19.あらためてギフト談義
文化祭が終わると、今度は一学期の期末試験が近づいてくる。
生徒会の天才どもとは違い、凡才の俺は試験勉強で四苦八苦……のはずだった。
「なんか、異様に勉強が進むんだけど」
生徒会室で数学の問題を解きながら、俺は思わずそうこぼした。
「ひょっとして、凡事徹底の効果なんじゃないですか?」
莉奈が、手にしてたゲーム機から目を上げて言った。
今、生徒会室にいるのは莉奈だけだ。
「凡事徹底の効果なら、平均点レベルまでしか効かないんじゃないか?」
「凡事徹底のいう『凡事』がどこまでの範囲をさすかによりますね。凡事徹底の効果は、その技能を習得している人の数が多いほど習得が早い、ということでした。この時、『習得している人』にカウントされるのは、何も同学年には限らないんじゃないですか?」
「そうか……高校で数学を履修した経験のあるすべての人をさすかもしれないのか」
「この学校の中だけでも、三年生と教師がいます。もし凡事徹底の効果がさらに広ければ、世の中にいる学力の高い大学生や高学歴の社会人たちもカウントされることになるでしょう」
「な、なるほど」
あれ? それってやばくね?
「今は勉強ですが、スポーツでもそうですね。たとえばオリンピック選手の集まる場所に行ってトレーニングをすれば、鈴彦はオリンピック選手レベルの『平凡』に至るまでの間、技能の習得が加速されることになります」
「す、すっげえ!」
「まぎれもなく凡事徹底はチートですよ」
莉奈が肩をすくめる。
「神算鬼謀だってすげえだろ。たとえば、テストの時でも周囲の答案が覗き放題だ」
「そうですが……莉奈はテストはもともと満点ばかりですし。わざわざ他人の答案を覗く意味がありません。このギフトが鈴彦に行かなくて本当によかったです」
「うっせえよ」
「だって、神算鬼謀の空間把握能力を持ってすれば、更衣室も覗きたい放題ですよ」
「な、なんだってー!」
「莉奈にはメリットがまるでないんですけど。それよりも、ゲーム画面から得られる情報をさらに数値化して処理できることの方が大事ですね」
「そのゲームでもやってるのか?」
俺は莉奈の手にしている、据え置き・携帯両用の新型ゲーム機を指さした。
「マジヤバいですよ。戦場が手に取るようにわかります。今回の大規模攻城戦イベント、莉奈のクランの勝利は確実ですね」
「あれ? ぼっちプレイヤーじゃなかったのか?」
「ぼっちですよ。ただ、攻城戦兵器とガーディアン、各種トラップを使って他のプレイヤーを蹴散らしてるだけです。ホームアローンの如く」
「ほどほどにしとけよ」
「既に、他のプレイヤーが莉奈がツールを使ってるんじゃないかと運営に通報したっぽいです。掲示板が炎上してます」
「おおい!」
「大丈夫ですよ。人間に不可能な操作はしてませんから」
なんというギフトの無駄遣いだ。
「おっと、そろそろ時間だな」
「ああ、千草の家の道場ですか。精が出ますね」
「なんなら莉奈もどうだ? 火堂流は奥が深いぞ」
「莉奈には運動神経がありません。具体的には逆上がりができず、反復横跳びで転び、長縄ではいつも引っかかってクラス中から睨まれる役です」
ゲーム画面を凝視しながらの莉奈のセリフには怨念のようなものがこもっていた。
「わ、悪かった……とにかく、行ってくるよ」
俺は勉強道具をカバンに入れ、生徒会室を後にする。
そして、火堂家の道場である。
白陽学園から氷室家の屋敷までは歩いて二十分ほど。氷室家の屋敷の隣に、それよりはこぶりな屋敷がある。それが、火堂家の屋敷である。
氷室家の(つまりアリスの家の)屋敷は洋風なのに対し、火堂家の(つまり千草の家の)屋敷は純和風だ。築地塀をぐるりと回り、裏へと出る。裏には道場へと通じる通用門がある。もちろん、通用門と言っても、俺の家の門より断然立派だ。
「ごめんください」
一応声をかけて中に入る。
道場生は自由に入っていいことになっているが、念のためだ。
道場に着くと、そこには既に千草の姿があった。
千草はデスサイズを縱橫に振るっている。
多様な武術を綜合したという火堂流にも、さすがに大鎌を使った型はない。
薙刀の型を参考に、千草は自分の型を模索しているのだという。
今の時間、道場に他の人はいない。もともと道場生の数自体が少ないらしい。氷室と火堂の関係者にしか、火堂流は教えられないのだという。
それなら俺はどうなのかという話だが、アリスと千草が口を利いてくれたおかげで、千草の弟子ということで特別に教えてもらえることになった。
「おつかれさまです」
「ああ、鈴彦か」
千草が動きを止め、額に浮いた汗を道着の袖でぬぐう。
「ようやく様になってきました」
「俺から見ると、最初から様になってますけど」
「たしかに、リングはわたしによく馴染むのですが、さすがに使い慣れていない状態では限界がありました。今ならもっと戦えるでしょう」
「もう二度と、あんなことはごめんですよ」
「言えてますね」
千草がくつくつと笑う。
「わたしは、身一つで見知らぬ場所に放り出されるというのがどういうことか、身をもって知ってしまいました。あのような事態はそうそうないにせよ、お嬢様の警護役としてはどんな事態にも対応できるようにしなければ」
「すごい忠誠心ですね」
「それもありますが、わたし自身、お嬢様の付き人としてのお役目を楽しんでいます。今の時代に、こんな生き方はなかなか許されないでしょう。その意味ではラッキーだったと思っています」
なるほど。そういう考え方か。
「では、鈴彦の特訓に入りましょうか」
「はい、お願いします」
俺は、道場の隅にあるパーティションの奥で手早く道着に着替える。
そして、千草と道場の中央で向かい合う。
「さあ、来なさい」
「応!」
稽古は――実戦形式だ。
俺がどんな手でもいいから千草に攻撃をしかける。
千草はそれを何回か防いでから反撃に出る。
最初の一回から反撃することはできるが、それではあまりに一方的なので、何回かはチャンスを与えてくれるわけだ。
俺は、プレデスシェネクの時と同じく、右手にパイルバンカー、左手に木刀の変則的なスタイル。
もともとは右利きなのだが、凡事徹底のおかげで左手での攻撃にも慣れた。
デスサイズの間合いを慎重に計り、死角に回り込むように動く。
もちろん、千草はそれを許さない。
デスサイズの刃がす……っと下がった瞬間を見計らって、俺は一歩を踏み出す。
俺は、デスサイズの刃を踏みつけた。
「なっ!」
さすがの千草もこれには驚く。
その喉に突きを放つ。
千草は片手をデスサイズの柄から離し、俺の木刀を手刀でそらす。
(今だっ!)
俺は右手のパイルバンカーを千草に突きつけようと――
した瞬間、俺の視界が縦に回転した。
「うおああああっ!?」
ドン、という衝撃とともに、背中が床に激突する。
呼吸に詰まって動けないでいる俺の首に、デスサイズの刃がつきつけられた。
「ま、参りました……」
「今の奇襲はよかったですね。しかし……裸足で刃を踏みに来るとは。無茶をしますね」
デスサイズの刃を踏んで動きを封じた俺に対し、千草はデスサイズに足をかけ、テコの原理を使って、刃を踏んだ俺をひっくり返したようだ。
俺はむせながら答える。
「けほっ。それくらいしないと勝てないでしょう。多少の怪我なら、回復魔法で直りますし」
「腕や足が飛んだらどうするのです。さすがに治りませんよ」
「千草が刃に、薄く防御魔法をかけてるのは知ってますから。刃引きですよね」
「見破ったのは褒めてあげますが、実戦では成り立たない想定で攻撃するのはやめなさい。訓練の趣旨から外れます」
それは……そうだな。
「もっとも、鈴彦は十分に実戦を経験しています。戦うとはどういうことか。ここの道場生でも、本当の意味でわかっている人は数えるほどしかいません」
「いることはいるんだ」
氷室と火堂の闇は深いな。
「わたしが誘ったとはいえ、鈴彦がここに通うようになるとは意外でした」
「まぁ、無力を痛感しましたからね」
プレデスシェネクでは、俺は大活躍したとは言いがたい。
他の三人に任せるしかない場面が多かった。
たとえば、マミーに追われている敵兵を助けた場面。
助けるべきだとアリスに進言したことは、間違っていたとは思わない。
アリス自身、自分の下そうとしている判断に迷っていた。
たしかに、見殺しにすれば安全だろう。しかし、見殺しにせずとも助けられる程度の力を持っていることも事実だった。
それでも、アリスは身内を守ることを優先しようとしてくれていた。
たとえ、自分の手が血に塗れることになろうとも。
俺は、そんな責任をアリスに負わせたくはなかった。
だから、自分の考えであり、かつアリスが言ってほしいと思ってることを口にした。
それが、部下としてアリスのためにできる大事な仕事だと信じたからだ。
結果としてアリスがどちらの選択肢を選んだとしても、俺はアリスの判断を積極的に受け入れただろう。
俺の提案が考慮に値しないほど甘っちょろいものだったら、アリスはそれを却下していたはずだ。
しかし。
俺に、力がなかったことも事実である。
俺自身に力があれば――たとえば、千草と同じくらいの武道の心得があれば。
アリスは悩むことなく、助ける選択肢を選ぶことができたかもしれない。
逆にもし、千草すらいなければ。
アリスは安全を期して自らの手で敵兵を殺す選択をしただろう。
「強くなければ守れないものもあるってことですよね」
「ふむ……」
千草が俺の顔をしげしげと見る。
「よい覚悟だと思います。ただ、ひとつだけ注意をしておきましょう」
「……なんですか?」
「あまりに悲壮な覚悟は、悲壮な結果を招き寄せることがあります。殺さねばならないと思えば、殺さねばならないような場面に巡り合う可能性が増えるでしょう。わかりますか?」
「……いえ」
わかるような、わからないような。
「力がなければ、力を必要とするような状況を避けようとしますね。ですが、なまじ力があれば、ものごとを力で解決するという選択肢が脳裏に浮かびます。そんなことを考えず、一目散に逃げなければならないような場合には、力があることが、かえって迷いを生み、その結果として命を失うことがある……のだそうです。火堂家の、戦国時代の当主の残した言葉です」
「……俺たちは、プレデスシェネクに召喚された時、王と戦おうとはせずすぐに逃げました。もし、あそこで向こう見ずに突っかかっていたら負けていた公算が高い」
「そういうことです。あの時は莉奈がいてくれて助かりました」
千草がうなずく。
「でも……じゃあ、どうすればいいんです?」
「どうしようもありません。いったん力を手に入れると決めたら、力を磨くのをやめないことです。と同時に、戦うだけが選択肢ではないことを、常に覚えておいてください。かくいうわたしも、召喚された時はにわかには判断がつきませんでしたが……」
「そんなの、とっさに判断できる莉奈の奴が異常なんですよ」
「生き残るために、そうした異常さが必要なのであれば、わたしはそれを求めたいのです」
俺は……どうしたらいいんだろう。
凡時徹底では、武道を収めても、所詮はある程度のところまでしか到達できない。
そこから先は天才たちの領域だ。
「鈴彦」
「はい」
「あなたは、凡人でいてください」
「……ひょっとして、俺のことディスってます?」
「違いますよ。わたしはお嬢様のための
「ですね」
「でも、どの道も危ういものです。鋭すぎる刃は簡単に刃毀れします。ものを斬るには
「俺は……鈍刀ですか?」
「いえ、それもまた違います。あなたは、鞘のような存在です。鋭すぎる刃を、その時が来るまで守る鋼の鞘」
「……褒められてるんですかね?」
「褒めても、けなしてもいませんよ。とにかく、あなたの平凡さはわたしたちにとっては救いなのです。いえ、わたしもお嬢様や莉奈に比べれば凡人寄りだと思いますが」
「似たようなことは、アリスにも言われましたよ。生徒会に誘われた時に」
「あなたは、わたしたちの帰る場所になれる人です。それは、とても貴重な才能なのだと、わたしは思います」
帰る場所、か。
(そんなんばかりだな)
俺の家は変わり者の家系だから、家事や妹の世話は俺がやることも多かった。
父さんも、母さんも、それぞれの分野では知られた人らしいが、家庭人としてはあまりいい点がつけられない。父さんはしょっちゅう家を空けるし、母さんはキャンバスに向かうと別人になる。
妹すら、俺を軽々と超える才能の持ち主だ。正直、小さい頃は嫉妬もした。
だが、やがて気がついた。
彼らは、すごいことができるんじゃない。
すごいことしかできないんだ。
日常のごく平凡なことがとてつもなく苦手で、やろうとしてもうまくできない。
だから、平凡なことはすべて、俺がこなすしかなかった。
最初は嫌だったさ。天才どもに、平凡なことを押し付けられてるみたいで、自分の才能のなさを呪った。
でも、
「そう言ってもらえるのはうれしいですよ」
帰る場所がなかったら、どこかに行くことすらできなくなる。
遠くへ生きたがる奴らに囲まれてきたからこそ、どこかに帰れることがどれだけ幸せなことなのかがよくわかる。
「凡事は俺に任せてください。アリスや千草や莉奈は、自分たちのやりたいようにやればいい。それを、帰る場所を準備しながら見守ってるのは……案外、俺の性に合ってるみたいです」
俺はそう言ってうなずいた。
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