摩訶不思議生物奇譚
青空ぷらす
第1話 雨にまつわる「恩獣」の話
降りそぼる雨が屋根を叩く音で目が覚めた。
「ああ、今日もか」
私は湿気で重量が増した掛け布団から這い出し、窓の外を見る。
水平線の向こうまで広がる青空を遮るレースのカーテンのように、私の家の周りだけ雨が降っていた。
田舎生まれの田舎育ち。人だらけの都会暮らしに馴染めなかった私は、すっかり心を病んでしまい、医師や周りの勧めもあってこの海沿いの町に移り住んだのが三ヶ月ほど前。
幸い文筆業だった事もあり、この地に引っ越したあとも仕事に支障はなかったし(むしろストレスから解放されて調子が上がったほどだった)、窓から海が見えるこの家を私は大いに気に入っていた。
ところが、今から一ヶ月ほど前になるだろうか。
突然、『我が家だけが』雨に降られ続けるという謎の現象が起こったのだ。
どれほど晴れた日でも、測量器で測ったように、キッチリ我が家の敷地だけ雨が降る。降り続ける。
家が流されてしまったり、浸水したりするような大雨というわけではない。
ただ、しとしとしとしと。小さな雨粒が我が家を濡らし続けるのだ。
最初のうちは『まぁ、こんな事もあるか』と、さして気にも留めなかったが、さすがにこれだけ雨降りが続くと、家内に湿気がこもり、洗濯物は乾かないし、食べ物の傷みは早くなるし、なにより身体にまとわりつく湿気が不快だ。
おまけに電化製品にまで影響が出始めるに至り、パソコンで作品を書き、ネット回線で出版社に納品する事で生計を立てている私にとって、この『長雨』は捨て置けない事案となった。
とは言ったものの、さて、一体なにをどうすればいいのか皆目検討がつかない。
一体どこに相談すればいいのか。
不動産屋か工務店か、はたまた気象庁か。
「えーい、分からん!」
私は、そう叫ぶと家を飛び出した。
家の敷地から一歩外に出ると、久しぶりの太陽が私の身体に降り注ぎ、まとわりついた湿気をあっという間に追い払ってくれた。
この一ヶ月、〆切に追われて家に閉じこもっていた私は、久しぶりの太陽に十分身を晒してから、海岸線沿いの町を歩いてみることにした。
もちろん、まったく外出しなかったわけではないけれど、作品を書くには夜の方が捗る私は、昼間は家で寝て夕方に起きて、夜から仕事に取り掛かるというサイクルを長年続けていた。
だから、近所のスーパーなどに買い出しに出かけるのは、いつだって日が落ちた後なのだ。
そんな吸血鬼のような生活を続けたせいで、茹だるような日差しがこれほど気持ちいい事を、私はすっかり忘れていた。
海岸線沿いの道をダラダラ歩き、海水浴客や海釣り客目当ての小さな雑貨屋で買ったラムネを飲んで、砂浜ではしゃぐ子供たちを眺めているうちに、溜まっていた鬱屈も随分晴れたので、再び雨に濡れているであろう新居に戻ることにした。
ひょっとしたら家に戻れば雨があがっているかも。などと淡い期待も抱いてはみたけれど、そんなに都合良くは行かず、キッチリ家の敷地には雨が降り続いていた。
そんな我が家の玄関前で、一人の男が難しい顔で腕組みをして、我が家を見上げている。
細身だが筋肉質な初老の男。その風貌と服装から恐らく近くの漁港で働く漁師か何かの職業だろうと推測する。
だが、見覚えのない顔だ。
いや、もともと人付き合いの苦手な私は、この町の人間はおろか隣の住人の顔も知らないのだけれど。
都会ではそれが普通だったし、そもそも人付き合いが苦手だから在宅ワークを選んだのだ。
「あの、何か御用でしょうか?」
恐る恐る声を掛けた私の顔を、初老の男はギロリと睨みつける。
「アンタ、この家の人かい?」
「ええ、そうですけど」
「オレはこの先で漁師をやってる松本ってモンだが、なぁアンタ……」
男は無精髭だらけの顔をコチラに近づけて、こう言った。
「なんで、雨降らせたまんまにしてんの?」
翌日、一ヶ月も私を悩ませ続けた『謎の雨』はいともアッサリとあがった。松本さんが私の話を聞いてすぐに町役場に連絡してくれ、係りの人間がやってきて『原因』を取り除いた途端、嘘のように雨があがり、我が家に念願の太陽が降り注いだのだ。
我が家に長雨をもたらした『原因』は、軒下に迷い込んだ一匹? の生き物だった。
腹足綱後鰓類の無楯類 に属する軟体動物。大きなナメクジのような見た目のソレは『アメフラシ』というらしい。
その名の通り、自分の周囲に雨を降らせる性質がある生き物で、この辺では希に民家の軒先に迷い込んでは、その家の敷地だけに雨を降らせる『害獣』なのだそうだ。
松本さんは、漁で我が家の前を通るたび『アメフラシ』を放置して家に雨を降らせっぱなしにしている我が家を見て、不思議に思っていたのだとか。
「いやあ、最初は空家かと思ったけど、表札も出てるしな。けど近所の誰もアンタの顔を見たことないっていうしよ。放っておくわけにもいかねえから、思い切って家に訪ねてみたら、丁度出かけてたアンタが帰ってきたワケさ」
松本さんは、ギョロリとした目で私を見ながら、人懐っこい口調でそう言った。どうやら顔が怖いのは怒っていたからではなく生まれつきらしい。
ともあれ、こうして私を悩ませた『長雨事件』は解決し、私は夜型の生活を朝型のサイクルに切り替えた。
まだまだ、この街には私の知らない『常識』があるかもしれないし、それらを知るためにはご近所付き合いは大切だと思い知ったからだ。
それを抜きにしても、付き合ってみればこの町の人たちは気さくで人懐っこい人が多い。
この土地で採れた海産物やら野菜やら、山で獲った山菜やら狩猟期間には獣の肉までおすそ分けしてくれたり(量が多さに辟易する時もあるが)、私の都会の話を面白がって聞いてくれたりする。
この町の人にとっては『害獣』の『アメフラシ』は、しかし、私と町の人を繋げてくれた、ある意味で『
夕方、買い出しがてらに散歩に出ると、辺りは晴れているのに海岸の一箇所だけ、雨降りの場所をたまに見かける。
松本さんによれば、『アメフラシ』が雨を降らせるのは、言葉を持たぬ彼らのコミュニケーションなのだそうだ。
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