影の魔女
大谷 山人
第1話
澄み切った夜空に満月がぽつんと浮かんでいる。月は爛々と輝き、周りの星の光をかすませている。圧倒的な強者が他者を寄せ付けないのと同じように、孤高だと思った。
懐から指令書を取り出す。今夜の月は俺の足元から影を伸ばすほど明るく、指令書を読み返すのにランプはいらなかった。
砂漠を行くキャラバンが、道中のオアシスで死霊魔術士の魔女に襲われて壊滅した。隣のオアシスまで逃げ延びた男によれば、一泊する一行を腐り果てた死体の兵隊が襲いかかってきたらしい。護衛の傭兵もいたが、すでに死んでいるゾンビを殺す術もなく、瞬く間に壊滅した。更に、その傭兵の死体も動き出したため、キャラバンは地獄と化した。
一晩中、着の身着のままで砂漠を駆け抜けた男の耳から、死体を統べる女の笑い声が消えることはなかったそうだ。明け方、別のオアシスに辿り着き、憲兵に全てを伝えた男は、糸が切れたように眠りにつき、二度と目が覚めることはなかった。
魔女。外法の遣い手である彼女たちは、その力を自分の欲のために振るい、人々に害をもたらす。滅びた町は数知れず、多くの人が命を、財産を失った。
魔女たちを野放しにしていては、国が滅びてしまう。そう判断した我が帝国は、魔女狩り機関を設立し、そのスペシャリストを養成した。
機関からの指令書には、今晩中に事態を収束させよとあった。派遣されたのは俺一人で、手段は問わない。
眼前にある件のオアシスはとても静かで、まるで獲物を待つカマキリのようだ。擬態し、周りに溶け込み、何も知らない獲物が来ると、すぐさま本性を現し食らいつく。しかし、奴は知らない。俺を飲み込んでしまえば、腹の内から食い破られるということを。
そんなことを考えていると、足元から伸びる真っ黒な影がゆらりと揺れた。夜の闇と、月明かりで照らされ、白く浮かび上がる砂漠のモノクロームの世界で、退屈そうに、急かすように俺の影が揺れている。
「今夜しかないのだから、早くするわよ坊や」
影から声がした。綺麗な女の声だ。透き通った声は聖歌隊のリード・ヴォーカルのようでありながら、その中にある色艶は何人もの男を手玉に取る魔性の女のようでもある。
「わかってるさ。……それと、坊やじゃなくて、ジャックって名前があるんだけど?」
「魔女に真名を教えたら大変なことになるわよ?」
「すでに大変なことになっているんだが……」
この問答も何度繰り返したかわからない。
影もいつもの様に「もっと大変なことになるのよ」と言って、くつくつと笑った。
俺は影の中に魔女を飼っている。いや、魔女が俺の影に住み着いていると言った方が正しいか。彼女の名前はマリィ=ゴールドという。これも魔女としての名前であって、本当の名前――真名ではないのだろう。
マリィは魔女でありながら、百年以上前の魔女狩り機関の設立当初から『魔女を狩る魔女』として機関に協力していたらしい。それが何の因果か俺の影に住み着いている。
詳しくは教えてくれないが、どうしても殺したい魔女がいるようで、魔女狩りに関しては積極的だ。今回も死霊魔術士の仕業と聞いて「私に行かせなさい」と言って聞かなかった。死霊魔術を扱えるのは、魔女の中でも上位の者だけなので、マリィの殺したい相手である可能性が高いらしい。
マリィは帝国にとって劇薬だ。今までに彼女の力をもって殺せなかった魔女はいない。言い換えれば、マリィが帝国に牙をむけば手も足も出ないということだ。その強大さは今宵の月の光のようでもある。
――圧倒的な強者は他者を寄せ付けない。
その結果、本来なら数人の部隊を編成して行われるはずの今回の討伐も、俺一人で行く羽目になってしまった。
月明かりでオアシスの方へ伸びる影が、急かすように揺れている。影ってのは俺の後をついてくるもんじゃないのかよ。
「これじゃ、どっちが主人かわからねぇな……」
そう呟いて、俺はオアシスへ向かった。
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