机上の球論

熊野 豪太郎

第1話

卓球場には、いつも王様がやってくる。自分のことが大好きで、だけどそれより卓球のことが好きな、卓球の王様だ。王様は、ラケットを握りしめるたびに、3回繰り返す。

「俺は天才。俺は天才。俺は天才。」

そう言うと、王様はまたプラスチック製のボールを、卓球台に叩きつけた。



県立秀樽高校、部活動は活発で、生徒全体の偏差値は63ほど、そしてなんといっても、設備が整った綺麗な校舎が人気の高校だった。その学校の校門を、人一倍晴れやかな表情でくぐる少年が一人、この俺だ。名前は貼川駿太郎。今日、ここに入学する1年生である。

俺は、頭こそよくなかったが、なんといっても我慢強い。苦手な勉強をひたすら反復、反復、反復……。中学校の先生に「効率が悪すぎる。」と、よく怒られたものだ。だが、俺は考えてから行動したり、何かを計画するのが苦手な人間であった。要するに「不器用」で「無鉄砲」なのである。

それでも続けた努力の甲斐あってか、なんとかギリギリ、第一志望校であった秀樽高校を合格することが出来た。だから俺は今日から、華の高校生。友達をたくさん作って、行事を充実させて、あわよくば女の子と仲良くなって、そのまま恋仲に……。

などというつもりは、毛頭ない。俺は、確固たる意志でこの秀樽高校に入ったのだ。色恋にうつつを抜かしている時間は1秒たりとも存在させない。俺はここで、プラスチックで作られた小さなボールを打ち続ける。側から見たら地味な青春だが、俺にとっては最高の3年間になるだろう。

秀樽高校卓球部。全国でも名の知られた強豪校である。俺は、オープンスクールには行かなかったが、進路を考え始める時期から、ずっとここに入ると決めていた。理由は単純明快。「卓球が強い」からである。しかし、入る為に具体的に何をすればいいのかわからず、勉強を始めたのは、去年の9月頃。やはり自分は、無鉄砲なのだと痛感した。

だが、受かってしまえばこちらのもの。勉強?行事?恋愛?馬鹿馬鹿しい。そんなアホなことに時間を割いていられるか。俺は、いずれ日本の卓球史に「伝説」として残る男だ、オリンピックや世界卓球で優勝、ランキング1位、この貼川駿太郎の名前を、世界に轟かせるのだ。そこまで想像して、自然と口から笑いが溢れる。

「ははははははは!」高らかに声を上げると、周りの新入生であろう少し大きめの制服を着た生徒達が、驚いたように一瞬体をビクつかせる。どうやら俺の気合のこもった笑い声に、恐れをなしたらしい。今すぐこいつらに、俺が頭に描いた目標を小一時間かけて教えてやりたかったところだが、もう少しで昇降口に着いてしまう。今日のところは勘弁しておいてやろう。

昇降口はガラス製のドアで作られていた。そのガラスに、クラス振り分けの紙が貼られているのを遠目に見つける。俺は目がいい。といっても、新入生の人だかりができていたので、存在に気づかないほうがおかしいのだが。俺は豪快にその人の群れに割り込むと、自分の名前を探す。苗字が貼川だから、下から探したほうが早い。9つに別れた表を順に下から追っていく。そして、上のほうに自分の名前を見つける。いや、これは「鮎川」だ。俺ではない。全く紛らわしい名前である。と、そこからうんと下の方に、「貼川」はあった。どうやら俺は8組らしい。卓球場からは近いだろうか、と考えながら、上履きに履き替え、校舎内に入っていく。

卓球場こそ見つからなかったが、階段を一つ上がって、綺麗な廊下を進んでいくと、上のほうに8組と書かれた白い板が掛けてあるのを見つけた。毎回思うのだが、この看板のようなものの正式名称は何なのだろうか。まあ、今の俺にはどうでいいことだ。と思い直し、ガラガラと引くタイプの扉を開ける。中は、すでに何か見えない勢力図のようなものが出来上がっているのを雰囲気で察知する。

すでに女子同士は楽しそうに話し合い、活発そうな男子は、少し緊張気味の面持ちをした生徒を弄って楽しんでいた。机に突っ伏している奴もいたし、まだ来ていない人間もいるようだ。だが、クラス内の馴れ合いやいざこざなど、俺には全く関係ない。黒板に貼ってあった座席表を確認すると、廊下側の自分に振り分けられた机に向かい始めた。しかし、何か妙である。視線を感じるのだ。いくら俺が未来のビッグスターであるとはいえ、向けられる視線が気持ちの良いものではなかった。まるで変人を見るかのような・・・。

しかし、初日から大きなスポーツバッグはやり過ぎただろうか。周りの人間は、小さいおしゃれなリュックだったり、どうやって毎日教科書類を持ち帰るのかわからないような機能性の薄そうなバッグを使っていた。まあ、初めの日にそこまで荷物を持って来るような変人はそうそういないだろう。俺は、卓球シューズやラケットケースを始め、いつ練習が始まっても大丈夫なように、2リットルの水筒を持ってきていた。しかし、これでもメンテナンス道具を家に置いてきたり、30冊以上にも及ぶ卓球ノートを、断腸の思いで本棚にしまったりと、かなり荷物を減らした方である。今日大量の持ち物を学校に持ってきた奴は、今すぐ俺に必要なものと不必要なものの区別を付ける方法を聞くべきだと思った。

俺は椅子にどかりと座ると、目を閉じて、今日から始まるであろう練習のメニューは、一体どれだけ辛いのだろうか。と予想を始める。全国でも随一の強豪校だ。確実に今日でフルマラソンは走らされるだろう。もしかしたら、ラケットすら握らせてもらえないかもしれない。今更、オープンスクールに参加しなかったことを悔いた。もし行っていたら、ある程度練習方法がわかっていたかもしれないからである。そうしたら、俺お得意の反復練習で、入部早々レギュラーに食い込んでいただろうに。

まあ、自分ほどの天才なら、まず間違いなく補欠には入れるだろう。中学と高校の卓球のレベルが全然違うことは知っていたが、それでも俺は伝説になる男。ここで戦力外に居てはいけないのだ。

やがて、このクラスの担任であろう先生が、教室に入ってくる。男の教諭だった。もしかしたら、彼がここの卓球部の顧問かもしれない。だとしたら、彼の発する言葉から、細かな仕草まで、卓球のイロハが詰め込まれている可能性も捨てきれない。俺は姿勢を正すと、彼を真剣に観察し始めた。

「おはようございます。僕は8組の担任をする、駒沢です。1年間、よろしくな。」と、爽やかな笑顔で言う。こういう顔を甘いマスクと言うのだろう。一部の女子生徒から、小さな歓声が上がる。成る程。試合で例え負けたとしても、悔しさを顔に出さず、素直に相手を讃えるという謙虚な姿勢が大事なのか。さっそく学ぶことがあったぞ。卓球ノートにすぐにでもメモをしたいところだったが、そういえば、家に置いてきたのだった。畜生、真剣に悔しがる。

「さて、各々自己紹介をしてもらいたいところだけど、これから入学式があるから、そうもいかない。廊下に、出席番号順に並んでくれ。」と、指示を出す。さすが、的確な指示である。百戦錬磨の強豪校を支える天才顧問、駒沢は、生徒達と共に廊下に出て行こうとする。ここは未来のエースとして、挨拶をしておかねばならない。

「すいません!」と、声を張り上げる。卓球は精神力も大事な武器だ。気迫を常に維持しておくことも、日々のトレーニングの一環と言えるだろう。

「なんだい?お、君は貼川君じゃないか。」なんと、すでに俺の名前を知っている。これは確実に、自分を中学の時からマークしていたということだろう。見る目がある。というのは恐れ多いが、やはり世に偉大な卓球選手を送り出してきた駒沢である。

「はい!今日から卓球部でお世話になります!」と深く頭を下げる。謙虚な姿勢を大事にする。さっき彼から教わったことだ。

「卓球部……?そ、そうか。僕はテニス部の顧問だよ。どちらにせよ、部活では強豪と言えるだろう。お互い頑張ろうね。」

なんだと、彼は、卓球部の顧問ではなかったのか。あまりの驚きに、思わず声を荒げてしまいそうになる。

「はい!よろしくお願いします!」が、そこは我慢強い俺である。きっちり挨拶を終えると、嘘八百のテニス部顧問、詐欺師駒沢に背を向け、廊下へ歩き出した。

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