君が思い出に変わっても

仮庵

第1話

 バスから眺める空は、見渡す限り、きらきら光るオレンジ色だ。広い草原の向こう、空と地面の境界線が重なる場所に、大きな大きな、火の玉みたいな太陽が、ゆっくり沈んでいこうとしている。

「きれいだねー!」

 窓から身を乗り出すサーバルちゃんが、横のぼくに言う。サーバルちゃんの髪も、目も、今は映りこんだ空の光で、あたたかな赤色に染まっている。

「そうだね」ぼくは頷いた。「何だか、空が燃えてるみたい」

「ねー! すっごいねー!」

 サーバルちゃんの顔がぱあっと輝く。あんまり嬉しそうなので、ぼくもつられて笑顔になった。輝く空も、太陽も、隣で笑うサーバルちゃんも、皆、とっても眩しくてきれい。

 なのに今、心のどこかで、ぼくは不安を感じている。

 サーバルちゃんやラッキービーストさんと出会って、さばんなちほーを離れて、バスに乗って。それからもうだいぶ経った。図書館まで、あとどのくらいだろう。ぼくの旅の目的地、図書館。そこに行けば、ぼくが何の動物のフレンズかわかるという。

 ぼく。

 自分が誰で、どこから来たのか、何一つわからないぼく。

 図書館に着いて、それが全部わかったら、ぼくはどうなるんだろう。サーバルちゃんと友達になって、バスを直して、ラッキービーストさんと3人でここまで旅をしてきた「ぼく」は、どうなるんだろう。

 旅の途中で出会った皆は、ぼくのことを、きっといい動物だよ、と言ってくれた。でも──もし、そんなにいい動物じゃなかったら。皆が知らないだけで、実はひどいことやこわいことを沢山してきたって、図書館でわかったら。今までの「ぼく」は消えてしまって、ぼくはただの、恐ろしい何かになってしまうんだろうか。楽しい思い出も、見てきた景色も、大勢できた友達も、全部「それ」に上書きされて、遠い別の誰かの、色あせた記憶に変わるんだろうか。

「かばんちゃん?」

 だけど、ぼくは──


「かばんちゃんってば!」


「!」

 気がつくと、サーバルちゃんの顔がぼくの鼻先にあった。

「どうしたの? だいじょうぶ?」

「あ……ごめん」

 ぼくは少し慌てて答える。

「ちょっと、考え事してたんだ」

「かんがえごと?」

「うん。もう平気だよ」

「そっか! かばんちゃんは、考えるのが得意なフレンズだもんね。……あ、でも、悩みごとがあるなら、わたしやボスにちゃんと言うんだよ! ひとりじゃだめでも、みんなで頑張ればきっと解決するから!」

 ね、かばんちゃん。そう言って、サーバルちゃんはいつものように笑う。あのオレンジ色の空よりも、ずっときらきらした笑顔で。

 かばん。サーバルちゃんがつけてくれた名前。サーバルちゃんやラッキービーストさんと一緒にジャパリパークを旅してきた、「ぼく」の名前。


「ありがとう、サーバルちゃん」


 ぼくは忘れたくない──ううん、忘れない。いつか、サーバルちゃんと二人で眺めるこの夕焼けが、別の誰かの記憶だと言われても、ぼくが「かばん」だったことを、決して忘れはしない。今までの「かばん」も、新しい「ぼく」も、両方抱えて生きていく。それがどんなに苦しいことでも──きみがいてくれた、宝石のような日々の思い出だから。

「……ありがとう」

 ぼくはもう一度だけつぶやいた。サーバルちゃんに聞こえないくらい、小さな声で……と、思ったんだけど。

「2回もいいよぉかばんちゃん! 全然大したことないって!」

「えっ、あっ、聞こえてた?!」

「わたし、サーバルキャットだもん。音を聞くのは得意だよ!」

 胸を張るサーバルちゃんの大きな耳がぴこぴこと動く。その様子が何だかおかしくて、かわいらしくて、ぼくは笑う。

「ふふっ、あはは」

 最初は小さく、段々大きく。

「あははは!」

 サーバルちゃんも一緒に笑う。

「あははは!」

「あははは!」

「なんか……楽しいね、サーバルちゃん」

「うん! たのしー!」

 ぼくらは笑い続けた。燃えるようなオレンジ色の空の下で。走り続けるバスの前には草のじゅうたんしか見えないけど、この先に待っているのは、きっとそんなに悪いことじゃない。そう信じられる気がした。

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