ばいばい、臆病

星 空

 嫌い 臆病。


 大嫌い 臆病。


 ばいばい 臆病。



 私は、その人を『君』と呼んだ。その人は、私を『つき』と呼んだ。


 馴れ馴れしく、と言うかもう馴染んでいる。むしろ、馴染み過ぎている。

 だからこそ、呼べない。『君』の名前は呼べない。これから『君』と一生の付き合いになったとしても、名前は呼ばないし呼べない。


 深海の遥か奥底の様な心が、私を支配している。沖に顔を見せない深海魚のような心が、私を創っている。

───支配された心は救えない。きっと、誰も。




「月、おはよ。」


 いつもと変わらない朝、教室に入れば私の唯一の友達、花純かすみが声をかけてくる。

「うん、おはよう。」

 そう返すのもいつもと同じ。

 当たり前の幸せを知らない私は、毎日が幸せだとは思わない。

「今日、私病院だから早退するんだ。」

 色白の彼女が言う。

「そっか。容態、変わってなければいいね。

まあ、毎日こんなに元気だもん、大丈夫か。」

 静かに笑う。

 彼女は生まれつきの持病を持っている。ただ、それを匂わせない明るさも持っている。


 いつも、元気で笑顔で花純の毎日は輝いていて幸せなのだろう。当たり前の幸せを知っているから。

だけど、羨ましいとは思わなかった。なんでかは、分からないけど。

 あ、決して持病だからとか、そんなのではないよ。


 ただ、何となのと感覚だけど毎日が幸せになるのが怖い。私の中で非現実的な、幸せばかりな毎日が怖い。

 だから、今のままでいい。ありきたりで、幸せな日があって、幸せではない日があって、そんな毎日でいい。


「ね、月。私は元気だけどね…もしかしたら、今日の結果次第で入院になるかも…」

 いつも元気で笑顔なはずの花純は、この時、悲しそうな顔を見せた。

 …入院。花純は生まれてからの17年間、この病気と共に生きてきたと以前言っていた。

 私の推測だけど、ちょっとやそっとの事では入院にはならないはずだ。今まで、幾つもの壁を乗り越えてきたのだから。

 なら、それなりの事があったのだろうか…

 いつ?その疑問は、喉元でつっかえて出てこないまま、消えていった。答えはわからないまま…。


 私と花純はほとんど一緒。だから、怖い。答えを聞くのが怖い。例え、何度か容態が悪くなっていたとして、それに気づけていなかった自分が嫌。

 答えなんて、聞きたくない。


「大丈夫、花純は笑って?笑って、全部吹き飛ばそう。花純が暗かったら、私まで暗くなっちゃうし、悲しくもなる。だから、笑って。安心して行っておいで。」

 違う、言いたいことはそうじゃない。

 聞きたいこと、あるんだよ。

 でも、「気づいて。」なんて言えないよ。私が言わないだけだから。

 だけど、本当は気づいて欲しい。


「うん、だよね。暗くなったら病気まで悪くなっちゃいそうだしね…!

 私が笑わないせいで、月の笑顔見れなくなったら、私死んじゃうかも!割と、本気でね?

 ありがとう。月、大好き!」

 花純はそう言って満面の笑顔を見せる。

 ううん、それでいい。

 花純が笑ったら、私だって笑える。嬉しい。

 だから、これでいいんだ。

 本当の気持ちも、聞きたいことも、言いたいことも全部、いらない。

 これでいいんだから…。

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