だて男にーさんの鬼推理 #2「カフカの証書」
花シュウ
第一章 開式の辞
卓上に置かれたベルを叩けば、通りのよい鐘の音が店内の空気を甲高く揺らす。
店奥のカウンター前に立っていた女性が音に気付いて振り向いたので、俺は手元の空きカップを軽く摘んで持ち上げて見せた。
どうやら呼び出しベルを鳴らした俺の意図を、的確に汲み取ってくれたのだろう。
白シャツに黒の腰巻エプロン姿の女性は、その場でにこりと微笑んで丁寧な会釈を残すと、こちらに背中を向けて店の奥へと姿を消していった。
女性の見せる、ウェイトレスとしての仕事ぶり。
その板についた所作に感心しつつ、俺は次の一杯が届くまでの間を、ぼんやりと店の雰囲気でも楽しんでいようか──などと考え始めていたのだが。
<牧 双葉>
「ちょっと、まだ飲むの?」
真横から聞こえた女の声に、泳がせかけていた視線を思わず引き戻してしまう。
<双葉>
「あんたこれで何杯目よ?」
耳に付く、こちらを嗜めようとするかのような声色。引き戻したばかりの視線でチラリと隣を伺えば、そこに見えるはセーラー服を着込んで座る少女のご尊顔。見知った顔であった。
<伊達秋人>
「三杯目だが悪いか?」
侘びれる感情など欠片も込めず、俺は堂々と胸を張る。
<双葉>
「なに偉そうにふんぞり返ってるわけ? 私言ったわよね。このお店、おかわり自由じゃないって」
どうやら、威厳溢れる俺の態度が気に食わなかったらしい。少女は語気に鋭さを増しながら、怪訝そうにゆがめた顔をにじり寄せてくる。つーか。
<秋人>
(近いんだよ。こんだけ広い席で、どうして真隣に座ってんだ)
俺たちが囲っているのは、この喫茶店の中でも一際大きな楕円型のテーブル席。
店内のほぼ中央に設けられたその場所は、実に7、8人の大所帯が押し寄せても手狭になる事はなさそうだ。
そんな団体席に不相応にも通されながら、どうしてこいつはこうも近くに陣取っているのか。
見渡す限り、店内には俺たち“四人”以外に客の姿は見当たらない。それならもっと広がって座り、少しでも空間を有意義に使おうという発想はないものだろうか。
などという想いを、俺はどこか距離感を読み間違えて座っている少女に向けて唱えてみるのだが。
<双葉>
((だって仕方ないでしょ! 前の時の兄妹設定、まだ生きてるんだから!))
そんなよく分からない理屈を、潜めた声でのたまわれてしまった。
落とされた声調から察するに、テーブルを挟んで向こう側に座っている二人には聞かれたくない旨の発言だったのだろう。チラチラと対岸の気配を伺う様子に、彼女の抱えた後ろめたさが見て取れる。
少女のひそひそ声はまだ続く。
<双葉>
((水城先輩にも霧島先輩にも、私とあんたが赤の他人だってこと、まだ言ってないのよ))
わけが分からない。
<双葉>
((だから最初にお願いしたんじゃない。前の時みたいに『だて男にーさん』で通してって))
だて男とは誰だ。悪い夢でも見ているのだろうか?
<秋人>
「どうしてこうなった?」
俺は軽くうな垂れながら、またしても高価な飲み物に釣られて引きずり出されてしまった自分の不甲斐なさを恨む。
恨むついでに、兄妹だからといって隣に座る必要はないのではないかという疑問を持て余しつつ、うつむき加減のまま眉根を寄せる。
そのまま背中を丸めていけば、テーブルの上にあご先が押し当たった。悲嘆にくれるには随分と"らしい"格好だと言えなくもない。
<双葉>
「とにかくよ。何でもいいから、次の一杯で最後にしときなさいよね」
呆れとも諦めともつかない、ため息混じりのお小言。小ざかしい。
<秋人>
(偉そうに)
俺は不服の意でも体現できればと、丸めた背中を一層と窮屈に縮めて見せたのだが、
<双葉>
「ちょっと聞いてるの!?」
そんな意思表示で、先方様の態度が一変するはずもなかったりする。まあ分かってはいたが。
それにしても、である。
今にも体当たりしてきそうな少女の苦言を聞き流しつつ、俺はぼんやりと向かい側の様子を伺ってみる。
楕円テーブルの対岸に陣取った、これまた学生服を着こなした姿の男女が二人。
口やかましい小娘の話しでは、この度私めをこの様な場所へ誘い出しされた張本人様は、前方二人組の片割れ。黒髪ロングな女の方だと言うことらしいのだが、このやろう。
<秋人>
(あいつ、いつになったら要件とやらを切り出してくるつもりなんだ?)
丸めた姿勢のままで唸り声を上げてみれば、波立った空気が細長くテーブルの上を滑り抜けていく。
高級喫茶をエサに呼び出された。
最初の一口目を含んだ辺りで『協力してほしいことがある』などという世迷言を叩きつけられた。
飲食代を盾にされて逃げそびれ、甘い言葉にそそのかされ、気づけばいつしかこの場の一員。
だというのに。
<秋人>
(『詳細は後で話す』の一言以来、音沙汰がねーんですけど。どーなってんでしょね最近の子は)
ろくな顔ぶれのない、どう控えめに見ても悪い予感ばかりが募る、そんな面々が揃い踏みするこの喫茶店。
出来ることなら、そんな只中で意味不明に捨て置かれている俺の身にもなってもらいたいものだと、心の底からそう思う。
せめて、どんな無理難題をふっかけられるのか、大方の検討くらいは付けておきたいところではあるのだが、
<秋人>
(ぜんっぜん分からん)
こうして耳をそばだてたところで、どうにも結果は芳しくない。
何やら先程より、二人して学校での出来事を話題に盛り上がっているようなのだが……
<秋人>
(本気でどーでもいい話題だな)
と言うのが率直な感想だった。
辛うじて盗み聞けた、対岸でのやり取り。その欠片をかき集めてザックリと組み上げてみると、つまりはこういう話しらしい。
一週間くらい前、随分と久しぶりに、学校で校長先生を見かけた──
とか何とかかんとか、大体こんな感じでいいだろう。
<秋人>
(そんな話題で、どうやったら盛り上がれるんだ?)
いよいよ奇怪な奴らである。
俺からしてみれば、校長先生などという生き物は、学内で幅を利かせてふんぞり返っているだけの肩書だというイメージくらいしか持ち合わせがなく。
そんな輩を学校で見かけるなどという日常的なイベントに、こうも話題性を見つけられる若い感受性が羨ましく──はないな、うむ。
<秋人>
(何にしてもだ。どうせまた、面倒なことになるんだろうが)
いつだったか。今日と似たような顔ぶれが、この喫茶店に集まったことがある。
その時の出来事。その出来事の顛末。
それらを思い起こしたならば、こうして抱え込んでいる億劫さを自分でゴシゴシ磨き上げていたとしても、それはまあ致し方ないことと言えるだろう。
と。
低姿勢でグチグチと腐りつつあった俺の耳に、軽やかな足取りでこちらへと近づいてくる靴音が聞こえた。
無論、おかわりの到着を告げる福音に他ならない。
<秋人>
(来たか)
立ち止まって早々、先ほどと同じ給仕役の女性が、待ち時間を報いる決まり文句を口にした。
そうして慣れた手つきで、俺の鼻先に置かれていた空のカップをトプトプと満たし始める。
鼻腔をくすぐる芳醇な香り。生豆が演出する贅沢な瞬間に、磨き上がった億劫も今だけは深くに仕舞っておけそうだ。
<秋人>
「うむ、ご苦労」
背筋を起こして姿勢を正し、威厳ある態度でもって注ぎなおされていく黒い液体に目をこらす。
<秋人>
(おお、1200円税別が充填されていくぞ)
湯気を立てながら、厚口のコーヒーカップに流れ込んでいく嗜好品。絶景かな絶景かな。
<秋人>
(いつかの時のアイスコーヒーも相当に良かったが、ホットもどうして侮れん)
何杯でもいける──とまでは言わないが、それでもこれから巻き込まれるのだろう厄介事らしき何かしらの苦労を考慮したならば。だったら可能な限り飲み明かして少しでも元を取ってやろうと考えたていたとしても、それは何もおかしな話ではあるまい。
などという、実に建設的で前向きな思考に浸る俺に対し、こともあろうに隣の少女が再び釘を刺しに来た。
<双葉>
「ねえ分かってるよね? これが最後だからね。いい? 一杯が千二百円(税抜)なのよ? ちゃんと理解してる?」
くどい。
<秋人>
「やだね」
<双葉>
「ちょ、おまっ!」
俺の物言いに、少女は顔色をころころと変えながら、椅子を蹴って前のめりに腰を上げる。
心中穏やかではなさそうだが、ふん。釘など刺されてなるものか。
俺は淡々と言い返す。
<秋人>
「と言うかだ。好きなだけ飲んでいいと言ったのは、あいつだぞ」
言い返すついでに、テーブルの対岸に座る二人のうち、黒髪の女の方を右手の指で指し示してやる。
<秋人>
「だったらクレームは向こうの奴に言ってくれ」
責務の追求先をはっきりと明言してやると、少女は泡を食った顔でまくし立ててきた。
<双葉>
「確かにそうは言ってくれたけど、でも物には限度ってものがあるでしょ!?」
<秋人>
「限度か。なぁに、自らの限界を決めてしまうのは、己の心が弱いからだ……とか何とか、まあ昔の偉い人は言ったもんらしい」
すっとぼけながら、素知らぬ顔でカップの中身をすすり込む。
<双葉>
「あんたねー!!」
うむ。やはり美味い。というか、先の二杯とは若干味が変わっている気がするが、それがまた良い。わざとか? だとしたらやるな。どうれ、シェフをここへ。
<双葉>
「次ぎ行ったら四杯目ってことは、もう4800円(税別)なのよ? あんたの月の生活費を軽く越えてるのよ?」
言うに事欠いて、樋口さん一枚とは。
この小娘は、俺の私生活をどういう風に思い描いているのだろう?
<秋人>
「誰が四杯で終わると言った? 五杯目、六杯目がないと誰が言い切れるよ?」
<双葉>
「は!? マジで言っとんのかおのれは!?」
いきり立つ少女。構わず飲み進める俺。そうして、もっといきり立つ少女。
<双葉>
「ああもう! 水城先輩も何か言ってやってください! こいつ、放っておいたら付け上がるばかりですし!」
唐突に矛先をかえた小娘の声に、対岸の二人が内輪ネタをやめてこちらに顔を向けた。
<双葉>
「こいつ、まだまだ追加するつもりなんですよ! もう止めたほうがいいですってば!」
支払う当人ではないはずの小娘が、まるで我が事のように目くじらを立てている。
そんな告げ口展開に、しかし俺は心の中でほくそ笑んだりするわけだ。
<秋人>
(厄介事の根源め、この有り様に慄くがいい)
とどのつまりは、ただの腹いせなわけで。
面倒事を押し付けんとする黒髪ロングに、せめてもの報復を──なんて事を企てての1200(税別)乱舞だったりもしたりするわけで。
というわけで。
<秋人>
(さあ散財しろ。その小遣いをすりつぶして、目にもの見せてやる)
ところが。
<水城優希>
「別に構わんよ。『好きに注文してくれて構わん』と言ったのは、確かに私だからな」
なにそれカッコいい。
<優希>
「それに、力を貸してもらう以上、ある程度の事は大目に見るのが筋だろう」
何たることか。
着座したまま長い黒髪を微かに揺らせて見せる、制服姿の凛とした怨敵。黙っていれば美人さんだが口を開くとどこか仰々しい、そんな彼女の物言いに俺は少なからず舌を巻く。
<秋人>
(半分はイヤガラセのつもりだったんだが……よもや意にも介さんとは)
<優希>
「と言うかだ。どのみち私は払わんからな」
はい?
<双葉>
「はい?」
不覚。心の声がはもってしまった、屈辱だ。
<双葉>
「ええと……水城先輩……今なんて?」
<優希>
「私は払わん。そう言ったのだ」
はい、そう聞こえました。
<双葉>
「え……じゃあその、霧島先輩が……」
少女の震える声が、黒髪ロングの隣で、これまで黙って手元のコーヒーをすすっていた少年の下へと向けられる。
<霧島聖司>
「自分ですか? いえいえ、ご冗談を。持ち合わせなんてありませんよ」
断言。って、おいおいおいおい。
<双葉>
「ちょ……私だって、そんなに沢山は……」
<聖司>
「ま、そうですね。とりあえず、走って逃げる準備でもしておきましょうか」
とんでもない事を、さらりと言ってのける細身の少年。装着したメガネが不敵に光る。
<双葉>
「ど……どうしよう……。そ、そうだ家に電話して……」
<秋人>
「おえー! うおえーーー!」
<双葉>
「今さら戻しても遅いってか、それ前にもやってたよね、あんた!」
<秋人>
「いや、せめて一杯分だけでも罪を軽くしておこうかと」
<双葉>
「重くなるわ!」
<優希>
「指を喉の奥まで突っ込めば、沢山出せるらしいな」
<双葉>
「乗っからないで下さい!」
<秋人>
「よし分かった。と言うことで妹よ、ここは一つ愛しの兄のためにお前が残ってくれ」
<双葉>
「キリッとした顔で言うな! 化けの皮、引っぺがすわよ!」
<優希>
「ふむ。我がままなご兄弟を持つと、何かと苦労が絶えませんな」
<秋人>
「いえまったく、その通りで」
<双葉>
「どこで通じ合ったのよ、そこの二人!」
ああーーーもう! と。少女が一際大きく奇声を立てた次の瞬間。
<???>
「無銭飲食は軽犯罪だ。無論、そのような重罪を当校の生徒が犯したというのなら、退学処分は免れんな」
聞き覚えのない、しかしどこかで聞いた気もする、そんな男の低い声が俺の耳に響いた。
<双葉>
「あ、く……工藤先生?」
少女が目を白黒とさせながら呟いた名前。それを聞き、過去の記憶が微かに揺れる。
<秋人>
(工藤……?)
わずかな揺れ幅を見せた記憶をたよりに、俺は腰掛けたままで、いつの間にかそこに立っていた中年男性を見上げた。
白髪混じりのオールバックに、色気なんて欠片も感じさせない無骨で実直な銀縁のメガネ。
細身の身体にビシリと筋を通して立つ姿と、そして何より印象的に映った深い深い眉間のしわ。
目の当たりにして真っ先に浮かんできたのは、『神経質』というシンプルな単語だった。
<秋人>
(工藤。見た事は多分ないが……)
グレーのスーツをきちりと着こなす立ち姿。持ち物といえば、円筒状に丸めた大き目の用紙らしきものが一つ。どこからどうみても確かに見覚えはないが、しかし恐らくこの男。
<秋人>
(このオッサン、ひょっとして……)
あれから半年は過ぎただろうか? テストの問題がどうたらこうたらなイザコザの際、結果的に俺が煙に巻いた教師ってのが、
<秋人>
(確かそんな名前だったはずだ)
そういえば、と思い出す。今しがた耳にした男の声は、あの時の電話の声によく似ているじゃないか。
<秋人>
(仮にそうだとして。だとしたら、なんで学年主任とやらがこんなところに?)
飲み込み損ねた状況に、ただただ手をこまねくばかり。そんな俺などお構いなしといった様子で、工藤と呼ばれた男は輪ゴムで筒状に止められた用紙を片手でもてあそびながら、ゆっくりと言葉を続けた。
<工藤>
「もっとも。退学処分と言っても、水城と霧島にはもう関係ないのだったな」
<聖司>
「まあ、そうですね。本日、無事に卒業させていただいたわけですから」
<優希>
「今日までのご鞭撻のほど、感謝しております」
向かいに座る二人の少し固くなった声。そして続けられた、
<優希>
「待たせたな。では改めて紹介させてもらおう。こちらが今回のクライアント、工藤幸之助先生だ」
なんとも容認しがたい発言を聞き流しつつ、俺は店の天井を仰ぎ見て思う。
ああそうか。もう三月か。もうそんな時期なんだな──と。
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