背の高さをしてがっしりとした、くすんだ白色の建物。

 軒の生む影のなかに、表札代わりとばかりに看板がかけられている。『灯籠花』。その頭にフラワーショップとつく。

 扉には外出中の札がかけられている。それを手に取って、鍵を挿して錠を開いた。

 からんころん。

 決して私に向けられることのない鈴の響きがむなしい。

 室内のぬるい空気に一息ついて、ちょっとえずく。

 生き物の強いにおいが鼻につく。花の香りは苦手だった。花屋の娘としては残念なことに。

 照明を点けて、ブラインドを上げていく。

 閉じた花園が、小窓を通じて外の世界とつながりを持つ。

 リュックをカウンターのなかに詰めて、店名がプリントされた茶色いエプロンをまとう。

 流しに置かれた銀のバケツに水を溜めていく。目測六分ほど汲めたら蛇口を閉じて、カウンター近くの床に置く。

 売り場から色の悪いバラを見繕う。お客さんが来るまで水切りするのが習慣だ。

 引き出しから水切りばさみと髪まとめ用のゴムを取り出す。

 手入れの行き届いていないぼさぼさの髪をひとつにくくって作業開始。

 ぱつぱつぱつ。

 秋の終わり。お彼岸やハロウィンも過ぎて、クリスマスには早い。不意の買いつけは皆無に等しい。今日は店頭での引き渡しの予定もなく、予約も明日の午後で店主が届けに行く。

 暇といえば暇。そのために走ってきた。

 からん、と鈴が鳴る。思うそばから来客か。

 風に踊る髪を意識しながら顔を上げ、できるだけ愛想よく出迎える。


「いらっしゃいませ」


 それは徒労だった。視線の先にあるのは身内の顔。

 化粧でくっきりとした目鼻立ち。女子大生は相変わらず大変そうだなと考えるも、同級生もそう変わらないことに思い至る。

 義姉あねは私に目線を配ることなく脇を抜け、二階へ続く階段に消えていく。

 甘ったるいにおいがして、鼻先に手を当てる。義姉のつけている香水だ。それが足跡のように消えず残っていた。

 その先で、手動の扉が開かれたままだった。


「はあ」


 慣れたものだ、お互いに。

 木枯らしがぬるくなった体に堪える。それに花が痛む。

 震えが芯から湧き出てきた。重い腰を上げ、


「いたっ」


 急に感じた痛みに手のなかにあった花を落とす。

 つんっと冷えた指先から血がにじんでいた。

 いじくっていたバラのとげでひっかいてしまったようだ。昔はよくやったものだが、まさかまたやることになるとは。

 自分の愚鈍さに飽き飽きする。

 鮮血の赤が花弁にはじける。幸いに赤バラだったものの、この水はもう使えない。

 傷はどうでもよかったが、そのことに気が落ちる。

 嘆いても仕方がない。悲観したって起きたことが覆るわけでもなし。

 さっさと扉を閉めてしまおう。多種多様な彩りの花々の間を小走りで抜ける。

 だれもかれも、自らの素養で着飾り主役と名乗りをあげる彼女たちに憧れたのは遠い日の思い出で。

 そうは成れない私はせいぜい根の腐るまで、美しいものに奉じるほかない。

 おあつらえにも外へ開いた扉に、少しだけ上体を乗り出す。

 だから、いつだって下向きな視線にもその風景は刻み込まれた。

 夕日に焦がされるまっかな落葉。

 燃えつくような美しさに、一瞬、見とれてしまう。

 寒さで我に返る。花は刻一刻と傷を負っているのだ。

 扉を引こうとした、瞬間。



 ――私は世界の終わる音を聞いた。



 それは、長針の進んだ音に似ていて。

 しかして、そんな淡い震えとは似つかぬほどに決定的な響きを持ち。

 枯れた心の底が泡立つような音色だった。

 だから。

 その存在に気づいたのは夕日の翳る逢魔が刻。

 しわの色が濃い老婆だった。

 紫色の外套、あるいはローブと呼ぶべきか。

 目深にかぶったフードから覗く瞳は、金。それがまっすぐに私を射すくめる。


「世界が終わろうとしている。そう言ったら、きみは信じるかな」


 干からびた見た目とは打って変わり、その声は若々しい少女の音であった。

 呆気にとられる。なんなんだこの状況は。

 問いをどうにか頭の中でかみ砕いても答えに結びつかない。

 だというのに老婆は関係ないとばかりに、誘いの言葉を口にした。

 それはおとぎ話に出てくる、魔女のようで。


「ねえ、世界を救う聖女ヒロインに――シンデレラにならないかい?」

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