蜘蛛の巣苑
柴谷阿笶子
職業選択の自由
それは憲法に記された国民の権利である。 第二十二条 参照のこと。
然るに義務をも同等に果たすべし。
『サラサーテの盤』を購入すべく書店へ赴く。
購入予定の全巻物文庫数冊を手にし、
「棚にはなかったのですが、在庫がありますか」と会計の女性に問う。
「確認してみます」
と答えた女性は店内内線電話の受話器を持ち上げ担当者へと問い合わす。
「内田ひゃくぶんの、えーっと、サラサーテの、えっと、ばん、です。」
聞き捨てならぬ。
「ひゃくぶんでなく、ひゃっけんです」
私の注意喚起の声を無視し、
「え?えーっと、ばん、鍵盤のばん、です。」
私とて引かない。
「ひゃくぶんでなく、ひゃっけんですからね」
と更に声を大にして送話口にも届くよう訂正する。
女性店員は照れ笑いのような作り笑顔で、在庫1となっているので確認してくると言い残し、会計場を後にする。
五分余りたっぷり待たされたあと、
「すみませぇん、やっぱり、在庫ないようなので云々・・・・・・。」
発注するとの申し出を断り、先ほどの数冊を購入するのみとした。
念のため、インフォメーションへ確認に向かう。
書店によくあり勝ちな棚の下に、在庫は入っていないのか尋ねてみると、「たなした在庫(書店業界用語か?)」はもたないようにしている、検索結果で在庫が1の場合は実際の在庫がゼロの時もある、という、あちらにはとてもよくわかるらしい理屈、此方には全くわけのわからない理屈を言われた。
これ以上は問答は無用。
「いいんです。さっきの方が漢字をお読みになれないようでしたから念のためお聞きしただけです。」
この町には大型の書店は2件しかない。ついでに立ち寄れば事は一度ですむ。
書棚にたった一冊だけあった文庫を例に示し、
「これの、四巻はありますか?」
「お調べします。」
と言ってキーボードを叩いた女店員、あれやこれやと入力することややも三分。
それほどに時間の必要な検索とはとても思えない。
おせっかいながら申し出た。
「タイトルの方がいいですか?『サラサーテの盤』です。」
若い女店員少し驚いたように見本の本を手にしながら、
「大丈夫です、内田ひゃく・・・・・・。・・・・・・この方の本ですよね?」
「・・・・・・そうです。」
検索は更に五分ほど続き、ようやくモニター画面上に表紙の画像が表示された。
「こちらでよろしいですか?」と問う娘。
「はい、これでいいです」答える私。
「ただいま在庫を切らしておりますので、ご注文になります」
暫し絶句の後に力なく辞退し、うなだれて帰途についた。
ないならないと先に言うべし。
くどくどと記してつまり何を言いたいかというと、本屋のくせに作家の名前も読めないとは怪しからん、ということである。
本屋という職業を自由な権利として選んだ以上、その本の製造元である作家の名前を覚えぬというのは義務を怠る慢心の至り。
これが、別の職業の人であったなら、ため息はつくものの怒りはしない。
八百屋や魚屋が百閒先生を知らぬのは生業に直接の責任は及ばぬであろう。
しかし、本屋、書店員が、その名を読めぬ、読めぬばかりか知らぬ、というのは、己の職業に対する勉強不足と無責任の現れ、更にいうなら不労所得の一翼であると私は断言し、立腹するのである。
本が売れるから給料を得るのだろう。その本を生み出した元々の者は誰だ?作家の文章であろう。
今日出会った店員たちは、職務怠慢につき減俸に処すべきである。
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