不死身の男

@gourikihayatomo

第1話

ランルートはようやく意識を取り戻した。

周囲は真っ暗で何も見えない。しかし直ぐに彼は自分が鋼鉄の鎖でがんじがらめに縛られているのが分かった。あの時の酒に痺れ薬が入っていたに違いない。

「飛ぶ死は何処だ?」

まだ痛む頭を振って彼は自分の愛剣を求めた。その時、突然部屋の中が明るくなり、男の気味の悪い笑い声が響いてきた。

「ヒャヒャヒャ。今度という今度はお終いだな、ランルート。きさまがどうあがいてもその縛めを逃れることは出来ないぞ。こっちを見ろ」

不気味な声の方に目を向けたランルートの前に現れたその光景は!ああ、目よ潰れてしまえ。

彼の目の前には邪悪の大魔法使いルキータが立っており、魔法使いの腕の中には肌も露に剥かれたコゼット姫が捕らえられていたのだ。姫は黒魔法を掛けられているのか、魔法使いが姫の身体を撫でまわすたびに恍惚とした表情を浮かべるのであった。

ランルートの怒りは絶頂に達した。彼は渾身の力を振り絞り、鎖を引き千切ろうとした。ウォーッ!

しかしその鎖はびくともせず、逆にランルートの力を吸い取ってしまったかのように締めつける力を増し、身体中の骨がミシミシと不気味な音をたてて応えた。

「無駄じゃ、無駄じゃ。それはわしが千の鋼と千の蛇を千の呪文で編み上げた蛇鎖なのじゃ。暴れれば暴れるほど、強くお前を締め上げるだけだ。女の腹から生まれてきた男の力では絶対に切ることはできないのじゃ」

魔法使いは鎖を締めつける呪文を唱えながら、ランルートが血を吐いて潰れるのを今や遅しと待ち受けていた。

ああ、ランルート、絶対絶命。

その時、ルキータが顔色を変えた。象をも絞め殺す強力な力を持つ、生きた鎖の中でランルートがクックッと笑い始めたからだ。 「馬鹿め。こんな黒魔法に命を奪われる俺ではないぞ。俺は不死身のランルートだ。それっ」

そう言い放つと彼はもう一度全身に力をこめた。鋼のような筋肉が一瞬、二倍にも膨れ上がったように見えた瞬間、蛇鎖はどす黒い血を吹き出して千切れ飛んでしまった。

「ヒャーッ……」

ルキータは声にならない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

「ランルート様!」

正気に戻ったコゼット姫が勇士ランルートの胸に飛び込んで行った……。


「この駄作を我慢して買っていたのは雑誌に穴を開けないためだったのに、締め切りに遅れるとは何だ。もう終わりだ」

 電話はそうがなりたてるとブチンと切れてしまった。

僕はいわゆる、その他大勢の作家であった。

本人としてはバロウズ、ハワードの唯一の後継者をもって任じ、溢れるばかりのロマンティズムと他に追従を許さぬストーリィテリングで最高の冒険SFを次々と書き上げている将来有望な若手作家……のつもりであったのだが、現実には全く売れていなかったのだ。バロウズに憧れて、彼の世界を目指す僕の小説は確かに今の時代には古臭いかもしれない。しかしロマンの欠けた現代に僕の小説にも理解者がいる、読んでくれるファンがいる、そんな思いを励みに書いていたのに。突然の鉄槌。

唯一持っていた連載物「ランルートの冒険」打切りの宣告だった。


無敵の快男児「不死身のランルート」、それが僕の描くヒーローだった。

彼は銀河宇宙を股に掛け、弱き者、助けを求める者の叫びを聴いて敢然と悪に立ち向かうヒーロー。確かにいささかステレオタイプで安っぽいスペースオペラの主人公かもしれないが、一応は論理の通ったストーリィ展開を維持しており、あれほど酷評される筋合いはない。

もちろん、ランルートだけが僕の飯の種であるということも大きな理由であったが、何より時代後れの恋愛冒険ものなど読者のお好みじゃあないよ、と言われたのに打ちのめされたのだ。書きながら僕も自分をランルートに感情移入することによって楽しんでいたし、ロマンの少ない現代社会で必ずや読者の共感を得るに違いないと信じていたのだが。

ああ、真のSFを解さぬ編集者。ロマンを忘れた読者たち。

次の月から「ランルートの冒険」の後にはドタバタナンセンスSFが連載されるとのことだった。

ちょうどその電話を受け取った時、僕は次回分のアイデアが湧き出て、筆も乗ってきたところだったのに。

『コゼット姫よ。もう大丈夫です。魔法使いルキータは消えました。この国にも貴方にも新しい時代が始まるのです』


しかし実際には、全てはお終いになってしまったのだ。

甘い。それは認めよう。でも無限の宇宙を駆けめぐる、正義の為にわが身の危険を省みず争いの渦中に飛び込む、夢とロマンの世界があってもいいじゃあないか。そんな世界に本当に生まれ変われたらどんなに素晴らしいか。

僕は無意識にキーを叩いていた。

あの皮肉屋の編集者は宇宙魔王の手先にしてやる。そして、真先にランルートにやっつけさせよう。その時、奴は何と言って命乞いをするのだろうか。

『命だけはお助けを。貴方を時代後れと馬鹿にしたことを謝ります。』

しかしランルートはニヤリと笑い、剣を振り下ろす。

そのシーンを書き込んだら幾分スッキリした。これが雑誌に載ることはもうないのに。

そうだ、ランルートばかりにやっつけさせるのは勿体ない、どうせ採用の当てのない作品なら徹底的に遊んでやろう。

そうだ、ランルートの世界に僕自身を登場させて、くだらないSFと笑うやつらを皆、やっつけてやる。自分が創り上げた世界なんだから僕がそこで楽しめばいいじゃあないか。何故、今まで気づかなかったのだろう。そう思った瞬間、僕はランルートの次回作の中に自分を登場人物として書き込み始めていた。

でも、ただ、登場させても面白くない。僕には最高の見せ場が必要だ。

山本一郎はランルートの親友にして、最強の男だった。智謀、力、秀麗なマスクはランルートに勝るとも劣らない。いや、実はランルートより強かったのだ。二人は最高のコンビとして宇宙を駆けめぐったのだ。

「いいぞ」

僕は時を忘れて、新しい世界の創造に没頭した。


悪王ザーゴン率いる無敵軍団はランルートを砂漠の廃墟に追い込んで、十重二十重に包囲し、今や遅しと攻撃の合図を待っていた。小高い岡の上の塔を囲んで地平線の彼方まで続く、鎧、槍、旗指物の波は流石のランルートをも絶望に追い込むのに十分であった。

ザーゴンも確かに一代の英雄だった。彼はランルート一人のために実に十万の軍勢を集め、遂に彼を絶体絶命のピンチに追い込んだのである。しかも愛剣「飛ぶ死」は欺かれて奪われ、王宮の地下に隠されていた。ザーゴンは今、まさに最後の戦いの合図を送ろうとした。

その時、砂漠の上空遙かに一つの黒い点が現れたかと思うと、見る間に大きくなり、物凄い叫び声を上げながらランルートの立て籠もる廃墟に舞い降りてきた。それは一頭の翼手竜であり、その背からさっと飛び下りたのはランルートにも勝とも劣らぬ巨体の若者であった。

「飛ぶ死だ。受け取れ!」

男はそう言うとランルートに向かって鋭い一振りの剣を投げ、自分もすらりと剣を抜いた。ランルートは一瞬、呆然としていたが、直ぐ気を取り直して応えた。

「有り難い、して貴殿のお名前は」

「山本一郎!挨拶はともかく、敵は手強いぞ。しかし奴らは皆、君を死ぬほど恐れている。特に「飛ぶ死」を手にした君を。切って切って、切りまくるぞ」

ランルートはいつもの不敵な笑いを取り戻して頷いた。

「よし、十万人皆殺しだ」

僕の頭の中には現世とこの冒険の世界が同居していた。いや、僕が二つの世界に同居していたのだ。だから十万の敵を目にした時は本当に怖くて声も出ない程だった。しかし、自分で原稿用紙に書き込んだ通りに口は動いたのだ。

僕たちは敵の真っ只中に切って出た。

雑兵たちは思わぬ逆襲に総崩れになり、軍勢の真ん中に一筋の道が開かれた。けれども、僕には到底この囲みが破れるとは思えなかった。現世では殴り合い一つしたこともなかった僕にこんな戦いが出来る筈はない。

僕はめちゃくちゃに剣を振り回した。すると驚くべきことに剣は風車のように風を切って飛んだ。僕は物凄い力を手に入れていたのだ。僕の剣に触れた最初の男は兜ごと真っ二つに切り裂かれ、その場に崩れ落ちた。二人目は受け止めた剣もろとも首を撥ね上げられてしまったのだ。僕は返り血を浴びて吐き気を堪えることが出来なくて、そのまましゃがみこんでしまった。僕は必死で自分に言い聞かせた。

一郎、しっかりしろ。お前があの用紙に書き込んだ言葉を思い出せ。お前はランルートより強く、美男子で頭もいい快男児と書いたのではないか。目の前を見ろ!お前の剣に倒された男たちだ。恐れるな!

僕がうずくまった周りに一度逃げだした兵士たちが集まってきていた。この男は弱いんじゃあないか、首を取って手柄にしてやろうとでもいう様に。馬鹿な奴ら。

さあ、お前の手並みを見せてやれ。

「ワォー!!」

僕は叫び、剣を振り上げて敵の中に飛び込んで行った。新たに飛び散る血飛沫。そこから、僕の記憶は無くなってしまった。そして、はっと気づいた時、周りにはただ死人の山があるだけで、もう動いている者はいなかった。大軍勢は千人以上を討ち取られ、遂に総崩れしてしまったのだ。

僕はゆっくりとランルートの姿を探した。そしておよそ百メートル離れたところで同じようにこちらを見ている彼を見つけた。二人は駆け寄り、血の海の中でしっかり肩を握りあった。この瞬間、二人は無二の親友となったのだ。


ここは最高の世界であった。

僕とランルートは宇宙に悪を求めて飛び立った。ヴェガ第四惑星の一角獣との死闘、僕は傷つき危ういところを彼に助けられた。バーナード星巨人軍団との戦い、アンタレス王朝の相続争いの中で孤独のナターシャ王女を守っての大活躍で遂に彼女を女王の座に付けた等々。

数え上げたらキリがない。冒険また冒険、美女との恋愛、莫大な宝物。以前の世界では想像も出来ないことばかりで僕は完全に満足していた、はずだった。

ところがいつの頃からか、僕は時々イライラするようになってきたのだ。

何かが物足りない。何かがしっくりいかない。ランルートとは無二の親友としてうまく行っていたし、素晴らしい冒険も続いている。何に不足があるというのだ。でも……。

僕は一人の女性を愛した。彼女は美しさと聡明さ、優しさを兼備した最高の女性であった。僕は彼女と二人きりになった時、愛を告白した。

「とても嬉しいことですわ、一郎様。私のような者に勿体ない。でも、でも私は……」

その先は彼女の口からは聞けなかったが、その憧れるような眼差しの先にはあの男が たのだ。そして僕にはようやく今の不満足の理由を悟った。

ランルートだった。

僕も正義の味方として戦い、女性にも愛される。でもこれらはあくまでもランルートの相棒としてなのだ。悪人の首領はいつもランルートに倒される。僕のほうが強いのに。一番の美女は僕の前を素通りして彼の腕に飛び込む。僕の方が美男子なのに。僕が彼から助けられることはあっても逆はない。最初の僕の登場の時以外は。

確かにこの世界は彼のために創られたものだし、彼が主役だから、と言ってしまえばそれまでだが、しかし詰まらなかった。この世界の創造者としての誇りもあったし、ここに来る時、自分自身をランルートより強く、頭の切れる美男子と設定したのも、心の奥底に自分こそ主役になって当然だと言う無意識の思いが働いていたに違いない。

それら諸々が重なって割り切れない気持ちになっていたのだ。驚くかもしれないが、僕はその悩みをランルートに素直に話した。二人はそれほどの親友だったのだ。ランルートは僕の話を黙って最後まで聴き、しばらく僕の顔を見つめてからニヤリと笑い、口を開いた。

「馬鹿なことを言うなよ。そんなこと、悩む必要はないじゃないか。いいさ、これからはお前がボスを捕まえればいい。宇宙の平和を守るためにはどっちでもいいことだ」

嫉妬も邪推もない。ただただ宇宙の平和を願う、実にいい男であった。もちろん、僕がランルートをそういう風に創造したのではあるが。しかし、僕は元の世界の気質をそのままこの世界に持って来ていた。嫉妬深く、被害妄想的でもあったかもしれない。

だから、その後も気分は晴れなかった。ランルートがいい男であればある程、この気持ちは強くなっていった。

ここは僕の(創った)世界だ、と言う意識が絶えず僕を悩ませていた。僕が創った世界なら僕が主役になるのは当然ではないか。それを可能にする方法は一つ、彼を、ランルートをこの世界から抹殺するしかない!

僕は長い時間かかって、この結論に達した。そして成功には自信があった。

僕は彼より頭が切れる。それに何より彼は僕を毛ほども疑っていないのだから。本当に彼は友人として最高の男であった。だが、僕は主役としてのランルートを容認できなくなっていたのだ。

僕は慎重に計画を練り、ランルートを小惑星に誘い込んだ。そして分子破壊砲で小惑星ごと粉々にしてやったのだ。

僕はこれで主役になれる。誠実で友を絶対裏切らなかったランルート、悪には絶対屈しない無敵の男、不死身のランルートを殺したのだ。不死身の男を殺して、不死身の男……。

心臓が縮み上がった。

不死身のランルート、これは僕が彼の代名詞として何度となく使った言葉である。しかし、単なる言葉もこの紙とインクで創造された世界では無限のパワーを発揮するのだ。ああ、彼は不死身のランルート!

一方、彼より強く賢いと書いた自分自身を「不死身の」と形容したことはあっただろうか?記憶にはなかった。僕は致命的な過ちを犯したのだ。

彼は死んでいない。いや、死ぬことはないのだ。彼は確実に戻ってくるだろう、復讐心に燃えて。その時、彼を打ち負かせる者はいない、この世界には。

一度この世界に入ってしまった僕はもう世界の創造者ではなく、彼の英雄譚の一登場人物にすぎない。それも無二の親友を裏切った極悪人になってしまったのだ。


ここまで思い至った僕は、ただ待つことにした。

久しぶりに持つペンは剣より重く感じたが、快い。これまでの一部始終を書き残してしまえばもう未練はない。この世界の創造者としての最後の務めは、この物語を最高に盛り上げることである。

僕はランルートと力の限り戦う。そして敗れるのだ。

さあ来い、ランルート。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不死身の男 @gourikihayatomo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る