第09話
暗壁の底、照らす光は彼等自身。崩落した岩や土砂が散在し、揺らめく影を作る中、ふたりと対象の追いかけっこはなおも続く。
地中を逃げ、姿を隠しながら地這う獣を、見つけ出して叩く。今この瞬間、それは五度目に及んだ。
「あーもー、まどろっこしい……!」
じれったそうにぼそりと呟いたノーティに、さもありなんとフィニットは思う。
確実にダメージは入っているが、攻撃するたびに位置を変えて逃げる相手を、未だ外へ引きずり出すに至っていない。
どちらかといえば性急なたちであるノーティにとっては、歯がゆいことこの上ないはずだ。
いわゆる「
逆に、探査や索敵といった「
各々にそういった不足の自覚があるからこそ、ふたりはコンビを組むことを選択した。
だが、「役割分担」にはどうしても
コンビとしてはそれなりに上手くいっていると思うのだが、踏んだ場数が少ないことに関しては、今はどうしようもない。完成度という点では、まだまだ全然足りていないのだ。
勿論、活動員として在る以上、どのような状況にも対応できなければならないというのは、どちらも肝に銘じてはいるけれど。
ともあれ、やれることは全てやるしかない。だから、フィニットは今を考える。
対象の逃げている方向にあるのは、ミディアルベ。重要施設である以上、生半なことで機能の全てを失うようなことはない。
けれど、それがいくら「ない」としたって、そもそも被害が及ぶような事態になどならない方がいいに決まって――。
「ンなこたわかってる! だけどもうあっち向かっちまってるんだから、追っかけるしかねぇじゃん!」
考え込みかけたフィニットの思考を、ノーティが読んだ。はっと顔を見れば、ぷっとむくれた、繰り言を聞かされたときのような顔でフィニットを見ている。
「そうだよね、ごめん。」
余分なこと考えちゃった。フィニットは素直に謝って、改めて意識を集中する。
サーチの知覚を拡げて、対象を捕捉。その位置を伝えたフィニットは、此処で更に、自分も一手打つことにした。
拾い上げた感覚を、そのまま反転させる。地中といわず岩窪といわず、感知できるあらゆる隙間に、自らを染み込ませるように、出力する感覚として拡げ、繋ぎ、充填していく。
それにつれて、フィニットの上胸、鎖骨の直下が強く輝き始めた。
其処にあるのは、生命鉱石。どの部位にあるかは個体によりさまざまだが、これは、ナマートリュという種が持つ超常の能力、及び、生命活動に必要な全てのエネルギーを担う、最も重要な器官である。
いうなれば心臓、いうなれば生命核。ナマートリュの体内には、血流ではなく、生命鉱石が作り出す
発する光が、更に強くなる。
肩に、腕に、手に、光があふれる。あふれて、くまなく地に染み出す。
たとえるならば、さながら、不定形の投網。それが、静かに、広く、深く、緻密に拡がっていく。
この網こそ、対象がこれ以上逃げ回らないようにする足止めであり、向こう側に影響が及ばぬようにする防壁でもあった。
ただでさえ広範囲、ただでさえ巨大な対象。それを逃さぬように張り巡らせるには、それなりの出力と集中を要する。かかる負担も、当然さっきのサーチの比ではなかった。
とはいえその負担も、ノーティが確実に当ててくれると確信すればこそ、重荷とは思わない。
ノーティが、キシ、と奥歯を噛みしめる。じれつつも刻々と機を計り、黙々と掌上に光を練り上げながら、ノーティが張り巡らす「網」の完成を待っている。
網の引き手を絞るように
緻密に包囲する網の中、対象は、文字どおりの袋小路に追い詰められていた。にっちもさっちもいかないまま恐慌状態に陥って、自らの掘った穴の中を、ぐるぐるとせわしなく動き回っている。
今度こそ。フィニットが、ノーティに伝えた。
今度こそ。ノーティもまた、フィニットに伝えた。
思念で頷き合う。感覚が同調する。
そして「今度こそ」、対象は真正面に、それを食らった。
対象の動きが、一時的に途絶えたのを確認し、慎重に網を手繰る。展開の範囲を徐々に狭めながら、網に捉えた対象を丹念に走査する。
対象の感触は、楕円形だった。どうやら身体を丸めているらしい。じっとしたまま動かないが、ちゃんと生体反応は感じられる。
もとより、対象を動けなくするだけが目的なのだ。だからこれは当然、予想された結果である。
うん、と、ふたりは頷き合った。
網は、囲い込みであると同時に、対象が崩落に巻き込まれたりしないようにする防壁の意味もある。
ノーティが、周囲を埋め尽くす岩礫を、念動で持ち上げて取り除く。やや大雑把で荒いものの、それもフィニットの網を信頼しているからこその荒さだった。
ごとり。
対象を隠すようにふさぐ、最後の岩塊をどかす。すれば、それは予想どおり、其処に四肢を縮こめて丸まっていた。
丸まった仕種だけを見れば、多少かわいげもあるように思える。もっとも、巨大な図体と、体表を隙間なく覆い尽くす凶悪な鋸歯状の体毛が、そのかわいげを半減どころか激減させてしまっていたが。
念のため、再度対象を走査する。この時点でも、再動の気配は感知されなかった。
「よっし、んじゃ持ってくか。」
対象の動きが止まったことで、ノーティの顔も明るくなる。フィニットも、ようやくほっとした心地で集中を解いた。
あとはこれを回収し、保護施設に運び込めばいい。
対象を地上に運び出すため、ノーティが腕に念動を込めた──そのとき。
リ
リ
最初は、かぼそい鈴の音のような何か、だった。
それが、まるで見えない一本の線のように、流々と途切れることなく聴覚に届く。
ふたりは、怪訝に顔を見合わせた。その間にも、音は、徐々に音度を増し、音量も大きくなっていく。
やがて、周囲の空気までもが、ビリビリと震え出すほどになり。
「何だコレ……!」
「わからない……けど……多分、あんまりいいものじゃない、かも……」
息呑むように怪訝をささやき合う中、状況は慄然と変化していく。
高く低く反響し、渦巻く音が周囲の空気全体巻き込んだ震えを生み、その震えが更なる音震を生む。
共鳴する、積重する、相乗する。
この音震を発しているのが、目の前の対象なのは明らかだ。対象は、自らの体毛の根本を擦り合わせ、それによって生じた音を、鎧のように隙間なく閉じた中で反響、増幅させているのだ。
無限階梯のような、音と振動の連成。それはやがて、ふたりの立っている場にも、大きく影響を及ぼし始める。
砂礫が跳ねる。土砂がうねり、岩塊が割れ、地が砕ける。増幅された音と振動がもたらす物理現象が、堰を切ったように一気にふたりを襲う。
それだけではない。彼等自身もまた、鉱物を原基とする。地を割るほどの音波となれば当然、その影響を免れ得ない。
身体の構成要素が断ち切られるような「痛み」が、
「ぅぐっ……」
どちらともなく、崩れるように膝を突く。力を入れようにも、身体に奔る痛みで、上手く立っていられない。
特に、フィニットが顕著だった。
フィニットには、「打たれ弱い」というウィークポイントがある。自覚してはいたが、こういった物理攻撃に対しての対抗値が、他のナマートリュよりも低いのだ。
更に、今の今まで、ほぼ全ての感覚と力を、探査と包囲に充てていたことも裏目に出た。極度の緊張と疲労から、とっさにバリアを張れなかったのだ。
音震の衝撃で、フィニットが弾かれたように倒れ込む。更に悪い具合に、頭上から崩落する岩塊が迫っていた。
「や、べ……!」
慌ててノーティが跳ぶ。こちらも音震による痛みは感じているが、フィニットとは逆に、並以上に丈夫な
倒れたフィニットを拾い上げたところに、岩塊が落ちてくる。まとう光を急いで手のひらに収斂し、頭上へ放り投げた。光はぶわりと膨らんで、たちまち球状のバリアになる。
砕けた岩が、砂礫が、轟音と共に文字どおり土砂降りになる中、バリアはそれを遮りながら、中空へと浮上する。
音波はなおも、震えて重なり響き合う。周囲を破壊するだけには飽き足らず、ついにはミディアルベの堅牢な外殻にまで、その影響を及ぼし始めた。
「ヤベぇ、めちゃくちゃヤベぇ……! おい、フィニット、おいってば!!」
フィニットのあわやをしのいだものの、あっちは全く想定外の被害である。ノーティは、青ざめる心地で、慌てて横たわるフィニットを揺さぶり起こした。
「おい、大丈夫か?!」
「うん……何とか……」
うめくように返事をしたフィニットは、痛みに軋る身体をゆっくりと起こした。
「……オレたちはともかく、ミディアルベにまでダメージいっちまった……」
狼狽の混じるノーティの言葉につられて、下に目を向けた。見れば確かに、ごく一部ではあるが、崩れかけている場所が見える。
勿論、重要施設であるミディアルベが、脆弱な造りのはずもない。だが、この建造物の地下には、更に重要な機能を担う部分が多く存在している。
つまり、これ以上の被害の波及はさすがにまずい、ということだ。
「だったら尚更、早く対処しなきゃ。思うに、あの音波への対処自体は難しくない……ってまぁ、僕は食らっちゃったけど。」
「難しくないって、どうすんだよ?」
「音の波形を特定して、その波形と同じ波形をぶつける。消波の原理は知ってるでしょ?」
「……あったなァそんなの……」
忘れていた、という顔でぼやいたノーティに、そんなことだろうと思った、と溜息に苦笑がまざったような表情で返す。それから、フィニットは、細かく罅入る自分の手を、じっと見つめた。
音の波形を特定する。
できる、──できている。自分を
「状況的に、できるだけ短時間で、できるだけ発生源の近くで、僕が直接対処するのが理想なんだけど。」
「つまり……何だ、オマエが、アイツを、直接殴りに行くってか?」
「殴るわけじゃないよ。とはいえ、それに近いことをしないといけないんだけど。でも、この状態だからね、ノーティのフォローは必要だ。」
「ていうかよ……オマエ、そのまま行く気か……?」
フィニットの罅入る手を見て、ノーティが不安げに訊いた。
確かに、一度ダメージを回復させてからの方が、身体の安全は確保できるだろう。けれど、その時間は、今はない。
「うん、僕が行く。だいたい、ノーティが行ったってすぐに音を特定できないでしょ。」
「……そ、其処はまぁ、反論できねぇ……」
「それに、対象が音波を変調してくる可能性がある。なら、僕の方がすぐ対応できて都合がいいよ。」
指摘に思わず言葉を詰まらせたノーティに、フィニットは軽い笑いを向けた。
もう一度、自分の手を見つめる。
ノーティが自分のことを心配してくれたのは嬉しかったが、それでも、やはりこれはフィニットがすべきことだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。張り付きさえすれば何とかなる……と思うし、多分。」
「おいおい! そんな特攻もどきな提案しといて、今更弱気な方向にいくなよ!!」
少々頼りないフィニットの言葉に、ノーティが思わず眉をつり上げる。
「弱気も何も、不測の事態の可能性は常に考えてるからね。でも、今はそれ以上に、一刻も早く何とかしなきゃいけない。下手に長引けば、却ってこちらが不利になる。」
固い意志を示すように言うフィニットの顔を、ノーティは寸時、じっと見据えて、そして。
「オマエを、アイツの近くに放り込めばいいんだな? ……任せて、いいんだな?」
「うん。」
短く、けれどはっきり返したフィニットに、ついにノーティも「わかった」と頷いた。
これ以上の時間的猶予はない。ノーティは自分たちを包む光球を、対象の場所へと近付け、音の隙間に無理矢理ねじ込むように、ぎりぎりまで接近する。
受ける音度は、バリアを張ってもなお、そのまま砕かれるか弾かれるかしそうなほどに強い。
歯を食いしばって、ノーティが光波の出力を増やした。これで当座のダメージはほぼ防ぐことができる。
いよいよだ。フィニットは、自分の罅入る手を突き出した。
対象に直接当てるには、自分の手を外へ出す必要がある。ためにこそ、此処に受けるダメージは、どうしても避け得ない。
間を隔てるバリアが薄れていくにつれ、痛みと、痛みと同質の軋みが、伸ばした手の先からフィニットの感覚を襲い来る。
触れる部位は最小限。それでも、フィニットの腕に入る罅の数は、見る間に増えていく。
そんな、いつ砕けるかもわからない軋みの中、フィニットの手が、ついに届いた。
触れる対象の、表面を鎧う
だが、それにはもう構わない。
己が身体で感じ取った波と同じものを手にこめ、一気に対象へとぶつけた。
対象と同じ強さ、同じタイミングで発されたその波は、ぶつけた瞬間から功を奏す。
反響する音が、その瞬間から、ふっと消えた。あらゆるものを揺さぶっていた振動も、それを境に急激に遠のいていく。
音の対消滅。
対象が、この状況を
灰鈍をゆっさりと揺らし、消えた音を、もう一度起こそうとするように。
当てた両掌に伝わってくる対象の動きを拾い出して、更なる波長の微調整を行う。僅かな変化にも都度都度に対応し、対象が発する波形と同じ波形を、常に正確に発し続ける。
高い集中力を必要とする作業だが、フィニットは、丹念に飽くことなくそれを繰り返した。
結果。
辺りは、無音に似た静けさを取り戻す。
崩れかけた暗壁から、ばらりと礫石が落ちる音が響いた。つまり、その程度のささやかな音も聞き取れるほど静かになっている、ということである。
待ち構えていたノーティが、此処ぞとばかりに動いた。バリアは、音と振動が遠のいた時点で解いている。
今、ノーティは自らの力を自在に使える、ということだ。
対象は、ひとつ。
こちらは、ふたり。
準備できたぜ! 力強く心強く知らせる思念が、フィニットに届いた。
フィニットが対象から手を離す。入れ替わりざま、ノーティの手が同じ場所に突き入れられる。
標的のど真ん中、練りに練ったまばゆい光波に包まれていた拳が、抉るように対象を捉えた。
光が爆ぜる。対象の表層を固く鎧う灰鈍が、その瞬間に、破片となって砕け散る。
穴が、あく。
さながら、
げああ! と響いた、音ではないもの。悲鳴のようなそれは、拳の一撃が確実に対象に届いたことを示していた。
身を守る形だった楕円は崩れ去り、うねくり、のたうつように地響きをたてながら転がり回る。
外殻が砕けたことで、対象は音波を増幅する術を失った。無力化とまではいかないにせよ、少なくとも、先刻のような強烈な音波攻撃を食らうことはない。
そして危険度が下がれば、あとは対象との純粋な力比べになる。
「ノーティ!」
「おぅよ!」
フィニットが呼びかける。それに返る声は、意気揚々と高らかだった。
ノーティが、それまで以上に迅速に動く。星が奔るように飛んだのは、自らがあけた、文字どおりの突破口、対象の鎧う鋸刃のその下。
所定の位置についたノーティを確認し、フィニットはようやく、自力でバリアを張った。
自分の役目は、此処で終わりだ。対象から距離をとりつつ、改めて、自らの腕に目をやれば、触れていた手は二の腕半ばまで、ほぼ完全に砕けてしまっていた。
それでも、やれることは全部やれたはず。フィニットは内心で自身に胸を張る。
あとは、ノーティに任せればいい。ノーティがフィニットを信じて、任せてくれたのと同じように。
対象の体毛がどれほど硬かろうと、その下に守られる皮膚そのものは、あくまでも柔らかい。その表皮にすかさず取り付いたノーティは今度こそ、対象本体へ直接、拳を叩き込んだ。
これほどの巨体を覆うものである以上、皮膚の厚みは相応にあると思われる。対象の毛一本の太さほどしかないノーティが揮う拳など、その体表面積に比べれば更に極小の点でしかないだろう。
事実、ノーティの拳は、叩き込んだ場所を大いに窪ませはしたものの、皮膚を貫いたわけではない。
しかし──今は、それこそが正解だった。
対象の皮膚下に存在する神経点を、拳で叩き付ける。その途端、足許が大きく揺れた。
対象のもんどりうつような激しい反応は、表皮越しの生身に、相当な痛みを与えたことの証左である。
たとえ貫かずとも、皮膚の厚みを越えて届くなら、むしろ針のように小さな打点で打ち込む方が効率がいい、ということだ。
狂騒状態に陥った対象は、ノーティが張り付く場所に、自分の尖った鼻先をごりごりと押し当てる。
異物を掻き落とそうとし、或いは、岩塊に身体をこすりつけながら地を転がり。残った剣毛を逆立ながら、ゆっさゆっさと振り払うように身体を震わせた。
痛みの原因を取り除こうと、対象が必死に抵抗する。その動きに振り落とされないよう、ノーティは幾本かの折れた体毛の根本にしがみつき、更にもう一発、同じ場所に拳を叩き込む。
げああああぁ!
ひときわ大きく、喚くように哭いた対象は、ついに、どうっと崩れるように倒れ込んだ。
その衝撃で、崩落した岩礫が崩れ落ちた。痛みにのたうち身を
「いい加減おとなしくしろって! もうこれ以上痛ェ目あうのイヤだろ、オマエも!」
げあぁげあぁ、と、哭き声を響かせながら転がりまわる対象に、ノーティが声を張り上げた。
聞こえているのかどうかはわからない。それでも、大きな声で何度も呼びかけると、やがて、「げあ」と力ない一声を上げた。
自らに張り付く「小さな何か」に気付いた対象は、そのまま背をぐるりと丸める。その何かがいる辺りを覗き込むように、首をぬっと伸ばす。
青白く光る真ん丸の三ツ目が、じっとノーティを見た。一瞬ぎょっとしたノーティだったが、やがて、小刻みに震えながら伸ばされる首の付け根に、銀色の異様な機械が露出しているのを見つけた。
これだ! ノーティが、見つけたものを知らせる。
同じだね。受け取った知らせに、フィニットが返す。
半ば露出する形で埋め込まれ、生体の負担など全く考慮されていない構造。生来の身体に改造を施して武器化し、脳や神経に強制的に命令を送って操るもの。
以前の襲撃に使われた原生生物にも、そうだ、こんな機械が付いていた。
げあぁ。
対象が、なおもぐいぐいと首を伸ばしながら、もう一度哭いた。これを取ってくれ、何とかしてくれ。ふたりには、そう言っているように思えた。
確かに、これを除去できれば、対象を無力化し、なおかつ理不尽な命令から解放できる。だが、悔しいことに、ふたりはこれについての処理知識を持ち合わせていない。
この機械が、対象の脳幹や神経叢など奥深いところまで繋がっていた場合、半端な知識で処置をすれば、対象を死なせてしまう可能性もある。
だから、今のふたりにできるのは、生命活動に支障が出ない部分の神経を探して切断し、機械から出される命令を一時的に遮断することだった。
対象を処置できる施設まで連れて行くまでの応急措置だが、それくらいなら、新米の自分たちでも何とかなる。
そう胸をなでおろすフィニットに、けれどノーティは、心底情けない顔で、フィニットを振り返った。
そうだった、こういう細かいことが心底苦手なのだ、ノーティは。
「……あのね、いつでも僕がやれると思わないでよね!」
溜息めく思いで肩を落としながら、呆れたようにフィニットが言う。先の襲撃のときもそうだった。自分は苦手だから、と、ノーティはこの作業をフィニットに全部丸投げしたのだ。
だが、今回ばかりはそうはいかない。風切りの音と共にノーティのところへ降り立ち、フィニットはじとりとノーティをにらんだ。
「僕がこの状態だから、作業が無理なのわかるよね?」
だから、ノーティがやるんだよ? 言葉にも、言葉の外にも、強い圧をこめて言う。
「でもよぉ……」
なおも情けない声を出すノーティに、砕けて欠けてしまった腕先を、これ見よがしに振ってみせた。
たじろぐノーティの反応は予想どおりだったが、今回ばかりはやってもらわねばならない。
うぅだのあぁだの、しばらくさんざんうめいていたノーティは、やがてようやく腹をくくったらしい。おそるおそるの態で、機械の埋め込まれる辺りに手を触れた。
対象も、やっと自分の意思が通じたと判断したのだろうか、じっとおとなしく待っている。
覚悟を決め、できるはずだと言い聞かせ、ノーティはおそるおそる切断位置を探し出した。
位置を確認するように自分を見る顔に、フィニットが頷き返す。
いや、見えてンなら指示とかくれたっていいのによぉ。悪態まじりに呟くノーティだったが、本来なら、これもひとりでやれることだというのもわかっているから、呟くだけにとどまった。
対象の神経を必要以上に傷付けないよう砕心し、無理矢理繋げられている部分だけを、細心の注意を払って切断する。切断した直後、ビクンと対象が震えを起こした。思わずふたり揃ってぎくりとしたものの、その後は特に何の反応もなかった。
おそらく、神経を切断したことによる、反射的な動きだったと思われる。
けあ。
応急処置が無事に済んだことを示すように、対象がさっきよりも一段軽い鳴き声を発した。
ノーティへ向けて伸ばしていた首をくんにゃりと戻し、丸めていた背を安心したように伸ばす。
どうやら、機械から強制的に入り込んでいた命令は、それに逆らえないことも含めて、かなりの不快を対象に与えていたようだ。
不慣れから多少手間取りはしたが、自由を取り戻した身体を地に長々と寝そべらせる対象を見て、ふたりはほっと胸をなでおろす。
あとは、上で地球人の保護に回っているシンに事態の報告を、と、一段落ついた心地で暗壁の底から明るい空の条線を振り仰ぎ──
ふたり揃って、目をむいた。
「やぁやぁ、御苦労さんだね新人クンたち。この程度の相手にずいぶん苦労してみたいだけど、それでこの先やっていけるのかなぁ?」
場にそぐわぬ、はつらつとした口調の明るい声。其処にはしかし、ふたりに対する明らかな嘲弄が、ありありと含まれている。
ふたりが見あげた中空に、白い男が、いた。
チリひとつない真っ白のスーツに、同じ色の帽子と靴。精悍さに彩られる端正な顔は終始にこやかで、黄金律を帯びる見事な体躯はすらりと
できすぎなほどにできすぎたその造作は、いっそ作り物くさくすらある。
姿形は地球人やナマートリュのそれに近い。が、少なくとも、中空に浮くなどという芸当ができる時点で、地球人の可能性は消えている。
そして、こんなあからさまな悪意を以て他者を見下す態度をとるものが、
「まぁでも、君たち結構頑張ってたしね。だから御褒美として、コレを持ってきたボクと御対面させてあげようと思ったワケさ。嬉しいだろ?」
咄嗟に身構えたふたりに向け、白い男は大げさな身振り手振りを交えつつ、笑う口の端をにやにやとに吊り上げる。
端正な顔に全く見合わぬ下卑た
「コレを持ってきたって……テメェ、何モンだ?!」
「おーっと、そんなにいきり立たないでくれるかな、新人其の一クン。残念だけど、今日のボクは顔見せだけで、キミたちに何かしようってワケじゃないんだ。……そう、キミたちにはね?」
白い男の口端が、なおも急角につり上がる。邪曲な笑みと共に、まるで指揮棒を揮う指揮者の仕種のように、ひらりとその片手が上がった。
ガァン、と聴覚に障る衝撃。
暗壁の中
ぎぃいい!
銃声の残響が消えるより先に、絶叫が轟く。とっさに振り返ったふたりが見たのは、頭部を打ち抜かれた──否、粉砕された状態で、ひくひくと
愕然とするふたりの目の前で、それは程なく動きを止め、そして──息絶えた。
「……このニヤけ顔ヤロー……何てコトしやがんだ!!」
「まさか殺すなんて……!」
悲憤に声を上げ、ふたりはギッと、白い男を睨みつける。
「おや、怒ったのかい? 処理の手間をかけさせるのも悪いかと、後腐れないようにしてあげたのに。あぁ、それともいらないお世話だったかな?」
それを意に介した様子もなく、白い男は、ただニヤニヤと笑いながら言い放った。
撃たれたのは、おそらく上から。
それならば、シンがいるはずだ。この事態をわかっていて捨て置くなど、シンならば絶対にありえないだろう。
だが、上からのアクションは、今もない。となれば、あちらでも何らかの
知覚外からの攻撃は、超常の感覚を持つナマートリュにとってすら、十二分な脅威となりうる。それを、白い男は今、目の前でふたりにやって見せた。
今の一発が「何処から撃たれたものなのかわからない」という事実が、ふたりの緊張を強く煽る。
白い男の得体の知れなさに薄ら寒い感覚を覚えつつ、ふたりは思念波で現状の対処を
ただ、今の今まで力を使って疲労しきっているノーティと、同じく疲労し、更には両腕を欠いた状態のフィニットのふたりに、いったい何ができるのか、大いに疑問なところではあったが。
「うわ、怖い顔してるねキミたち。言ったろう? 今日のボクは顔見せだけだって。そりゃさ、ボクだって、さっさと殺れるんならこんな嬉しいことはないんだけど、こちらはこちらでいろいろ込み入った事情があってね。そういうワケなんで、またの機会に改めてお目にかかろうじゃないか、将来有望な新人クンたち。……ま、キミたちにはそんな明るい将来なんて、来やしないんだけどね。」
ふたりを見下ろす白い男が、軽く肩をすくめた。吊り上げた口端にこれ以上なく
「……ねぇ……」
「……あぁ……」
ふたりが掛け合った声は、しかし何も続かずに途切れた。あとにはもう、ただの静寂しか残っていない。
ようやく自分たちに心を開いてくれた生物の、無惨で哀れな骸の上。その生物を悼むすべさえ思いつけないまま、ふたりはひたすら、悔しさに歯噛みしていた。
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