恋愛探偵朝倉さん

豆崎豆太

興味、感心:もっと頑張りましょう

 元来他人というものにいまいち興味が無いのが、つまるところ私の中学生活での失敗の原因になっていたのだと思う。私自身、もちろん「それはよくないことだ」という認識があって、だから中学時代は結構無理をして暮らしていたのだけど、それは最終的には「失敗」の傷を広げることにしか作用しなかった。

 だから、高校に入ったらそれをやめようと思っていた。逆高校デビューを果たし、「沈黙は金」を座右の銘に無口な人として穏便に暮らしていく。誰との関わりも最小限に、騒がず目立たず生きていく――はずだった私の計画は、入学二週間目にして早くも崩れることになった。

 入学二週間目で週番に当たった朝倉という男子が、私のプリントをまじまじと眺めていた。目元は前髪で見えず、口元はプリントで見えないから表情が読めない。あまりいい気がしなかったので「何かある?」と聞いてみたところ、朝倉はぱっと顔を見せて「ああ、すまない」と言った。そんな言葉を現実で使う人間はその時初めて見た。

「名字が読めなかったんだ。渡るに村で、何と読むんだ?」

「トムラ。渡米のトに、村」

 答えると、朝倉は少し虚を突かれたような顔をしたあと、爆笑し始めた。何がそんなに面白かったのかと思うような大袈裟な笑い方だった。

「すまない、浅学だった。この字は面白いな、ワトソンとも読めそうだ。初めて見た」

 朝倉は随分はしゃいだ様子で私のプリントをまた見る。わたむらと読まれたことはあるけれど、ワトソンと読むのはだいぶ無理がある。第一、教室のほぼ真ん中に席を持っている私の名字が渡辺より後にあるとしたら、クラスの半分が和鍋さんとかの珍名字になってしまう。

「今覚えた、トムラさん」

 しかし、朝倉がその後私をトムラと呼んだことはない。ワトソンと読むのが気に入ったらしく、何かと言っては絡んできて私をそう呼んだ朝倉のせいで、私の逆高校デビュー計画はあっという間に瓦解、GWが明ける頃にはクラスメイトから朝倉とセットの変人扱いをされるようになってしまった。由々しき事態だ。

 朝倉の口調は変だ。一人称は「私」、二人称は「君」。言葉の端々にもはや常用語ではなさそうな単語が混じるそれは、探偵小説の読み過ぎだと私は思う。

 朝倉は歯並びと目付き(目付きについては私も人のことを言えたものではないのだけど)と姿勢が悪く、ひどく痩せていて、お世辞にも人相がいいとは言えない。前髪が馬鹿みたいに長くて、それがより一層近付きがたい雰囲気を作っている。

 性格はと言うとこちらも別によくはなく、どちらかと言えば悪い。配慮に欠けていて皮肉屋で、ほとんど常に他人を小馬鹿にしている。

 そんな朝倉を入学当初はクラスメイトも遠巻きにしていたものの、とある理由から今はそれなりの地位を築き上げている。

「朝倉さん」

 廊下を歩いていると背後から声をかけられる。振り向くとジョシコーセーがいる。女子高生というものはどうも、どれもこれも幅と高さ以外はほとんど同じなのでいまいち見分けがつかない。朝倉が「ああ、飯田さん」と返事をしたのであれは飯田さんなのだろう。

「この前はありがとう。これ、お礼。食べて」

 渡されたコンビニ袋を朝倉が覗き込む。さり気なく横から覗くと、少し高いチョコレートが数種類入っている。

「その様子だと、力になれたらしい」

「勿論! 今週末デートなんだ。もうばっちりキメてくから」

「頑張れ。応援してる」

のために?」

「もちろん」

 朝倉がにやっと笑い、それを見た飯田さん(仮)がのけぞって華やかに笑う。


 朝倉は所謂、いや嘘、そんな言葉を聞いたことはない。「言うなれば」が正しいだろう。朝倉は言うなれば、恋愛探偵だ。もちろん当人はそんな馬鹿みたいなものを自称しているわけではない。人(主に同級生女子)の相談(主に恋愛相談)を聞き、アドバイスをしてやるのが朝倉の主なだ。飯田さんは一ヶ月ほど前から朝倉に相談をし、意中の彼に近付いてデートの約束まで取り付けた。

 それがただのアドバイスではなく、当人曰く「観察と演繹の賜」であるからして、これが結構よく当たるらしい。チョコレートはその報酬で、これは学内での通貨に近い。つまり、金銭を直接受け渡すのは好ましくないので食べ物を渡しておこうということだ。これはチョコレートの他にもコーヒーだったり、カップラーメンだったりする。

 つまるところ、見た目も性格も悪い朝倉が高校という社会の中で日向に生かされているのはこういった、朝倉自身の功績みたいなもののおかげなのだった。それどころか、仕事の副作用なのか、はたまた安全牌扱いなのか、顔面偏差値の割には女子に囲まれていることが多い。

 朝倉がそういう役割に収まった経緯は以下の通り。


「あれ」

 すぐそばで声がする。ジョシコーセーのひとりが「リップがない」と困ったような声を出す。まだ夏の気配も遠い頃、昼休みの教室で、なんとなしに揃って昼食を摂っていたときだった。

「いつもどこにあるの」

「スカートのポケット。どっかで落としたのかな」

 そんな他愛ない会話に、朝倉は関係しているわけでもないのに「スクールバッグの内ポケット」と口を挟んだ。え、と声を上げた今井さんを振り返り、その鞄を指差す。今井さんは「あ、そうだ」と合点したような声を上げて鞄を覗き込み、見事リップクリームを取り出してみせた。

「すごい。なんで分かったの? しまうところ見てた?」

「いや」

 朝倉は唇を笑みの形に曲げ、人差し指をぴっと上に向けた。その後何度も見ることになる、朝倉の決めポーズだ。三人分の視線が指の先端に集まる。

「三限が体育だった。女子の科目はバスケット、ジャージのポケットにリップクリームなんて入れておいたら落として踏む可能性がある。君はだからスカートから取り出したリップクリームを、スカートを畳んで鞄にしまう時、一緒に鞄の内ポケットへしまった。その上、四限も移動教室だ。体育が終わった後、君は短い休憩時間で慌てて着替えて、リップクリームを忘れたまま次の授業へ向かった。――言っておくが、女子の着替えを覗くほど下衆じゃないぞ」

 朝倉が珍しく長文で喋ったので、私は感心するより先に「気持ち悪い」と思ったのだけど、今井さんと須田さんはそうではなかったようで、感嘆に歓声を上げた。回想終わり。


 その後同じようなことを繰り返した朝倉は少しずつ「探し物の人」になり、なんとなく別の相談も持ちかけられるようになり、高校生の悩み事なんて恋愛沙汰が一番多いもので、転がりに転がって現在はこういうふうになっている。だからって朝倉に恋愛相談なんて、私としてはほとほと気がしれないのだけど。

「縋るならちょっとでも太い藁がいいってだけだろ」

 飯田さんがお礼として置いていったチョコレートをつまみながら、朝倉が答える。飯田さんのチョコは生チョコのちょっと高いやつで、甘くて柔らかくて、おいしい。

「藁って。じゃあ結局占いと変わらないんじゃない」

 いつだったかどこだったか仔細はさっぱり覚えていないが、誰だったかが(それも覚えていない)朝倉のしていることを指して「それって結局占いでしょ?」と言った事がある。

 朝倉はわざとらしく眉根を寄せ、目を閉じて唇を曲げてふーやれやれという表情を作る。手のひらを上に向け肩を竦めてふーやれやれというポーズを取る。その表情とポーズのまま首を振る。ふーやれやれ。

「違う、全く違う。的外れもいいところだ。いいか、予知や予測というものは占いなんて馬鹿げたものではなく、緻密な観察と演繹によってもたらされなくてはならない。私のしていることを占いなんかと一緒くたにされては、不愉快を通り越して哀れみすら覚える」

 朝倉は噛んで含めるように嫌味を言うのだが、言われた相手は大概「意味わかんない」と言って笑って去るので、傍からは負け戦に見える。

「それは違う。勝つも負けるもない。説明を求められたから説明しただけだ」

「『不愉快を通り越して哀れみすら覚える』とまで言っておいて、あれを説明って言い張るのちょっと無理あるでしょ」

「説明だよ」

 朝倉は唇の片端を釣り上げて笑う。この笑い方だって他人と、例えば例の相談を持ちかけてくる誰かといる時はきちんと唇の両端が上がるのだからつまりわざとだ。私は眉根を寄せ、唇を曲げて手のひらを上に向けて肩を竦める。ふーやれやれ。

 しかしあの時、朝倉が「違う」と言っていやみったらしいポーズと表情を作るその一瞬前、朝倉の眉根が寄って戻ったこの一瞬こそが朝倉の本当の苛立ちだったのではないかと私は思う。朝倉はたぶん、あれでも自分の「仕事」についてある程度のプライドを持っている。だからこそそれを茶化すつもりだったのに、朝倉は痛くも痒くもないという顔で頷いた。

「結果は同じだな」

「ってことは、まともな推理ってあんまりしてないの?」

「基本は観察と演繹だ。それが無い推理は想像と変わらないし、観察と演繹がきちんとしていれば答えは必然的に導き出される。――たとえばそうだな、今日の六限が始まる直前か始まった直後、この教室に誰が来ると思う?」

「何の話?」

 急な問いかけに首を捻る。朝倉は楽しそうに両目を歪めて、「教室中をよーく眺めて推理してみたまえ、ワトソン君」と指先を私に向けた。私は教室を見回す。変わったところは特にない。蛍光灯も切れていないし、火災報知器の点検もない。第一、それならば六限が始まる前ではなく昼休みのうちに人が入るはずだ。

「何も無いよ」

「いや、ある。そこに地図がある」

 言われて目を向けた先には、プロジェクターのスクリーンのようにぶら下げて使う、ロール状の、巨大な地図が立てかけられていた。三限で使われたものだ。

「社会科担当が片付け忘れてるんだ。今日の六限、三組で地理の授業がある。授業の進度はうちのクラスとほぼ同じ。授業前に地図がないことに気がついた鈴木が慌ててここに駆け込んでくるだろうことが容易に想像できる」

 鈴木というのは地理の担当教員だ。メガネに七三分け、三角の困り眉。身長は高く、ガリガリに痩せていて、なぜだかいつも慌てている。

「なるほど」

「ついでに、――相原」

 朝倉が通りかかった女子の名前を呼ぶ。呼ばれた方は驚いて立ち止まる。相原真衣は背が高く面長で、全体的に力づくで引っ張って伸ばしたような印象がある。

「なに、急に」

「そこの地図、鈴木に届けてやれば株が上がるんじゃないか」

 相原真衣が指された方向を見てぱっと笑顔になる。それからすぐに表情を整え、朝倉に向き直り、「そうだね、先生が困ってるかもしれないもんね」と言い訳をした。踵を返し、地図を持って教室を飛び出していく。

「そもそも鈴木があれを置き忘れていったのは、授業終了直後に相原が質問だか雑談だかをしにいったせいだ。そのまま喋りながら教室を出ていったからな。桑食う虫もなんとやらだ」

「いやそれ蓼だし、桑食う虫は蚕でしょ」

 朝倉は私の指摘をスルーしてスープジャーから味噌汁をすすり、冷えたごはんの塊を口に押し込んで再び味噌汁を飲んだ。

「どちらにせよ、これでさっきの私の推理が果たして当たったかどうかは闇の中だな」

 言われてみて初めて、そういえばもう鈴木は来ないと思った。あの地図が教室の隅に置きっぱなしになっていたとして、鈴木が来たかどうか。それはもう確かめようのないことだった。なにせ、地図は相原真衣が持ち去ってしまったのだから。

「……そういう手口で誤魔化されてるわけか、私たちは」

「信頼を置く他人に裏付けを貰えば、大体の人間は自信がわく。安心する。そして安心と自信とを身につけた人間は多くの場合、魅力的に見えるものだ。きっかけさえ作れば、後はほぼ自動的に信頼と実績が積み重なっていく。何事も観察だよワトソン」

 朝倉は笑う。例の、唇の片方だけを上げるやり方で。


 恋愛探偵(笑)の名声は他学年にも届いたのか、七月にもなってまだ部活に所属していなかった朝倉のもとには、ソレ系の愛好会からお声がかかるまでになっていた。最初に教室を訪れたのはオカルト研究会だ。

 オカルト研究会から派遣されてきたのは、七三分けに分厚い眼鏡をかけた、容姿以前に健康的にどうかと思うくらい太った二年生だった。ちょっとした人体の神秘を目の当たりにして、つい少し考え込んでしまったほどだ。

 オカルト研究会の派遣勧誘員(以下オカ研)は暫くの間、幽霊飛行船がどうとか獣人がどうとか言いながら朝倉に絡んでいたものの、朝倉はそのどれにも興味を示さなかった。非科学には興味がないと言ってもじゃあこれは、じゃあこっちはと、話しながら痩せ始めるんじゃないかという勢いで話し続ける。

「ディアトロフ峠事件を知っていますか」

 オカ研がそう言うと、朝倉はぴくりと反応した。もはや無視を決め込んでいた視線が、話者にぴたりと合わされる。

「一九五二年二月二日、ソ連領ウラル山脈北部でスノートレッキングをしていた男女九人の不可解な死。彼らは」

「――テントを内側から破いて外に飛び出し、摂氏マイナス三十度の雪山で死んだ。六人が低体温症、残りの三人には致命傷があった。肋骨の損傷、眼球と舌の喪失。何人かの衣服からは強い放射線汚染が確認された」

 朝倉の返事に、オカ研の目が輝いた。あれはあれだ、まさしく仲間を見つけたオタクの目だ。

「やはり」

「しかしだ」朝倉はオカ研の声に言葉をかぶせた。「私はオカルトには興味がない。宇宙人だのイエティだのそういう解決には一切の興味もない。同じように馬鹿げたこじつけだとしても、超常現象よりはスパイ説を推す」

「スパイだったとしたって、眼球の喪失は不可解でしょう?」オカ研が食い下がる。

「至近距離で爆風を受けたとき、人体は損傷する。眼球が破裂することもある」朝倉が撥ね付ける。

「至近距離で爆風を受けたなら、眼球云々以前に外傷が発生するでしょう」更に食い下がる。

「爆風を受けたときの皮下出血や裂傷と、雪山を転げ落ちたときのそれを区別できると思うか?」更に否定する。

 オカ研はしばらく息を弾ませていたが、昼休み終了の予鈴が鳴ると、肩を落としてしょんぼりと去っていった。その背中は、――いや、やっぱり小さくは見えない。教室の出入り口幅ギリギリに見える。

「朝倉、なんだかんだちょっと楽しそうじゃなかった?」

「ん」朝倉は、口元を手で隠すようにして白々しい顔を作った。どうやら照れているらしかった。「……正直、かなり楽しかった」

「入ったらいいじゃん、オカ研」

「毎回喧嘩しに行くのも良くはないだろ。オカルト自体は好きじゃない」

「まあなんか、朝倉氏とか朝倉殿とか何なら先生とか呼ばれそうな雰囲気だったもんね」

「そういうのは御免被る」


 次に来たのは推理研究愛好会だ。こちらは全く普通の、特徴と言える特徴のない、かといって男子高校生の中に入れば無個性過ぎて浮くという具合の二年生だった。

「二年四組のA子さんは、登校してくるといつもタバコの臭いがする。何故か」

 推理研が訊く。朝倉は「A子さんは二年四組の生徒ではなく二年四組の教師で、喫煙者である」と答える。推理研は「いや、そういう、なぞなぞじゃなくて……」ともごもご言いながら眉を下げる。それを見て朝倉が笑う。オカルト愛好会に対したときの冷たさみたいなものは見受けられない。

「当人あるいは家族が喫煙者という可能性は無視していいのか」

「無視することにします」推理研は気を取り直したように出題口調になった。クイズ番組の司会みたいだ。

「この学校で考えていいのか」

「A子さんはこの学校の生徒です」

「駅で毎朝、友人あるいは恋人を待っているからじゃないか」

「陽見駅は単線だ。上りと下りしか選択肢がない。A子さんはそのどちらか――おそらく上り線で来る。待ち人はA子さんとは違う、反対方向からの少し遅い電車で来る。下り線は本数が少ないから、無駄に朝早く登校するのを避ければA子さんは必然的に待つ役になるんだろう。A子さんはその誰かと待ち合わせをして学校に来る。駅の出口の近くには灰皿があり、反対側は駐輪場だ。通勤客通学客の邪魔にならないように人を待つには喫煙所側に寄るしかない」

「おおー……」

「ついでに言うと」朝倉はにやりと唇の端を吊り上げた。「君はそのに乗って登校している」

「え?」

 推理研の部長は虚を突かれたような裏返った返事をした。朝倉は相手の出方を伺うように、にやにや笑ったまま黙っている。

「……なんでわかった?」

「今朝の八時過ぎ、急な通り雨が降ったな。傘を持っていなかった君は駅舎で少しの間雨宿りをし、雨が弱まったのを見て学校まで走ってきた。――尻まで泥が跳ねているのに誰にも指摘されなかったのか?」

 朝倉に指摘されて、推理研は慌てて自分のズボンを捻るようにして泥跳ねを確認した。

「いつの間にこんなところまで見た?」

 推理研のズボンの後ろの泥跳ねがどうして朝倉から見えたかと言えば、何の事はない、私にも見えていた。前の席の女子が、さっきからずっと鏡を見ているせいだ。

「何、銀メッキのコーヒーポットがあっただけだ」

「コーヒーポット?」

 推理研に聞き返されて、朝倉は変な顔をした。

「いや、いい。大方、実際に待ち合わせている人間を見かけてこの謎掛けを思いついたんだろう?」

 推理研はもごもごとそれを肯定し、予鈴を聞いてバツが悪そうに教室を出ていった。勧誘の件はすっかり頭から抜け落ちてしまったらしい。

「さっきのコーヒーポットって何?」

「ホームズだ。わかりやすいネタだと思ったんだが、まあいい」

「推理研は推理研であって、ミステリ研究会じゃないから読んでなかったんじゃない?」

 私のなおざりな指摘に、朝倉は「その考えはなかった」みたいな顔をした。変なところで抜けている。


 ミステリ研究会はその後、もう一度朝倉を訪ねてきた。一学期の期末テストが終わった、つまり夏休みが始まる前日のことである。

「これから部室でテーブルゲームをするんだ。もし時間があれば、朝倉さんも来てみてほしい」

「テーブルゲーム?」

「『ウミガメのスープ』っていうゲーム。まず、出題者が問題を出す。例えば『二年四組のA子さんは毎朝学校に来るとタバコの臭いがする。なぜか』というような」

 推理研は一週間前に朝倉に投げた問を繰り返した。

「そして、回答者は出題者に対して質問を投げる。『A子さんは喫煙者ですか』というような、閉じた質問に限られる。出題者はイエスかノーで答える。条件を絞り込んでいき、答えを探る」

「面白そうだ」朝倉は存外乗り気でそう答えた。「ワトソンも来るか」

「ワトソン? というと、朝倉さんがホームズ?」

「あー……渡村と言います。渡るに村と書きます。ワトソンというのはそれを朝倉が勝手にもじっているだけで」

 セット扱いされるのはちょっと、困る。社会的に。

「渡るに村、ああ、確かにワトソンと読めそうだ。面白い、そんな名字は初めて聞いた。戸口の戸なら見たことがあるけど。で、渡村さんもどう? 来る?」

 私は少し考えて、結局ついていくことにした。テスト詰めの一週間が終わったところで、何かの気晴らしが欲しかった。

「ある日、A氏はカレーパンが食べたくなってコンビニへ行きました。しかし、カレーパンにカレーが使われているのを知ると、それを買うのをやめ、代わりにカレーライスを買って帰りました。なぜ?」

 推理研の部室は二階隅の空き教室だった。机をなんとなく円形に並べ、形ばかり円卓っぽいものを作っている。メンバーは五人、そのうち眼鏡が四人。私はテーブルゲームに参加するつもりがなかったので、端っこに椅子を借りて、飽きればすぐに帰れる体制を整えた。

「他の店に買いに行くことは選択肢になかった?」推理研メンバーのひとりが訊く。

「イエス。しかし瑣末です。A氏は単に、一分を待ちきれないほど空腹だったのです」出題者(眼鏡A)が答える。

「A氏はパン工場勤務で、そのカレーパンはライバル社の製品だった」またひとりが訊く。

「ノー」出題者が答える。

「朝倉さん、何かありますか」

「ん」

 朝倉は小さく答え、少しの間を置いてから、「A氏は日本人か?」と質問を始めた。推理研のメンバーが同時に首をひねる。ちょっとおもしろい景色だった。

「イエス。A氏は日本人です」

「A氏は仏教徒か?」

「……イエス。あるいは無宗教とします」

「A氏はわざわざ、カレーパンにカレーが使われていることを確認した?」

「イエス。A氏はわざわざそれを確認しました」

「つまりA氏はわざわざ、栄養成分表示から原材料を確認した?」

「イエス」

「A氏はカレーパンの原材料を確認する必要があった?」

「イエス。……朝倉さん、最初から答えがわかってたんじゃないですか?」

 推理研に指摘されて、朝倉はくつくつと肩を揺らした。「イエスだ」と答える声は明らかに愉快が勝っていた。

「おかげでうまい質問を思いつかなかった」

「朝倉さん、改めて、解答を」

「A氏はアレルギーを持っていた。だから栄養成分表示を確認する必要があった。カレーに自分のアレルギー物質が含まれていないことを確認するためにだ。しかし表記は『カレー』のみで、具材の表示が無い。そんなのは危なくて食えたもんじゃない。A氏はカレーパンを諦め、その代わりに詳しく原材料が表記されていたカレーライスを買って帰った」

「正解です。まさか国籍や宗教まで訊かれるとは想定していませんでした」

「そこだけは問題から絞りきれなかったんだ。十中八九アレルギーだとは思ったんだが」

 一息入れる間もなく、「では次」と声がかかり、右隣の男子生徒(眼鏡B)が手を上げた。どうやら、出題者は時計回りでローテーションするらしい。何かの儀式みたいだ。


「A氏は割れたお皿の破片を、大事に隠しています。なぜ?」

「皿はA氏が割ったものですか?」

「ノー。皿を割ったのはA氏ではありません」

「皿はA氏の大切なものですか?」

「ノー。A氏は皿に対して何の思い入れもありません」

「皿はA氏の所有物ですか?」

「ノー。皿はA氏の所有物ではありません」

「皿は盗品ですか?」

「イエス」

「A氏が皿を入手したときには皿は割れていたのか?」

「イエス。皿はA氏が入手する以前に割れました」

「隠している場所は、隠している理由と関係がありますか?」

「ノー。A氏は単に見つかりにくい場所に隠しています」

「皿を割ったのは元の保有者ですか?」

「ノー」

「皿を割ったのはA氏の知人ですか?」

「イエス」

「A氏は知人に頼まれて、割れた皿を隠していますか?」

「ノー」

「知人はA氏が皿を隠していることを知っていますか?」

「イエス」

「A氏と知人の間に上下関係はあるか?」

「ノー」

「A氏は知人に特別な思い入れをしているか? 例えば恋人関係であるか?」

「ノー」

「A氏は配送員、あるいは学芸員か?」

「イエス」

「A氏は知人――同僚が運搬中に割ってしまった美術品の皿を持ち帰って隠していますか?」

「イエス。でもまだ不足しています。割れた皿を持ち帰り隠しているのはなぜ?」

「A氏は美術品の皿を誤って割ってしまった知人を脅迫している」

「イエス。解答です。A氏は同僚が運搬中に割ってしまった高価な美術品の皿を、皿を割った同僚を脅迫するために、持ち帰って隠している」

「それなら、同僚は自分が割ってしまったこと、その破片をA氏が隠していることを誰かに打ち明ければいいのでは?」推理研の一人が異論を唱える。

「現物が無いんじゃ盗んだと思われるのがオチだろうな」なぜか朝倉が答える。

「家宅捜索とか」推理研が食い下がる。

「家宅捜索が入ったところで、皿が見つからなければ売り払ったという疑惑が浮かぶだけだ。A氏は単にそう言って脅せばいい。例えば金と引き換えに皿の破片を返してやる、というふうに。それだって、隠している意味は特に無いが」

「引き替えにするのに?」

「皿は単純に捨てて、同僚を脅して金を受け取り、その後は行方をくらませればいい。A氏がリスクを負う意味はない」

 朝倉の意見には一理あるけど、どう考えてもテーブルゲームで並べる種類の理屈ではない。悪意が強すぎる。

「……しょっちゅうゴミを漁るおばちゃんが同じアパートに住んでいる、とかでどうです?」

 眼鏡Bがそう言うと、朝倉はくつくつと喉を鳴らした。

「後付けだな」

「後付けです」


 ローテーションは巡り、朝倉が出題する順になった。今日の今日で参加した人間にそれはちょっと無いんじゃない? と思ったものの、朝倉本人はやぶさかでもなかったようだ。「ここ数分ででっち上げた題だから、クオリティは担保できないが」と前置いて話を始める。

「A氏はとある場所でB氏と待ち合わせをしていた。待ち合わせ場所の最寄り駅に着いたA氏は地図を確認すると、慌てて待ち合わせ場所とは反対方向に歩き出した。なぜか?」

 朝倉の出題を受けて、推理研の面々が一斉に考え始める。私もなんとなし考える。駅、地図、待ち合わせ。慌てて歩き出すA氏。結構、それっぽい。

「待ち合わせの時間に対して余裕はありましたか?」

「ノー。A氏はまっすぐ歩いて待ち合わせ場所に向かっても、五分と余裕がなかった」

「A氏はB氏を嫌いでしたか?」

「ノー。嫌いならそもそも待ち合わせの最寄り駅までは行かないだろう」

「A氏は視覚、聴覚、あるいは身体に障害を負っていますか?」

「ノー。A氏は全くの健康体だ」

「A氏は体調を崩していましたか?」

「ノー。A氏の体調には全く問題がなかった」

「A氏が歩き出した方角には、B氏との待ち合わせ場所への近道があった?」

「ノー。それは論理ではないだろう」

「A氏が電車を降りた時点で、B氏の姿は見えていた?」

「ノーとしよう。しかし、たとえB氏の姿が見えていたとしても、A氏の行動は変わらない」

「A氏がその行動を取った理由は、A氏以外の人間にも作用する?」

「イエス、あるいはノー。質問の意図によるな。A氏と同じ状況に置かれれば十人中十人が同じ行動を取るだろうが、今回の事象はA氏一人に降り掛かったものだ」

「A氏と同じ電車に乗っていた他の乗客はA氏と同じ行動は取っていない?」

「イエス」

 その質問を最後に、部室は静まり返った。

 時間に余裕がなくても最優先するべきもの。待ち合わせの場所に向かう途中では解決できない問題。なにか珍しいもの。急いで解決する必要があって、でも五分そこらで片付く用事。我慢できない何か。

「A氏は子連れだった?」

 私が言うと、十二個の眼球が一斉にこちらを見た。私は固まる。朝倉がうっすら笑っている。

「イエス、クリティカルだ。ワトソン、解答を」

「え、ああ、うん、えっと――A氏は子連れで、電車に乗ってたら子供が泣き出しちゃって、赤ちゃん用のおむつ台があるトイレに行かなくてはならなかった。地図はその場所を指し示していた、とか。慌ててるのに走れなかったのは、子供を抱っこしていたから?」

「正解だ。もう少し条件を絞りたかったんだが」


 その後、なんだか妙に褒められて居心地が悪くなり、ゲームを続けている朝倉を置いて私はひとり退出した。夏休みが始まる。

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