第33話

  高重力下にあっても、何とか動けるようにはなった。

 動く、ということ。普段なら気にもかけることすらない「ただそれだけ」にすら、実は相応のエネルギーが消費されているのだと、ふたりはこのとき、まざまざと実感していた。

 それだけではない。動くという以外にも、消費してきえているものがある。

 よくよく検分すれば、生命鉱石から発生しているエネルギーのうち、生命維持に必要な量の幾許かが、気付かないうちに漏出していた。

 生命鉱石のエネルギーがいくら膨大とは言え、それによって生命活動を行う以上、一度に使える出力には限度がある。常なら意識することもない量だが、この高負荷の状況で恒常的に漏れ出てしまっている、となれば話は別だ。

 出力過剰の状態が続いた場合、ナマートリュの身体は「休眠」と呼ばれる状態に陥って動けなくなってしまうことがある。

 漏出に気付かなければ、あるいは自覚のないまま、いずれそうなっていたかもしれない。

 その事実に、ふたりは今更ながら、この場所で特訓するという意味を悟った。

 あらゆる意味で、無駄を省くと言うこと。とにかく、まずは消費されるエネルギーを適切にセーブすること。

 ひたすら無尽蔵に消費されてしまえば、当然、いずれ限界が来る。だが、それを心がけて出力を絞れば、途端にまた動けなくなる。

 常以上の力が必要な場所で、常以上の高出力を保ちながら、更に漏出するものは防がねばならないという難題に直面して、ふたりは気の遠くなるような心地になった。

 負荷に陥っては持ち直し、持ち直してはまた陥り、を繰り返し、ようやく必要な出力を保って動ける感覚を掴んだ頃。

 まるでそれを見ていたように、ふたりの前に再び、黒錆色が現れた。

「さて、多少はましになったかね?」

 居丈高に中空に立つ位置から、見下ろす彼等。しげしげと見定めるような視線を投げながら、フォレスが言った。

「……ンなもん見りゃわかるだろが。」

「確かにな。できて当然のことまで逐一誉める必要はない。」

 ノーティが睨みつければ、フェレスが軽く鼻で笑う。

 小馬鹿にするような態度は相変わらずだが、ふたりの前から消えたときに比べれば、もう少し穏便なものになっているようにも思われた。

 ただし、それがふたりにとって良い方向にあるとは限らない、ということも確かだ。

「あの! 僕たちには時間がないんです。それでなくても、もうかなりの時間が過ぎてると思うんですが。」

 フィニットが大きく声を上げる。なおも彼等に突っかかっていきかねないノーティを抑える意味もあるが、黒錆色を見上げるフィニットの目には、むしろノーティ以上に強い抗議の色が浮かんでいた。

 この時点の体感で、経過は既におよそ一日弱相当。

 自分たちの切られた刻限のこりじかんを考えれば、足らないどころの話ではない。更に言うなら、ふたりがという事実が、フィニットの中の「とある懸念」を後押ししていた。

「ほう?」

 フィニットの言葉を吟味するような間がしばし。その間がとぎれたのは、くつくつと、おかしさを耐えるように笑う声によって、だった。

 その反応に、珍しくもフィニットが細い眉をつり上げる。

「そもそも此処が重力場だというなら、そのは此処以上に速く時間が進んでるはずです。」

 横で、ノーティがぎょっと目を剥いた。その表情が、どういう意味だよ、とフィニットに説明を求める。

 やっぱり気付いてなかったんだ。反応の予測はしていたが、今は無視する。

「君は頭が良い。あぁ、確かに良いとも。……が、聡いと呼ぶにはまだまだか。其処に気付くべきは重力場であることを悟った時点であるべきだった。今になってそんなことに思い当たっているようでは、せっかくの頭の良さも持ち腐れだろう。」

 言い募ったフィニットに対し、フォレスが嘆息に嘲笑を織り交ぜて、大仰に告げた。

 ぐ、と言葉を詰まらせるフィニット。確かに、もっと早く思い至るべきだった、のかもしれない。

 だが、此処に来てからのふたりに、そんな余裕が持てようはずもなかった。無論、今それを言い募ったところで、言い訳以上になりはしないし、自分たちを見下ろす彼等もそれをわかって嘲笑している。

 それでも、此処で何をさせられるのか、何ができるのか、その見当をつける時間すら惜しいほど、自分たちの事態は切迫しているのだ。

「まぁいい機会だ、ひとつ言っておいてやる。そもそも俺たちは、お前等の都合を聞いてやる必要は、これっぽっちもない。こっちはこっちの都合でだけ動く。それだけだ。」

「この期に及んで、我々が斟酌など与えると思っていたのかね? だから君たちは、可愛らしくも愚かな幼児おさなごだというのだ。」

「そんな……!」

 自分の都合のためにふたりを利用する。身柄を預かる上での義務だの責任だの、まったく知ったことではない。

 彼等からしてみれば、本当にそれだけなのだと、あっさり言い捨てられる。

 改めて思い知らされる、自分たちの状況、待遇。ふたりは憤懣と落胆の煮えつくような感情の只中に叩き落とされた。

「とはいえ、俺たちが楽しめなくなったら意味がない。先行投資のつもりで、今は多少の興醒めも我慢してやるか。」

「そういうことだ。それに、多少なりと結果を出しておけば、彼女の逃げ道も塞いでおける。ならばさて……まずは種明かしをしておこう。」

「……種明かし……?」

「先にも言ったが、この星は少々な重力場だ。落とされただけで重力という枷をかけられ、早晩のうちにのたれ死ぬ。君たちが味わったように、だ。だが、この星の本当の特殊性は其処にない。真に特殊なのは、此処での時間の経過は、ということにある。」

 話が進まなくなることが自分たちにとっての損にもなる、という打算からだろう。フォレスが、面白くもなさげにあっさりとをした。

「速いって……そんな、ありえない……」

 しれりと出された答えと対比するように、フィニットが驚きに目を剥く。その横から、ノーティがガツガツとフィニットを小突いた。

 なぁ、オレにもわかりやすく説明してくれ。幾らかのバツの悪さを混ぜて思念が伝えてきた「声」に、フィニットはほんの少しのジト目を向けて返す。

 まったく君はもう。思念に無言の呆れ声をのせ、ノーティのために「説明」を送りつけた。

 要するに、限定的とは言えど、ブラックホールに比すほどの高重力が働く場ならば、時間はその外側よりも遅くなる。そして、この次元の基本的な物理法則に則って考えるなら、その逆は本来ありえない、という話。

 そう。ありえないのだ、本来ならば。

 だが、今のフォレスの言は、それを真っ向から否定するものだった。

「此処は、俺たちのような定期的に生まれるを、直接手を下さずに処分するために造られた。」

「とはいえ、高重力の作用場では確かに時間が遅くなる。つまり、此処へ放り込んだ〝囚人〟が、奴等よりも長く生き残ってしまう可能性が生じてしまうわけだ。ために、それを解決する方法として、重力臨界によって生じたを利用することにした。場に発生するに作用させ、内部の時間を相対的に早める。これにより、中の囚人が死に至るまでの時間も、格段に短くなるというわけだ。」

 説明する口調には、殊更強い忌々しさが見て取れる。おそらくは、それが彼等の生い立ちに関わる部分でもあるからなのだろう。

 はたして、此処でどんな過酷を、彼等は生きたのか。

「何だ。要するに死に損なっただけじゃねェか。」

 それまで一応おとなしくしていたノーティが、口を尖らせて肩をすくめる態で毒づく。

 フィニットに制されていたのもあって、一応話を聞く態度ではいたのだ。だが、ノーティが思ったことを言わずにはいられない性分であることなど、それこそ今更な話である。

「ほう?」

 ノーティの罵倒に呼応するように発された問いの声は、はたしてどちらのものであったのか。

 フェレスは片目を眇めた。フォレスはゆっくりと瞼を瞬かせた。

 横のフィニットに「ああもう君は!」という視線を向けられる。此処に来てからだけでも、これでもう何度目のたしなめだろう。

 けれど、今は視線を、あえて無視した。

「テメェらの生い立ち聞いたところで、オレたちのやることが変わるワケじゃねェだろが。」

 たとえどんな過去があるにせよ、今此処にいる彼等に同情するには至らない。

 それこそ、先の彼等の言葉をならば、彼等の辿る「その後」は、此処を脱獄して悪辣を尽くす悪党となり果てた、という事実だけだ。

 ギッと睨み据えるように、黒錆色に視線を向ける。

 すれば、フォレスとフェレスのそれぞれが、それぞれに笑った。

 同じ表情カオで、同じ気色で。

「……成程、こっちはバカだからこそか。」

「まぁ、よけいな思考を持って〝特訓〟に身が入らないなどとなれば、困るのは彼等だ。これはこれで正しいのだろう。」

 フェレスが、何やら得心を得たような顔で言い、フォレスが呆れ返ったような顔で言う。

「……な、何ンだ……?」

 喧嘩を売ったと取られても仕方ない態度と言動だった。にも関わらず、彼等から強い反感や敵意のようなものは返ってこなかった。

 ノーティはいっそ驚いた。弾みで言ったものではあるにせよ、これまでの反応を考えれば、また一触即発な状況になるかもしれない、くらいの予想はしていたのに。

 ノーティの発した言葉は、どうやら、「正解でこそないが間違いというわけでもない」らしい。かといって、其処に交わされた言葉の意味については、まるでわからないのだが。

 だがそもそも、そんな話をしていたのではない、というところへ意識は立ち戻る。

 時間的な猶予は思ったよりもありそうだ。ふたりは顔を見合わせ、そう頷き合う。

 ただし、「それがどのくらいあるのか」という部分については、正確な時間を計れない現時点では、見当もつかない。

 とはいえ、あくまでも「特訓」というからには、それなりに短期間で行うものである、はずだ。だとすれば、たとえ時間的余裕があったとして、悠長に構えていられるようなことはないことも、容易に想像はつく。

 切迫と過酷。

 二重の意味で腹をくくらねばならなくなるだろうことを、今更ながら自覚した。

「では、君たちのこれまでの、を疎かにしたツケをお浚いしよう。もっとも、それを払いきれるかどうかは、君たち次第だがね。」

「奴から聞く話の限りでは、あまりのないない尽くしに呆れ返った。こちらが楽しむ分を含め、それなりに見られる程度にはしてやるが……あくまでも、モノになるなら、だな。」

 そんなふたりの内心など、こちらの知ったことではない──フォレスとフェレスの、手前勝手な態度は、いっそわかりやすいくらいに明確だった。

「それで、だ。いろいろと勘案してみた結果、君たちにはそれぞれ適した方法を採るべきだろうという結論になってね。」

 検分をするようにふたりを見据え、フォレスが口許に薄笑いを浮かべて告げる、その最中。

 ぱつ、ぽつ。

 ふたりの周囲に、何かが降った。

 ばつ、ぼつ。

 肌表に当たるのは、砂礫、石礫、石塊。そんなもの、いったいいつの間に、空にあったのか。理由についてを思考に巡らせるより速く、石霰の粒弾となったそれらが、ふたりめがけて降ってくる。

 また何かのテストなのか? 疑問は覚えつつ、ノーティは、降ってくるそれを打ち払って落とそうとし、フィニットは、周囲に防壁を巡らせようとした。

 途端。

 ふたりの身体が、グンッと地に引かれた。加重で、身構えたようとしていた体勢が崩れる。

 あ、と思う間もない。意識を向け直した瞬間に感知したのは、ざりざりとをこすりつけるような感触。

 ダメージとしては、大したものではない。すぐに体勢は立て直したが、が、そんなふたりを眺めて、何やら含意を以て会話を交わしているフォレスとフェレスがいた。

「オイ、何のつもりだ?」

 ぶすくれた顔でノーティが言う。最早、コイツらの仕業だ、と考えることに、微塵の迷いもない。

「何、少々賭けをしていたのだよ。」

 答えたのは、フォレスだった。 

「賭け……?」

「我々が、君たちのどちらをか、決めるためにね。君たちは、個々に求められているものがあまりにも違っている。しかも時間的なことを考えれば、両方を総合的に底上げする余裕はない。であれば、個々に当たる方が効率がいいという判断だ。」

 言いながら、己が横に立つフェレスへ、勝ち誇るようなしたり顔を向ける。当のフェレスの方は、如何にも面白くないという顔で口を引き結び、黙って首を振った。

 賭けという言葉、彼等のそれぞれの態度から察するに、何らかの勝敗があったのだろう。もっとも、それが自分たちにどう関係するのか、ふたりにはまったく理解できないままだが。

「……さっさと始めるぞ、ガキども。」

 フェレスの不機嫌に苛つく声が、低く吠えるように響く。と同時に、ふたりの視界がいきなり、別の場所へと推移した。



  この船には今、それ以外の誰の気配もない。

 小さな伽藍堂の如きうつろ、その片隅、ただ頼りなく立つ一縷の黒、シンの姿影体。

 この異様の星にまで来て、年若い命たちに過分の重荷を背負わせて、己はいったい何をしているのか。

 彼等だけではない。護りの任に就いていたがために奪われた命も、いとけない子等を守ることを是として消えた命も、囚われてしまった地球かのほし訪問者おとのいびとたちの苦難も、その全てが己の、今に至る因果の末である。

 明るい陽差しのような表情の少女を思い返す。過去の命と心の、感謝の言伝ことづてを携えて、シンの前に現れたあの少女。

 物怖じせず、まっすぐ強く眼差す視線は、確かに、のどちらにもよく似ていた。記憶にあるその面影が重なるたび、仄甘やかな郷愁と射貫かれるような恐怖が、シンの胸裏をくまなく埋め尽くす。

 すまない。

 顔を伏せる。震えるてのひらが、沈痛に暮れる愁貌を覆う。

 こわかった。わたしの我意を押し付けた果てを見るのが──君の未来を捻じ曲げた結果を、その形を、思い知るのがこわかった。

 告解など、今更何の意味もない。罪は、今この瞬間も積み重なり続けている。

 すまない。……すまない、ハヤミタ。

 誰にも届くことのない、むなしいだけの繰り言が、詫び言が、行き場のないまま、ただただ虚空に消えていった。

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