小さな世界の大きな扉
零
第1話
その、大きな洋館には猫が一匹飼われていました。
真っ黒い猫です。名前はクロ。メスの黒猫でした。
クロは毎日、美味しいご飯をもらって、日向で昼寝をしていました。お屋敷から一歩も外へは出た事がありません。お腹が空いたことも、寒さに震えたこともありません。クロはそれでいいと思っていました。
ある日、クロは一匹のネズミを捕まえました。
小さなネズミです。そのネズミの尻尾を捕まえ、逃げようとするのを楽しむように眺めていました。そして、少し離しては、また捕まえてを繰り返しました。
すると、ネズミはクロの手に噛み付きました。
「いったあい!」
クロはそう叫ぶと手を引っ込めました。するとネズミも叫びました。
「何が痛い、よ!私はもっと、もーっと痛かったし、怖かったわ!」
そう言われて、クロは目をぱちくりさせました。
初めてネズミの目が涙でぬれている事に気付きました。クロの胸がずきりと痛みました。
「あなたは毎日おいしいご飯をもらって、日向で昼寝して、それでいいでしょうけど。」
ネズミは涙を拭いて言いました。
「私達は毎日暗がりを駆け回って餌を探して、必死で生きているのよ!」
ネズミの後ろから仔ネズミがちょろちょろと顔を出しました。
「ごめんなさい…」
クロは噛まれた手を擦りながら言いました。
ネズミ達はクロを睨みつけながら壁の穴に消えていきました。
クロはその日からぱったりネズミを追うのをやめました。
そして、自分の餌を残してネズミたちにこっそり与えるようになりました。
「あの…ありがとう。」
ネズミの母親は困ったように笑いました。
彼女はアッシュと名乗りました。アッシュはクロの知らない外の世界の話をたくさんしてくれました。クロは目を輝かせて聞いていました。
ある日、突然、家から人間が居なくなりました。クロは、おいていかれてしまいました。
もう誰もクロに餌をくれません。寒い夜を暖めてもくれません。
「クロさん。この家を出ましょう。」
アッシュが言いました。
「嫌。私ここから出たこと無いもの。きっと人間たちは戻ってくるわ。」
「戻ってこないわよ。私、幾度かこういうことがあったのを知ってるの。」
それを聞いてクロは哀しくなりました。そして、腹が立ちました。
クロは、ねずみ、に襲い掛かりました。そうだ、ねずみを食べれば良いじゃないか。クロの金色の目が暗い家の中で光ります。ねずみは懸命にクロの手から逃げようとしました。
しかし、クロの息がかかるほど、顔が近づいた時、ねずみは小さく笑いました。
「あなたに助けてもらった命ですものね。でもお願い。子供達は許して。」
クロはそれを聞いてはっとしました。アッシュと過ごしたたくさんの時間。アッシュから聞いたたくさんの話。楽しかった。とても、楽しかった。あの暖かさは大切なもの。
そうだ。
ここで一つの命を奪うより、他に可能性はまだ残されている。クロはアッシュから手を退けるとぺろりと舐めました。
「あなたを食べたって、お腹は膨れないわ。」 そしてクロは、小さく、ごめんね、とアッシュの耳元に囁きました。
そしてにっこり笑って言いました。
「私を外へ連れて行って。」
それから幾日か過ぎた穏やかな春の日に、菜の花畑で、二匹は黄色い花を眺めて居ました。
クロの首には新しい首輪がありました。幸い、新しく可愛がってくれる飼い主が見つかり、その家では猫用の出入り口を作ってくれました。そうして、クロは、以前よりたくさんのものを手に入れました。
「あなたのおかげ。」
それから幾日過ぎても、クロはアッシュにそう言っていました。
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