第20話

  ノーティの手から、光波が飛んだ。

 それを真正面から食らった赤黒い粘体が、汚穢おわいの飛沫を吹き上げて飛び散る。もう何度、何十度、数えることも最早面倒。地にひしめくスライム相手に、ノーティはひたすらそれを繰り返していた。

 倒しても倒しても、上空に開いた赤黒い毀裂きれつから追加のようにスライムが降ってくる。

 ようやく、十数体を残すくらいにまで減らしはしたが、本音としてはそろそろ打ち止めにしてもらいたいところだ。

「いやはや、よく保ってるね新人其ノ一クン。感心感心。」

「うっせぇコノヤロウ!」

 わざとらしい拍手と、あからさまに馬鹿にしたに、ノーティは、噛みつくような声で叫んだ。強く睨み据える視線の先に、この有象無象のスライムたちを操る、白い男の姿がある。

「わざわざ褒めてやったのに、ずいぶん可愛げのない態度だな。もっとも、ボクはそういうイキがるヤツを叩き潰すのが、何より楽しいんだけどね。」

「へっ、言ってやがれ。どうせテメェ、オレには敵わねぇと踏んで、高みの見物決め込んでんだろ?」

 ノーティの、鼻で笑うような煽り言葉に、白い男は一瞬だけひそめるように眉を動かした。が、すぐさま軽薄な笑顔を作り直して、ヤレヤレとでも言いたげな、大袈裟に溜息をつく仕種で肩をすくめる。

「まったく、身の程を知らないヤツはこれだから。まぁ今は大目に見てあげるよ。どうせすぐに泣きを見ることになるんだし、もうちょっと活躍するチャンスもあげようじゃないか。何と言っても、ボクはキミと違って十分に寛大なんだ。」

 パキン、と、またしても指の鳴る硬質な音。

 音と同時に、周囲に散らばっていた有象無象のスライムの群れが、次々とノーティの目の前に集まってきた。ぶよぶよと震えながら、まるで土砂が積もるように積み上がり、やがて、それまでのものよりも遙かに巨大な赤黒い巨人の形をしてノーティの前にそびえ立つ。

「……オイオイ、ザコなんざどんだけ集まったってザコだろ。」

「そう、ザコはどんなに集まったってザコ。だけど、もう一匹のザコくんがいないキミは、集まることすらできないザコ。だからせめて、くらいは同じにしてやろうって思ってね。もしキミがを倒せたら、こいつらは打ち止めにしてやってもいいよ。」

 隙なく身構えながら、ノーティは白い男の言葉を吟味するように、改めてスライムの巨人を見上げる、今まで相手にしていたものと比較しても、優に五倍はあるだろうか。

 だが、個別に相手をするより、こうして一箇所ひとつところに集まってくれる方が、ノーティとしても好都合ではあった。

 ハ、と鼻息を洩らすような笑いを浮かべたノーティは、白い男を指差しながら、不敵に口端を上げる。

「……テメェ、今の言葉忘れんなよ? 速攻でそッから引きずり落としてやるからよ!」

 言いざま、突き出す手に光が満ちた。光は、手から腕へ、腕から肩へと拡がり、たちまち腕を覆う籠手のような形にこごる。

 腰を落とす構え。瞬時に深く屈み込んだ膝が、瞬時に戻る。身体能力をフルに使っての、撃ち出される弾丸の如き速度の跳躍。

 それを叩き落とそうとするように、スライムの腕肢が動いた。グォン、と、低く野太い風切りのうなりが、空圧と共にノーティの目の前に迫る。

 避けるだけの猶予はない。だがそもそも、避ける気はない。

 腕を覆う光の籠手がひときわ強く輝いた。ノーティの腕を基点に、放射するように拡がるそれは、身を守るための護壁であると同時に、敵を穿つ弾丸そのものでもあった。

 光る腕を真横後方へと引く。薙ぎの構え。

 速度は落ちず、そのまま一気にスライムの腕肢に突っ込む。動きに寸瞬の遅れもなく、ノーティの腕が振られる。

 小爆発にも似た光の拡散。直後、スライムの触腕が、ぐらりと揺れた。そのまま、半ばから砕けるようにもげて落ちる。

 ブォン、と二度目の風切り音。スライムが残る腕肢を振り回した。しかし、それは一撃目よりも、確実に軽い。

 薙ぐ形だった手が、強く拳を握る。光が、拳を幾重にも包み込む。

 一瞬留まった空中の一点で、ノーティは再び強く屈伸した。

 転進の軌跡は、一度ならず二度三度。さながら跳弾のような鋭い角度で、スライムが振り回す腕肢の動きをかいくぐる。

 避けるだけではない。攻撃を躱す都度、スライムの腕肢といわず胴体といわず、確実に光の拳を穿ち込んでいくことも忘れなかった。

 拳を叩きつけられ、大量の破片が飛び散る。しゅうしゅうと、白煙を上げながら落ちゆくそのどれもが、拳がまとう光に灼き砕かれ、燃えかすのような塵埃と化した。

 残るの方も、既に、其処彼処にいびつな風穴が空いている。元のスライム程度の体積は残っているが、最初に寄り集まった量を考えれば、実体の大半を失っているといっていいだろう。

 それでも、まるで最後のあがきのように、スライムは残った部分をぶにぶにと集合させた。灼け、砕け、既に震えて立つだけに等しくはあったが、それでも再び、思考なき傀儡としての役目を全うせんとするように、我が身をひとつの塊として成形し直していく。

 ノーティの足先が、もう一度、地についた。

 着地と同時に、翻身からの転進、再度の跳躍。

 振りかぶる動作。光に輝く拳。行く手をふさぐ最後の粘塊を、渾身を込めて、ち抜く。

 辺りに、赤黒い残片がぶちまけられた。ぐしゃぐしゃと飛び散って蒸散の煙を吐き出すその中で、ノーティは動きに更なる加速をつける。

 鋭く見据える金の視線上、捉えるは、白い男の姿。

 速度を乗せた身体を大きく捻る。脇下に構えたもう片方の拳を、突き上げるようにしなり打たせて放つ。

 繰り出す先は、白い男の顔下。抉るように的確に、顎の稜線へ向けたそれは。

 届かなかった。否、届いてはいた、距離だけならば。

「いやぁ、なかなかイイ打ち込みじゃないか。」

 脂下やにさがる顔で笑いながら、ノーティの光波をこめた拳を、いとも容易に受け止めて、白い男が言った。

 顔のあった位置に、白い男の手のひら一枚、こともなげに差し挟まれている。

 わずかにそれだけの差。だがそれは、この瞬間においては決定的な差でもあった。

「……まだだ……!」

 だから何だってンだ! 動きこそ止められたものの、不屈の意志までが止まったわけではない。

 ノーティは打ち出した拳を白い男の手掌に突きつけたまま、文字どおり次の一手を

 拳にこめるのは、指向性を持ったエネルギー。有象無象のスライムどもに撃ち込んでいたものよりはるかに強い光波が、ゼロ距離で放たれる。

「へぇ。」

 当たる確信以外なかった其処に、気抜けた短い声がした。

 拳を受け止めていた白い男の手のひらが、軽く払いのけるように動く。

 次の瞬間、ノーティは自分の放った光波ごと、勢いよく弾き飛ばされていた。

 吹っ飛んだ身体が地に向かって落ちる中、ノーティは咄嗟に、中空に張り付くように踏み留まる。地に叩きつけられる無様はかろうじて免れたものの、しかし、でしかない。

「……ンなろォっ……!」

 体勢を立て直しながら、ノーティは歯軋りするように呟いて上空を見上げた。 

 もうひとりの黒い男の方は、とっくにこの場から消えていた。どうやら別の場に転移したようだが、フィニットが別行動になった時点で、ノーティがそれを追うことはできない。

 ひかりたちが避難したのは、この地下だ。この領域自体が堅牢な護りにあるとはいえ、先日の襲撃のように、地中に何かをひそませている可能性も考えられる。

 それを考えれば、なおさら此処から動くことはできない。それでなくても、この白い男は、生半なまなかに考えていい相手ではないことがはっきりした。

「……フィニットまだかよ……遅ェぞ……」

 ノーティは、愚痴るように小さく呟いた。

 この現状は明らかに、。無論、其処に弱音を吐いたつもりはない。ひとりでもどうにかしてやる、という気概は当然ある。

 それでも。

 いつもならものが、という状況が、気持ちの何処かに、自分自身ですら意識しない心許なさを生んでいるのもまた、確かだった。

「おい、テメェらいったい何モンだ! 何が目的で襲撃してきやがる?!」

 些細な心許なさを払い退けるように、ノーティは叫ぶ。そうだ、今はそんなことでどうこう言っている場合ではない。

「ホント威勢だけはいいね、新人其ノ一クン。まぁせっかく御要望頂いたことだし、特別に自己紹介してあげようじゃないか。ボクはアンティアヴィラタ。まぁちょっと長ったらしいから、アンティとでも呼んでもらおう。ほら、名前が長いからって言い終わる前に死んでたとか、それはそれでつまらないしさ。」

 明朗に軽快に、しかし饒舌に冗長に、白い男が名乗る。

 その名前は、何処かで聞いたような記憶があった。ただ、今のノーティに、それを思い出せる思考の余裕はなかった。

「ウゼェ自己紹介はその辺りで終わらしとけよ。ンなことよか重要なのは、テメェらの目的の方だ!」

「せっかちだなキミは。目上の話はおとなしく聞くものだって教わらなかったかな?」

「はァ? 誰が目上だ、誰が。」

「あぁすまない、言葉を間違えたようだ。そうだな、この場合は〝格上〟が正解か。」

 言葉は極めて快活に、態度は極めて横柄に。白い男アンティアヴィラタの言葉は、完璧すぎるほど完璧にノーティを苛立たせる。

「……好き勝手ぬかしやがって……吐かねぇつもりなら力尽くで訊き出すまでだ! 覚悟しやがれ!!」

 相手を鋭く睨み、牙向くように苦々しく口をゆがめ、腹底から怒号を轟かせるようにノーティが叫んだ。

「キミひとりで何ができるか、実に見モノだね。あ、そうだ。言っておくけど、新人其ノ二クンの助けは期待できないと思うよ?」

「……どういう意味だ?」

 そんなノーティに対し、アンティアヴィラタはなお煽るように返しながら、もうひとつ言葉を付け足す。

 ブラフか、はたまた時間稼ぎか。ノーティの表情が怪訝に曇った。言葉の真偽を量りかねながらも、警戒の姿勢は解かないまま問い返す。

「マヌケな新人クンたちは気付いてなかったようだけど、キミたちが守ってた地球人には、それはそれはしつこくて執念深いがついててね。」

「……何、だと……!」

「で、その寄生虫が、そろそろ宿主から出てくるころだなって話。」

「宿主って、まさか……!」

「おっと、其処は安心したまえ。キミたちとちちくり合ってた方じゃないよ。」

 アンティアヴィラタが示唆したものに、ノーティはひとまず胸を撫で下ろした。だが、それで本来的な危機がなくなったわけではないことを、すぐに思い返す。

 対象がひかりでないとすれば、それは必然的に、の方ということになる。そして当然、そのも、既に地下へと避難しているだろうこともまた、予想に難くない。

「だからほら、もうひとりの新人クンは戻れそうにないって言ってるわけだよ。あっちも今ごろは、なかなか大変なたのしいことになってるんじゃないかな。ま、そういうワケで、ボクもさっさと済ませて、あっちを覗きに行かせてもらうとするよ。」

「フカしてんじゃねぇぞテメェ……!」

「もうひとりの新人クンがいなくなったのはちょっと予想外だったけど、相手をする数が減ったのは好都合……ってほどでもないか。ザコが1匹減ったところで、こっちの手間はあんまり変わらないしね。」

 明後日の方向に視線を馳せ、何処までも軽い調子で放言するアンティアヴィラタ。ノーティの感じているイヤな予感を、下卑た嘲笑でたっぷりと煽る。

 自分たちが分断される羽目になってしまったのは、あくまでもなりゆきからであり、あのときの判断はそれで確かに正しかったと思う。だが今、それが裏目に出ているのもまた、事実だった。

 まるで、あざなえる縄の如く、置かれた状況の最善と最悪が、よじれて、ねじれて、解き難いほどにがんじがらめになっている。

「……要するに、さっさとテメェぶちのめせば済む話ってことだろが!」

 じわじわと積み重なる悪手を、しかし今は悔いる暇などない。

 ギリギリと、アンティアヴィラタへの嫌悪で歯噛みする顔を隠しもせず、ノーティは低い声でうなるように吼えた。

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