クーリングオフ

青見銀縁

第1話 彼女の返事はNGでもなければ、OKでもない。

「お試し期間ね」

 高校一年のクラスメイト、西渡綾乃は口にするなり、僕の方から視線を逸らした。

 駅前のハンバーガーチェーン店。僕はテーブルを挟んで、西渡と向かい合って座っている。

 西渡は肩まで伸ばした黒髪を手で撫でた。目を細め、しばらくの間、アーケード街の人通りが映る窓ガラスの方へ体を向けていた。

 僕は沈黙の間に耐えられず、コーラが入った紙コップのストローに口をつけた。

「成瀬くん」

 唐突に西渡が正面を移してきたので、僕はびくりとして、背を伸ばし、顔を合わせた。

 西渡は冷めたような表情で、僕の方をじっと見つめてくる。

「わたしは軽はずみに男子と付き合うようなことはしたくないから」

「それは、その、どういう意味?」

「成瀬くんの告白に、わたしはすぐに返事できないってこと」

 西渡は言うと、テーブルのプレートにあるフライドポテトに手をつける。

「だから、すぐに付き合うのはNG。でも、あっさり断るのも、成瀬くんには失礼でしょ?」

 西渡は聞くなり、フライドポテトを丁寧に噛み、口に運ぶ。僕はその仕草をどきりとしつつ目にしていた。

「成瀬くん?」

「あっ、はい。その、失礼というより、僕のことが好きじゃないなら、それはそれで、すぐに断ってもらった方が、その、すっきりするというか、何というか……」

「それは本心で言ってるの?」

「それは……」

「本心じゃないのね。なら、わたしの提案を拒む理由もないでしょ?」

 西渡はおもむろにため息をつく。

「クーリングオフ」

「クーリングオフ?」

「家庭科で習ったでしょ?」

 西渡は呆れたように言うと、スマホを取り出した。

 で、西渡は手でスマホを操り、とある画面を僕の方へ見せてきた。

「『一定の契約に限り、一定期間、説明不要で無条件で申込みの撤回または契約を解除できる法制度である。』」

「つまりは、わたしが、成瀬くんとはじめに一緒にいるのはお試し期間。そのお試し期間中にわたしが嫌になったら、クーリングオフみたいに、成瀬くんから離れる」

「つまりは、お試し期間を過ぎても、一緒にいることになれば、僕は西渡さんと正式に付き合えることになるってこと?」

「そうね」

 西渡は返事すると、今度は紙コップのホットコーヒーを飲み始めた。

「それが嫌なら、この話は忘れて」

「でも、いいんですか?」

「何が?」

「その、お試し期間とはいえ、僕とその、付き合うような感じになること」

「あくまでお試し期間だから」

「そこは、そういう風に割り切ってるんですね」

「成瀬くんは割り切れないの?」

「僕自体、その、女子と二人っきりになること自体、初めてでして……」

「それなのに、よくわたしをこういうところに誘えたわね」

「そこは僕自身というより、友達にプッシュされたところがありまして……」

「そう」

 西渡は紙コップを手に持ったまま、再び窓ガラスの方へ目を向けた。

「わたしも、男子とこういう風に二人で会うのは初めてだから」

「そうなんですか?」

「そうよ。でも、一概のクラスメイトとはいえ、『大事な話があります』と言われて、無視して断るのは、その、何だか気が引けて」

「僕ははじめ、あっさり断られると思いました」

「普通なら、そうね。でも」

 西渡はおもむろに、僕と目を合わせた。

「成瀬くんは別に、悪くないと思っていたから」

「それって、僕のことが好きだったとか……」

「早とちりしないで」

 西渡は紙コップをテーブルに置いた。

「わたしはただ、悪くないと思っていただけで、別に好きとかそういう気持ちはなかったから」

「そうですか……」

 僕はただ、残念と思うしかなかった。

 何はともあれ、僕は西渡からフラれるという最悪な展開を迎えずに済んだ。

 ただ、西渡の言う「お試し期間」内では、僕がいつフラれるかわからない。

 そう考えると、急に緊張してきて、今後、どう西渡と接すればいいか不安になってきた。

「お試し期間は明日からだから」

 西渡は口にすると、空になったコーヒーカップを乗せたプレートを手に、立ち上がった。

「明日?」

「そう、明日。だから、今日は成瀬くんのこと、何も良かったり、悪かったりとかすることはないから」

 西渡の言葉は淡々としていた。まるで、今までも何回か同じことを経験しているかのようだ。実際はどうなのか、わからないけど。

 ふと気づけば、西渡が食べていたフライドポテトが僕のプレートに移っていた。

「あの、これ……」

「あげる。わたしはそれ以上食べたら、太るから」

 西渡は言うも、僕からはすらりとした体型の子が口にする言葉とは思えなかった。

「だったら、代金払うよ」

「そういうのは別にいいから」

 西渡はプレートを両手に、学校の鞄を肩に提げ、テーブル席から離れていく。

 途中、西渡は足を止め、僕の方へ振り返ってきた。

「頑張って」

「えっ?」

「今のは、単なる応援だから」

 西渡は言うなり、背を向け、店内にあるゴミ箱の方へ歩いていった。

 プレートと紙コップを片づけ、外に出た西渡はさっさと足を進ませていく。

 ちょうど、僕が座る席側の横を通りかかると、西渡は窓ガラス越しに手を振ってくれた、といっても、片手で、もう一方の手はスマホを持ち、すぐに何やらいじり始めていた。社交辞令みたいなものだろうと、僕は何気なく感じた。

「お試し期間か……」

 場からいなくなった西渡の姿を思い浮かべつつ、僕はフライドポテトを口にした。

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