第11話

  ごく静かな打鍵音。

 室内備え付けの机の上、ノートPCのキーを叩く蝦名の手許で、それは響く。

 今日は本来「少々忙しい一日」になる予定だった。が、終わってみれば、少々どころではない慌ただしさで、さすがに強い疲労感を覚えている。

 とはいえ、今日の出来事は報告しないわけにいかないものばかりである。責務を果たさず終えるなど、蝦名の主義に全く反することであり、有り得てはならない。

 疲れと眠気を押しやりながら、レポートを打ち込んでいく。

 来星以降の二度の襲撃と、ナマートリュの敵対者の発覚。その懸念については先の折から既にあったが、今回の襲撃で、ほぼ確定したといっていいだろう。

 もっとも、「敵対」の理由が、「ナマートリュが地球を守っていたから」というのは、彼等ナマートリュにとっては皮肉に過ぎる話かもしれない。

 そして同時に、蝦名自身が確認したかったことも、一部とはいえはっきりした。

 ナマートリュは、自らの敵対者を増やしてしまう可能性があると知りながら、それでも地球を守ってきた。それも、途方もなく善良で献身的な意思で以て――である。

 蝦名の抱いていたナマートリュへの不信も、これで僅かながらとはいえ薄れた。

 それでも、ナマートリュと交流を結ぶにあたっての問題が、すぐに解消するわけではない。むしろ、これらの不安要因と事情をふまえ、改めて彼等との関係を考える必要が出てきたとも言える。

 ともあれ、この件が対応の複雑化を余儀なくする要因となることは、今の時点でも明白だ。

 そういう意味では、解決の難度は逆に上がったと考えねばならないだろう。

 キーを打つ手を止め、蝦名はしばし考え込んだ。

 政治的判断の話だけではなく、現時点で直面しているについても考えねばならない状況である。

 あの黒い男が言った、「襲撃についてはこれが最後でもない」という言葉。それが本当ならば、リテラ滞在の危険度は、これまで以上に大きく上がったと考えるべきだ。

 まして、組織人である己はともかく、主賓たる同行者は全くの一般人だ。安全確保のために滞在を一旦中止し、地球に帰るべきなのではないだろうか。

 だがその場合、ようやく開かれようとしている交流の端緒が、一時的とはいえ途絶することになる。

 たとえ外的要因によるものであろうとも、いや、外的要因によるものだからこそ、善性の生命体であるナマートリュが、ために、あえて交流を絶つことを選ぶ可能性すらある。

 それは――そういう事態になるのは、何としても避けたい。

 思い浮かぶのは、今回の訪星を実現させるために粉骨砕身してきた己の上官の姿だった。

 その積年の労苦を間近で見てきた蝦名にとって、今回の任務がに終わるというのは、敬仰するかの人を大きく落胆させてしまうということである。

 そしてそれは、己の面目を失うことなどより、はるかに大きな失態であると、蝦名は認識していた。

 ある意味、蝦名の唯一の私情ともいえるその認識おそれが、理性と責任感で動いているはずの蝦名の思考速度を、僅かに鈍らせる。

 交流の中断か、続行か。

 だが、判断を仰ごうにも、現地リテラから地球への連絡手段は存在せず――否、連絡手段そのものは存在する。

 ただし、それを使うには少々手間がかかる、というだけで。

 地球から遠く離れたこの星で、地球と直接繋がることが可能な場所は、自分たちが来星する際に使用した「星間移動用の転移門」のみ。当然、地球との連絡も、そのシステムを介して行うことになる。

 だが、その使用には、ナマートリュ上層の「許可」が必要だった。

 防衛において、「他」と繋がる場所というのは、避け得ないボトルネックであり、必要であるがゆえに存在してしまうウィークポイントでもある。

 二度に亘って行われた襲撃を考えれば、今後、地球との唯一の接点である転移門を狙われる可能性は、決して低くはない。ましてや、ナマートリュへの敵対感情から地球人を害することを考えているならば、これは極めて蓋然性の高い予測であるといえるだろう。

 蝦名とて、まがりなりにも防衛組織の人間だ。そのこと自体については、全く理解の範疇にある。

 無論、緊急であると訴えれば、彼等とてそれを使うことに異を唱えはすまいと思う。それでも、相応に慎重な対応にはなるはずだ。

 この状況を緊急事態として、速やかに帰星すべきか。

 或いは、このまま滞在を続行し、事態の究明と解決を待つべきか。

 思考の逡巡と混迷が、レポートをまとめるだけの手すら止めてしまうほど、その悩みは大きく膨れ上がっている。

 結局、蝦名が就眠に意識を落とすそのきわまで、その混迷が途切れることはなかった。



 深夜である。いや、深夜と言っていい時間、というべきか。

 小さな常夜灯が灯る室内で不意に動いた気配は、ベッド上にむくりと起き上がった。

「う……目さめちゃった……」

 起き抜けに目をしょぼしょぼさせながら、ぼそりとひかりは呟いた。もそもそとベッドを下りたのは、強い口の渇きを覚えてのことである。

 机の上に置いてあるボトルから、コップに水を汲む。ひとくちふたくち、口に含んで嚥下して、みくちめは少し多めに、ごくりとのどを鳴らして飲み込んだ。

 寝てはいたのだ、寝ては。ただ、何だかいつもより寝付きが悪かった。室内温度も空調も、全然全く快適なのに、妙に落ち着かない。

 もしかしたら、この快適さ――というか、地球人のために至れり尽くせりの、ある意味では過保護なまでに都合がいい状態こそ、ぼんやりと感じているこの落ち着かなさの原因なのかもしれない。

 守られているのは、安心していいこと、のはずなのに。

 考えのとりとめなさも相まって、よけいに目がさえてしまった。こういう状態のときは、寝るにはあんまり都合がよくない。

 なので。

 よし、軽く散歩しよ! 元々じっとしているのは苦手なクチである。多少なりとも身体を動かせば、適当に疲れて眠ることもできるだろう。

 思いつきを実行するため、ひかりは持ってきた着替えの中から、薄手のカーディガンを引っ張り出した。パジャマの上にそれを羽織って、とことこと部屋を出る。

 は、夜空の再現もばっちりだった。

 外の空がそのまま映し出しされていると聞いてはいたが、リテラの夜の空は、ひかりの住んでいる場所から見るものより、ずっとずっと星だらけのようだ。

 夕涼み、というにはずいぶん遅い時間だが、眠れないものは仕方ない。渦巻くほどに星だらけの空を見上げつつ、ひかりは特に目的もなく庭園内をそぞろ歩くことにした。

 施設内の環境は夏の日本に準拠しているとのことだが、体感気温は適度に涼しい。カーディガン羽織ってきて正解だったぁ、とか意味もなく得意な気持ちになる。

 外灯はないけれど、庭園のところどころに、淡く発光する鉱物様植物が植えられている。明るいとは言い難いが、夜歩きの散歩道を照らす程度ならば、全く困らない光量だ。

 そんな中をぽやぽやと歩き始めたところで、ひかりは人影を見つける。すれば、人影の方もひかりを見つけたようだ。

 あちらが、ぺこりときれいな形のお辞儀をする。そしてそのまま、ひかりのいるところまで足早に歩み寄ってきた。

 薄明かりの中から現れたのは、赤みの強い金髪と、虹色を帯びた赤銅色の瞳が印象的な、これまた当然のようにイケメンの、年若い青年。

「こんな時間に、どうされました?」

「え、と……変な時間に起きて目がさえちゃって……それで、眠くなるまで散歩でもと思って……」

 丁寧な言葉遣いで話しかけられ、何となくばつが悪い心地になった。夜更かしをとがめられているような気分だが、勿論、相手にそんなつもりは毛頭ないだろうから、アハハと軽く笑ってごまかしておく。

 実のところ、ひかりも全く知らない相手でもない。

 リテラの重要施設を守る警護員で、滞在施設の外側の警護を担当しているうちのひとりで、先日の模擬戦闘では、フィニットとノーティを苦戦させた実力の持ち主で。

 雑談がてらに、あのふたりとの訓練生時代の話なんかも、ちらっと聞いたりしている。

 名前は、何だっけ。確か──

「お散歩はいいですが、お身体を冷やさないようなさって下さい。今日は護衛のふたりもいませんし、警備する側としては、できれば室内でお過ごし頂く方が安心なんです。」

 思考を巡らせかけたひかりに、明朗だが、何処か困ったような調子で相手が告げる。

 そうだった。あのふたり、今日はこっちには戻れないんだっけ。

 ナマートリュは睡眠を必要としない、みたいなことをふたりから聞いたことがある。それでも、こうして夜通し見張っているのは、結構大変なんじゃないだろうか。

 自分にとっては眠気が来るまでの気軽な散歩でも、相手とっての自分は、あくまでも警護しなければならない大切な対象。

 本来なら眠っているはずの警護対象が、こんな時間にひとりでぶらぶらしていたら、何も起こらないにしたってやっぱり心配だろう。

「やっぱりそうですよね。はーい、もうちょっと散歩したらすぐ部屋に帰りまーす。」

 だから、ひかりは素直に返事をした。

 おやすみなさい。告げた声に、相手も軽いあいさつと会釈を返してくれる。

 その場を離れて、しばらくまたほてほてと散歩を続けた。

 そのうち、ふわぁ、と大きなあくびがこみ上げてくる。どうやら、ようやく眠気が戻ってきてくれたらしい。

 これで寝られる、このままさっさと寝てしまおう。

 せっかくやってきた眠気を手放さないよう、ほんの少し早足で、来た道を戻る。

 やがて、眠気にしょぼつく目に自分の部屋の入り口が遠目に見えた辺りで、よく知っているようなものを見たような気がした。

 見かけたものに、んん? と首を傾げる。だが何せ、今はもう眠気が強くてかなわない。

 それに、自分の覚えに間違いがなければ、あれは「たとえ声をかけてもに決まっている」のが容易に想像できてしまう人物の姿だった。

「うーん……蝦名さん……よねぇ……?」

 確認するように名前を呟いたひかりの視線の先には、こちらには気付いた様子もなく、ただ足早に、横切るように歩き去っていく姿があった。

 そっか、蝦名さんみたいな人でも夜更かしするんだ。にしても何処行くんだろ?

 眠たさにまとまらない思考のまま、ひかりは考えた。蝦名が歩いていった方向は、少し歩けばすぐに行き止まりで、特に何かあるわけでもなかったような気がするのだが。

「……まぁ……ふわぁ……うん、いっか……」

 二度目のあくびが出て、いよいよ本格的に眠くなってきた。

 結局、そのまま特に深く考えることもなく、自分の部屋に帰り着く。

 無事にベッドに収まり、部屋の中に、すよすよと心地よい寝息が満ちるまで、それからさほどの時間もかからなかった。

 翌朝も、特に変わったことなどない朝だった。

 あえて言うなら、毎朝決まった時間に体調管理に来るシンが、少し遅れて来たくらいのことだろうか。

 フィニットとノーティも、その日には元気になって戻ってきたし、蝦名も、重なる多忙で疲れが取れなくなってきた、とか何とかこぼしていたが、相変わらず精力的に自分の任務をこなしている。

 ひかりは、残り少しになった宿題を終わらせるためのラストスパートに取りかかった。今日はすこぶるはかどったので、なかなかに気分よく過ごせた。

 本当に、特に何の問題もない一日だった。


――後から思い返してみれば、は既に始まっていたのだけれど、そのときはまだ、何も、何も知らないでいた。



「報告します。昨夜、〝箱庭〟内部で発見された警護員の遺体ですが、この後、奥棺処セプルクラムへ運び入れ次第、還葬と致します。」

 ダルクを構成する組織の長が集う執務室。統括長フラーテルのゾハールと、警護長クストーディのシェルダを前に、警護員のひとりが告げる。

「そうか、御苦労だった。」

 返る声は、ごく短い。

 発したのはシェルダだった。

 報告を終えて、室内から姿を消す警護員。しばしの間、黙ったままその場所を見つめていたシェルダは、巻き癖の強い、短く刈り込まれた赤銅色の髪に手を差し入れて、ぐしゃぐしゃとかき回した。

 大きな溜息めいた仕種と共に出たそれは、心内の落ち着かなさを示している。

「……敵方あちらも、本格的に攻め手を詰めてきたか。」

「そうだな、まさか施設内こんなちかくで直接とは……予想もしなかったよ。」

 幾らか重く発せられたゾハールの言葉に返して、シェルダは手を止めた。ゾハールを振り見るその顔には、苦りに苦った表情が、ありありと浮かんでいる。

 昨夜のこと。

 施設警備を担当していた警護員のひとりが、遺骸として発見された。

 体の中から生命鉱石がごっそりとえぐり取られ、更にあろうことか、まるで何かに喰い散らされたような、むごたらしい姿となっていた。

 生命を奪われるだけではなく、尊厳すら否定するような惨状に、事態に気付いて駆けつけた他の警護員たちも、一様に言葉を失っていたという。

「……あいつなぁ、警護員になってまだそんなに経ってなかったんだ。そっちのルーキーどもと同じく、期待の新人ってヤツでな。」

「知っている。お前がその新人をずいぶん目にかけていたことも、よく知っている。訓練生時代の成績は、あのふたりより上だった。筋も良く、一時は活動員としての候補にも挙がっていた。」

「最終的な適性で警護員こっちに決まったときは、お前んとこより優秀なのが来るって、俺も内心快哉を叫んだんだがな。……ま、それも過去形になっちまったが。」

「そうだな。」

「……いや、もうちょっとこう、言い方とか慰めようとかあるだろが……お前ホントそういうとこ反応薄いよな……いや、そういう奴だってのはよく知ってるけどよ……」

 シェルダが心底あきれたように言ったのを、ゾハールは軽い無言で受け流した。悪態をつくのにも似た互いのやりとりは、けれど、内懐に抱いた悲嘆をあからさまにしないように律する態度の裏返しでもある。

 本来ならば有り得ない状況、有り得ない形で、犠牲となってしまったもの。

 赤みの強い金髪と、虹色を帯びる赤銅色の瞳の、穏やかで快活な笑顔が印象的な若者だった。

 長命ゆえに出生率の低い種族であるナマートリュにとって、年若いもの、ひいては全てのというものは、掛け値なく宝と呼べる存在である。

 なればこそ、たとえその命のひとかけらであろうと、無為に失われることなど望みはしない。

 これまでに、不慮によって失われた命は、もちろんあった。けれど、それらをひとつたりとも忘れたことがないように、あの若者が存在していた事実を忘れることもまた、ないだろう。

 ただし、長たる立場の彼等は、同時に、感情とは違う理性の部分で「今は感傷に浸っている余裕などない」ということを、はっきり理解していた。

 明らかな敵意と害意を以て、破壊と殺戮をもたらす「敵」の存在。

 その「敵」と直接遭遇したフィニットとノーティ、そしてシンの報告を総合すれば、これが楽観とは無縁の事態であることも、事実である。

 敵の周到さや狡猾さに対し、後手の対応しかできないこちらの現状。それが、長たるものたちの忸怩たる思いに拍車をかける。

 それでも、為すべきことを、彼等はただ為す。

 敵について、少ないながらもわかったことは大きく三点。

 自分たちナマートリュを相手に、戦闘行動が可能なレベルの能力を持っていること。自分たちが地球を守ってきたこれまでの過去に関連し、何らかの強い遺恨を持っているらしいこと。

 そして、今後も更なる襲撃を行うと断言していること。

 事の重大さに対して、余りに少なすぎる情報量ではある。だが、過去に因縁があるということは、かつての何処かにおいて、その敵と遭遇している可能性も当然高い、ということだ。

 つまり、相手は全く未知ではない――

 しかし同時に、ナマートリュが地球を守り始めてから相手にしたなど、それこそ星の数にも及んでいるのだから、それはそれで大概な話だった。

「まぁ、あんまり考えたくない数なのは、間違いないな。」

「絞り込むにも相応の時間がかかるだろうが、やらないわけにもいくまい。」

「っていうか、過去に該当があるんなら、活動員そっちどもにも訊いてみたらどうだ。あいつらなら、何か思い当たるフシがあるかもしれないだろ?」

 難儀そうな顔をして返したゾハールに、シェルダがふと思いついた顔で言った。

 その言葉に、ゾハールががわずかに瞠目する。

「それは……悪くない案だ。」

 じわりと得心いった表情でシェルダを見た後、うっすらと表情を緩めて頷いた。

「呼び戻される方はそれなり面倒臭かろうが……って、お前のそういう顔ってな、妙案が浮かんだってよりも悪さを思いついたって顔だよな。」

「人聞きの悪いことを言わないで欲しい、と言いたいところだが、確かに大差ないかもな。」

「……其処で否定しない辺りが何よりお前らしいよ……」

 淡々と、しかし穎悟えいごに底光りするような笑いを浮かべて言うゾハールに、シェルダは今度こそ、本当にあきれたように言った。

 確かに、地球での活動が長いならば、何らかの糸口を持っている可能性も高いだろう。

 何故、そんな簡単な方法すら思いつけなかったのか。思ったより己の視野が狭まっていたようだ、と自らを叱責し、ゾハールはもう一度小さく笑み頷いた。

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