第32話

  ふたりに最初の課題を与え、重力場からフォレスとフェレスが、「船着き場」に再び姿を現した。

「おい、奴は何処だ?」

 現れるなり、色濃く底光る青の点睛を眇め、いるはずの人物を探して船のぐるりを幾度も見回す。

「おそらく船の中だ。何やらずいぶんと気鬱にふさいでいたから、早々に引きこもったのだろう。我々と顔を合わすのも避けたいのか、そもそもこの話を持ちかけた当人だというのに、全くつれないことだ。」

 肩をすくめ、まるで嘆息を洩らすような大仰な仕種で、フォレスが答えた。だが、吐いた言葉とは裏腹に、顔に浮かぶ表情は薄ら笑いのそれである。

 大方この後、その「引きこもり」から、根掘り葉掘りいらぬ詳細を訊き出す腹づもりでいるのだろう。

 嫌がられていると理解していて、いや、理解しているからこそ、あえてわかりやすい嫌がらせをするのが、このフォレスの存在の性状であり、特徴である。

 相変わらず悪趣味な野郎だ。唾を吐きたくなるような気分で、フェレスはフンと鼻白んだ。

 とはいえ今回の件については、フェレスとしても引きこもられるより先に訊いておきたいことが、山のようにある。

 つまりどのみち、自分たちのいずれもが、己が都合だけを押し通す悪党であることにかわりはないのだ。

 次第を把握し、船に近付く。すれば、何の継ぎ目もない黒い外装に、円形に開く乗込口が忽然と現れた。

 種明かしはごく単純。

 この船は「思念制御型」、つまり、思念を能く使う種族であれば操船が可能なタイプだ。船主がいなくとも、操作に慣れたものが扱えばひととおりのことはできる。

 もっとも、航行用としてはあくまでも最低限の仕様しかない「小舟」であり、そもそも今回は少々特殊なが絡むため、がつくようなセッティングは最初からされていない。

 名にし負う「悪党」なればこそ、これくらいの周到さは当然必要だろう。

 だが。

「ァあ……?」

「どうした。」

 船に乗り込んだ瞬間、フェレスが強くいぶかる顔をした。

 その様子に、フォレスもまた怪訝を浮かべる。

「……この船に通信……だと……?」

 呟いた言葉どおり、この船宛の通信が届いていた。思念制御の船ゆえに、船内の把握や通信の確認程度のことなら、操舵室にいなくとも行える。

 だからこそ、この唐突な「入電」は、全くフェレスの虚を衝いたものだった。

「そんなものを誰が……あぁ、或いはお前の手下てかどもが造反でもしたか。」

「そんなバカがいれば即ブチ殺す。だが、こいつは俺の船からじゃない。」

 皮肉を向けてフォレスがくくり笑うのを、フェレスが剣呑な眼でめ返す。

 実際、此処に通信を送ってくるなど、それこそフェレスの母船くらいしかありえない。しかし、その「ありえない」はずのことが、今、起こっていた。

 発信元を確認する、が、「不明」としか示されていない。それだけでも警戒に値するというのに、己等が船に乗り込んだのを見計らうようなタイミングの着信だったことが、なおさら不信をつのらせる。

 悪党が雁首揃えるところに入るような通信が、ろくなものであるなど到底思えない。それでなくとも、不明を不明のままにするのはリスクがありすぎる。

 詳細の確認が必要だった。不審の懐疑はなお内心を巡り止まず、荒い足取りで気の急くままに操舵室へ飛び込む。

 飛び込んで、そして今度こそ、彼等は驚愕に目を剥いた。

「あぁ、失礼している。」

 玲瓏が、鳴る。

 操舵室中央に設えられた管制用コンソール。その前に泰然と立つ、見知らぬ「黒」の姿影態。

 己等の本来の姿が持つ黒錆とは全く違う、くすみなく研がれた金属を彷彿とさせる黒。一縷の瑕疵もなく整った顔貌に、仄暗くも冴え冴えと金めく黒の涼眼の嵌まる様は、至高の宝玉を象眼した完璧な彫像のようですらある。

 何が起こっているのか、そもそもが何なのか、一瞬把握しかねたのももあらん。

 其処に立つ黒は、あまりにも鮮明であまりにも精緻な、しかし一切の生気を感じさせることのない「立体映像」だった。

 それが、こちらの姿をひやりと捉えている。

「……誰だ貴様は!」

 強い語勢でフェレスが尋ねる。それは、見知らぬものへの警戒以上に、威嚇として発された。

 己の船に見知らぬものが勝手に乗り込んでいれば、これはむしろ、当然の行動であろう。

 それでも、これがどういうものなのか把握してなお、反応には幾許かの間を要した。それほどに、予想外すぎる事態だった。

「思ったより狭いか。単独、或いはごく少人数で操船するタイプのようだが、いささか窮屈な感はあるな。」

「誰だと訊いている!」

 操舵室の内部をゆるりと見回し、興味深げにひとりごちる黒へ向け、再びフェレスの罵声めいた声が投げつけられる。

 その罵声に対して、しかし黒は、むしろ「得心がいった」とでも言いたげな、そら涼しい顔を浮かべてこちらを見た。

「そうか、〝アモンメレスの罪人〟というのは、君たちか。」

 その黒の口から出た言葉に、フェレスのみならず、フォレスからも明らかな警戒が立ち昇る。

 アモンメレス。それは確かに、フォレスとフェレスの故星の名だ。

 ただし、己等のが示すとおり、既に星から追われた身の上にとっては、忌々しいだけの名でもある。

 だが、彼等を単に「追放者」と呼んだあの「子供たち」とは違い、この黒は、己等を「罪人」と呼んだ。

 それはつまり、故星からの放逐のみならず、どんな「罪」と「悪」を為してきたのかも知っている、ということだ。

「こいつ……」

「……我々のを知っている? そも、尋ねるならば、まずはそちらから名乗って然るべきではないかね。」

「君たちの警戒はもっともだ。だが、これはあくまで、私が事前に聞いていた情報を、君たちに確認したにすぎない。よって君たちは、これに答える義務も、名乗る必要もない。」

「ずいぶんと御親切なこった。」

「同等に、私の名乗りもまた必要ない。」

「そちらに必要がなくても、こちらにはある。」

 そんな言葉に、納得できるはずもない。得体の知れない相手に、揃って強く険相を浮かべ、め据える。

「なるほど。私は既に君たちを知っている。であれば、その言い分は確かに道理だ。ならば同等に、私の立場も明かしておくのを是としよう。私はの上司にあたる。」

 涼やかに頷いた黒は、金めく黒の眼を、すい、と細め、緩やかに深い礼をひとつ落とす。

 その挙動は、喩えるならば、何をしようと一切波立つことのない、異質の水の静穏さ。名にし負うたる己等をしてすら、背を冷たくざわつかせるような何かがあった。 

「彼等の……ということは、の上か。」

 黒の言を反芻するように呟き、其処に思い当たった顔で、フォレスが呟く。

 活動員の「上」に彼等を束ねる上司がいるのは知っていた。組織の態をとっているならば、あるいは当然のこととも言える。ならば今回の行動を監視していたとしても、何ら不思議ではない。

 ただし、仄聞そくぶんしていたものよりも相当に曲者のようだ、と、この短いやり取りの中からフォレスは察した。

 警戒の意識を強めて、訝りと、楽しみを邪魔される懸念に顔をしかめる。すれば、黒は頷きながら表情を緩め、涼しく笑んだ。

をそう呼ぶということは、君がフォレスか。とすれば、そちらがフェレス、ということになる。」

「おいちょっと待て。結局こっちの名前も知ってるんじゃねぇか!」

 こちらのそれぞれを、ひとを食ったような薄い笑みで見渡した黒に、思わずフェレスが叫んだ。

 黒が「あれ」と呼ぶのは、この話を持ち込んできたシンのことに相違ない。

 奇遇にも、フォレスとフェレスがそれぞれ別々の機に悶着し、どちらもが負けを喫した相手。そしてそれ以降、生半なまなかない拘泥を持つようになった相手。

 その拘泥の表れのひとつが、フォレスがシンを示すときの「人称」だ。

 かつて「地球人の女性の姿」をしたシンに敗北したフォレスは、以来、シンのことを呼び示すとき、「彼女」という三人称を用いるようになった。

 自分を負かした相手の姿にわざわざ頓着するなど、強さこそ至上とするフェレスにしてみれば、馬鹿馬鹿しいにもほどがあると思っている。

 が、今問題にしているのはそんな話ではない。

 この目の前の黒が知り得る己等の情報が、そんな「馬鹿馬鹿しい」にまで至っているということへの、驚愕と警戒だ。

の我侭につき合ってもらう君たちには、大変感謝している。かわりといっては何だが、今回の件については今のところ、君たちの名前も存在も、我々のに残すつもりはない。私のこの通信も、単なる個人的なとしてくれて構わない。」

 敵意と、それと同等の警戒をありありと向けられながらも、黒の態度にそれを怖じるような様子は、まるで見られない。それどころか、いっそよしみある朋輩を相手にするような、朗らで和やかな雰囲気すらある。

「……そんなうまい話を切り出されたところで、こちらとしては、むしろ不信が増すだけだ。そも、はリテラからの通信は届かない場所のはずだが、いったいどうやって嗅ぎつけたのかね?」

「それについては秘匿事項のため明かせない。先にも言ったとおり、今回、我々は君たちについては関知しないが、君たちのことを明らかにしないと同様に、我々にも伏すべきがある。大変申し訳ないが、其処はあえて御納得頂きたい。」

「……なかなか口達者なだな。」

 黒の言葉は、確かにひとまず真っ当で公平な物言いに聞こえる。だが、裏を返せば、有無を言わせぬ同調圧力や恫喝にも等しいものだ。

「状況が状況だ、今はそう受け取られても仕方ないとは思っている。それでもあえて重ね言おう。今回の君たちは、協力者であり、恩人だ。感謝こそすれ、それ以上の他意はない。」

 慇懃に丁寧に、黒の発する言葉は何処までも静穏で平らかで、そして何処までも揺るぎない。

「並の奴ならとうに丸め込まれてるだろうが、それがそのまま俺たちに通用すると思われては困る。」

「保証されるわけでもない言質に、何の意味があるというのかね?」

「君たちが本来的に求めるものは、保証などという間接的なものではなく、自らの得る利であるはずだ。ならば、その保証についても、君たちに利を与えると約束したものに問うが最善だろう。それをにかけるのは、私ではない。」

「ハッ……ずいぶん薄情なこったな。リスクはてめぇの部下に丸投げか。」

 これ以上ない不興顔をしたフェレスが、吐き捨てるように言った。要するにこの黒は、面倒ごとについては部下シンに押しつけたので関知しない、と言っているのだ。

 此処まで話してみても、疑念は晴れようもない。とはいえ、このまま続けたところで、底の見えぬ胡乱さで何処までも韜晦が続くだけであろうことも、容易に察せられる。

 掴みどころのない歯がゆさに、不興ばかりがつのる中、黒がふと、その表情の色調を変えた。

 それから一拍、更に一拍。

 何をか思考するような、優美に眼を伏す仕種から、数拍の間をおいて。

「そういえば、」

 まるでたった今何かを思い出したような態で、ふい、と顔を上げた。

 一から全に至るまで完璧に彩られた視線が、己等を見る。ただし、それは単なる注視ではなく、凝視でもない。

「……特訓とやらは、はかどっているのかな?」

 ゆっくりと、まばたくように伏した金めく黒は、そして再び開かれる。

 表情は笑むまま、けれど探るような鋭さで向けられる視線。フォレスやフェレスのような堂に入った悪党ですら居心地の悪さを覚えかねない、底無しの透徹。

「……小手調べは済んだが、本格的なものこれからだ。が、それを問うなら俺たちの方こそ訊いておきたい。あのガキどもが、本当にモノになるのかどうかをな。」

「あぁそうだとも。上司というなら、彼等の器の度量くらいは正しく把握しているはずだ。実際のところ、どうなのかね?」

 向けられるものに張り合うように、強い懐疑の色をむき出しにして、逆に黒を詰問する。

 そもそも、この「依頼たのまれごと」で受け取る見返りは勿論、「活きのいいオモチャを相手にできる」という話だったからこそ、己等は大いに興味をそそられ、話にのったのだ。

 それが或いは、シンのにまんまとつられ、割の悪い仕事を吹っ掛けられたのではないか、という疑念すら、現状は浮かんでくる始末。

 当の本人は今のところ、何やら辛気臭くふさぎ込んでいるようだが、己等の知るシンは本来、海千山千にで、如才なく立ち回ることに長けた相手なのだ。

「さて? ものになってもらうために、君たちのところに連れて行ったのではなかったか。」

「ふざけるな、それじゃ事の順序が逆だ!」

「彼等に特訓を施す意味、その見通しがあるかないかで、我々の意欲も大いに変わってくる。甚振いたぶり甲斐があるものを相手にする方が、私としても楽しいのでね。」

 韜晦するようにしれりと答えた黒に対し、返したフェレスの声には、怒号を放つような吠えつく響きがあった。それに続くフォレスの声も、皮肉を通り越した嫌味を露わにした、じとりと粘く確認するようなそれだった。

 黒が、表情を動かす。

 ふむ、と口端の笑みを一旦ひそませ、思案げに首を傾げる仕種。その沈思の様相は、彼等の強い疑念を、真面目に受け止めてのものか。

 もっとも、面白げなものに向ける好奇然とした眼はそのままで、何処までもその態度を裏切っているのだが。

「彼等については今のところ、詳しくは言えない。というより、上層われわれにとっても少々未知の部分があって、いささか伝えきれないというのが正確だろう。だが、君たちが真摯に協力してくれるならば、期待を裏切る結果にはならないと思っている。」

 開豁かいかつに鷹揚に、黒が答える。

 ぬけぬけと、とでも形容できそうな落ち着き払った返答は、しかしあろうことか、これまでに吐いた言葉のどれよりも、「真」なることに足る圧に満ちていた。

「さて、そろそろ私の方も忙しくなるようだ。あまり話せず残念だが、潔く御無礼するとしよう。あぁ、勿論、とあれが信じたのだ、こちらとしては特に心配はしていない。では、朗報をお待ちしている。」

「おい待てまだ話は……!」

 慇懃な言葉と丁寧な一礼を落とした黒の姿は、名乗りに足らぬ名乗りをした最初と同じく、全く噛み合わないまま唐突に消え失せた。

 慌てて発された引き留めの言葉も、当然、最後まで紡がれずに終わる。

 呆気の無言からすぐに我返ったフェレスが、コンソールで通信記録を走査する。だが結局、この通信が間違いなくリテラからであった、と確認できた以外、何の収穫もなかった。

「……我々よりよほどたちの悪い悪党が、あの星にはいるようだ。」

 低く深く吐いた嘆息とともに、フォレスが洩らした呆れの呟き。それは、その場のどちらもが抱いた、偽らざるべき心境だった。

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