柚木くんと私

くが

柚木くんと私

柚木くんと私



これを反抗期と捉えられるのは、少し違う。

実際、親に反抗など、したこともない。良い子を演じて振る舞うことは得意だったし、誰からも褒められたから、それが正しいことだと思っていた。

中学生になってもそれは続き、真面目で良い子という印象をみんなに与えていたのだろう。私はそれこそ、絵に描いたような委員長だった。

だからそれはみんなを驚かせた。

遅刻をしなかった私が学校に遅れて行ったこともそうだろうが、それ以上に驚かせたことは、

私が、髪の毛を金髪に染めて行ったことだろう。

みんながみんな、気でも狂ったのかという視線を投げかけて、教師には注意され、クラスメイトには心配され、他のクラスの生徒からは好奇を投げかけられた。

特に両親には異様に怒られた。何があなたたちをそこまで怒らせるのかというくらいに怒られたが、正直話は聞いていなかった。だって両親への反抗とかじゃないから。

ただ私は、ある人の目を引きたかった。

それは、恋人の柚木くんである。



柚木くんとは去年、中学二年生の時に知り合った。大切な指輪を失くした私を、手伝ってくれたのがキッカケだ。

それから少しずつ行動や会話を重ねていく内に、私は、彼に対する恋心が芽生えていた。私から告白して交際を始めたわけなのだが、柚木くんには色々と不思議なところがある。

例えば学校に教科書でなく動物図鑑や世界遺産図鑑を持ってきていたり、お弁当の中身がチョコレートだけだったり、水族館デートでイルカと会話をできるか挑戦したり、はっきり言えば、不思議ちゃんならぬ不思議くんである。

そんな彼だが、話をすると面白いので、彼と行動を共にする人物はそれなりに多い。

ただ、柚木くんはあまり人に興味を持っていない。だからか、話をしている最中に違うことを始めたり、いきなり別のものに興味が移ったりしてしまうので、彼と過ごすには忍耐が必要になってくる。その人に対する興味のなさは、彼女である私に対しても同じだ。デートの最中に、何かをしたいのかソワソワしていたり、水族館ではイルカの生態を一人でずっと語っていたり、中々に不思議である。イルカの生態は、面白かったから良いけれど。

でも正直なところ、彼のそういう冷たいとも取れる面は、私には不安だ。私だけ特別なら、それも構わないと思えるが、恋人である私も同じだと思うと、心が騒いで落ち着かない。

そもそも、柚木くんは、私のことを恋人だと思ってくれているのだろうか。私だけが一人で踊っているだけなのではないか。

だから、柚木くんの興味を引くために思い切って髪を染めてみた。

それだけではない。押してダメなら引いてみろという諺があるように、少し態度を変えてみようという作戦だ。

これで上手くいけばいいが、私にそれは分からない。でも、好転することを信じて、私は彼の隣へ行くのである。

……昼休み。彼は、今日も図鑑を読んでいた。ちなみに食べ物図鑑である。林檎のページを食い入るように見つめて、何か分かった様子で何度も頷いている。

真剣な顔で本を読む柚木くんはかっこいいが、隣に私がいることにも気付かない柚木くんに少しだけ腹が立って、大きな咳払いを一つしてみた。

数秒が経過しても、彼はこちらを向かない。それが示すところは、無反応である。

結果に不機嫌を持った私は、今度こそ、と咳払いをしながら肩をぶつけてみる。

ようやくこっちを見た柚木くんは、特に変わった様子もなく、いつものように笑顔で挨拶をした。

「おはよう、しおりん」

「……お、おはよう、柚木くん」

思わず引き攣った笑顔を浮かべてしまう。金髪に驚いていない上に、いつものように挨拶をされた。染めた理由を早くも見失いそうで、半ば心が折れかけていたが諦めない。

また図鑑に目を戻す柚木くん。せっかく私に傾きかけていたのに! と心の中で叫びながら、作戦Bに移行するのだ。ちなみに作戦BのBは『ぶっきらぼう』のBである。今考えた。

「柚木く……柚木、それ面白い?」

「面白いよ! 林檎は8割以上が水分なんだって! そして残りの2割の中に炭水化物や食物繊維、更には__」

柚木くんのトークスイッチが入ってしまった。こうなるとしばらくは語りを、今回は林檎についてを語り続けるので興味が林檎に一直線だ。

なんとか林檎から興味を引き剥がさねば。

「ふ、ふーん、水分かぁ。あー、私ぃー喉乾いたかもぉー」

「喉乾いたってことは体内の水分量が足りてないんだね。そういえば水分量で言うならキュウリも多いよ。9割くらい水分なんだってさ。殆ど水分だよね、むしろ水じゃない? 逆に残りの一割が気になるよね……」

失敗した。次の敵はキュウリだ。今日の晩御飯はキュウリを砕いてごま油と塩で和えてやる。覚えていろ。

もう、こうなれば直球勝負である。

「そ、そっかー。でもそんなことよりさぁー、今日の私、いつもと違う所ない?」

「いつもと違う所?」

柚木くんの視線が図鑑から私に向いた。すごく観察してくれているところ恐縮だが、柚木くん、すごく分かりやすいよ! というかもう見えてるよね! 内心で叫んだ声が聞こえたのか、柚木くんが「あ!」と声を上げた。

「爪切った?」

そっちじゃない。確かに切ったがそっちではない。

「ヤスリの掛け方綺麗だね」とか「元々爪の形が綺麗だもんね」とか「艶もあるし、ピカピカ。今度僕にもやってね」とか私の手を取って褒めてくれているのだが、恥ずかしくて手汗をかきそうで気が気ではなかった。

そして彼の目が指先から私の首上に滑っていった時、「あ!」とまた柚木くんが声を上げる。今度こそ分かっただろう。

「眉毛整えてるー!」

もしかして彼は人の髪の毛が見えない呪いにでもかかっているのではないか?

確かに眉毛は整えた。美容院に行って髪を染めてもらうついでに整えてもらった。だが私が当てて欲しい所はそこではない。眉毛より上である。

兎にも角にも柚木くんの当てた箇所は全然違うので、私も若干不機嫌になりつつあった。

と、顔に影が差した。それの原因が至近距離にある柚木くんの顔だと気付くまで、そう長い時間は要さない。

「な、柚木くん……⁉︎」

「眉毛の形綺麗だねえ」

私の動揺など知る由もなく、柚木くんは私の眉を見つめていた。息がかかるほどの距離で、しかもほんの少し視線を下ろせば、柚木くんの唇がある。優等生と言えども、そういうことに興味のある思春期真っ只中の私には刺激が強かった。耳を覆うように添えられた手も、彼を感じさせてくる。心臓が、痛いくらいに跳ねていた。

まるでキスをしているような雰囲気の中、柚木くんは更に言葉を重ねた。

「肌も綺麗」

もうどうにかなってしまいそうだった。現在の私の顔が林檎の如く赤いのは明白なのに対し、柚木くんは一切変わっていない。それもそれで腹立たしいが、この状況ではそれを言おうにも言えなかった。

耳に添えられた彼の手から伝わる熱は熱いくらいで、妙に緊張してしまう。微かに聞こえる鼓動も、彼が近いということを私に確と理解させていた。

叫びそうになる口をきっちりと閉じて、震えないように体を強張らせるだけのことに体力を使い切って倒れやしないか、と場違いな思考をしたところで、柚木くんの手が去って行く。

名残惜しさも覚えてはいたが、危機を脱したことによる安堵が、心の面積の多くを占めていた。

「ところでさ、」

そんな中で聞こえてきた柚木くんの声は、余りにも通っていた。通っていたからこそ、私の耳に深く突き刺さった。

「金髪、綺麗だねえ。檸檬みたいで僕は好きだなあ」

……狡い。というかそれは不意打ちだろう。

顔がみるみる内に熱を持っていくのが分かったし、それを目の前で大好きな恋人に見られているかと思うと恥ずかしくて消えてしまいたかった。

でも、不意に私の右手に彼の左手が重なり、彼が私を求めているようで、ここに居たくて堪らなくなる。

「なんで……」

知らず知らずの内に、口から言葉が落ちていた。

「なんで……柚木くんはそうやって、私の心に入ってくるの……! もう、頭の中柚木くんしかいないじゃん。私は柚木くんばっかりなのに……私のことは、全然好きになって、くれないのに……!」

大好きな人に、自分のことを好きになってほしい。そんなの、誰もが持つ当たり前の感情だろう。それに苦悩している私は、おかしいのだろうか。何も分からなかった。

涙が溢れそうだった。大好きな柚木くんを前にしてこんな情けないことを言っていることから。柚木くんに好きになってほしいから。

柚木くんのことが、大好きだから。

想いを留めていた壁は、もうなくなるところだった。

「柚木くんが好き……! 大好き……! 柚木くん、柚木くんっ、柚木く__」

泣きながら二度目の告白をしたその時、唇に冷たさが触れた。

そして目の前には柚木くんがいる。柚木くんの唇が、私の唇に触れていた。彼の冷たい唇は震えている。重なった左手からも震えが伝わってくれば、彼への愛おしさの体積が増えたような気がした。

たった数秒のそれ。でも私には、一瞬だった。もっとしたい、と思ったところで柚木くんの冷たさが消える。

突然にキスをされて惑う私に、柚木くんは言葉を紡ぐ。

悲しそうな、寂しそうな彼の表情が、心を苛んだ。

「栞だって、僕の心にいるよ……? 栞しかいないんだ。……図鑑を見てても、誰かと話してても、いつも栞が僕の中にいる。栞が毎回僕の話をちゃんと聞いてくれるから、僕も調子に乗っちゃうけど……僕の心にも、ちゃんと、栞がいるんだよ」

紡ぐ。言葉を選ぶように目を伏せて、柚木くんは紡いだ。

「僕は、本当は不思議くんなんかじゃないよ。栞の興味を引きたくて、始めたことなんだ。栞が僕に振り向いて欲しくて、ずっとやってたんだ」

軽蔑するかなぁ。と言った柚木くんに、私は目一杯首を横に振って否定した。だって、彼の興味を引きたい私と、私の興味を引きたい彼なんて、両想いも良いところじゃないか。

嬉しい。彼の心を縛ることが出来ていたことが、嬉しくて。

思わず彼に笑顔を向けようとした時に、私の目に飛び込んで来たのは、今にも消えそうなほど、弱っている柚木くんだった。

初めてだった。彼が私にこんな姿を見せるのは。だから私は、酷く狼狽した。どうしていいのか分からず、彼のことを抱き締めることも出来ない。

無力を感じた。いつだって私に元気をくれた彼が弱っているのに、何をすることも出来ない。

せめて、言葉を。

「柚木くん。私ね、ずっと柚木くんの興味を引きたかった。柚木くんのことが大好きだから。この髪だってそう。金髪にしたら、柚木くんが振り向いてくれるかなぁって思って染めたんだあ」

柚木くんは俯いていた。それから意を決したように顔を上げたが、その顔は林檎のように赤かった。

そして重なっていた彼の左手が、私の右手を淡く掴んだ。そうして私の右手を、彼は自分の心臓の上に乗せるのだ。

連続した、強いリズム。彼の心臓のリズムは、強く、速かった。

「僕、こんなにドキドキしてるんだよ……?」

顔が真っ赤になるを通り越して、身体が燃えているような感覚さえ覚える。本当に燃えていたら、彼まで燃えてしまうなぁ、なんて思うのだ。

手のひらから伝わる彼の心音が、私の心音と混ざり合って溶けていく。それは言いようもなく甘美で、エクスタシーすら感じてしまいそうなほどに心地が良かった。好きな人と溶け合って行く感覚は、言いようもなく愛おしかった。

そうしてどれくらい彼の心音と混ざり合って溶け合っていたのだろうか。彼が、か細い声で言った。

「僕は、栞が好き」

そう言った彼の表情を、私はきっと忘れない。

目尻に涙を溜めて、胸を押さえて、苦しそうな表情のまま精一杯笑ったその表情は余りにも美しく、余りにも鮮烈で、余りにも愛おしい。彼がこの表情を見せるのは、私だけでありますように、と心奥で祈った。

そして想いを告げた。純粋な今の、脚色など一切存在しない、ありのままの想いを。

「私は、柚木くんが好き」

その時、私はどんな表情で、どんな声音だったかは分からない。無様でないことを祈るばかりだ。

視線が絡み合う。距離が縮まっていく。

二度目の、キスをした。

その瞬間、世界には二人だけだっただろう。少なくとも私はそう思った。

柚木くんのガラス玉のような瞳も。

彼の生きる証明である心臓の鼓動も。

彼の唇の冷たさも。

何もかも私だけのものだった。そして私は、柚木くんだけのものだった。

この幸せは、きっと金色に染めた髪のおかげだ。後悔などなかった。

彼が綺麗と言ってくれたこの髪は、誰になんと言われようと、大切なのだ。

風が頬を撫で、昼休みが終わる鐘の音が、運動場の端にまで聞こえた。



「柚木くん」

「なに、しおりん」

「サボっちゃおうか」

「いいよ」

「どこに行く?」

「水族館」

「また?」

「今度は、栞とちゃんと見たいから」

「……もう! じゃあ行こう!」

「うん!」

二人は歩いていた。

誰も介在しない。誰も介入しない。二人だけの世界を、二人で、歩いていた。

結ばれた手は、二人を繋いでいた。

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