船上の騎士 2 ~Under the waterline~

零識松

第1話 南海を進む一角獣~突然の襲撃~


 朝日が水平線の向こうに顔を覗かせようかという時刻。

 藍から蒼にそまりつつある海の上を進む、1隻の船があった。

 鋼鉄艦が主流の時代に逆らうような旧式の帆船だが、その前方には近代的な艦橋が備わっている。

 船名「ネオ・ユニコーン号」

 ユニコーン海賊猟団の旗艦であるこの船は今、一人の女性の要望で、南の海を目指しているのだ。

 仲間のホーエンハイム号やトルステン号の姿は近くにない。彼らは、別のルートを通って南をめざしているのだ。

 ネオ・ユニコーン号の廊下を、一人の人物が決意を秘めた表情で歩いていた。

 この船で航海長をつとめる水棲人の女性、マーミャである。

 見慣れない人間からすれば奇異に映る水棲人ならではの特徴は、依頼人が乗船していないので気にせず露出させていた。

 やがて、ひとつの扉の前でマーミャは足を止めた。

 ノックをしようと水掻きのついた手を軽く握ったところで、再び湧き上がってきた不安に動きが止まる。

 早鐘のように早く強い鼓動を刻む心臓を落ち着かせるように、深呼吸をひとつ。

「……よし!」

 微かに残る不安要素を払い、自信を奮い起こすように強く拳を握ると、機密性の高い扉を軽く叩く。

 予想通り、部屋の中からの反応は返ってこなかった。

「失礼します」

 小声で一言かけてから、ゆっくりと扉をあける。

 いつもと同じく、扉に鍵はかかっていない。

 キィ、と金属のこすれる音がかすかにして、少しずつ部屋の中が露わになっていく。

 中は、普通の船員が使う船室と比べてかなり広い。

 作業や書類仕事に使う為の机一式とは別に、バーカウンターのような物が窓際に備えられている。

 そして、部屋の隅におかれたベッドを、ようやく視界に捉えた。

 足音を立てないよう注意しながら、マーミャはベットへと近づく。

 そして、安らかな寝息を立てているであろう主をくるむシーツを、主を驚かせないようにゆっくりとめくる。

「おはようございます、トマスさ――」

「ん」

 シーツの下からのぞいた二つの目が、勝ちを確信した様子でこちらを見つめていた。

「ツバキさん!?」

 すやすやと寝息を立てる部屋の主、ネオ・ユニコーン号船長トマスの横でこちらへ視線を向けるのは、彼の幼なじみにして今回の遠洋航海の発案者であるツバキだった。

「な、何で……こんな朝早くから……」

「そりゃ、昨日からトマスと一緒にいたからね」

 けろりとした様子で答えるツバキに、マーミャは不安要素が的中してしまった事を悔やみながら、昨日の記憶をたぐる。

(たしか、夜の会議を終えた後、皆で食事をとって、それから私は子供たちと寝るために一足早く部屋に戻ったんだったっけ……)

 そして、いつもと同じくトマスを起こすために今朝この部屋を訪れたのだ。

「確かに、あなたがいる事を考えなかったわけではありませんが……でも、それにしたって……一晩中一緒だったなんて……」

 今回の航海前、故郷の島へ墓参りに行ってから、やたらとツバキはトマスにべったりだ。

 もちろん、トマスが10年かけてやっと取り戻した幼なじみなのだから、一緒にいるのは不思議でもなんでもない。むしろ、トマスの幸せを考えればツバキと一緒のほうがいいのだろう。

 ツバキの方も、最初の頃の警戒した態度は全くなくなり、今ではマーミャにもとても気さくな態度で接してくれている。

 しかし、だからといって自分がトマスに対して抱いている想いをあきらめる事はマーミャにはできなかった。

「さて、そろそろ起こさなきゃ。トマス、起きて」

 ツバキがゆさゆさとゆすってみるが、トマスからは少し寝返りをうつ程度の反応しか返ってこない。

「トマス~、朝だよ~」

「トマスさん、朝ですよ」

 気がついたら、マーミャもツバキと一緒にトマスの肩をゆすっていた。

 ツバキは一瞬だけ視線をマーミャへ向けたが、なにも言わずに再び幼なじみを起こす方に意識を向ける。

 しばらく揺すったり声をかけたりしていたが、一向にトマスが目をさます気配はなかった。

「う~ん……寝てから3時間は経ってるから、起きてもいいとおもうんだけどな~」

 ツバキがぽつりともらした言葉に驚いたマーミャは、思わずツバキに声をかけていた。

「そんな時間まで、なにをしてたんですか?」

「昔の事を、色々とね……」

「……」

 遠い目で窓の外に広がる海を見やったツバキが浮かべている表情に、マーミャは返す言葉を見つけられなかった。

 ツバキとトマスが生まれ育った故郷の村は、すでに無いのだ。

「そうだ、恥ずかしい事話してたら起きるかな。ね、マーミャ」

「は、え?」

 重い雰囲気から一変して話を振ってきたツバキの豹変ぶりに、マーミャは呆気にとられたまま、無意識に首を縦にふってしまった。

「よし、決まり。そうだな~……暑くて眠れなかった夜、村長が私たちを集めて、怖い話を――」

「ストップです、ツバキ」

 なぜか得意げな表情で始まったツバキの昔語りは、彼女たちがひざをついているベッドの上から発せられた声によって中断させられた。

「まったく……いつぞやの宴会の時のレイナといいあなたといい、どうして僕の周りには強気な人が多いんでしょうね……」

「トマス」

「トマスさん」

 気だるい身体を起こしたトマスに、二人の喜ぶ声が重なった。

 軽い咳払いで艦長の顔に切り替わったトマスは、二人の女性を正面から見据える。

「おはようございます、二人とも。さ、行きますよ」

「「はい!」」

 あわただしく自分の身支度を整えようとしてくれる女性達を抑えながら、トマスの一日は始まる。

 そして、部屋の主の起床とともにいきなり騒がしくなった船長室を、新たな来客が訪れる。

「おや、今日もマーミャの負けかい」

「おかーさん、おはよー」

 ため息と舌足らずな挨拶に振り返ると、ネオ・ユニコーン号オーナーのレイナと、マーミャの二人の子供が入り口にたっていた。

「シンシア、スタール」

 呼びかけながら急いで駆け寄ると、二人の我が子をしっかりと抱きしめる。

「おはよう、ごめんね。先に起きてて」

「ううん、レイナのおばちゃんが一緒にいてくれたから大丈夫だったよ」

「母さん……」

 無邪気に甘えてくる弟スタールと、控えめながらも抱き返してくる姉シンシアの頭を何度もなでながら、レイナに頭を下げる。

「ごめんなさいレイナさん」

「別にいいわよ。アタシにとっても自分の子供みたいなもんだ」

「孫の間違いじゃないの?」

「そろそろそう呼ばれても良い頃ですね」

「あんたたち、そこに正座!」

 素早く茶化しにかかるツバキと、めずらしくそれに乗って静かに首肯するトマスを、まるで雷を落とす父親のように艦長室の床に座らせたレイナ。

 その目が厳しく細められた。

「……トマス、ちょっとヤバいかもしんないよ」

「どうしましたか?」

 真剣な声に、再び表情を引き締めたトマスにレイナが告げたのは、衝撃的な情報だった。

「海中から、すごい速度で何かくる」

「海中から!?」

 驚いて聞き返すトマスにレイナは無言のままうなずいた。

「この船を目指してるっぽいね。水ん中はあんまり感じられないあたしでも分かるくらいだから、そうとう速いよ。寝起きのみんなには悪いけど、急速回頭させてもらうからね」

 レイナが機関室へ向かうと同時に、トマスは艦長室に備え付けられた伝言管のフタをはね上げる。

「総員、海中から何かが来ます!急速回頭を行うので、衝撃に備えてください!」

 簡潔に用件だけ伝えると、ツバキと子供たちを部屋の隅にあつめる。

「ここなら安全です。ツバキ、何かあったら頼むよ」

「任せといて!」

 親指を立てて自信を示すツバキに「よろしく」と言葉をかける。

「艦長!」

 先ほどまでの優しさに満ちたものから一変した声に振り返ると、マーミャの真剣な顔があった。

「水中からの監視に向かいます」

「頼みます。相手が何かわからない以上、油断はしないで。少しでも危険だと思ったらすぐに戻ってください」

「はい」

 艦長の言葉に首肯しつつ答えると、母親の顔になったマーミャは二人の我が子の方へ歩み寄る。

「シンシア、何か分からなかったらツバキさん達大人に助けてもらいなさい。スタール、お姉ちゃんのいうことを良く聞いて、がんばるのよ」

 声をかけながら、いつものように優しく頭をなでる。

「うん。がんばるよ!」

「気をつけてね、母さん……」

 自信に満ちた息子の声と心配そうな娘の言葉を背中で受け止めながら、マーミャは防水扉を閉めた。


 海中に身を踊らせたマーミャは、それまで閉じていた水掻きを広げて、急いで船から離れる。

 自分が周りをうろついていては、レイナが自由に船を動かせないからだ。

 そして、ネオ・ユニコーン号の全体を見渡せるくらいまで距離をとると、船へ迫る襲撃者を探す。

 と、そのとき――


『助けて!』

『もうこんなことは嫌なんだ!』


「っ……!?」

 突然聞こえた叫び声に、マーミャは耳に手をやる。

 しかし、陸の生活で使う耳からは、轟々という潮流の音しか入ってきていない。

 途切れない嘆きの声を拾っているのは、二の腕や太股にある鱗だった。

 水棲人の鱗は、彼らの水中での自由な行動を助ける以外に、水棲人同士でしか聞き取れない特殊な声――深声の送受信を行う場所でもあるのだ。

(鱗が声を拾ってるということは、近くに私と同じ人たちがいるの……?)

 鱗をふるわせて、こちらからも呼びかけを試みる。

『こちらは、洋上に浮かぶ船の乗組員です。近くに水棲人がいるんですか?』

 しかし、返ってくるのは混乱と怨嗟の叫びだけだ。

 さらに、その声の主達は、こちらに近寄ってくる様子がないようだった。

(どうして、こっちに来ないの……?)

 まだ見ぬ相手が置かれている状況への心配が募ってきたマーミャの目の前を、細長い筒状のものがすさまじい速度で横切っていった。

(あれは……)

 その独特の形状は、マーミャの中にある数ヶ月前の記憶を呼び起こす。

 ツバキ奪還作戦の際、甲板に飛び出していったトマスを庇った時に見た、海面に突き刺さる砲弾に酷似していたのだ。

(トマスさんたちに伝えないと!)

 嫌な予感に、マーミャは急いで船へと泳ぎ出す。

 ネオ・ユニコーン号は、大きく左に舵を切って、迫る砲弾を回避しようとしていた。

 回頭の為にさらけ出された船体へ向けて、2発の筒はぐんぐん距離を詰めていき――木造の壁を突き破った。

「トマスさん!シンシア!スタール!」

 マーミャの必死の呼びかけの直後――ネオ・ユニコーン号は爆発と共に海の中へ引きずり込まれていった。


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