第15話 「ダメ男、陰謀論に触れる」

「なるほど。確かに俺も一徳の事は心配してたんだ」祖母と平良から一連の話を受けて一樹は言った。「今すぐにどうするかという答えは出さなくてもいいけど、ロサンゼルスに行くんだろ?それなら帰ってきたら一徳は俺の住んでるマンションに来るといいよ。広いマンションではないけど、生活を立て直すまでの我慢という事で」


普段どんなに強気な人間だって、複数人に叩かれれば弱気にだってなる。それにしても、日中に平良を叱っていた時と比べ、皆驚く程に冷静な対応をしてくれた。これは単に疲れていたからなのかもしれない。なんにせよ、平良からは既に別人の様な弱々しいオーラが漂っていた。


次男の一樹からの提案に対しても「ありがとう」と言うのが精一杯だ。もちろん、素直に有り難い提案ではあるのだが、いつもの平良なら、なんやかんやと文句を言うものなのだ。


「それじゃー、皆さんもそんな感じで一徳の社会復帰を楽しみにしていてください。そんな感じで大丈夫かな? よし、それでは、もうだいぶ遅くなってしまったので帰りましょう」


一樹が話を纏めてくれたお陰で思っていたよりもすんなりと“憂鬱の会”を終える事が出来た。時計は全く気にしていなかったが、実際に食前と食後に一本ずつ、計二本の煙草しか吸っていないのだから、やはり然程時間は使っていないのだろう。


祖母と叔母が叔父の車に乗り込み、改めて感謝の言葉を伝え、そして見送った。平良三兄弟は一樹の車に乗り込み、大輝と母が暮らすアパートに帰る事にした。一樹が住むのは神奈川県高津区で、一徳は千葉県柏市。そして大輝と母が住むのは船橋市の薬園台という場所だ。病院も船橋にあるので、明日の為にも近くにいるのが得策だった。


助手席の窓から外を眺めている平良は、当分の間はレッスンを休まなければならないなと思い、明日にでも既に予約を入れている生徒さん一人ひとりに謝罪の連絡をしようと心に決めた。車内は割りと心地よい沈黙が続いていたが、突如として一樹が話し始めた。


「実はさ、今日昼には仕事を早上がりしてたんだよ」そうなのかと思ったが、間髪を入れずに一樹は続けた。「で、手術が13時からだと聞いていたから、どうせ急いで行ってもまだ手術中だと思って、申し訳ないけど調べものをしてたのね。もちろん、母さんに関する事だったんだけど。二人はさ、今後の母さんの治療について何か考えてる?」


平良は驚いた。きっと大輝もそうだっただろう。目の前の事ばかりを見ていたからか、そんな治療の事など全く考えていなかったのだ。もしかしたら、安易に医者に任せればいいと考えて、いつまでも考えなかったかもしれない。


そんな思いを素直に伝えた上で、平良は一樹に尋ねた。「正直、癌の治療と言っても抗がん剤の事くらいしか頭に浮かばないんだよ。だから、出来れば抗がん剤で苦しんで欲しくはないとは思うけど、一樹は何か他の治療法でも調べてたの?」平良は大輝の事はお兄ちゃんと呼ぶのだが、何故か昔から一樹の事は呼び捨てにしていた。


「まぁ、治療法なんかも調べてたと言えば調べてたんだけど、結局は素人だからよく解らないわけ。でね、まぁ、ほら、まさに今一徳が言ってた抗がん剤治療?それを受けさせるかどうかって事なんだ」


一樹は更に続けた。「一徳は抗がん剤で苦しませたくないって言ってたけど、お兄ちゃんはどう思う?ちなみに俺は抗がん剤治療は受けるべきではないと思ってる」大輝は正直に、自分は全く知識がないので、母さんが一番望む治療法でお願いしたいと答えた。


「なるほどね。 確かに最終的には母さんの判断に任せようとは思ってるんだけどさ、いかんせん母さんには知識というものが無いし、きっと調べようという意欲もないはずなんだよね」確かに。母はそもそも活字が嫌いだから本は読まないだろう。


「母さんの命だからさ、それを医者に一任するにしても、やっぱりこちら側に知識がないというのは恐ろしい事だと思わない?知識が無ければ言いなりで治療を進めていくしかないでしょ?でもさ、まぁ、本の知識だけれど、病院は必ず抗がん剤治療を勧めてくるらしいよ。それは絶対に断るべきだと言っている専門家が多いんだよ」その話には平良も大輝も非常に興味をそそられた。


「癌という病気は、実は人間としてごく自然な病気であって、わざわざ闘う必要というのはないらしいのね。こういう話は好き嫌いがあるだろうけど、抗がん剤治療はビジネスに過ぎないなんていう意見まであるんだ。癌との闘病生活を題材にした番組や映画も、結局は癌=抗がん剤治療の認識を強めさせる為の洗脳だなんて話まであるの」平良は陰謀論が大好きだった為、きっとそれは本当の事なのだろうと思った。


「まぁ、ほら、つまり何を信じるにしても抗がん剤治療を受けると急いで決める事ないと思うんだ。本は何冊も買ってあるから出来れば二人にも読んでもらいたい」


平良は、一樹の話だけでも納得をするのには十分だった。以前にも、何故抗がん剤治療で頑張ったのに亡くなってしまう人がいる中で、抗がん剤治療を受けなくても長生きする癌患者の方がいるのだろうか?と不思議に思った事がある。


きっと正解はなくて、どちらかを選択した結果、長生き出来るかどうかはある意味“賭け”の様な所があるのかもしれないなと平良は思った。母の命をそんな“賭事”の様に考えてしまうのは実に申し訳ないのだが、それでも、わざわざ苦しい思いをする抗がん剤治療は選びたくはない。母さんは痛いのとか苦しいのが嫌いな人だから。


そして、そんな事を考えているとあっという間に大輝の住むアパートに到着した。2LDKのその部屋は、二人で暮らすのには十分過ぎる広さだった。大輝は自分の部屋で、そして平良と一樹は母の部屋で床についた。


疲れている割にはあまり眠たくない。きっと脳が興奮しているのだろうと眠るのを諦め、小さな光りを頼りに一樹に渡された本を4冊読破した。感想としては、一樹と同意見といったところである。


改めて思うと、兄弟三人で母親の命について話すのなんて生まれて初めての経験だ。それだけ、自分達も歳を重ねてきた証拠でもあるが、一生懸命に母の命について話し合える息子達でよかった、そんな兄弟の一員でよかったと、平良は少しだけ自分に誇りを感じた。


そして、また明日母に会える喜びを噛み締めた。この歳にもなって母親に会う事をこんなにも喜べるなんて。なんだか幼い頃に戻った様な少し甘い気持ちで、平良は眠りについた。


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